第162話 河港長
「……便利だなぁ〜」
眼下を流れていく広大な畑と酪農地を眺めながら、ライチはしみじみ呟く。
オスティアまでは徒歩一日半の距離。それが、空を飛べば、体感で十五分ほどだった。
あっという間に河港街が見えてきた。
大きな川と、そこに沿うように広がる街。
(どこに降ろそう? 買い物をしたいから、とりあえず中央に近い、商人組合の前につけちゃおうかな?)
場所を指示すると、フガークスがゆっ……くりと飛車を降下させ始めた。街の人を驚かせないようにだろうか。
(し、下が見れない)
車内がない構造の飛車なので、ライチは怖くて真下を見ることができない。
フガークスが立ち上がり、身を乗り出して何度も飛車の下を確認するのを、ライチはおとなしく座ったまま見守った。
(人が……)
真下は分からないが、遠巻きにいる人がどんどん頭を垂れて、最敬礼のポーズになっている。貴族が乗っているかもしれないから、慌てて頭を下げているようだ。
――ヒィー……。
笛の音が小さくなり、止まる。飛車が着陸した。
(これが……貴族の見てる世界か……)
頭を下げた群衆。
こちらの世界のしきたりが分からず、「平民と平民なんで、頭を上げてくださいよ〜!」と大きな声を出していいのか、判断をためらう。
「(フガークスさん、貴族と間違われてますけど、どうしましょう)」
ライチはこっそりフガークスに耳打ちしてみた。
「(城の飛車だし、オスティアはカステリナほど飛車には馴れてないだろうから、変に距離感を間違えて触りに来られて破損でもしたら面倒くさいよ。まぁこのままにしとこう)」
なんという身も蓋も無い理由で、街の一角をフリーズさせてしまっているのか。
とりあえずさっさと飛ばしておかないと、ここに置いておけないことは分かった。
「あ」
遠巻きの最敬礼の輪から、一歩近い位置にいる人物が、手を挙げていることに気がついた。
(挙手制のやつだ!履修済みだぞ!)
「そちらの手を挙げている方、ど、どうぞ」
「ご来訪者様に、この場を代表してご挨拶を申し上げても、よろしいでしょうか」
男性が、頭を下げたまま発言する。
「は、はい!」
(というか、ただの一般人です俺も!)
「私は河港長のベスペルと申します。領主様所有の飛車であるとお見受けできますが、オスティア河港街へはどういった御用向きでございましょう」
ベスペルと名乗った人物は、トルヴェルと似たような服装をしていた。目尻が下がり、朗らかで優しそうな雰囲気の初老の男性だ。
「魔力組合のフガークスです。こちらは依頼人のライチさん。お察しの通り、領主様のご依頼で、購入品があるので来ました。二人とも平民なんで、礼は不要です。待機中は飛車は飛ばしておくので、荷物を積む間の周りの整理だけ、お願いしたいです」
「さようでこざいましたか」
フガークスが事務的に説明をすると、ベスペルの指示で、人々の礼が解かれた。
飛車の安全のため、動くことはまだ許可されていないらしく、一様にじっとしてこちらを見ている。
畏れをはらんだ目で見られるのに慣れていないライチは、森に入る用に着てきた汚れてもいい服を、何となく引っ張った。
「おお!誰かと思やぁ、ライチじゃねぇか!」
その重い雰囲気を真っ二つにして、カラリと乾いた大きな声が響き渡った。
「トルヴェルさん!!」
「お前らしい、イカつい登場の仕方だな!」
ガッハッハと豪快に笑いながら、河港長の指示通りに遠巻きのまま待機するトルヴェル。ライチは何日か一緒に過ごして聞き慣れた彼の笑い声に、心底ホッとした。
「お城の飛車を借りて買い物に来ただけなんで、普通にしてください!」
ライチも笑顔で返す。微笑んで聞いている人も現れだして、場の雰囲気が一気に和やかになった。
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「トルヴェルさん、ご無沙汰してます!七日ぶりくらいかな?」
フガークスに飛車を上げて待機してもらうと、街は一気に動き始めた。
河港長とライチの元に、トルヴェルが歩いてきた。
