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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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その羽は、漆黒-③


 繊月は商売人である。

 店の規模は小さいし品揃えも妙だが、お上にきちんと届け出をし、正しく税を納める、至極真っ当な商売をしている。

 商売とは品を仕入れ、客に売って成り立つもので、客がいるなら応じるのは当然。来てほしいと乞われたのなら行かねばならない。たとえ火の中水の中、地の果て海の果てまでも――。


「繊月殿。終わりましたよ」


 岳晋の声に、繊月ははっと頭の中の風景を消し、返却された包袱(ふろしき)を何食わぬ顔で受けとった。


 蒼嘉国、栄安。その心臓である宮城の、帝のおわす宮からお堀ひとつをはさんだところ。四の殿舎からなる雅芸宮に、繊月はいた。正確には、黒曜殿の中心に構えられた大小三つの門の前である。


 繊月は荷物を胸に抱えながら、それらの門のうち、左端の小門から延びる列を後方はるかまで遠望した。出入りの商人らが手荷物検査を受けるための列である。


「混雑しているんですね」

「ええ。商品はもちろん、商人の私物まで検査しますからね。どうしても時間がかかります」


 岳晋の説明にも苦笑が混じる。過去に毒物が持ちこまれて事件になったことがあったため、こう念入りなのだという。確かに、何かあってからでは遅い。


 本来なら繊月も最後尾について順番を待たねばならなかったはずだ。

 墨色をまとう武官の口利きがあったため、並ぶまでもなく検査を受け、その検査も包袱を解いてざっと中を見るだけ、という簡易なものに終わったが、列は黒曜殿の外まで続いている。後ろの方など検査を受けるまでに(ひる)を越しそうだということは、今後のためにも覚えておかねばならない。


「参りましょう」


 岳晋に導かれ、検査場の下級武官らにきびきびと頭を下げられながら門を通過するその背を、繊月は氷を踏むような足取りで追う。先日露台に出たとはいえ、実質的にははじめての雅芸宮である。それなりに緊張している。


 もっとも、門をくぐったところでまだ黒曜殿の建物の中である。武官や文官、女官や下女、出入りの商人らでがやがやした回廊をまっすぐに進んで行く。


「そういえば、今日は士雲さまはお忙しいんですか。お姿が見えませんけど」

「ええ。崔小雨の聴取に時間をとられていますからね。通常業務の方が滞りがちで」


 銀丈が顔を出さないのもそのためだと、岳晋は苦笑いで説明する。

 やはり、夜雀騒動はまだ結了と言える段階にはないようだ。経過を知りたい気持ちはあるが、偽装工作を伏せなくてはならないので迂闊に話題にできないのがつらい。


(後でこっそり訊こう)


 そんなことを考えながら大きな扉をひとつ抜けると、景色が一変した。

 屋外に出たのだ。梁や廊下や天井の代わりに、楼閣が見え、橋が見え、殿舎が見え、池が見える。それから、笑いさざめく宮妓らも、せわしく動き回る下女たちも。

 ふわ……と思わずため息をつくと、それまでも聞こえていたはずの宮内の音が、急に鮮明さを増して耳に届いた。

 ビンと震える琵琶の音。軽やかに跳ね回る楊琴の音。のびやかな独唱。龍のごとくうねりくねって空に昇る二胡の調べ。まるで春盛りに花が咲き乱れるように、珠玉の音色で満ちている。


(正しく、雅芸宮……だな)


 先日露台から目にしたはずだが、やはり見え方がまったく違う。天鵬楼は高く、殿舎は大きく、緑は濃く、紅葉はあざやか。なにより、人の表情が見える。

 母の昔語りを聞きながら、あるいは読み本や歌劇を楽しみながら想像した光景が、まさに目の前にあった。自然、荷物を胸に抱きしめる手に力がこもる。


「白星殿まで、ゆっくり参りましょうか」


 やわらかく降る声に、遠慮なく従った。

 彼にしてみればきっとまどろっこしいだろう、ゆったりとした歩調がうれしい。


 ときおり鯉がぽかりと口を出すのを見ながら、池に掛かる橋を南に向かって進む。

 池の中ほどで一度立ち止まり、天鵬楼を真下から見上げたのち、紅花殿と耀風殿を左右に見ながらさらに南下した。

 挿し色に赤が使われているのが紅花殿で、黄色が使われているのが耀風殿だ。白星殿は、青。いずれも書物から得た知識だが、岳晋に確かめたら間違いなかったので、ひっそりと興奮する。

