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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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立つ鳥の痕ー⑩


「繊月殿――繊月殿」


 背後からしきりに声がする。おだやかな低音の、岳晋の声である。

 街の喧騒にまざりながらもきちんと耳に届いているその声を、繊月はきれいに無視して往来を突き進む。


 雅芸宮からの帰り道である。

 店まで送るという申し出をきっぱり拒絶し、徒歩にて帰宅中だ。

 昼すぎで日は高く、時折吹く風は少々冷たいものの日差しはわりあいあたたかい。宮城を出てすぐは高官や富豪の邸宅が並んでいるため下町の娘は完全に浮いていたが、そこを抜ければ商店が軒を連ねる繁華街。なじみある風景に肩の力も抜け、足も軽くなる。


「繊月殿」

 

 また呼び声がするのを聞き流し、往来を行く行商人や店の軒先でお菓子をねだる子ども、若い娘たちが互いの髪に簪をあてあってはしゃぐさまに目を向けるなどする。


 返事をしないのは意地だった。


 繊月は士雲の決断に納得していないし、無謀な交換条件には呆れている。そしてそんな士雲についぞ諫言ひとつよこさなかった人のよい武官には腹を立てていた。

 後をついてくるのに無理に追いつこようとしないところがまた心にさざ波を立て、絶対に聞く耳など持ってやるものかとかなり勢いつけて歩いている。

 おかげで耳の房飾りがぶんぶん揺れて頬がかゆい。だがこれも意地で我慢した。


「――繊月殿!」


 と、突然それまでより幾分鋭い声が飛ぶと同時に左腕を強く引かれ、たたらを踏んだ。

 危ないですよと注意を受けてはじめて、道に倒れていた梯子に気づいた。

 うっかり乗り上げるか、下手をすればつまずいていたところである。


「……ありがとうございます」

 

 知らず下唇を突き出しながら言うと、岳晋はつねからと変わらぬ笑みでうなずいた。こう態度を悪くして見せても笑顔とは、人がいいのではなく鈍いだけかと疑いたくなる。

 ともかく岳晋はここまでのやりとりをまるごと忘れたかのように、おだやかに語りかけてきた。


「繊月殿。少し話を聞いていただけませんか」

「聞きません」

「分かりました。では失礼ながら勝手に申し上げます」


 腕を取り返してふたたび前進し始めると、急に速度を上げた岳晋が軽々と横に並んだ。むっとして足を速めたが引き離せない。頭二つ分の身長差を思えば当然だ。脚の長さがまるで違う。ここまでそうとう加減されていたわけである。――やはり鈍いのではない。

 悔しいやら、気に食わないやらでじっとりと横目に睨むも、岳晋の顔は正面、道の先の方に向いており、繊月の方など見もしなかった。そのくせ歩調だけはぴたりと合わせ、まるで独り言のように言うのだ。


「繊月殿のおっしゃったことはよく分かります。弱者に理不尽を強いるなど人道に反することですし、ことが露見すれば非難は免れません。のちに真犯人が見つかれば、奸計を見抜けなかったと二重にそしりを受けることになります。正直申し上げて、悪手です」

「それが分かっているのに強行する意味が分かりません」

 

 ふんとそっぽを向くように繊月もまた人が入り乱れる道の彼方を見つめる。

 真顔を並べてひたすら前進する二人組というのはそうとう奇妙なのか、幾人か好奇の目を向けている。だが、互いにお構いなしだ。


「士雲殿はなにより雅芸宮の安寧を優先する、という考えをお持ちです」


 岳晋は言う。


「繊月殿はお若いのでご存知でないかもしれませんが、昔、お怒りになった翡翠仙女が真夏に雪を降らせたことがございました」

「馬鹿にしないでください。それくらい知ってますよ。というか、覚えてます。まだほんの小さい頃でしたけど」


 今でも目を閉じれば瞼の裏側に浮かびあがる。

 ぎらぎらと光る真夏の太陽のもと、大人のこぶしほどあるぼた雪が、屋根を破る勢いで次々降ったのだ。

 前触れはなかった。

 いつやむとも分からなかった。

 人々は老いも若きも悲鳴をあげて逃げ惑い、身を寄せ合って震え、ついにはみな天尖山に向かって(ぬか)づいて、わけも分からないまま翡翠仙女に許しを乞うた。


 幼い目にも、それは異様な光景に映った。

 人知を超えるものの存在を、確かに現実のものと感じた。

 あれ以来、繊月にとって翡翠仙女は目に見えない隣人だ。おそらく、蒼嘉国に住む多くの人にとってそうだっただろう。

 この国に、翡翠仙女にまつわる逸話を伝承だの伝説だのと笑う者はひとりとしていない。

 雅芸宮が今の世まで存続してきたこともまた、翡翠仙女の存在を証明しているようなものだった。


「ご存知なら話は早いですね」


 わずかに苦笑をふくんだ声で言い、岳晋は続けた。


「雅芸宮の不和は翡翠仙女の不興を買います。『真夏の降雪』の直前も、雅芸宮では大きな騒動があったと記録されています。そのはじまりは宮妓同士のささいな口喧嘩であったとか」

