立つ鳥の痕ー⑪
翌日、繊月はふたたび黒曜殿の中にいた。
二度目の登城である。
迎えに来たのはまたも銀丈で、「御前会議のあとだから若さまも相当気が立ってると思うけど」と、心配されたが、執務室に続く階段の手前で顔を合わせたその人は、思いのほか冷静なまなざしで繊月を出迎えた。
「来たか」
「参りました」
前日と同じやりとりをし、しかし憎まれ口は叩かず、繊月は粛々と礼をとる。
「昨日はすみませんでした。考えが足りないまま好き勝手言ってしまいました」
「……鴨子がやかましく鳴くのはふつうのことだろう」
下目になって応じた士雲は、そのまま袖を返して部屋の方に足を向けた。相変わらずの愛想なしで、許すということなのか、ただの嫌味なのか、分かりにくい。返事にまごついていたら、鼻で笑われた。
「何をする気か知らんが、岳晋がどうしてもと言うからこの先一刻そなたに付き合ってやる。だが、妨げはしないが妨害を止めるつもりもない」
どういうことだ。
思わず顔をしかめるも、士雲はすたすたと部屋に入って行ってしまった。
仕方なく後を追い、廊下で立ち番にあたる下級武官らに頭を下げつつ入室する。
すると、すぐに士雲の言った妨害の意味が分かった。戸口に女官長が待ち構えていたのである。
「――あなた、昨日も見た顔ね。なんなの、いったい」
初っ端から威嚇だった。怖いなあと目を泳がせつつ、「ちょっとお節介な鴨子です」と、てきとうにかわして士雲の後を追う。
当然女官長はいきり立ったが、そこは銀丈が「まあまあ」と笑顔でおさめてくれた。格上の岳晋には反抗するくせ銀丈の言うことには素直に従う意味がよく分からないが、助かった。
そして、一連の流れを目にしながらひっそりと片頬で笑う士雲は性格が悪いと思う。
(まあいいけど)
開き直って、繊月はほのかに香の漂う部屋を中ほどまで進んだ。
正面奥で岳晋と梅花が対座している。岳晋が板戸を背にしてこちらを向き、梅花がその向かいでこちらに背を見せる形だ。
(打合せどおり――いや、それ以上だ。さすが岳晋さま)
二人と大きく距離をとって立ち止まり、繊月は顎を引いて彼らの様子を観察した。
岳晋は、入室してきた繊月らに目もくれず、いかにも彼らしいやわらかな物言いで梅花に言葉を掛けている。
だが、会話が成り立っている風ではない。
梅花は、時折首を傾げたりはするものの、返事はおろか、うなずくのも首を横に振るのもしないのだ。
後ろ姿しか見えていないので表情が読めないが、小さな身体はぎゅっと縮こまっている。
いきなりこんな部屋に連れてこられ、身体の大きな男性と話すことになって、不安なのにちがいない。
早くすませてやらなくては。
「それで? 何をするつもりだ、鴨子」
「実験です」
折よく士雲が声をかけてきたので、繊月は懐を探った。
取り出したのは、鴨子の笛である。
聴けば誰でも振り向かずにはいられない、変わった音のする笛。
士雲が不審げに顔をしかめているが、お構いなしに口に当て、思いきり吹いた。
ガアガア、ガアガア、ガアガアガア――。
とたんに女官長が悲鳴を上げ、士雲が耳をふさぎ、銀丈がふきだした。
廊下からはすわ異常事態かと武官たちが駆け込んでくる。
が、当然鴨子など影も形もないので、みなあっちこっちに顔を振り向けぽかんと口を開け放った。
状況を理解し柳眉を逆立てるのは士雲だけだ。
「い――いきなり何をしでかすのだ、たわけた鴨子め!」
「だから実験ですってば。ご覧ください」
片目をつぶって怒声をやり過ごしつつ、繊月は奥に向かって手のひらを伸ばした。
そこで、士雲がようやく違和に気づいて眉を寄せる。
静かに向き合って対話を試みていた岳晋と梅花。二人とも、何事もなかったように額を突き合わせているのである。
繊月は笛をしまい、二人に目を留めたまま、
