立つ鳥の痕ー⑬
「繊月殿」
包袱の上に冊子や笛を集めて帰り支度をしていると、岳晋が声をかけてきた。
士雲や銀丈は犯人確保と息巻いて駆け出ていったというのに、「ありがとうございます」と深く頭を下げてくる。
悠長なことだ。
手柄を横取りされたらどうするのだろう。いや、この人ならむしろ進んで譲るかもしれないな――と、例によって例のごとく勝手気ままに考えながら、繊月もまた「ご丁寧にどうも」と頭を下げ返す。
「ちょっとできすぎな感じもしますけど、ひとまず安心しました。これで真犯人まで捕まえられれば、梅花さんが狙われることもないですよね」
「はい。繊月殿のおかげです」
「岳晋さまの功績ですよ」
「いいえ。あなたが気づきを与えてくださった」
「細かいところに目を配っていなければ気づくものにも気づけないものです。――もう、岳晋さまはもう少しご自分を評価すべきですよ。もったいないったら」
今こそ汚名返上の好機だというのに、当の本人がこの調子である。謙虚さが欠点だなんて、この人くらいではないだろうか。
どうにも歯痒く、包袱を強く抱きしめるも、岳晋は苦笑いするばかりで、やっぱり自分のことには頓着する様子はなかった。
「もうお帰りになるのですか」
「帰りますよ。用はすみましたし、長居は無用でしょう。部外者ですから」
「しかしせっかくおいでになったのですから、いろいろと見て回る……わけにはいかないかもしれませんが、せめて、ご覧になりませんか」
言葉に気をつかいながら、岳晋が板戸の方に目をやった。梅花といるとき、彼が背を向けていた板戸である。
「この先は露台になっております。雅芸宮が一望できますよ」
板戸が開かれる。
とたん、秋風が吹きこみ、繊月の前髪や房の耳飾りをふわりと浮かせた。
心臓が一拍強く胸を打つ。
部屋は確かに露台と直結しており、その向こうには思いのほか自然豊かな風景が広がっていた。
雅芸宮だ。
見えているのは戸口に四角く切り取られた風景だけだが、分かる。真っ先に目に飛びこんできた高楼――雅芸宮の中心に建つという、天鵬楼。宮中で最も翡翠仙女に近いところ。
だが、露台が城壁の向こうにせり出しているのもまた分かった。自らの手で見取り図を描いたのだ、確かめるまでもない。あちらは壁の内側――正真正銘、雅芸宮の内部である。
「……それほど気が咎めるものですか」
沈黙を逡巡と見て取ったのか、岳晋が古傷をいたわるように問いかけてきた。
目的を果たしたのだからもうどうでもよさそうなものなのに、あくまで気遣いするところが彼らしい。
繊月は、苦笑した。
「この期に及んで、って感じですよね。分かります。わたしも思います。屁理屈ばかりで支離滅裂、筋が通ってない。矛盾してる」
「孝を重んじ、思慮が深く、自制心が強いということです。――本当は来てみたかったのでしょう? その冊子を見れば、あなたが雅芸宮に無関心でいられなかったことは分かります」
「意地悪言いますね」
「すみません。ですが自分で自分の足に枷をつけるなど、それこそもったいないことだと思います」
「枷、ですか」
思わぬ言葉にびっくりして、つい足元に視線を落とした。
不自由など感じたことのない左右の足である。どこへでも行けるし、なんでも飛び越えられるはずの。
この先のほんの数歩だって、軽々と進んでいけるはずの足だった。
「……足が重いようなら背負っていきましょうか?」
「だめですよ、そんな筋肉の無駄遣い!」
思わず叫んだ。
間違えた。
いや、主張は間違えていないが時と場合を完全に誤っている。
それが証拠に、寸の間きょとんとした岳晋が肩を震わせ笑いだす。
「繊月殿、たまに突拍子もないことをおっしゃいますね」
「い、いちおう自分なりの理論というか主義というか、いろいろと考えてはいます」
「そうですか。……そうですね。確かに、何事も無駄遣いはよくありませんね」
岳晋は未だくつくつと笑いながら、ひとり露台の先へと進みはじめた。
繊月が引き返すとはつゆとも思わないような、迷いのない足取りだ。
そしてそのとおり、繊月は背中を向けられず、勝手にも置いていかないでと思ってしまうのである。
まったく、なんて面倒くさいのか。
ほとほと呆れた繊月は、しかしそののち間もなく露台に出ていた。
その足を誘ったのは、風に乗って届いた管弦の音であり、女性たちの歌声だ。思わず駆けだし身を乗り出せば、舞姫たちの袖や領巾が舞うさまが繊月の目を釘付けにする。
「奉納だ……」
「ちょうど時間になったところでしたね」
満足げに目を細める岳晋を仰ぎ、ふたたび眼下に目を向ける。
宮妓らが集う天鵬楼。
四方に整然と建つ四の殿舎。
思いのほか広大な池と、それを八つに区切る赤い橋。豊かな緑。
かつて母が暮らした場所。
雅芸宮。
(そうか……そうか)
こみあげる熱いものを呑みくだす。
そうしてまばたきすることも忘れ、その美しい風景にいつまでも見入るのである。




