お父さんを守る意思
声がする。
怒鳴り声、誰かが誰かに怒っている……そんな声。
瑠々は虚ろに目を開ける、ゆっくりと意識が覚醒していくのを彼女は実感する。
体に力が徐々に戻り、頭の靄が晴れ、完全に目を覚ました。
そして覚醒した脳に視界から情報が入る。視界の先の光景は自分の父親が誘拐犯に銃を向けられているという衝撃的なものだった。
そして次の瞬間には彼女は声を上げていた。
二人の男が瑠々の方を見る。
「起きて早々うるさい奴だな。安心しろ、後数分ここで待っていればお前達に危害は加える事はない」
タマが瑠々に話し掛ける。
瑠々は賢い。タマの言葉で自分達が今どうなっているのか、そしてこれからどうなるのか、それを理解した。
そしてそれは今の瑠々にとって到底容認出来るものではなかった。
彼女は今、酷い罪悪感に苛まれている。自分が父親に振り向いて欲しかったという自己満足でしかない思いで行動した結果、協力してくれた武人達に恩を仇で返す形になり、そして今父親を命の危険に晒し、振り向かせたかった人が積み上げたものが奪われようとしている。
私……私のせいで……皆に迷惑が掛かってる……。もう、嫌だ……。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
自分のした行いを悔いて悔いて悔い続けた……だから動いた。
「おい、止まれ。何でこちらへ向かっている」
小さき少女の行動、それはタマの予想外のものだった。手を縛られたまま立ち上がり、タマを見据え真っすぐに彼の元へ歩き出したのだ。
「お願い……だ。お父さんから……奪わないでくれ……。代わりに、私を奪っていい、好きにしていい。だから……それで、満足してくれないか?」
「何を言ってるんだ瑠々!?」
娘の行動に父親は声を荒げる。
「それは金が受け取れなかったら考える。だから今は動くな、そこで止まれ……まだ動き続けるというなら……」
先程下した腕を上げタマは再び拳銃を突き出す。今度は瑠々に向けて
「おいやめろ!!! 瑠々もだ、今すぐ止まれ!! そこを動くな、座れ!! 馬鹿な真似はよせ!! 死ぬぞ!!」
明良は思わず立ち上がる。
「おい、お前も動く「お父さん!!」っ!?」
タマは叫ぶ。しかしそれよりも大きな声で瑠々の声が覆いかぶさった。
「今までごめんなさい。でもこれ以上、私……迷惑を掛けたくない……だから、ここで……終わりにしたい」
「……意味が分からない、何を言ってるんだ瑠々!?」
迷惑……この一連の騒動に瑠々が罪悪感を感じている事は理解出来る。だがだからって何でそれがここで動く理由になる?
なのに何故迷惑を掛けただけで死のうとするのか。それが明良には理解出来なかった。
それも当然の事である。明良と瑠々、二人の間に交わされる会話などほぼありはしなかった。今日が一番喋ったのではないかとまで疑われる程に。
コミュニケーションの欠如、それは人間関係の溝に繋がる。それは家族と言えど例外ではない。いや、寧ろ家族だからこそ溝は広がる可能性もある。
明良は十二年前のあの日以来、自分を責め憎悪で己を奮い立たし今日まで進んできた。
一代で財閥を築き上げ、金を手にし、人を手にし、裏で斎条家の動向を追っていた。
今なお消えぬ感情に従い斎条の影を追い続ける、報復の道を明良は進み続けている。
そんな彼が唯一出来なかったのが娘との対話である。
明良は自分の妻について、瑠々の母親についての事を何一つ話さなかった。瑠々がまだもっと幼い頃彼は聞かれたのだ。「お母さんはなんで居ないの?」と。
明良は自分の心臓の激しい動悸を感じた。なんと答えればいいのか、皆目見当がつかなかったからだ。
正直に答える訳にはいかない、「母さんは植物状態で生きている。
だが色々な事情で生きている事を知られる訳にはいかない。だから会わせる事は出来ない」なんて馬鹿正直に言える訳が無い。
だから彼は言った。「母さんは俺より仕事で世界中を飛び回ってる。だから会えないんだ」と。
