第164話 赤茶さん
「ここが牛舎だ。お魔力ガンガンのおかげさまで、餌が不足しないもんだから、勝手に繁殖しててな。牛も豚も鶏も多すぎて、常に人不足なんだわ。
牛乳は全然搾りきれてねぇけど、その代わりに子牛が飲みまくってくれるから、乳腺炎にはほとんどならねぇし、あっという間にまん丸子牛のできあがりだ」
「ほぁ〜……広い、ですね」
ライチの眼の前には、いくつもの牛舎が並んでいた。
木造の建物はどれも平屋で、屋根は低く、風雨を防げるように壁も設けられている。
(なんというか……広いのに、全然使われてなくて、まばらな感じ。北海道とか外国の、とんでもなく機械化された乳搾り工場とかを想像しちゃってた)
乳搾りも、気まぐれに牛を引いてきて、手の空いた人がちょちょいと金属バケツに絞っているような感じだ。
牛側も『あ〜、そこ詰まりかけてたのよ。ありがとね』という感じだし、搾ってる側も、『喉が渇いたから、自販機で牛乳を飲みに来たよ〜』くらいのゆるいノリだ。業務感が全然出ていない。
「そりゃ広いだろ。冬になったら雨風がしのげねぇと、冷え切っちまうからな」
「冬……そうか、確かに」
今は夏に近いから、家畜たちは思い思いに草原でゴロゴロしているが、寒い時期にはここに入って身を寄せ合うのだ。そう思えば、このスカスカの牛舎群も、とても手狭に感じた。
「時間もないようだし、手近なところでフィーリングで決めるぞ」
「あっ、はい」
牛舎の人にも、スピネラ村用の乳絞りや、農耕具の購入の指示を出したトルヴェルが、さっとライチへ向き直る。
「…………あいつはどうだ?」
トルヴェルが指し示したのは、広大な柵の内側で草を食んでいる、赤茶色の毛並みをした、大きな牛だった。
首は太く、肩から胸にかけて筋肉が盛り上がっている。さすが農耕用のベテラン牛。
左右に伸びた角は、先端が上を向いている。
「ちょっと待ってろ」
トルヴェルが、乳搾りフィーバーで盛り上がる牛舎の一人に、声をかけに行く。
若い男性は、ひょいと柵の中に入ると、赤茶牛を優しく引いてきてくれた。
「農耕のベテランだそうだ。多分そんな滅茶苦茶に草は食わねぇし、気性が荒いこともないと思うってよ。去勢済みのオスだ」
牛舎の人ですら、牛の個性は把握しきれていないようだ。ぼやっとした情報と共に、赤茶牛はライチの眼の前に連れてこられた。
(デカい、鋭い、怖い)
改めて眼の前で見ると、特に角の鋭利さが恐ろしい。闘牛のように突進されたら、死ぬしかない。
「これ……角を取り除いたりは、できないんですかね……?」
現代人らしいライチの言葉に、トルヴェルと牛舎の男性は目を剥いた。
「はぁ? お前、何言ってんだ?」
(あれっ、また俺やっちゃった? 牧場でも、角がある牛は、ほぼ見なかったんだけど……)
「角ってのは、飾りじゃねぇんだぞ。根元まで血と痛覚が通って生きてんだ。中は頭の穴に通じてるし、下手に切ったら化膿もする。そんな真似をして、わざわざ牛を傷物にする気か?」
「えっ、あ、いや、ごめんなさい、子どもが怪我したら危ないなって……」
「なるほどな……。だったら、ガキを牛に近づけねぇようにするのが先じゃねぇか? 角の先なら丸くする処理もできるが、どっちにしろ、少し動けばガキなんて飛ばされちまうんだ。角だけ何とかしても意味ねぇよ」
そういうものなのか。何も知らないライチは、素直に納得した。
(言われてみれば、角って、骨と角質とかそんなんだったっけ? 全然分からないけど。頭蓋骨が飛び出てるとしたら、そんな簡単に切ったら危ないか)
「どうしても角なしにしたいなら、子牛の頃に角の芽を焼いちまったりもできるがな。まぁわざわざ誰もそんなことしねぇよ」
(焼く……!)