「河港長。こいつはカステリナの行商人のライチだ。今河港全体で準備してるやつにも、いっちょ噛みしてんだよ」
(いっちょ噛みというか、発案者というか……)
トルヴェルは、発案者であることは伏せたようだ。ライチもそのつもりで挨拶をさせてもらう。
「行商人のライチです。トルヴェルさんには、市民登録をする際に、大変お世話になりました」
いいってことよ!と笑うトルヴェルに、河港長も笑う。
「ベスペルです。先ほども申し上げましたね。
この男が手を貸すということは、何か相当な利があったのでしょうね。ライチさん、逆にトルヴェルにお力添えを、ありがとうございます」
アァン?と、ベスペルに対して片眉を上げるトルヴェル。
二人は同級生のようなノリで、とても仲が良さそうだ。
「こいつ、こんなほんわかした面をしてるが、騙されんなよ。河に出たらモンスターより凶暴化すんだ。
なんとかこの野獣を陸に留めとけ〜!って、街全体に河港長に押し上げられての、今の役職だからな」
「凶暴化なんて。またまた。船員の命が最優先なだけですよ」
下がった目尻でニッコリと笑う河港長ベスペル。人は見かけによらないものだ。
「で、たった七日で、何がどうなってその行商人が、魔力組合員を雇って、城の飛車に乗ってやがんだ? 領主様の許可にも驚きだが、魔力組合なんて、日雇いにしても、べらぼうに高いだろ」
トルヴェルにたずねられ、ライチはざっくりと、領主からの大量生産の命令と、飛車を借りた件について説明した。
「――というわけで、いろいろ試行錯誤中で。今日は村への差し入れになるものを買いたくて」
「なるほど。それでオスティアに来たんだな。生もんをカステリナで揃える馬鹿はいねぇもんな」
ベスペルの手前、“スピネラ村”へ向かう件は伏せて話した。しかし、トルヴェルには『生産を成功させるために大元の場所に行くんだろう。だから、差し入れを買うのだ』と通じたようだ。
「そういうことなら、任せとけ!お前さん一人で走り回ってる間、ずーっと上に飛車を飛ばしておくのもなんだし、俺が人を使ってちゃちゃっと見繕ってやるよ」
力こぶを見せて笑うトルヴェルに、ライチは眉を八の字にした。
「組合長自ら、いいんですか? その、すごくお忙しそうに見えますけど……」
トルヴェルも、工房の人達のように、少しやつれている。多忙に違いない。
「そりゃ、ヘアケア製品とフォークの作製が急ピッチで進んでんだ。死ぬほど忙しいさ。おかげさまでな」
「ですよねぇ……」
「だが、俺ら商人は、工房の職人みてぇに身体を動かす仕事じゃねぇからな。走り回って調整するのがメインだし、それも、俺らくらいの年になると、若い奴らがやるのを聞いてあーだこーだ言ってるだけさ。気にすんな」
「ありがとうございます。じゃあ……お願いします」
(絶対、あーだこーだ言うだけで済んでないと思うけど……)
トルヴェルのようなフットワークの軽いトップが、部屋に籠もって指示だけを出しているとは考えにくい。
「そうじゃねぇ!こうだ!」と、街中……いや、川を越えて他領まで駆けずり回っていそうだ。
(一週間ほどで、さらに日焼けが濃くなってるし)
何はともあれ、フガークスを雇える時間も決まっており、後ろの予定が詰まっている現状だ。
人を使って一気に買い出しをしてくれるなら、ありがたく乗っからせてもらおう。
「……で? 何が欲しいんだ?」
「えーっと、針に、ハサミ、包丁、鍋、釘やネジ、蝶番、鏡……」
「金物ばっかだな」
「村に金属加工所がないんですよ」
「なるほど」
川をメインに生きてきた船乗りなら、ここから徒歩七日もかけて山奥の村まで行ったことはないのだろう。
『そういえばそんなことも聞いたことがあるな』というような顔をして、トルヴェルは納得した。
「それから、念願の牛乳!!山盛りの卵!鶏肉と豚肉に、川魚。樽いっぱいのお酒。そして必須の塩。スパイス。油。ヨーグルトにチーズにバター!」
「野菜以外の生もの、殆どだな」
「あと、“農耕用の牛”!!」
ライチがノリノリで指を折っていると、ベスペルとトルヴェルの二人が固まった。




