立つ鳥の痕ー⑫
「お待ちください!」
繊月が肩で息をつく間もなく、女官長が声を上げた。
袖を振り回すようにずかずかと歩み寄ってくると、
「梅花が笛を捨てたところを何人も見ております。目撃者は宮妓にも女官にも、下女にも多数……みな確かに梅花だったと証言しています。笛を捨てている以上、やましいことがあると判断するのは当然のことでございます!」
と、彼女は憤慨した様子で訴える。
予想していたとおりの妨害だったわけだが、妙に言いわけがましく聞こえるのは気のせいだろうか。
己の正しさを信じているならまっすぐ反論すればいいものを、そうはしない。といって揚げ足取りや論のすり替えでもない。
(ひょっとして耳が聞こえないことにも気づいてたんじゃ……)
思わずそんな勘繰りをしてしまうくらい奇妙なものを感じながら、繊月は取り急ぎ、首を回して手を挙げた。
「士雲さま。その目撃証言についても一考の余地があります」
「申せ」
許されたので、堂々背筋を伸ばして申し述べる。
「先ほどご覧いただいたとおり、梅花さんは周りの話が聞こえていません。ということは、そもそも夜雀騒動について何も知らなかった可能性があります。そうなるとあの笛が嫌がらせに使われた道具だという認識もなかった……なんなら、おもちゃだと思っていたかもしれません。うまくやれば水に浮きますから、本人としては池に捨てたのではなく、浮かべて遊んだつもりだったのかもしれません」
つまり、目撃者の受け止め方の問題だ、という主張である。
だが、「待て」と、士雲が肘を立てて異を唱えた。
「笛は岸からそうとう離れたところに浮いていた。川や海ではあるまいし、思いきり投げたのでなければあそこまでは届くまい」
この反論に、繊月は「そうなんですか?」と目をまたたかせ、いったん主張を止めた。
「すみません。池に浮いていたと聞いたので、岸辺だと思いこんでいました。お待ちください」
あわてて言い置いて、荷物を探る。そうして取り出したるは、紐でつづった手製の冊子だ。急いで表紙を開くと、すかさず士雲の目が光る。
「鴨子。なんだそれは」
「母から聞いた話をもとに描き起こした雅芸宮の見取り図です」
「は?」
岳晋や銀丈もそうだったが、どうしてこうぽかんとするのだろう。
ひとまず気にしないことにして、見取り図の中から白星殿二の池を探していると、岳晋が横から「笛が浮いていたのはこのあたりです」と示してくれた。池の中央付近だ。
「図で見ると小さく見えるかもしれませんが、実際の池はかなり広大です。今回は急でしたので人を行かせましたが、蓮の手入れや水面の清掃には小舟を出すのがふつうです」
「……そうですか。『百聞は一見に如かず』ですね」
繊月は頭をかいた。雅芸宮の規模は街ひとつ――と言われていることは知っているが、しょせん想像の中でしか知らないということだ。見事に計算を誤っている。
(だったら、修正するまでだ)
繊月はあらためて見取り図を注視した。そして思い描いてみる。
小舟が必要なくらいの距離。
十歳の女の子の小さな身体。
その手が投げる小鳥の水笛。
うん、と、耳の房飾りを揺らしてうなずいた。
「確かに、大きく振りかぶって投げなくてはだめですね。わたし、岸とか橋の上から手を伸ばして浮かべたか、こう、ひょいと鯉に餌をやるように捨てたのだと思いこんでいました」
「下手に投げるだけではああも目撃者は出るまいよ。派手に投棄したから人目についたのだ」
もっともだ。十歳の女の子のささやかな動きでは、誰も気に留めなかっただろう。
だが、それはそれでおかしいなと繊月は思う。
目ざとく察知した岳晋が、「何かお気付きですか」と促すのに、一も二もなくうなずく。
「梅花さんがあの笛を悪戯の道具と認識していなかった――と仮定すれば、人目のあるところで無警戒に笛を捨てたこと自体はおかしくないと思います。でも、振りかぶってまで投げ捨てた、というのは、やっぱりおかしいです」
「なぜだ、鴨子」
「だって、何も知らない人にとってあの笛はただのかわいい小鳥の人形です。水に浮かべてあげることはしても、思いきり投げたりはしません。――女の子なら、絶対に」
はっと、そのときみなが感情を吸われたように真顔になった。
男性では思い至らないことだったのかもしれない。女の子は日用品であれおもちゃであれ、そうそう乱暴には扱わない、ということ。
そして、そこが理解できれば、必然、新しい道筋が見えるというものだ。
「――池に投げ入れたのは笛ではなかったということか」
真っ先に士雲が言い、誰が何を言うよりも早く「そうか」と、彼は額に手を押しつけ、うめいた。
「みな荷検めの折に笛を見た。仮にこの下女が笛を池に投げたとして、至近距離で目撃したなら、誰しもそれが小鳥の笛だと気づいて即座に報告したはずだ。だが実際に目撃者が出てきたのは笛が発見された後……となれば、みなその瞬間は遠目でしか見ていないということになる」
「……なるほど。投棄する姿を見、水の跳ねる音がして、のちにそこに浮いているものがあったら、そのときそれが投げこまれたと錯覚しても不思議はございませんね」
「目撃者が複数いるなら集団心理もはたらくねえ。通常はひとりひとり個別に話を聞くものだけど、今回は全員まとめて話を聞いたとか。周りに流された人もいるかもね。目撃者の聴取は――女官がやってましたよね、女官長?」
一同の視線がいっせいに女官長に差し向けられた。さすがに青ざめており、裏切りに遭ったような目で繊月を見ている。
べつに、そんな顔をすることではない。
