第163話 農耕用の牛
「差し入れが、“農耕牛”……?」
ベスペルがポカンとしている。
(あっ、そっか。牛って、日当の一年分とか? 農村ではとても買えないような金額って言ってたっけ。プルデリオさんのせいで金銭感覚がおかしくなってきてるな)
「あ、いや、えっと……」
「待てよ、ライチ。本当に農村に牛を持ってくつもりか? 食う方でもなく?」
慌てるライチの横から、鋭い声が飛んだ。見ると、トルヴェルの眼光がギラリと光っている。
「え? あっ、はい。畑を耕すのが楽になったらいいな〜と思って」
「おいおい」
二人が頭を抱えている。
畑は牛で耕すと以前言っていたと思うが。畑のある村へ牛を連れて行くことに、何の問題があるのだろう。
「……私から説明しましょうか。
ライチさん、牛は草を食べさせておけばいい、というものではないのです。雨風を凌ぐ場所もいりますし、メンテナンスもいります。単に引いて連れるだけでも、慣れた人間ではないと、牛の体を傷めます」
「えっ」
「村に牛を飼った経験がある奴はいるのか?」
「い、いないと思います……」
「なら、よく考えろ。買うのは簡単だが、飼うのはずっと続くんだぞ。牛一頭の重さ、お前知ってんのか? 暴れたら、人間なんて、プチリとひと潰しなんだぞ」
「ひえっ……」
ライチの脳内に、ティモやエルノ、シーラに、牛が襲いかかる図が浮かんだ。
胃がきゅっと縮こまる。
「で、でも、牛って、なんかのんびり草を食んでるイメージで……」
ライチは家族で行った牧場を思い出しながら、食い下がってみた。
「そりゃまぁ、外敵もいなくて、我が子も安全で、飯も腹いっぱい食えてんだから、基本は穏やかさ。ただ、発情したり、環境が変わって慣れた人や仲間もいなくなったら、どうなるか分かんねぇだろうが」
「はひ……おっしゃる通りです……」
(そうか。牛って、牧場ののんびりモーモーさん的な側面だけじゃなくて、スペインの闘牛的な面も持ってるかもしれないのか。そりゃ危ないな……)
ライチはしょんぼりと肩を落とした。
ずっといつか買ってあげたいと思っていたし、サプライズプレゼントには、インパクト大だと思ったのだが……。無念である。
「……どうしてもとおっしゃるなら、老牛の中でも、去勢されておとなしくなっているものから始めてみるのはいかがでしょう?」
ベスペルの言葉に、ライチは顔を上げた。
「去勢?」
股間がキュッと縮こまるワードだ。あっちもこっちも縮こまってしまっている。
「う〜む。それならいけなくもない、のか……? 気性が荒いと、農耕用には使いにくいから、去勢するやつもいるんだよ。老牛なら、農耕にも慣れてるし。育ち盛りのやつほど、べらぼうに草を食うわけでもねぇだろうし。悪かねぇかもな」
「去勢すると、そんなに違うんですね」
「だいぶ扱いやすくはなりますね。繁殖を引退したメスの老牛にしてもいいですよ。体格や経験から言ったら、去勢オスでしょうけど、最後は見て決めるのが一番かと」
「どっちにしろ長くは使えねぇし、繁殖もできねぇが、初めて飼うなら、そのほうが無難だろうな」
「おお〜!じゃあ、そうします!ありがとうございます!」
なんとかサプライズプレゼントは成功しそうだ。ライチは目を輝かせた。
「ただ、オスティアのように、どんどん生まれて、どんどん消費される街と違って、長く同じ牛を使いたいのですよね? でしたら、蹄の手入れや、歯の具合にも気を配らなければならないですね」
「な……なるほど……蹄に、歯か……」
そう言われると、やっぱり買っていってはいけないような気がしてきた。
よくよく考えたら、巨大な生き物を差し入れするってなんだ……。自分はいつからそんな無茶なプレゼントを押し付ける奴になってしまったのだろう。
(スマホがあれば、電話したりメッセージを送ったりして、必要かどうか、迷惑じゃないかを相手方に確認ができるもんなぁ。向こうの人生では、連絡するだけに、徒歩七日もかかったことがないからさぁ……)
「やっぱり諦め――」
ます。
そう続けようとしたとき。
「これから送る行商人の中に、牛の世話に詳しいやつも混ぜといてやるよ。そいつから学ぶように、村に言伝ててくれや」
「いいな。それに、差し入れに農耕牛用の器具を入れないと、牛だけでは畑は耕せませんね」
「おお!そりゃそうだな!そっちも手配するわ」