角なし牛を用意するのが、そこまで大変なことだとは……。
ライチは改めて、赤茶牛と見つめ合った。
「初めまして。こんにちは。赤茶君……いや、赤茶さん、は、農村でのお仕事に、興味はあるかい?」
ライチが声をかけると、赤茶牛は、その濡れた大きな黒鼻から、ブフッ、と息を吐いた。
首を揺らすと、尖った角も揺れる。だが、優しい目がゆったりと瞬きをする様子を見ていると、恐怖心も薄れていった。
「おとなしそうですね。この子にします」
ライチのその決定以降、一気に荷積みが始まった。
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差し入れの荷物が、どんどん飛車へ積まれていく。
「ほい。これが、預かってた農夫の服な」
「わぁ!ありがとうございます!バルゴさんに返せます!」
使用人が走って持ってきてくれた麻袋を確認する。中には、懐かしのバルゴの服が綺麗に畳まれて収まっていた。
「村には、飼い方と農耕器具の説明のやつが行くまでの、七日ほどだ。小屋にでも繋いで、干し草を食わせとくよう、伝えるんだぞ」
「はい」
小屋といえば、ライチの店舗小屋だ。ちょうど土間ひと間だったし、数日間は窮屈だろうが、赤茶さんにはそこに入って、我慢してもらうしかない。
「放牧させるなら、柵も必要だ。木材の準備だけしとくように伝えてくれ」
「分かりました」
「本当に牛を持ってくんだな。すご」
こんこんと念押しをされるライチの横から、飛車を下ろして暇そうにしているフガークスが呟いた。
「おいくらなんだろ、この子で」
――じょぼぼぼぼぼ
飛車に繋がれ、豪快に股下の桶におしっこを出している赤茶さん。ライチも気になって、トルヴェルに尋ねた。
「あ〜……二万Gってとこじゃねぇかな。あんまり農耕用の役牛を売らねぇから、適当だが。干し草代と、村への飼育指導代は、こっちでツケといてやるよ」
トルヴェルがニヤリと笑う。このタイプの人のサービスは、余計に高く付く気もするが、お断りできる訳もなく。
「ありがとうございますっ」
ライチは笑顔でお礼を言った。
「そこに、鍋やらも増えるんだ。魔力組合代も払ってて、やるな〜」
フガークスがゆるくリアクションをする。『それはそうと、早く例の現象の説明を』と、目から催促が漏れているのだが。
「――ま、こんなとこだろ。総額の計算はまた今度だ。急ぎらしいから、立て替えといてやるよ」
「何から何までお世話になりました」
「良いってことよ。俺は優秀な後継をちゃんと育ててっからな。結構暇人なんだ。
さっきも言ったが、俺が送った大人数が、そろそろ村に着くはずだから、現地からなんか買い取って持って帰るのだけは、やめてやってくれな。
折角買い付けのために、山道を越えてたどり着いたのに、すっからかんだったら、膝から崩れ落ちちまうよ」
「はい!スピネラ村の生産品を、飛車で掻っ攫いません!」
「頼んだぞ!」
「じゃ」
トルヴェルが締めると、フガークスが流れるように操縦席に乗り込み、操縦桿を光らせ始めた。
「ちょちょちょい!フガークスさん!早い早い!」
ツッコみながら、ライチも大急ぎで操縦席に座る。
「トルヴェルさん、大変お世話になりました〜!また必ずお支払いに来ますね〜!」
「うわ、牛と牛乳と鍋とカカ、ヤバい。重すぎる。一人で上げるやつじゃない」
手を振るライチの隣で、フガークスが呻く。
まだ高度的にライチ側の操縦桿を光らせることはできないが、念のためにライチは自分側の操縦桿を握っておいた。
「お〜!やっぱすげぇな!こんなのが使えるなら、行商人なんて要らなくなっちまうな!……や、一日十万Gじゃ大損か!ガッハッハ」
浮かび上がる飛車に、トルヴェルと牛舎の人たち、そして家畜達がざわめいた。
「あーーっ!すみませ〜ん!忘れてました!入港税!」
三メートルほど上がって、街の門が遠く見えて、ライチは街に入る税金を払い忘れたことを思い出した。いくらだったか。下に向かって声を張る。
「ガッハッハ!城の飛車で来たやつから税金を取る馬鹿はいねぇよ!気にしねぇで、行ってこい!」
トルヴェルが豪快に笑う。
「もういける? どんどん魔力を持ってかれてる」
「任せてください!落ちても死なないって分かったんで、パニクらずに操縦できます!変わりますね!」
ライチは目を閉じて、我が子の小さな手を思い浮かべる。
――ブモォォ
その後ろで、浮遊に驚いたらしい赤茶牛が、怯えた鳴き声をあげた。