繊月は彼女を追い詰めたいわけではなく、無実の罪で追放という不条理を避けたいだけだ。
女官長には「そのとおりですね」と口だけでも従ってもらい、引き下がってもらえればそれでよかった。
――だが。
「わ、わたくしは、女官たちの言うことを信用して……」
女官長が口にしたのは、やはり言いわけだった。保身に走るというにもお粗末なくらいの。
どうしてこんな人が女官を束ねる地位にいるのだろう。
いいかげんうんざりしていると、一番に激怒しそうな士雲がなぜかその細面に笑みを浮かべた。
「気にすることはない。そなたらには荷が重かったというだけだ。ああ、身体が震えているぞ。具合が悪いのだろう。医官をよこすゆえ、当分療養するがいい」
さあ行けとばかりに漆黒の袖が振られた。この状況下でその采配が単なるやさしさであろうはずがない。事実上の謹慎処分だろう。
こわ……と、思わず二の腕をさすってしまったが、警備の武官らは未だあわあわと弁解する女官長を容赦なく追い立てていく。そしてそれを見送る岳晋や銀丈の目は思いのほか厳しかった。
これが華やかな雅芸宮の暗部か。
読み本や演劇で似たような断罪の場面に行き当たったことがあるが、さすがに痛快な気分にはなれない。
「……なんだか悪い気がしますね。女官長は偽装工作があったことを知らないんですから」
女官長らが退出したあと、繊月はそわそわと前髪をさわった。
捨てられた笛と使われた笛が別物だと分かっていたら、さすがの女官長ももう少し慎重になっただろうと思うのだ。公正なやり方ではなかったという罪悪が、落ち着かない気分にさせる。
だが、士雲はといえば「たわけ。ぬるすぎる」と容赦ない。
「知っていたとしてなんだ。初動の遅れに夜警の拒否、目撃者への聴取の不備、思いこみ、書庫での妨害……女官どものしでかしたことの方がはるかに多い」
急に切れのいい毒舌を発揮し、どかりと椅子の背にもたれる。
心なしかせいせいした顔だ。置きっぱなしの茶器を雑につかんで飲み干すさまは、さながら祝杯をあげているかのようでもある。
(……まさかこの人最初から女官長に全責任を負わせるつもりだったんじゃ……)
そんな想像が一瞬頭をよぎったが、考えるのはやめた。これはきっと覗いてはならない深淵だ。
「鴨子。ついでだ。もっと頭を回せ。何か出せ。真犯人につながる手がかりだ」
「な――なに無茶苦茶なこと言ってるんですか。みなさんの方がよほど学がおありでしょ」
「必要なものが知識や教養ならそなたには訊かん。欲しいのは異なる視点だ。同じものを同じように見ても、我らとそなたでは見え方が違うだろう」
「そういうところですよ。横暴なこと言いながら的ははずさないんだから……」
ぶつぶつ言いながら、しかし未だわけが分かっていなさそうな梅花が視界に入ると、意固地になってはいられなかった。
本当の悪は女官長や女官たちではない。夜雀だ。
この状況なら手厚く保護されると信じているけれど、梅花が報復を受けたり、口封じに遭う可能性を考えれば、出し惜しみなどしている場合ではない。
繊月は、腹をくくった。
「わたしの黒歴史を暴露します」
とたんに集まってきたみなの視線を浴びながら、しかし誰とも目を合わせずに繊月は語る。
「母が死んでひとりになったとき、とても親切にしてくれた人がいました。その人は、もともとは顔見知り程度の人でしたけど、身ぎれいで、やさしくて、小さな子どもがいるご婦人で、何かとお世話になったのですが、ある日人買いのところに連れていかれそうになりました」
は――と、いっせいに驚愕の顔を振り向けられた。
見なかったことにした。今現在このとおり健全かつ健康に生きているので問題ない。
「状況は同じだと思います」
繊月は続ける。
「梅花さんは、口もきけず耳も聞こえず、孤独を感じていたと思います。つらく当たられていた分、やさしくされたら簡単に相手を信用してしまうかもしれません。それが年長者なら甘えてしまうでしょうし、歳が近ければ友だちのような親しみを持つと思います。結果的に、そこにつけこまれたのだと思っています」
「……つまり、この娘に親切にしていた者が真犯人、ということか?」
「おそらくは。そして、耳が聞こえない、口のきけない下女に罪を着せようとした時点で犯人も頭がいいとは思えません。短慮と言うか、稚拙と言うか。つまり――犯人も彼女とそう歳がかわらないのでは?」
「――崔小雨」
そのときまったくとうとつに、岳晋が声をあげた。
繊月にとっては聞き覚えのない名だが、士雲は勢いよく顔をあげ、険しい表情を見せる。
「笛が浮いていると届け出た宮妓だな。第一発見者でもある」
「ちなみに梅花ちゃんが洗濯を担当してる部屋の中のひとりですよ。岳晋、何かあった?」
「はい。見え方が不自然です」
「見え方?」
一同、その言葉に首を傾げる。
「どういうことだ」
「あの日池のほとりに駆けつけたとき、私には浮いているものが小鳥の笛だとはっきり認識できませんでした。私の目の高さでそうだったのです。あの幼い宮妓の目線であの距離では、単なる浮遊物にしか見えなかったのではないかと」
「――あの娘ははじめからあれが小鳥の笛と知っていたということか」
士雲が薄笑いし、岳晋がうなずき、銀丈が「なるほどね」と歌うように応じた。
反応は三者三様だが、目の色は同じだ。
士雲が立ち上がれば、他の二人の背筋も伸びる。
「ただちに崔小雨を拘束せよ。尋問は私がじかに行う。決して女官を入れるな」
雅芸宮の主の声が高らかに響いた。
部外者の繊月が一から十まですっかり理解するのは難しいことだが、ひとまずまあ、うまい具合に収束しそうである。




