第161話 カカ
――カァン、カァン、カァン
屋敷で準備を整えて、肥溜め池に着いた。
大聖堂で、午後一番の鐘が鳴っている。
その鐘の音が、肥溜め池までかすかに響いてきた。
「……意外とフガークスさん、遅いな。持ち物チェックでもしとくか」
ライチは腰のベルト掛けバッグをお腹側に回し、ポンポンと叩きながら頭の中で再度確認を始める。
このプルデリオの屋敷の牛革ベルトバッグは、ライチがよく貸してもらっているものだ。ショルダーバッグなどは旅人の装備品らしく、一般人は使わないらしい。
「いつもの、差し入れ用麻袋、たくさん」
先ほどもこれを使って、孤児院や郊外村に食べ物を差し入れたばかりだ。
肥溜め池や荒地に行く場合、必ず郊外村を経由するので、ついつい差し入れを持参してしまう。何回差し入れても、子ども達に大喜びでお礼を言われるので、プラマイはプラプラプラだが。
「青銅カトラリー」
今回は凱旋宴会のつもりでたっぷり買い出しをするから、夕食用にと鞄に入れたままにしてみた。お昼は軽くサンドイッチを買ってかじってしまったので、早く箸を使ってみたいだけなのだが。
「森にも入るから、スタッズ革靴と、長袖長ズボンの汚れてもいい服」
普段履いている靴は、屋敷の物を借りることが多い。オスティアの手前の村で買ったスタッズ革靴は、どちらかと言うと登山向けなので、日常使いの柔らかいものを借りているのだ。
「あとは、麻袋に、グレゴル村長の晴れ着、と。バルゴさんの服は、トルヴェルさんに預けてたよ な。会えたら返してもらおう」
二重の麻袋に包んだスピネラ村村長の晴れ着。ようやく返すことができる。
晴れ着も一家総出だったはずだが、バルゴの服も、きっとマーヤが必死に糸を紡いで織り上げたもだろう。必ず回収して、大切にお返しせねば。
「あとは、屋敷から借りてる水筒」
水筒は陶器で、割れないように縄がぐるぐると巻かれている。どら焼きのような平たくて丸い形をしており、短く伸びた飲み口の横に、猫耳のような取っ手が二つ付いている。そこに、斜めがけにできる程の長い紐が通してあった。
山に入るなら、陶器ではなく、動物由来の割れないものを選ぶべきなのだろうが、臭いがキツすぎてライチには向かない。そこで、いつも水筒がいるときには、陶器のものをお借りしていた。グミバッグの水筒よりはるかに飲みやすいので、気に入って使っている。通常は水筒にはワインを入れておくものらしく、洗ってあってもほんのりワイン臭いのがマイナスポイントなのだが。
(水筒にワインは完全に“なし”だなぁ〜。ハーブティーも、普通は体調不良の時に飲むものらしいし)
領主のような上流階級には健康促進のために、じわじわとお茶文化が広まりつつあるらしいが、一般人は水もお茶もあまり飲まず、ひたすらワインで喉を潤すという慣習だ。それに、ライチはいつまでも馴染めない。
(上流のスピネラ村ほど綺麗じゃないけど、ここの水だって湯冷ましか、ハーブティーにすれば普通に飲めるのに)
食後のお茶も、欲しがる度に使用人に怪訝な顔をされてしまう。「体調がすぐれませんか?」と聞かれたこともある。
……食前食中食後食間、全てワインだと、そちらの方が体調を崩しそうなものだが。
(ごめんなさいだけど、鉛鍋で煮るシロップ入りって聞いてから、余計にワインが飲めなくなってるし……)
元々、“アルコールもタバコも毒なのに、なんでわざわざ体内に?! 俺は一秒でも長生きしたい!”派で、酒は付き合い程度にしか飲まなかった。鉛入りなら、余計に嫌煙してしまう。
(って、結局、早死になって転移させられてんだけど)
――(ヒィーー)
センチメンタルなセルフツッコミを入れていると、街の方から家畜運搬飛車が飛んできた。笛の音が次第に大きくなってくる。
「お待たせ」
飛車の停止と共に、笛の音が止まる。フガークスが、操縦席から立ち上がりながら声をかけてきた。
