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深夜のお礼セラピー ~仕上げの下肢も念入りに~

 残念ながらスペースの都合上、締めの腕の牽引は不可能なので脚部の軽擦に入る。

 大腿四頭筋を手根軽め圧で、膝側から骨盤に向かって1、2、3回。手掌軽め圧で外側広筋を意識して、1、2、3回。中間広筋上を手掌で少し強めに1、2、3回。内側広筋を意識して、局部に触れないよう注意して手掌で1、2、3回。開いて言うと、太もも中央を3回、外側を3回、中央に戻って少し強めに3回、内ももに近い部分を3回、手のひらでこすってます、って感じだ。

 続いて脛骨筋を五指で軽くとらえる。膝下から脛に走る骨の際の筋肉に指で圧をかけつつ、上から下へ1、2、3、4、5、6、7回。……おぉぅ、7回までイケたかー足長いなーこの人。そしてやっぱり右側の、特に外側広筋で、はぅぅぅぅ……となっていた。本当に右に偏ってんだなぁ。多分、休めの姿勢とかでも無意識に右に体重かけがちな人なのかも知れん。


 最後に、足底筋を伸ばす。

 患者さんの足を少し上げて、施術者の大胸筋に患者さんの足底がぺったりくっつくようにする。その姿勢から施術者が身体を前に倒していくと必然的に患者さんの足首の筋肉が伸びますよー、という理屈なのだが――。


「ミミミミオ殿!」


「はい?」


「こここここれは一体!?」


「足底筋を伸ばします。足首周りも柔らかくなるから、怪我の防止にもなりますよ」


「そうなんですか。……って、何故そのように冷静なのですか!」


「?」


「む、胸! 胸がっ! 胸が当たってっ……!」


 あぁ、そゆことか。


「施術の一環です。問題ナシです」


「大有りですよ! 私、貴女の胸を、足蹴にして……っっ!」


「ダイジョーブダイジョーブ、気にしない気にしない」


 私はグダグタ言ってるカノン様を軽くいなして、上半身をかるーく、徐々に、前傾させていく。施術をするようになってから大胸筋が発達した、っておそらくこの技のせいじゃないのかなーとか勝手に想像。患者さんの大事なあんよをしっかり支える為にと結構な負荷かけてるからね、コッチにも。まさしくビルドアップだ。バストアップとはちょい違う。

 患者さんの足は動かさないで、そのままキープ。足首の角度はほとんど変わってないのにカノン様、アイタタタタ……ってなっていた。うーん足首固いなーこれはよくないぞぅ~。足首の柔軟性が足りないと、怪我しやすくなるからねー。




 これで一通り、全身の施術が完了した。


「はい、今日はこれで終了です。お疲れ様でした」


 型通りの宣言をしたが、カノン様は動かない。あおむけにベッドに横たわったままだ。

 私は仕上げの腕の牽引の重要性を思い知った。手狭な空間の為今回は見送ったが、あれにはうとうとしかけた患者さんの覚醒を促す作用があるのだ。はーいそろそろ施術終わりますからねー起きてシャキッとして下さいねー的な?


 私はカノン様をうかがうようにして覗き込んだ。机上の魔導ランプのおぼろな灯りの中、放心状態で横たわる彼は妙に宗教画めいて見えた。神々しいというのともまた違う――でも『天使』のイメージを具現化するとちょうど今の彼の姿になるのではないかと、私はおかしなことを考えた。


 カノン様が横たわったまま瞳を上げた。潤んだ翡翠と目が合った。


「何故でしょうね……急激に、眠気が……」


 茫洋とした眼差しそのままの口調で彼は言った。


「それはよかったです。そのまま寝ちゃって下さい」


 私は内心でガッツポーズをキメていた。眠くなっちゃった、はセラピスト的には最大級の褒め言葉だ。筋肉緩んで体あったまって、副交感神経がバリバリ活躍してるんだな。


「しかし、まだ入浴もしていな……」


「シャワーは明日の朝すればいいじゃないですか。体が求めてるんですよ。さ、ゆっくりお休みなさい」


 カノン様はしばらく睡魔と戦っていたが、それは無駄な抵抗と言うべきものだった。そのままストンと眠りに就いた彼に毛布をかけてあげながら私は思った。あぁやっぱり私は施術が好きだなぁ、と。