 そろいの衣装をまとった見習い宮妓の集団が岳晋にぺこぺこ頭を下げていくのがかわいい。

 演出を巡る議論だろうか、大声出して意見を戦わせる年長の宮妓らの姿も、多少圧倒されたがそれはそれで雅芸宮らしかった。


「岳晋さま。近々大きな催しでもあるんですか? さっきの方々、かなり熱が入っているようでしたけど」

「えー……そうですね。三か月後に、皇后陛下のお誕生日を祝う宴がございますね」

「ああ、なるほど。確か今上陛下って愛妻家なんですよね。祝宴も盛大なんでしょうね」


 想像するだけでわくわくしてしまったが、岳晋は返事らしい返事はせず、あいまいに笑うだけだった。そりゃそうかと思う。舞台が大きければ大きいほど失敗が許されないのが雅芸宮の人々である。宮妓であろうとなかろうと、重圧には違いない。

 もっとも、あの士雲がいるかぎり、失敗に終わるようなことはなさそうだが。


「こちらで少しお待ちいただけますか。(おとな)いを告げてまいります」


 白星殿に到着すると、岳晋は殿舎の入り口に繊月を置いていったん先に入っていった。

 妙齢の女性が圧倒多数を占める雅芸宮では、いかに高位の武官でも勝手な振る舞いはできない。これも書物で読んだ通りだ。


 大人しく門の脇にたたずんで、殿舎の中で最も高い建物の、屋根の上の方まで見上げる。

 管絃奏者の集まる白星殿は多種多様な音ががちゃがちゃと鳴って、さすがに雑多な印象だ。舞踊も歌謡も伴奏なしでは成り立たないので、管絃奏者は舞手・歌い手の何倍もの人数がいる。建物自体も、ほかの殿舎の二倍ではきかないほどの大きさだ。必然、聞こえる音も多くなる。


(そう言えば、夜雀は白星殿に出てたんだよね)


 ふと思い出してきょろきょろとあたりを見回した。

 宮妓らの部屋がある本殿、修練堂、下女らが寝起きする棟や水回り、倉庫……繊月が書物から得た知識で推測できるのはそれくらいだが、ほかにも複数の建物がある。

 植木や生垣、竹の群生が建物の壁に接しているところも多々あって、深夜に身を隠して迷惑行為に及ぶことも充分可能な環境であることがうかがえた。


(そもそもなんだって悪戯なんかしたの)


 顔も知らない見習い宮妓の影に問う。

 この国の多くの娘たちにとって雅芸宮とは憧れの場所である。見習いとはいえ宮妓としてやってきた崔小雨という少女は、少なくとも、希望を持って雅芸宮の門をくぐったはずである。


「――ねえ、あなた。見かけない顔ね」


 じっと考えていたら、声をかけられた。外から戻ってきた三人組の宮妓だった。繊月はとっさに道を開け、袖を掲げる礼をとる。


「新しく割符をいただいた、楽舗の者です」

「へー! 新参の商人!」


 たちまち目を輝かせる彼女らに、繊月はたじろいだ。

 なんだかすごい三人組だったのだ。

 指輪に腕輪に首飾り。耳にも髪にもきらきら輝く金銀宝珠(きんぎんほうじゅ)の装飾品を身に着けて、さすがに衣服は白星殿の宮妓らしく青っぽい色合いだが、裾や袖に細密な刺繍が施されているのでこちらもまあ豪華なものである。それでいて、


「ねえ、柄に宝玉をはめこんだ琵琶はない?」

「螺鈿細工を施した箏は?」

金物(かなもの)の笛などないかしら」


 と、右から、左から、正面から、ずいと迫ってくるから唖然とする。


 楽器だけでも安くはないのに、宝玉だの螺鈿だの金物だの、望むものが桁違いだ。

 当代の雅芸宮は高級志向なのだろうか。そして、仮に希望通りの豪勢な楽器があったとして、それに見劣りしないだけの技術があるのだろうか。


(そもそも、琵琶の奏者がこんなごてごての首飾りしてたら胴にぶつけて傷になるんじゃない? 垂れ物のついた腕輪で箏を弾いたら確実に弦に引っかけるし、あんな指輪だらけの手で笛吹くんじゃ運指が鈍る)


 と、性根の曲がった小姑よろしく言いたいことはいろいろあれど、とりあえず、色物ぞろいの尹楽舗がお呼びでないことだけはよく分かった。深々と頭を下げる。


「申し訳ありません。そうした高価な品は取り扱いがありません」

「――なんだ。つまんない」


 一瞬にして興味を失って、三人ともぱっと顔を背けて殿舎の中へ入っていった。まるで突風が吹き去るような勢いにあっけにとられていると、ちょうど彼女らと入れ替わりになった岳晋が、「何かございましたか」と小走りに戻ってくる。


