男の過去 その2
意外な事に、俺の婿養子入りは何の滞りも無く進んだ。
どこかの名家の生まれでもない一般人の俺がこんな身の上になる事は斎条家の人間の妨害があると思っていた。
『一真、本当に……いいの?』
『流華、ここまで来たんだ。絶対に……君を幸せにする』
俺たちは互いを名前で呼び合い、気兼ねなく話せるようになっていた。まぁ夫婦になるので当たり前だ。
俺は斎条家に移住した俺は家内を見て回った。
間取り、家財……色々見たが俺が注視したのはそこではなく人の視線だった。
この家に居る人間がどんな目で俺を見ているか、それを確かめたかった。
まるで腫物のように俺を見ている、彼女はずっとこの苦痛に耐えていたのか。
家の使用人達が俺を見る目は、お世辞にも良いとは言えなかった。
俺の婿入りに反対派の人間は斎条家の……最低でも九割は居ただろう。
『やぁ一真君』
色々と思考を巡らせていると、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。
『……龍路さん』
『他人行儀だなぁ。もう私は君にとって義父さんなんだらか、そう呼んでほしいな』
『すみません……義父さん。まだ、慣れないものですから』
『ははは、まぁそうだね。君にとっては環境が一気に変わったんだからしょうがないか』
斎条龍路、斎条家現当主。つまり今現在斎条家内で最も権力を持つ人物だ。
恐らく、俺が何事も無くここに居れるのはこの男の指示によるものだろう。
九割が反対の案をこの男の持つ賛成の一票で覆せる。それ程までにこの男の影響力は今大きいはずだ。
一体何が目的だ。何の得があってこんな選択をした。
俺は目の前の男の真意を確かめようとしたが
『娘を、よろしく頼むよ』
そう言って俺の肩に手を置かれた事でその思考は途切れた。
『流華と婚約した。という事は……君はもう知っているんだろう?』
知っている、というのは流華が実の娘ではなく祖父である斎条龍玄の愛人との子、という事だろう。
婿養子入りの顔合わせの時はこんな話題は目の前の男もその妻もしなかった。
空気を悪くしないよう気を遣ったのかは分からないが、今一対一の状況であるでこの話題を出す限りやはりあの場で話そうとはしたのだろう。
『はい……』
俺は静かに答えた。
『養子という形で流華を引き取った時はまだ問題無かった。だけど何処からか情報が洩れてね。流華の出生について屋敷中に広まってしまったんだ。恐らく、祖父に恨みでもある人物の仕業だろう』
恨みを持つ人間、それを特定しても流華に対する周りの目が良くなる訳じゃない。
だが俺はその人間に大して激しい殺意を感じざるを得なかった。
『この十数年間、流華に危害が加えられないように当主として手は回していたが、それは流華の根本的な助けにはならなくてね。ずっと願っていたんだ。彼女を心から救ってくれる人間を』
『龍路さん……』
そうか、この人はこの人なりに流華を見ていたのか。ただ立場上大きく動く訳にはいか
なかった。
そう俺は理解したが納得はしていなかった。
立場なんて関係ない。それだけの思いがあるなら立場を顧みずに動けるはずだ。
だが……それは俺が流華の事しか考えていないから言える事。
斎条家現当主には斎条家を守るという責務がある。内部抗争や反乱はこれだけ大きな家ならば確実に、未然に防がなければならない事柄だろう。
『初めて顔を会わせた時にも言ったが、君なら……流華が決めた人間なら俺は何も文句は無い。俺にも君を、信じさせてくれ』
『はい。任せて下さい』
当然だ、俺はそのためにここまで来た。
まずは周囲の人間の認識を改革する、そのためには斎条家の中で自分が如何に有能な人間であるかを示さなければならない。
自身の権力を大きくするのではない、現当主の座はどうでもいい。
権力を振りかざして改革される認識は体裁の上でしか変化を見せない。それは目の前の男が生き証人になっている。
改めて俺は自分の頭の中に流華を幸せにするための過程を思い描く。
『じゃ、また。これから大事な会談があるから今日は失礼するよ』
俺の義父となって男はそう言い残すと踵を返した。
◇
婿入りをして一年、斎条家の人間として俺は奔走していた。
様々な企業に融資の交渉をし、多くの業界人と友好な関係を築いた。
自分でも言いたくないが、この一年で俺は多大な貢献を斎条家にした。
『一真様、お疲れ様です』
俺に様を付けて労いの言葉を述べる彼は間島さんと言う。俺のボディガード兼秘書でありとても有能な人物だ。
『残りの業務は何ですか?』
『ムラカミ食品へ融資案件の処理と野崎製薬の江田社長との会食です』
『そうですか……なら時間はありますね』
『お子さんですか?』
『はい』
『生まれた途端に親バカになりましたね』
『自分もここまで自分が変わるとは思っていなかったですよ』
一年という期間は人と環境に様々な変化が生じる。
最も大きな変化と言えば、俺と流華の間に子供が生まれた事だ。
流華との幸せの結晶、瑠々。
流華と瑠々を守るためならば、何でも出来る。
今の自分を昔の俺に見せてやりたいくらいだった。
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