 考えてみたら、施術者になってからというものこんなに長く人の体に触れなかった時はなかった。盆暮れ正月の休みでもどんなに長くても1週間はなかったし、アパートにいれば大家のオオヤさんとかイエローボールの飼い主さんとか猫に飼われてる風情の大学のセンセイとかがいてホイホイ練習台になってくれたし、学校に行けばそれこそとりあえずビール的なノリでツボの押し合いとかフツーにしてたし。


 施術者に転向してすぐのころ院長に言われた。1日休むだけで勘を取り戻すのに3日はかかる、と。私はそれを真に受けて休日でも躍起になって訓練を重ね……そして拇指を痛めた。ケイ先生は呆れて、休日は休む為の日、やりすぎていいことなんかあるわけないのよ、と言った。

 今なら、院長もケイ先生もどちらも間違ったことは言ってなかったと判る。要は加減の問題だ。けれど施術者のタマゴだった頃の私は不安で不安で、とにかく不安で、形はどうあれ練習! 無給でもいいから施術! とにかく押させて圧させろや! って感じだった。


 そして、今。


 多分私はもうタマゴではない。その時期は脱したと自分では思っている。

 タマゴよりは少し育ったと思うから、ヒヨコちゃん程度のセラピストの私は、ほぼほぼ2週間いわゆる『施術』をしなかった。レイキやツボは状況に応じてポツポツしてたけど、ガチの施術はこの世界に来て初めてだ。


 私はカノン様を見た。毛布にくるまり、すよすよと気持ちよさそうに寝息を立てている。

 まさしく天使の寝顔ってヤツを惜しげもなく披露する彼を見ながら私は思った。先生、施術がしたいです……と。


 タマゴちゃんだったころはとにかく焦りで、やらなきゃやらなきゃって思ってた。退化するのが怖かった。『練習』は8割方義務だった。

 今にして思う、オオヤさんも隣の大学生も猫多頭飼いのセンセイも、皆よく付き合ってくれたよなぁ、と。あの頃は今よりもはるかに下手っぴいで、思うところは多々あったろうに。


 院長は、1日サボると取り戻すのに3日以下略と言っていた。ある意味でそれは真実なのだろう。

 だが、駅のホームから突き落とされて約2週間の時を経て尚、私の体は憶えてた。施術の手順、手技その他。3年かけて学んだことは、ちゃんと私の身になっていた。

 ケイ先生やマダムカヨコにかかれば私のたかが3年なんて鼻で笑うような短さだろうが――何せ彼女達の座右の銘は「日々此れ勉強、生涯現役」だ。お尻にカラをくっつけたままのヒヨコちゃんの私は、この道ン十年のお師匠様達の気概に、ほへぇ~ぇと圧倒されるばかりだったが。


――私も、一生勉強が続く道を歩んでみようか。この世界でも。


 レイキティーチャーにも鍼灸師にもなり損なた、何者でもない私。よちよち歩きのヒヨコちゃん。でももうお尻にカラはくっついてないと思う。


――それにしても。


 リアル天使の健やかなる寝顔を肴に、私はカノン様の為に淹れた花茶を飲み干した。とっくに冷めていたが、その温度が労働後にはちょうどよかった。


――院長が愛人にするみたいなガチ施術してもうたわ。コレ、院でやったら絶対院長の駄目出し入るよな。


 施術は1セット15分! 延長はプラス10分の25分! タイムオーバーは3分が限度! って。自分はお気に入りの患者に長々デレデレ1時間でも引っ張るくせに解せぬわー。

 だけど、本当に本気で効果的な施術をしようと思うならそのぐらいの時間は必要になるのかも知れない。15分じゃ全身さらっとで終わってしまう。院の手技だけしか知らなかった頃は、25分でも色々できてありがたいなんて思ってたけど、学校に行くようになってからは30分でも足りないじゃないかって思うようになって、そして……やっぱ60分あると色んなトコに手入れてあげられるなぁ、と、実感込めての再確認。




 今日、2週間ぶりに他人様を施術してみて思い知ったこと。

 やっぱり施術は楽しいな、ってことと、そして、私は施術が好きだなぁ、ということの2点。それに尽きる。


ブクマ評価等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。


お疲れカノン様への全身施術終了です。

ツボツボマッスルで聖女様大満足。ヨカッタデスネー。


作中の手技をガチでやろうとすると、どんなに巻いてもおそらくたっぷり1時間はかかるかと思われます。

タイムオーバーなんてモンじゃないですね。

本当は上腕二頭筋とかもじっくりやりたかったです(特に右側)。

リンパも膝窩や腋下も攻めたかったです。

何なら足裏もやりたかったです。


そのうちまたやるかも知れません。

足裏とか足裏とか足裏とか。

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