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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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立つ鳥の痕-⑧

 

 返事をする間もなく身体ごとくるりと半回転させられ、ぐいぐい背中を押された。

 そのまま角をひとつ曲がると、通路の突き当たり、戸口に立つ岳晋の姿が確認できる。

 繊月が描いた見取り図のとおりなら、あの角部屋こそが書庫なのだが、遠目にも異常が察せられた。黒衣をまとう女官が数人がかりで入り口をふさいでいるのである。


「――もう必要ないはずです。お引き取りくださいませ」


 遠く、年嵩の女性の声も聞こえてくる。

 どうやら書庫が非協力だというのは本当らしい。

 どちらも強固に争うような姿勢ではなさそうだが、女官が武官を拒む図というのはそれだけでかなり奇妙に見えた。


「……あの、銀丈さま。さっき説得してるっておっしゃってましたけど、必要ですか? 命令すればいいだけなのでは?」


 徐々に接近しながらこっそり問うと、銀丈は苦笑を含んだ声でこう言う。


「岳晋はのんびりした田舎の生まれだからね。人を従わせるって発想がないんだよ」

「へえ……地方のご出身」


 そうは見えない。士雲と並び立って違和感がないほど洗練された立ち振る舞いを披露してきた彼である、都の一等地に屋敷を持つそれなりの家の出だと当たり前に思っていた。


(まあ、栄安育ちの御曹司なら道端で膝をついたりしないか)


 あのおおらかさや人当たりのよさもふくめ、ある意味納得ではある。


 しかし墨色の官服をまとう以上、毅然とすべきところはそうすべきと思うが……と、どうにももやもやしながら観察していると、岳晋の向かい立つ女性が、彼と同等、あるいはそれ以上の深さかという濃い黒の官服をまっていることに気がついた。


「……銀丈さま。岳晋さまの正面にいるの、もしや女官長ですか」


 ふたたび背後に問いかける。その服の色はもちろん、肥え太った身から感じる貫禄をもってそう思ったのだが、読みは正しかったようだ。銀丈は怪談でも聞いたかのように背中をまるめ、「あれが猪だよ」と笑えない冗談を言う。

 言うなら人を盾にせずに言ってほしいが、とにかく、士雲に近しい文官武官でも気をつかう相手だということはよく分かった。

 

「繊月殿」


 岳晋が気づいて駆け寄ってきた。


「すでにご到着でしたか。申し訳ございません。お迎えもできず」

「それはべつにいいんですけど。なんか厄介なことになっているみたいですね」 


 ちらりと彼の背後を盗み見ると、岳晋はそちらに気を向けつつも弱った顔でふたたび詫びの言葉を口にした。


「もう少しお待ちいただけますか」

「はい、時間はありますから」


 と気軽に答えたものの、この状況で書庫の側が折れたとして何事もなく作業ができるのだろうか。

 疑問に思ったその瞬間、女官長がじろりと睨みつけてきた。


「そこの娘、見ない顔ですね。何用でここに? 所属はどこですか」

「い、いえあのー」

「士雲殿がお招きを許したお客さまです、詮索は必要ありません」


 岳晋がすばやく応じると、女官らが怯んだのが分かった。

 徒党を組んで反抗してみても、やはり士雲は怖いと見える。

 そして、岳晋が気のやさしい人だと分かって抵抗しているのだろうというのも透けて見えた。


(なめてかかるのが悪いのか、なめられる方が悪いのか――)


 内心うーんとうなっていると、「おっと珠佳(じゅか)ちゃんだ」と、なぜか繊月の背中に隠れるようにして銀丈がつぶやいた。


 どうも書庫の奥から進み出てきた若い女官のことをさしているらしい。歳は繊月よりも少々上のようだが、小柄な――繊月も小柄な方だが、それでも小さいと思えるような女性である。


(珠佳ちゃん……って、昨日銀丈さまが言ってた人だよね)


 不躾を承知でじっと見てしまう。

 繊月をさして彼女のようだと彼は言っていたが、全然違う。

 繊月は見るからに下町生まれ下町育ちの娘だが、彼女は小さな顔に丁寧な化粧を施した都会的な雰囲気。とくにふっくらとした口唇(くちびる)に鮮血のような色味の強い紅が乗っているのが印象的で、(まなじり)もほんのり赤く、美しいながらどことなく戦化粧のような力強さもある。