ベスペルとトルヴェルという、オスティアのトップコンビがどんどんと話を進めてくれる。
「餌は足りると思うか?」
「そうだなぁ。貴族様が熱心に魔力を注いでくださるオスティアと違って、農村には魔力がそれほど満ちてませんからねぇ。牛が生きていけるほど、草が次々生えてくるかどうか……」
二人の会話を聞いて、ライチは一人、納得した。
言われてみれば、オスティア以外の農村は、元の世界のイメージに近い、普通の農耕だった。家畜の餌も、膨大な面積の小麦や大麦の畑に世話がいらないのも、オスティアだけだ。
木ばかりで広大な山に、無駄に魔力を注ぎまくってしまっては、魔力がいくらあっても足りないから、本当にオスティアだけに絞っているのかもしれない。
「一応、飛車に乗るだけ、こっちの干し草も持って行かすか。行商人には、弱ってきてるならこっちの草を運ぶようにも伝えておこう」
「それなら、なんとかなるかもしれませんね」
「あっ、ありがとうございます!」
二人でサクサクと検討してくれたことで、何とかお試しで村に牛を届けることができそうだ。
押しつけっぱなしにならないように、牛のプロたちに気にかけてもらえるのはありがたい。
「うし。そうと決まりゃ、牛乳と牛が一番重てぇんだから、買ったもんは牛舎の方まで運ばせようぜ。飛車もそっちに飛んでもらえ」
「はい!」
ライチはすぐに空を仰いだ。「おーーい!」とフガークスに手を振り、ジェスチャーで、トルヴェルに付いてくるように伝える。
「では、私はこれにて。農村での大量生産がうまくいったら、オスティアも更に潤います。応援していますね」
牛のことが決まると同時に、ベスペルは業務に戻って行った。ライチは頭を下げて見送る。
(そうか、オスティア以外で大量生産っていったら、普通は農村の畑事情を進化させると思うよな)
まさか魔力も大魔道具も使わずに、荒地を緑地にしようとしてるとは。アルフィアーナ以外、誰一人思うまい。
「おーい。人を呼んできてくれや。お使いだ」
トルヴェルが声をかけると、人が人を呼び、一気にお使いの人で周りがいっぱいになった。トルヴェルは次々に指示を出して、人を派遣していく。
人だかりが解散した後、上空のフガークスと、ライチとトルヴェルは、街の外へと移動した。
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「――はは〜。なるほどな。遠征用の家畜運搬の飛車に乗ってきたのは、そういう流れか」
プルデリオ一家の様子や、カステリナの工房の様子を含め、なんとなくざっくりと経緯を話しながら歩いている。トルヴェルのその返事に、ライチは目を瞬かせた。
「あれっ、見ただけで家畜運搬用ってよく分かりましたね。遠征って、よくあることなんですか?」
普段使っている飛車が何用なのか、ずっと気になっていたのだ。
「そうだな。遠征自体は、魔石を確保しに、インクィナグム領に向かわなきゃだから、少なくとも年に一回はあるもんだ。オスティアから結構物資も出すしな」
「“陰気な……具”?」
「浄化をあえてしないで、魔石で稼いでるモンスター生産の領地だ。その分、領民はいつも死と隣り合わせになっちまうがな。神聖石のない一般人も、ちょこちょこお呼びがかかって、遠征の小間使いに連れて行かれるから、ここいらじゃ知らないやつはいないぞ」
(聞いたことがあるようなないような……。魔石のために浄化をしてない、“陰気な”領地、ね。絶対に行きたくない場所だなぁ)
ライチはヒグマが人を襲ったニュースを思い出しながら身震いした。モンスターがいる場所で眠るなんて。恐ろしすぎる。
「ただ、インクィナグムでも買える家畜を、わざわざ魔力を無駄に使ってまで、こっちからは持ってかねぇんだよな」
「あっ、そうですよね。俺もそれがずっと不思議で」
(そう!それ!魔力を使ってまで、家畜を運ぶって、どういう……?)
「ま、家畜運搬の飛車を出すときは、家畜の買えない僻地へ攻め込むときなんかだろうな。俺も話には聞いたことはあるが、船乗り商人歴が長かったから、さっきアレを見るまで、実物は見たことがなかったんだわ」
「なるほど〜」
「ほら、もう着くぞ。そこだ」
僻地へ攻め込むあたりについても聞きたかったが、話を打ち切られてしまった。