「いえ、ちょっと……いや、かなり高級な楽器を紹介してほしいと言われたので、丁重にお断りしたところでした。みなさん羽振りがいいんですね。びっくりです」

「ああ……上位の宮妓に裕福な者が多いのは確かですね」

「あれが上位の方々……さすがというか、なんというか……」


 そろって三人組の後ろ姿を眺めながら、金の力は偉大だな――と、繊月は内心で続けた。


 多分に漏れず、宮妓にも階級がある。

 殿舎ごとに一から十二の位があり、十三以下はみな同列。さらにその下に見習いと続く。

 序列をつける基準は楽才と、組織への貢献度だ。上から五位まではひとりずつ選抜され、六位以下の人数はその時々で変動する。

 もっとも、十二位までは個室を持てることになっているので、実質的に部屋の数が「位持ち」の総数の上限である。なお、位のない者たちは大部屋で共同生活だ。


 こうした仕組みから、いちおう雅芸宮は実力主義ということになっているが、すぐれた宮妓はおおむね幼少期から質のいい教育を受けているものである。それでいて、質のいい教育と経済力は無関係ではないので、必然、上位の宮妓には裕福な家の出の者が多くなる。綺羅(きら)を普段着のようにまとえるのも、そういうことだろう。


(……でも、全体的に派手なんだよね)


 殿舎の中に入ったあともなお、華々しい恰好をした宮妓が目につくのに繊月は首を傾げた。


 耀風殿の舞姫たちなら装いも芸の一部と思えなくもないが、ここは白星殿。器楽の奏者ばかりである。過剰な装飾はかえって芸を妨げるはずだが、誰も彼も洒落者か、はたまた着道楽か、金銀宝珠で飾り立てる者ばかり。一見して見習いだろうと思われる幼い宮妓でさえ大粒の輝石をあしらった髪留めなど着けているから、着飾る義務でもあるのかと疑われるほどだ。


「どうかなさいましたか、繊月殿」

「いえ、みなさんやけに華やかだな、と思って」


 そうでしょうか――と、岳晋は不思議そうに周囲を見回した。すると、その視線の向いた先で宮妓たちがきゃっきゃと笑いさざめくから、ぴんとくる。


(なるほど、原因はこれか)


 近頃は見目好く将来有望な伴侶を捕まえるために雅芸宮入りを目指す娘が増えていると聞く。活躍の機会の多い上位の宮妓はともかく、その他大勢の宮妓が殿方の目に留まるには、とにかく着飾るしかない。それゆえの派手さというわけだ。


(……まあ、岳晋さまなんか、最有望株だよね)


 ろくでもない発見に脱力しながら、その有望株をそろりと見上げる。

 姿がよく、物腰やわからで、腕っぷしが強いのは間違いない。そのうえ今時分で宇家の嫡子に重用されているとなれば将来も絶対に安泰である。宮妓らが夢を見たくなるのも分かる。


 もっとも、当の本人はどんな熱い視線にも黄色い声にも、犬猫が啼くのに気を向ける程度に視線をやるだけだ。以前「妻を娶る気はない」と言っていたのも、この様子ならあながち嘘でもなさそうである。選り取り見取りだろうにもったいない。


(あやしくし、だなあ)


 つくづくとその人を眺めていると、ときを同じくして岳晋がこちらを見下ろした。


「繊月殿も今日は華やかな装いですね」

「――へ?」

「お召しのものもそうですが、お耳の飾りも、色違いですか? 雰囲気がかわりますね」


 にこりとされて、繊月は思わず首を縮めた。

 確かに、今日の繊月は普段着ている麻の着物ではなく、なめらかな絹の衣服に袖を通している。宮妓らと色味が重複しない、白を基調とした一着だ。

 そしてとっさに指で触れた両耳の房飾りは、今日は赤でなく青紫のもの。


「と、当然です。ぼろをまとって雅芸宮に入るなど言語道断です。……全部母のお古ですけど」

「お母上の。そうですか。お母上をお連れになったのですね」  

「そんなんじゃありません」

「よくお似合いですよ」

「……そうですか」

「はい」

「……ありがとうございます」


 繊月はそろりとよそを見ながら前髪にふれた。もうちょっと気の利いた返事があるような気もしたが、ほかに何と言っていいか分からない。

 岳晋がからかい調子でないから悪いのだ。そういうことにしておく。


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