 繊月はもちろん、周囲の女官ともまた違う、独特の空気の持ち主である。


 彼女は戸口に集まる女官たちより少し後ろで立ち止まり、岳晋に深い礼を捧げた。

 手本のような美しい所作である。だがその表情は凍ったように動かない。ただ紅い口唇(くちびる)だけがうすく開き、こう言うのである。


「楽器の台帳というのは、規則に定めのある公文書のことでしょう? 記録は確かにありますけれど、楽器の出入りを時系列的に書き連ねただけのものです。お役に立つとは思いませんわ」


 静寂に鳴り響く鈴の音のような美しい声だった。

 しかしその内容は完全なる拒絶である。

 口調に抑揚はなく無表情。にもかかわらず奇妙な迫力が漂っており、背後の銀丈が「怖っ」とささやく。岳晋は返答に迷う顔だ。

 そろいもそろって頼りない。


 繊月はやれやれとばかりに肩を下げ、二人に代わって一歩前に出た。


「それ、ただ書き殴っているだけで内容が整理されていないということですか? 有事に際して役に立てないと断言するなんて、女官としての矜持はないんでしょうか」


 ざっと、壁を作っていた女官たちがいっせいに睨みつけてくる。

 男性陣も驚いた顔を振り向けてきたが放っておくことにして、繊月は最奥に立つ小柄な美女を見つめた。

 なんとなく、この場においては女官長よりも彼女を攻略せねばならないという気がしたのである。


 紅い眦をした目と視線がぶつかる。

 うすい笑みが返された。

 開き直り――と、繊月の目には映った。


 必然、不穏な空気が漂う。


「いったん帰って相談しようか!」


 と、そのとき一瞬ですべてを打ち払ったのは銀丈である。

 見事な作り笑いを顔に貼りつけ、右手で岳晋、左手で繊月の肩を抱き、「じゃあまたねー」と、女官に愛嬌を振りまき回れ右する。


「銀丈殿。また話がついておりませんが」

「うん。でも珠佳ちゃんがああ言うならたぶん無理。ていうか鴨子ちゃん、はっきり言いすぎだよ。歯に衣着せてよ。女子同士の争いは怖いのよ」

「すみません。さっきからちょいちょい女官の印象が悪かったので。それに、あれはむしろ部外者が言った方がいい場面です。お二人が言うと禍根が残りますよ」


 ぐいぐい歩かされながら、繊月は半笑いになる。

 本当のことを言って何が悪い、というのが本音だが、自分の方も相当の読み違えをしていたのだから強く言えない。


(雅芸宮の女官がここまでぽんこつだとは!)


 許されるなら大声で叫びたかった。

 先ほどの珠佳の口ぶりなら、台帳の中身は楽器の出入りがずらずら書かれているだけ。今現在誰が何をいくつ持っているか、ぱっと出せる状態にないのだ。その程度の管理能力しかない者が宮仕えを名乗るなと思う。尹楽舗ですら在庫は抜かりなく記帳しているのである。


「そもそも、銀丈さま、文官ですよね。あの現状ご存じなかったんですか?」

「あー、あー、待って。僕にふらないで。什器とか建築物は僕らの管轄だけど、宮妓の持ち物は女官の管轄だから。僕ら女子の私物には不干渉だから」


 必死に言い訳するということは、台帳の実用性が疑わしいことにはうっすら気づいていたのではないか。彼だけでなく、歴代の文官たちが――こぞって。そしてどうせ数年で異動するからと目をつぶってきた……。


「いやあ、面目ない。さっそく若さまに改善を進言するよ。じゃあそういうことで」


 疑いの目で見ていたら、銀丈はさっと身をひるがえしていってしまった。

 逃げ足の速い人である。日頃から要領よくやっているのだろう。


 一方、実直ゆえに貧乏くじを引いてばかりいそうな岳晋は、まさしく今この瞬間、面倒ごとをまるごと残され途方に暮れたような顔をした。


「……申し訳ございません、繊月殿。ご足労いただいたというのに」


 深いため息は足元の塵を残らず払いそうな勢いである。


 繊月は、頭をかいた。

 べつに岳晋が悪いわけではない。

 悪いとすれば要領で、その点はもどかしいような、悔しいような思いもするのだが、責めるほどのことでもない。そして身体の大きな男にこうしゅんとされたのでは、いつまでも口唇をとがらせているわけにもいかない。


「間が悪かったということですよ。いや、よかったのかな。笛を捨てた人が見つかったんですよね? それならその人から証言をとって実際に使われた楽器を特定する方ががぜん簡単です」


 苦笑いしながらそう言うと、岳晋はなぜだかますます表情を(かげ)らせて、


「……それが少々複雑でして」


 ついに肩を落としてしまった。


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