「岳晋さまにはあらかじめこうするとお伝えして素知らぬふりをしていただいています。ほら、目線で気取られないように頑張っていただいていますよ。ありがとうございます、岳晋さま」
梅花の背中越しにひらひらと手を振ると、岳晋がぐっと何かをこらえたのが分かった。だが、あくまで視線は梅花の方に一直線で、こちらは見ない。満点超えの出来栄えである。
繊月は士雲の方に向き直った。
「これではっきりしました。梅花さんは耳が聞こえていません。口のきけない方は聞こえにも障害があることがあります。梅花さんもその例に漏れていません」
「それがなんなの」
声を尖らせたのは、女官長だ。
繊月は一度彼女を見、士雲にも目線を配って断言する。
「梅花さんが夜雀の正体ではないことの証明になります」
「はあ? どういうこと」
「鴨子、説明せよ」
「はい」
繊月は袖を重ねて恭しく請け負い、まずは声高らかにこう宣言した。
「夜雀の正体は小鳥の水笛です」
嘘である。
現段階では夜雀になりすました手段が特定できていないので、それは真実ではない。
だが、この場においては必要な嘘だ。
士雲も分かっている。
その前提で、繊月は続ける。
「思い出してください。小鳥の笛は水を入れなければかすれた音しか鳴らず、水を入れてもその量や吹き方によって音色が変わるものです。雅芸宮では毎晩雀の鳴き声がしていたんですから、犯人も雀の啼き声に似せて吹いていたということ。でも耳の悪い彼女が毎晩同じ音を出せるとは思えません。もちろん、完全に不可能だと断言できるわけではないですけど、犬が竹を登るくらいには困難なことだと思います。ですよね? 士雲さま? 聞いてます?」
「……聞いている」
顔半分をおおう手のひらの下から呻くような声が聞こえてきた。
なぜ梅花が犯人でないと断言できるのか。
説明の途中でみずから察したらしく、真夏の夕立前の空もかくやというほどみるみるうちに表情を苦いものに変えている。
指の隙間から士雲の鋭い目がのぞいた。
「……岳晋。その娘、本当に聞こえていないのか」
「間違いございません」
念を入れて確かめる士雲に、ようやく下女から視線をはずした岳晋が最敬礼で応えた。
すると、彼につられて振り向いた梅花が跳ね上がって驚いて、這いつくばるようにその場にひれ伏す。
あれだけ騒いだというのにその姿を目にするまで雅芸宮の主に気がつかなかったのである。彼女の耳が不自由であることの、揺るがぬ証拠だった。
「仕事が要領よくいかないのも耳が聞こえないことが要因のようです」
岳晋が背中に手を添え梅花を立たせた。
彼女はまだ戸惑いの色を消せていない。繊月が近づいて笑いかけると、反射的なものだろう、怯みながら笑みを返してくる。
少し、媚びるような、うかがうようなそぶりがあった。そうして逐一相手の顔色を見ながら暮らしてきたのだろう。胸の痛むことである。
「岳晋さま。やっぱり意思の疎通は難しそうですか」
「簡単ではございませんね。多少口唇を読んでいる様子もありますし、文字も少しは読めるようですが、そもそも言葉を多く知らないようです。笛を捨てるに至った経緯を聞き出すのはもちろん、現状を理解するのにもかなりの時間がかかりそうです」
「では時間をかけるしかありませんね」
「ええ、そのとおりです」
もっともらしくうなずき合い、二人そろって士雲を見る。
「士雲殿。申しあげたとおり、洪梅花とはべつに夜雀になりすます者がいると思われます。捜査の継続と、洪梅花の保護が必要と考えます。お許しいただけますか」
岳晋が恭しくうかがえば、士雲は小芝居を笑うような、しかしどこか楽しげなふうに頷き、
「許そう。――銀丈、洪梅花はそなたに託す。身の安全を確保し、真相解明を急げ」
「はい、若さま。お任せを」
先ほどからしきりに笑いを堪えていた銀丈も芝居がかった仕草で応じ、ひと段落。
ひとまず、無実の罪で追放という事態だけは避けられた。
ところが。