「早めに来て待ってそうだと思いましたけど、意外とのんびりでしたね」
自称オネショレベルの失態に反省したのか、よく眠ってきたようだ。顔色も良くなり、隈もなくなっている。
「ああ。最後の一人がなかなか出してくれなくて」
「最後の一人?」
フガークスが荷台へ移動する。ライチが購入した大桶に、蓋がして置かれている。フガークスがその一つを開いて見せてくれた。
「うわっ!!くさっ!!」
完全に油断していた。
ライチの大桶のはずだが、そこにはこんもりと便が入れられていた。
肥溜め池は、既に魔導粘土とバクテリアの池になっているし、貴族街では悪臭はしない。
すっかり悪臭のことを忘れて、ノーガードで「どれどれ……」と近づいて覗き込んでしまっていた分、ライチは大量の便の臭いを、ダイレクトに吸い込んでしまった。
「ギリギリになって、“折角今から出すんだから、ちゃんともらってくれよ〜”って引き止められて、向こうを出るのが遅くなった。これ、昨日からかき集めた、魔力組合の“カカ”」
(“カカ”がうんちなんですね、聞かずとも、臭いだけでも分かりますうう)
脳内ですら思わず敬語を使いながら、ライチは大桶から大きく距離を取った。
「魔道具づくりで出る粉も、宰相様にご一報入れてから持ってきた。……返事はまだだけど、どうせアンタの力ですぐに許可が下りるだろうし」
「ええっ。勝手に持ってきちゃったんですか?」
ライチの力なんて、貴族から見ればアリのキックくらいだろうけど。良いのだろうか。
「本当にいらないやつだから、いいんだ」
フガークスはそう言うと、距離を取ったライチの元に、ずずいと寄ってきた。
「さあ。昨日のは何だ。早く、やって見せてくれよ。ちゃんと寝たし、午後まで待った。材料も揃えた。文句ないだろ」
さあ!さあ!
ずいずいとどこまでも近づいてくる。なんなら、おでこをぶつけて催促しそうな距離感だ。
「やります!やります!ただ、ここでやって見せても雑草が増えるだけなんで、農村まで移動してからでもいいですか? オスティア河港街で差し入れだけ買ったら、すぐに農村にいきますから!」
魔力組合の規定で、おやつ時以降は別料金になってしまう。今は正午。サクサクいかねば間に合わない。
「嫌だ。昨日もそんな感じで、時間がないから!ってお預けをくらったんだ。絶対に今見せてもらう」
長身の男性が、イケボで嫌だ嫌だと首を振る。
ミスマッチなような、それでもサマになるような。
「でも…………ほら、父性の無駄打ちをしたら、また“父性切れ”になるかもしれませんし……」
ライチは下手くそな演技で、不安げに振る舞ってみた。
『……』
フガークスとライチがバチバチと見つめ合う。
目を逸らしたら、負けだ。
しばらく、風だけが二人の間をすり抜けて――
「――……問答してる時間が無駄か。生徒ではあるけど、お客さんだもんな。代金もちゃんと払ってもらってる訳だし。……その代わり、農村に行ったらすぐに見せてもらうからな」
先に折れてくれたのは、フガークスだった。
「ありがとうございます!スピネラ村まで飛んてる間に、少し口頭説明するくらいならできるんで、早速行きましょう!まずは、すぐ近くのオスティアまで!」
ライチはさっと動き、便の入っている大桶に手で掬ったスーパーバクテリアくんを入れておく。これをしておかないと、現地でクラフトが出来ない。
二人で操縦席に座る。フガークスが飛車を浮かせた。
「……ようやく、最初の依頼に戻ったな」
「?」
「最初。飛車で農村に行きたいって、依頼しに来ただろ」
「あ!そういえば!」
飛行訓練とかで忘れていたが、元々そんな話で依頼しに行ったのだった。
「聞いたときから面白そうだなと思ってはいたけど……想像の何十倍も面白い」
「それはよかったです。フガークスさんの“面白い”って、ちょっと直接向けられるとアレですけどね」
「アレって何」
二人でそんな雑談をしながら飛行する。