苦しい言い訳だと分かっていた。
瑠々が大きくなれば嘘だと見抜かれる事だった。
娘にまで嘘を吐いた明良は、どんどんと深みに沈んでいった。
斎条龍路に対する激しい憎悪に加え、自分の娘に嘘を吐いた罪悪感が重なりますます人が変わっていった。
出来るだけ瑠々と会わないように出張や会食の予定を入れ、家でも自室にこもり書類とパソコンと睨めっこする日々、自分の事は全て自分でする彼は秘書スラ雇わず、ワーカホリックは加速の一途を辿り身体は限界に達していた。
だがそれでも彼は倒れなかった。
娘から逃げた自分には休む資格も無い、最早執念に近い精神力が身体を凌駕し続けたのだ。
しかし娘はそんな父親に少しでも近づこうとした。そこには邪心などは一切無く、ただ娘が父親と遊びたいと思うようなそんな純粋無垢な心持ちだった。
母親の記憶が無い彼女にとって唯一の家族と呼べるのは父親のみ、明良が母親について誤魔化していようといなかろうと瑠々にとって明良は大事な家族で、何一つ不自由無い生活を送らせてもらっている。
感謝こそあれど他意は無い、寧ろ今明良に対し負い目を感じているのは瑠々の方だ。
十二歳の小学生は利口であるが故に余計に罪悪感の重圧にやられていた。自分が招いた事態の深刻さを理解してもそれをどう収拾すればいいのか、責任の取り方を彼女は知らなかった。
だからこそ、ここまで極端な行動に出てしまったのだ。
距離を縮めようとする娘、距離を取り続ける父親。
互いが互いを思う歪んだ愛情、互いが自身に向ける歪んだ自己否定の劣情が故に生じる歪み、皮肉なものである。
「やめろ瑠々、いい加減にするんだ!!!こっちに戻れぇ!!」
お前が、お前まで居なくなったら……俺は……俺はもう……!!!
「いい加減にしろ……これ以上場を乱すな!!」
タマの言う通り三人の居るこの空間のざわつきは大きくなっている。
親子の意志でなく思惑が絡み合い、この場においては最早言葉では解けない。これ以上一人の殺し屋は場を武力という脅しで制圧しようとした。
その時だった。
「っ!?どうした?」
数々の修羅場を潜りながらもこの何とも言えない雰囲気にやられかけていたタマはポケット内の携帯電話が振動した事で少し欠けていた冷静さを取り戻した。
『タマ』
「ミケ、どうした?」
『来たよ……けど、どうやら僕たちの待ち人とは違うみたいだ』
「……そうか」
『うん』
流れが変わった。こういう場合、ミケがどうするか言っていたな。
不測の事態にタマとミケは作戦を移行する事を決定した。
取引相手との取引を行うのは現状不可能と判断、後日取引をし直すために人質をこのまま拉致してアジトへ運ぶため港を出る方針に取ったのだ。
携帯をしまい改めて明良と瑠々にタマは向き直った。
まずは父親の方の手足を打ち抜き完全に自由を無くさせ口を塞ぐ、娘の方は傷をつけられないが所詮ガキだ。怪我をさせずとも完全な拘束は容易だろう。
この後の行動を高速で頭に描きながら父親の方へと銃を向ける。今度は脅しのためのものではない、撃つという目的が先に来ている。
だから銃口を向けた瞬間にタマは撃つつもりだった、つもりだったのだ。
背後から倉庫のドアが開くような鈍い音がしなければ。
「え……?」
驚いたのはタマではない、瑠々だ。
瑠々は理解出来なかった。目に映る光景を現実のものとして捉える事に激しい抵抗を感じていた。
何故なら有り得ないからだ。今ここに居る訳の無い人が、自分が切り捨ててしまった人が入口から差し込む光と共に現れたから。
「なん、で……なんで……?」
気付けば涙が流れていた。なんのための涙か、それは瑠々にも分からない……だが。
「よっ瑠々、オヤジに話出来たか?」
良い笑顔でそう武人を見て流れたものだという事だけは、はっきりと理解出来た。
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