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男の過去 その1

 俺は、どこまでも愚鈍で醜いのだろう。

 どれだけ過ちを繰り返せば……どれだけ道を踏み外せば気が済むのだろう。

 いつも、こうだ……。


 俺の名前は一真、姓は宮代と言う。宮代という姓は俺が生まれた時から持ち合わせているものだ。

 平凡な家庭で生まれ、平凡な過程を踏み、平凡な成長を遂げた。

 自分はこのまま凡庸な人生を送るのだろうと彼は自負していた。

 しかしその自負は水泡の泡のように綺麗に消え失せた。というより俺自らその泡を割った、というのが正しいか。

 転機は大学生の時訪れた。

 単純に言おう。俺は一目惚れをした。

 そんな事あり得ないと俺自身でも思ったのだが、それは紛れもなく事実として心に刻まれた。

 必死で自分の恋心を否定しようとしたがどう取り繕おうとしてもそれは変わらず心にあり続けた。

 何故そうまで自分を否定しようとするのか、それは自身の価値観に起因している。

 俺はとても悲観的で常に劣等感に溢れていた。

 それは恋愛面においても遺憾なく発揮されており自分を好きになる女性なんてこの世に存在しない。

 自分のような人間が人を好きになるなんて烏滸がましいとまで考えていた。

 どうしてここまで拗らせていたか、それは俺の根本のスペックの低さにあった。

 俺は平凡な流れの中に居たがそれでも能力はその流れの中でも秀でる事は無く寧ろ下の下であった。

 人より頭が悪かった、人より呑み込みが遅かった。人よりも才能が無かった。

 自分がポジティブに向き合えるものだろうがネガティブに向き合ってしまうものだろうが関係ない。

 それらは俺の今思うとあったかどうかも怪しい自信というやつをみるみる内に削いでいった。

「好き」という原動力をもってしても俺が何かで秀でるという事は無かった。

 それは「好き」よりも「面倒くさい」という負のエネルギーの方が強かったからである。 

 自分の圧倒的能力不足、自分の中にある向上心を妨げる感情。だから努力しようとしても下の上止まり。

 それらは俺を燻ぶらせ今の精神状況まで追いやるのにそう時間は掛からなかった。

 そんな俺が視界に入っただけの女性に自分の精神状態が再構成された事を認めたくなかったのだ。

 しかしそんな細やかな抵抗心は数秒彼女を見詰めた所で何処かへと消え去った。

 その女性は驚く程美しかった、一目惚れするのは無理もない。しかしそれ以上に俺が感じたのは自分の冷え切った心が温かくなっている事だった。

 何も期待しない、何も高望みしない。冷えて冷えて冷やし尽くされた心がその姿を見ただけでどんどん温かくなる、穏やかになっていく。自分の目から見えていた灰色の景色に彩色がなされていく。

 そうして俺は「好き」という思いを自覚し受け入れた。

 更に次の瞬間足を踏み出し数秒前までの自分ならば決してしないであろう見知らぬ女性に声を掛けるという行為を繰り出していた。

 こうして俺と彼女との関係が始まった。



 彼女と初めて出会い数日が経った。最初は唐突に声を掛けたものだから警戒され変な人を見る目で見られたがそれでも毎日声を掛け続け話をした甲斐があったというべきか徐々に彼女の中で俺の認識が変わっていくのを俺は実感した。

