立つ鳥の痕-⑤
「は――」
と、一瞬ほうけた岳晋が、食らいつかんばかりに身を乗り出した。
「お売りになったのですか? こちらで? いつのことですか」
「お二人が店に来られた三日後です」
「――荷検めはその前日に終わっております」
「やっぱりそうですか」
思わずぐっとこぶしを握りしめる。
「買った方ははじめからこの笛が目的だったようなので、岳晋さまが約束どおり宣伝してくださったんだろうと思ってたんです。でも、もし後に売れたものが雅芸宮の内部に持ちこまれたら紛らわしいことになると考えて――これ、つけておいたんですよ」
笛の上下を返す。とたんに、岳晋がはっと喉に息を貼りつけたのが分かった。
「……それは、あなたがおつけになったものだったのですか」
そんな台詞が口をつくということは、彼も気がついていたようだ。
ふっくらとした小鳥の腹を裂くように走る、赤い印に。
「わたしも売る直前に思いついたので、とっさに紅をつけるくらいのことしかできなかったんですけど、確かにわたしが着けたものです」
「紅、でしたか……」
つぶやく岳晋の視線が笛に落ちる。
繊月は、うなずいた。
「ちなみに今わたしが口唇に塗っているのと同じものです。入れ物はここに。他の在庫もこのとおり、全部同じように印をつけておいて……ああそう、文を差し上げたのもこのことをお知らせしておかなくてはと思ったからです。――よかったです。早めにお伝えできて」
証拠とばかりにあれこれ出し、最後にほっとまるい息を吐く。
すると、半笑いとも、引きつっているともつかぬ岳晋の口から、細く震えるようなため息がこぼれた。
「本当に、聡明な方ですね……」
「そんなんじゃありませんよ。例によって考えすぎただけです。洋恂が聞いたらまたわたしの悪い癖が出たと笑われそうです」
「いえ――いいえ、非常に重要なことです。笛が荷検めのあとに購入されたものとなると、あらゆる前提が覆ります。危うく判断を誤るところでした……」
ゆるゆると肩を下げた岳晋は、そのまま、沼底に沈むように黙りこんだ。
その口ぶりから察するに、夜雀の犯人が証拠隠滅のために笛を捨てた――という想定で捜査が進められていたのだろう。彼らの立場からすれば真っ当な考えだ。
しかし今この瞬間、いっぺんにふりだしに戻ったことになる。見かけは落ち着いているようでも、心中は嵐の海のごとく荒れているに違いない。
「ちなみに、笛を買って行った人は一見さんですよ」
しばらく沈黙に付き合い、お茶をひと口飲んだのち繊月は言った。はっと思考の海から戻ってきた岳晋が、肩から卓上に乗り出す。
「その客のこと、覚えておいでですか」
「ええ、いくらかは。おそらくどこかのお金持ちの家の下男です。身なりは悪くなかったですし、言葉遣いもきれいだったので、なんでこんな下町に、と思ったんです」
言いながら、筆記具を引っ張り出して、その客の年の頃や人相、服装などを、簡潔に紙に書きつける。
五十がらみで中肉中背、顔に際立った特徴はない。代わりに、声ばかりが妙に若くてちぐはぐな印象がする。そんな内容だ。正直、この情報だけでその人物を探し出すのは困難だろう。繊月も道ですれ違った程度では気がつかない自信がある。
こんなことならもっとしっかり観察しておくのだった。
(しかし読み違えたな)
繊月は少しずつ乾いていく墨の文字を見つめながら鼻にしわを寄せた。
来店した男の出立から、雅芸宮に在籍しているどこぞのお嬢さまが見た目のかわいさゆえに小鳥の笛を欲しがったに違いない……と見立てていたのだ。
だが実際には荷検めのあとに雅芸宮に――しかも出入りの際の手荷物検査をかいくぐって持ちこんだ笛を、大胆にも人目につく形で捨てたのだ。計画的であるし、悪意があるのも疑いようがない。
そして、悪戯の地味さ、単純さと比べて妙に手がこんでいる。
なんだかこう、ちぐはぐな印象だ。
「なぜ買ったばかりの笛を捨てたのでしょうか」
考えこんでいると、岳晋がふいにそう疑問を呈した。
あらためて小鳥の笛を手に取り、四方八方から眺めている。
「荷検めを行ったのち、夜雀被害はなくなりました。笛はもう使っていないはずです。手元に残したところで役に立たない……どころか、のちに発見されれば犯行が露見する危険性がございます。にもかかわらず、手持ちの笛を処分せずに新たに手に入れた笛を池に捨てる……というのは、筋が通らないように思います」
「可能性は二つあると思います。元々使っていた笛をすでに処分してしまっていたか、そもそもこの笛を使っていなかったか、です」
指を二本立てて答えると、笛を眺めていた目がぱっとこちらを向いた。まなじりにやや険しさが見える。
「どういうことでしょうか。すでに処分ずみであった……というのは、可能性としてあると思われますが。使われたのがこの笛でなかった、というのは?」
「言葉通りです。先日は洋恂に邪魔されそうだったので説明しきれなかったんですが、じつは雀の鳴き声が真似られるのはこの笛だけではないんです」