「……先人と同じ轍を踏むわけにはいかないということですか」

「まさしく、そのとおりです。士雲殿は特にその考えの強い方です。『真夏の降雪』のあった当時、雅芸宮を統括していたのは士雲殿の伯父上でしたので」


 はっと、繊月は息を呑んだ。

 不意打ち怒涛の異常気象が大凶作を招き、多くの病人死人を出す結果となったのが『真夏の降雪』だ。

 その発端が雅芸宮であるのなら、責任者はそうとう重い処分を受けたはずである。官服を取り上げられてもおかしくないし、代わりに死に装束を与えられていたって不思議ではない。


「士雲殿は幼少期から翡翠仙女の尊さと、その裏にある恐ろしさを骨の髄まで叩きこまれております。我々とは別次元の切実さでしょう。自身に悪評がついてでも解決を急ぎたいのはそのためです。お許しくださいとは申し上げませんが、事情だけはご理解ください」

「……分かりました」


 繊月は肩を下げた。そうする他なかった。

 士雲の言った「雅芸宮で血を流すわけにはいかない」という言葉が急に重みを増して思い出されたし、この件について、士雲がみずから解決に奔走していたという事実も脳裏をかすめた。

 騒動を収めるのに手段を選ばないという意味で、確かに彼は一貫しているのだ。


「……すみません。わたしも熱くなりすぎました。二親を亡くした身としては、どうしても孤児に肩入れしてしまって」

「お気持ちは分かりますよ。私も幼少期に親元を離れましたので、わけも分からず周りに翻弄される怖さは理解しております」


 さらりと告げるのにつられるように、岳晋を見上げた。

 あいにく横顔だったので目は合わなかった。

 だから聞けなかった。親元を離れたというのが、都に登ってきた時なのか。幼少期というのはいくつの時なのか。そこに、どんなわけがあったのか。

 そしてそのわけというのが、心をかき混ぜるようなものでなければいいなと思った。そんなはずないだろうなと、頭の片隅で思いながら。


 岳晋は、繊月の視線に気づかないまま続けた。


「私も、組織の一員としては士雲殿の決断に従わねばなりませんが、個人としては、やはり子どもにすべてを背負わせるような手段はとりたくありません。だからこそ、下女の名が挙がっても、台帳の調査は予定通りに行いたかったのです。疑わしい楽器が特定できれば、深掘りする理由ができますゆえ」

「……そういうことですか」


 安心した。

 台帳の準備が不十分なまま呼びつけられたのも、機密情報を次々聞かせたのも、ただの無計画や無警戒ではなかったのだ。

 少なくとも岳晋は、この難局を切り抜けるに足りる何かを強烈に欲している。


(そうなら最初から言ってくれればいいんだ)

 

 思いはすれど、もはや彼に腹を立てていたことも忘れた。

 我ながら単純というか、人がよいというか、呆れてしまうがそんな自分も嫌いではない。

 

 繊月は少し歩みをゆるめ、ふうと肩で息をついた。頭はもう回転しはじめている。


 今一番避けたいのは、梅花が雅芸宮の中で口封じに遭うことだ。

 最悪の事態を避けるためには、真犯人を特定するか、梅花を雅芸宮の外の安全な場所に避難させるかの二択。

 後者の方が着手しやすいが、偽装工作を公表できない以上、梅花が夜雀騒動の犯人だったとして追放するのがもっとも自然な口実になってしまう。


 しかし繊月は子どもに濡れ衣を着せるなど嫌である。

 となれば、梅花の潔白を証明して士雲に有言実行の手本を見せてもらうしかない。


 繊月は腕組みして虚空を睨んだ。

 

「深掘りするには時間が必要ですよね。時間さえかければ、口の利けない彼女が相手でも、手がかりを得られるかもしれない」

「はい。なまじ状況証拠が揃ってしまっていますからね。のんきに構えていては手遅れになるかと。今はとにかく時間稼がねば」

「そして時間を稼ぐにも口実がいると」

「ええ。時間を稼げるならことは何でもいいと考えています。楽器でなくとも、他の手がかりでも。なんなら、洪梅花が自身の疑惑を否定できれば、それを足掛かりにするのですが……」

「会話が難しいんですもんね……」


 岳晋の溜め息を契機に、二人して天を仰いだ。


 子どもというだけで大人を相手にするのと具合が違う。そのうえ発語が困難ならまともに自己弁護もできないだろう。

 幼くして下女になったのなら読み書きができるかも怪しく、つらく当たられているなら周囲の人間が親身になってくれる可能性も低い。

 下女は圧倒的に不利である。


(できることは身振り手振りで答えてもらうことだけ、か)


 そこまで考えたとき、待てよ――と思いついたことがあって繊月は立ち止まった。

 少し引っかかることがある。

 確かなことではない。それを判断する材料もない。だが、判断できれば白黒はっきりする。


「繊月殿。どうなさいました?」


 振り返り、半歩戻ってくる岳晋に、「あ、はい、ええと」と生返事をする。

 頭の中が目まぐるしく動いていた。散らばったものに片っ端からふれ、要るものを集め、要らないものを遠ざけ、しかし整理がつくのも待っておれずに「あの」と口を開く。


「岳晋さま。少し思いついたことがあります。明日でけっこうです、どうにか梅花さんに会う段取りをつけてください。場合によっては事態が好転するかもしれません」

「本当ですか」

「はい。ただしちょっとした実験と――嘘がひとつ必要です」


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