 そうして俺は彼女と一緒に昼食を食べれるようになる関係まで発展した。


 彼女との会話が増え必然的に彼の中に彼女の情報がどんどん入っていった。

 彼女は自分の事を斎条流()()と名乗った。その姓に俺は聞き覚えがあった。

 それもそのはずだ、斎条家とは七権者と呼ばれる現在日本において最も富と権力を持っている七つの財閥の内の一つだったからだ。

 つまり流華は所謂お嬢様と呼ばれる類の人間であり一般人の俺とは到底釣り合わない身の上だった。

 だが釣り合わないのは身分だけではなかった。

 学力、運動能力……そういった面含めて全てが彼女と釣り合っていなかった。

 しかし当時の俺にとって身分の違いなどどうでもいい些細な事になっていた。

 彼女に自分が見合わないのなら自分が彼女に見合うだけの人間になればいい。

 悲壮感と劣等感の塊だった俺が到底至らないであろう思い、そんな思いを抱かせる程に彼女の存在は俺にとって大きなものになっていた。

 彼女の存在が俺の在り方を大きく変えた。


 日を重ねるごとに……自分でも言いたくはないが、俺は見違える程に変貌を遂げた。

 日々勉学に励み学内の中間、期末考査ではどの科目も上位三位以内に入った。

 三日として続いた事の無い運動習慣を継続して続けるようになった。

 マナーや一般常識をそこらの富裕層の人間よりも自分の中に叩き込んだ。

 髪を整え服に気を遣い、彼女と並んだ際なるべく見栄えが良くなるように自分を取り繕った。

 自分でもここまで己を高める事が出来るなんて思ってもみなかった。

 勉学において呑み込みが遅く理解出来ない箇所にぶつかっても、運動を継続する事に面倒臭さを感じても流華の事を思えば苦でもなんでもなかったからこそ出来た事だろう。



 半年後、俺と流華は交際とまではいっていなかったが一緒に昼食を食べるだけの関係から一緒に出掛ける関係にまで進んだ。

 流石にデートというものに女性を誘うという行為は初めての事だったのでその当時ポジティブ思考になっていた俺でも緊張した。

 だがその勇気を振り絞った誘いは報われた。流華は誘いを受けたのだ。

 俺は舞い上がった。彼女と遊びに行ける、彼女と二人での思い出が作れる、浮かれるに浮かれていた。

 そしてデート当日、流華との楽しい一日が始まった。

 映画館、水族館、喫茶店……不器用な初めてのデート、正直エスコート出来ていたのかどうかは緊張していたので疑問の残す所だが、普段あまり笑わない彼女がその日は良く笑っていた。

 何の問題も無くデートは進み、俺は流華を一番連れて行きたい所に連れて行った。

 そこから先の事は……今も鮮明に、覚えている。


『もうすぐだよ。一番連れて行きたかった所』

『このまま進んでも何も無い気がするのですが……?』

『い、いや。あるんだ、飛びっきりのものが』


 それは、俺にとってとても大事なモノ。無気力で無能だった俺が流華さんに出会うまでやってこれたのはこれがあったから。

 そうして俺は流華さんを目的の場所まで連れて来た。


『ここだよ』

『これは……』


 そこに足を踏み入れた流華は目を丸くした、その場所から見える景色に。

『この時間、ここから丁度沈んでいく夕日が町を照らしているように見えるんだ。ここから色々見える……それで……』


 そこまで言い次の言葉を言う際に俺は数秒口が開けなかった。

 言ったら自分の陰湿な部分を彼女に見せてしまう。幻滅されるのではないかという事が怖かった。

 だがこの場所まで来て俺に言わないという選択肢など存在しなかった。俺は震える唇を無理やり動かした。


『沈んで町が暗くなっていく……この光景が、俺は本当に好きなんだ。日が沈み暗くなる様に、暗闇に染まっていく事に自分を重ねていたから。感傷に浸ってたんだ、俺は。だけど……』


 俯いていた俺はそこで顔を上げて流華を見た。


『今は違う。暗くなった町に明かりが灯り町自体が光る……その光景の方が俺は好きになった……。全部君のお陰だ!君のお陰で俺は……ここから見える本当に綺麗な景色が見えるようになった!! 自分は光れるんだって、暗くなっても自分の力で切り開いていける事が分かったんだ!!君が、君に会えて……』