「そうなのですか?」
岳晋の声が大きくなった。わずかに、「聞いていない」という、非難と驚嘆の響きが混じっている。
彼の立場からすればもっともな反応だが、繊月の側からするとべつに驚くようなことでもない。
「どんな楽器にも通じることですけど、似た構造をしていれば似たような音が出るものです。おそらく犯人はほかのものを使って雀の鳴き声を再現していたんだと思います。ですが荷検めのときに小鳥の水笛を見せられたので、逆に、これが発見されれば追及を逃れられると考えたんじゃないでしょうか」
「なるほど。うまく利用されてしまったということですか」
「はい。もちろん、実際に小鳥の水笛を使っていて、すでに処分してしまった可能性もないわけではありませんけど、このとおり見た目が特徴的な笛ですから、荷検めで見つかるか、見つからなくても過去にこれを見たことがあるという人が出てくるはずです。出てこなかったのなら、そういうことかと。完全にわたしの計算違いです。笛を持って荷検めをすれば、ただ悪戯をやめるように言って回るより牽制になると思ったんですけど……かえって混乱を招くことになってしまいました。すみません」
頭を下げると、岳晋はあわてたように手を差し出しこれを遮った。
「狙いははずれておりませんよ。実際に夜雀被害はなくなったのですから。このような工作が行われたのは、陛下にまで報告があがったためだと思われます。犯人も、大事になった以上ただではすまないと考えたのでしょう」
「大事……」
「はい。雅芸宮は『後宮』と呼ばれていた時代から奸計・謀略がはびこってきたものです。今も、程度は違えどその名残は少なからずございます」
ひそめた声で彼は言う。
繊月も知識としては備えている事実だった。雅芸宮の泥沼劇は読み本や演劇で人気の題材だから。
しかし実際に現役の武官の口から聞かされると、脚色された創作物とはまるで違い、暗がりで蛇がうごめくような、妙に生々しい気配がある。
(これ、ほんとにただの悪戯なの?)
ふいの思いつきに二の腕をさすったとき、やおら岳晋が居住まいを正した。ふだんのおだやかさが完全に消えた、武官の顔をしている。
「繊月殿。先ほど申し上げたとおり、笛を捨てた者は遠からず特定されるものと思われます。それまでに、実際に犯人が使用したものが何なのか、突き止めておかねばなりません。どんなものなら雀の鳴き声を再現できるか、お教えいただけますか」
「もちろんです」
繊月はきりりとした顔でうなずいた。
楽器の商いを行う者としてここで知らんふりなどできようはずもない。店の商品が悪用されたとなればなおさら、鼻息も荒くなるというものだ。
「肝心の雀の啼き声を聞いていないので、今この場でこれと特定するのは難しいですけど、消去法でかなり絞りこめると思いますよ」
繊月はそう前置きして、疑わしい楽器を絞りこむための考え方を説明した。
まず大前提として、構造が似ていれば音も似るのが楽器である。
素材が違っても似た音色になることはあるが、楽器本体の大小は音の高低に影響を与えるので、大きさは小鳥の水笛とそう大差ないだろう。
そして『打つ』楽器、『弾く』楽器で鳥の鳴き声を真似るのは難しい。市井には太い木の枝に棒状の金属をねじこむことで発生する摩擦音で鳥のさえずりを再現する技術もあるが、雀の啼き声には遠いうえ、とても楽器と呼べる形状ではないため雅芸宮では悪目立ちする。
となれば、ある程度狙いは絞れる。
「夜雀の正体は『息を吹き込んで鳴らすもの』だと思います」
「笛、ということですね」
「先入観は持たない方がいいですよ。木の葉一枚でも口に当てて吹けば音が鳴りますし、一見ただの竹きれにしか見えない指穴のない縦笛というのもあります」
釘をさすと、岳晋は固まった。難問に遭遇したような表情だった。
無理もないことである。
歌舞音曲は女の領域。化粧道具や装飾品同様、男性にはとっつきにくい分野だ。繊月だって槍と鉾の違いを説明されても見分けられる自信がない。それと同じことだ。
「あまり難しく考える必要はないですよ。宮妓が所有している楽器は台帳だかなんだかに登記されているんですよね? まずはその中から『吹く』楽器を抜き出して、小鳥の水笛と構造が似たものを探すことからはじめればいいと思います」
「台帳……なるほど」
「重要なのは、見た目でなく、あくまで構造というところです。内側に空洞があって水が入れられれば有力候補ですが、そうでなくても吹き方次第で音色を寄せられる場合もありますので、宮妓あがりの熟練の女官に調べてもらうのをおすすめします。できれば白星殿で、笛を吹いていた方。経験者の方が気づくことが多いと思います。どなたか心当たりがありますか」
顔をあげたとき、ばちりと目が合った。
さながら待ち伏せのような間合いにびっくりしていると、岳晋はなぜだか咳払いをし、さながら国家機密でも明かすような厳かさでこう言うのである。
「最適な方がおられます。目の前に、おひとり」




