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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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その羽は、漆黒-①


 闇夜にキンと高い音がする。長く尾を引く澄んだ音だ。

 余韻が消えればこだまが返るように一音鳴り、消えてはまた一音、また一音と繰り返される。

 雅芸宮に消灯を告げる鉦――睡鉦(すいしょう)()だ。

 それは花をかたどった小皿のような金物(かなもの)の鉦で、女官が受け持ちの殿舎で鳴らして回ったのち、八の池にかかる橋を渡り、天鵬楼にて合流し、そろって黒曜殿の内部で締めのひと打ちを響かせて仕舞(しまい)となる。


 士雲が口を開いたのは、執務室にてまさにその最後の一音を待っていた時のことである。


「鴨子が欲しい」


 岳晋は銀丈と軽く目を見かわし、(あるじ)の背中を眺めた。


 士雲は壁に掛けた雅芸宮の見取り図を眺めており、どんな顔をしているのだか分からない。が、夜更けに腹心二人を執務室に呼びつけてまで言うことが単なる雑談のひとつであろうはずがない。


「えーと……若さま? その鴨子は食用ですか? それとも愛玩用で?」


 まずもって銀丈が冗談混じりにたずねると、即座に、「たわけ」とお決まりの声が振り戻ってきた。


「どちらでもない。尹楽舗のやかましい鴨子だ。女官でも宮妓でもいい、あの鴨子を雅芸宮に欲しいと言っている」

「ですよねー」


 苦笑いしながら、銀丈が横目に見てくる。次はきみの番だと言わんばかりだ。

 どうしたものか。瞑目しながら、咳払いでわずかな時を稼ぐ。

 

「……先ごろ進言した際には、否定的であられたかと思いますが」

「ああ、それがどうした」


 開き直られてしまった。のみならず、「あの鴨子、猪を蹴散らしたのだぞ。あれは有用だ。鴉とも渡り合える」という見事な手のひら返しを披露され、岳晋は寸の間返す言葉を見失う。


 下町の楽舗の若き店主――尹繊月。

 気丈にして聡明、弁舌鋭いその人は、確かに当代雅芸宮には二人といない逸材だ。


 彼女のおかげで洪梅花は放免となり、真犯人が明らかになった。

 崔小雨――あの見習い宮妓は、梅花が追放される流れになっていたことで油断していたのだろう、士雲の前に引き出されると、尋問するまでもなく泣いて自分の罪を告白したのだ。そしてそのまま隔離されて、現在も継続して聴取を受けている。


 偽装に使った笛の入手経路や実際に夜雀になりすました手段、動機、それらの裏付けなど、明らかにすべきことが多いため、調書に結了の判を押すにはまだ時間がかかりそうだが、それでも、ひと月もの間停滞していた騒動を解決に導いたのは間違いなく繊月の知恵であり気概である。

 欲しいというのはよく分かる。――だが。


「難しいかと思います」

「なぜだ」

「繊月殿は我々が考えている以上にお母上の遺言を大切になさっておられます。先ごろお力をお貸しくださったのは不条理を正すため――あくまで一時的なことです。とてもお引き受けいただけるとは思いません」

「だが最後には露台に出たというではないか。こだわりを捨てたということだ」

「いいえ。あの日のことは一生の思い出にするとおっしゃっていました。ご自身できちんと線を引かれていますよ」


 そう、繊月は頑固だった。そして潔くもあった。露台の柵にかじりつき、ものも言わずに雅芸宮を見つめ、しかしある瞬間にぱたりとそれをやめ、帰りますと宣言したらもう振り返りもしなかった。


 それでいて、手製の冊子をしかと抱きしめる手にはひどく力がこもっていて、あの華奢な身の内にどれほど複雑な感情が潜んでいるのだろうかと思うと、助力を乞うてよかったものかと今さら迷いが生じたほどだ。


 もっとも、そのように考えているのは岳晋ひとりだけで、この名家の子息はと言えば「では金を積め」と容赦ない。しかも、「いくらでも出す」という強気の言までついてくる。

 岳晋はひと息黙った。どこか苦いような、()いような思いが吐息に混ざる。


「……士雲殿。先日の謝礼もお断りになった方が、金銭で心を動かされるとお思いですか」

「ならば店を潰すと脅しつけよ」

「脅しに屈するような方ではないでしょう」

「弱みはないのか」

「あったとして、弱みにつけこむような真似をすれば軽蔑されて終わるだけかと思われます」


 淡々と言い聞かせると、これは腰が重いと分かったのか、士雲は「銀丈! あの鴨子を篭絡しろ!」と矛先を変えてわめきだした。子どものようなむくれ顔がかえって彼の本気を示すようだ。銀丈も苦笑いである。

 

「若さま、率直に言いますが無理ですよ。鴨子ちゃんは色香とか通用しない子です。初手で分かりました。ついでに若さまの印象は控えめに言っても最悪ですから、ふつうに交渉するだけでもかなり難しいです」


 的確な指摘に、岳晋も静かにうなずく。双方から反対に遭い士雲はぐっと悔しげに唸るが、自業自得というものだ。どう思い返しても、士雲が繊月に対して印象よく振舞った記憶がない。


「たぶんまともに交渉できるのは岳晋だけですよ」


 流れでうなずきかけて、かくんと首が止まった。

 思わず振り向くも、つい先ほどまで無音の会話ができていたはずの双眸はきれいに岳晋の視線をかわしている。


「鴨子ちゃんって気は強いしずけずけものを言うけど、基本的にお人よしですよ。自分の感情では動かないけど、他人のためなら動いてくれそうです。ついでに商売人としての矜持もあって、責任感もある。狙うならそこかなー」

「なるほど。鴨子の店を雅芸宮御用達に認定したのち引きこめばいいわけか」


 士雲の瞼がぎんと開いた。


「よし、さっそく割符を用意しよう。私が直々に記した特装版をくれてやる。銀丈、そなたは宮内で客を探せ! 誰でもいい、ひとまずあの鴨子に商売をさせるのだ!」


 言うなり、この夜更けにやれ試し書きをしよう、墨をすろうと張り切りだす。

 岳晋は、ため息をついた。


「……銀丈殿。なにゆえ(あお)るようなことをなさるのです」

「あはは。しょうがないよ。鴨子ちゃんが頼りになるのは本当だし、若さまを説き伏せるのは骨が折れるし。なにより――」


 ふっと彼の声が低くなる。


「――この先三か月、無事にやり過ごさなきゃ危ういじゃないか。僕も、きみも、若さまも。それにもちろん、()()()()も」


 すがめられた目が言葉以上に不穏を語る。


 階下で消灯を告げる最後の一音が、キンと鳴った。


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