 あれ……何だ。思考がまとまらない……。


 俺は今日この場所で自分の全部を曝け出して……それで告白するつもりだった。

 だけど俺の発する言葉の羅列はどんどん告白するためのモノではなくなっていった。

 気付けば頬に何かが伝っていた、水滴だ。水滴が俺の頬を伝っていたのだ。


 何故水滴が……? 雨は降っていないのに……。


 分かっていた。雨なんかじゃない。


『……っ』


 俺の涙だった。

 その水滴が自分から出たものだと自覚した瞬間、水滴は際限なく俺の目から溢れ出た。


 何故俺は泣いているんだろう……。


 手で水滴を拭う。

 理由なんてどうでもいい。今はこの泣き顔を処理しなければ、彼女に醜い顔を見せてしまう。

 腕で顔を隠そうとした。

『しっかり……顔を見せて下さい』


 しかしそれは流華によって不可能になった。彼女の手が俺の腕を抑えたのだ。


『な、何で……』

『烏滸がましい、勝手な憶測ですみません。間違ってたら違うって言って下さい……今自分を隠す事は、あなた自身が嫌なんじゃないですか?』

『っ!?』


 あぁ……すごいな、君は……何で分かるんだ?


 彼女の言った通りだった。俺は決めていたのだ、自分のどんな醜い部分も曝け出すと。

 それはこの泣き顔だって例外では無い、涙と鼻水で俺は今酷い顔になっているだろう。

 だがそんな事は関係ない。晒そう、醜い俺の泣きっ面を。

 そして……理解した。俺が涙を流した理由、俺が先に言うべきは「告白のための言葉」ではないという事を。


『そうだね、斎条さん。君がこの腕を止めてくれなくちゃ、俺は一生後悔した』

『それは、良かったです』


 彼女は笑顔で、そう言った。


『だから分かったよ。君のお陰で俺は、本当に君に言うべき言葉を見つけられた』

『えっ?』

『ありがとう、君と出会って俺は……本当に幸せだ』


 先に言うべきは「感謝の言葉」であった。

 君と会わなければ永遠に未熟だった。

 君と会わなければ永遠に自分を卑下し続けていた。

 そんな暗闇から引き上げてくれた意味合いでの感謝、自分に生きる意味と道を示してくれた彼女に対しての言葉を述べた。


『だ、だから……俺とってえぇ!?』


 そして次に愛の告白をしようと俺は眼前に映る光景を見て思わず驚いてしまった。

 目の前で最愛の人が黙って涙を流していたのだ。


『さ、斎条さん!?』

『ご、ごめんなさい。出会えて嬉しいなんて……そんな風に言われ事、今まで無かったから……』

『ど、どうしたんですか?』


 そう聞くと彼女は今までの会話では喋らなかった事を次々と口にした。

 斎条家の次女に位置する自分が祖父の愛人の子である事。

 斎条家の中に自分の存在を疎ましく思っている人間が多くいる事。

 これまでの人生で誰にも必要とされずに生きてきた事。

 彼女の話のスケールの大きさに……悲しみの大きさに、俺は圧倒された。

 そして同時に気付いた。

 何故一般人の自分がお嬢様である彼女と関わっているのに何も邪魔が入らないのか。

 彼女の家族や警護の人間に自分の事が知られていないのかとも考えたが一年も知られていないというのはおかしな話だと感じていた。

 ようやくそのわだかまりが溶けた。

 誰も、彼女を見ていないのだ。目を逸らし続けているのだ。

 俺は自分の唇を噛み締めた。出血するほどに。

 今の俺ではまだ足りない。

 自分の無力さに、不甲斐無さに腹が立った。

 だがそれと同時に、俺の中で更なる決意が生まれた。

 一生を掛けて、彼女を守る。

 今まで必要とされなかったとしても、これからは彼女自身を必要だと思わせる人生にする。そう決めた。

 そのためなら……俺は、俺の今居る「平凡」を軽く捨てられる。 


『結婚、して下さい』


 気付けば俺は、告白ではなくプロポーズをしていた。


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