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神父様、風邪を引く。 中編

「うーん、これは困ったねぇ」


 マヒロの寝室から出て来たイチロが苦笑交じりに言った。

 廊下には皆が勢ぞろいしていて、心配そうな顔でイチロの言葉の続きを待っている。

 サヴィラは、自分にしがみついて離れなくなってしまったミアを抱え直しながら、彼の森色の瞳をじっと見つめる。


「喉が腫れてるし熱もあるし、風邪だと思うんだけど……」


「あいつでも風邪とか引くんだな」


 レイは心の底から意外だと言わんばかりの顔をしている。そんな彼にイチロが苦笑を濃くする。


「まあ、一応あれでも人間ですからねぇ。……うーん、でも困ったなぁ」


「何がそんなに困るの?」


 ジョンが首を傾げるとイチロは、ぽんとその頭を撫でる。


「真尋くんって人前で眠らないでしょう?」


 うんと皆が一斉に頷いた。この屋敷の中で父の寝顔を見たことがあるのは、幼馴染であるイチロだけだ。時折、一緒に眠るサヴィラや毎日一緒に眠っているミアですらその寝顔を見たことはない。


「僕も最後に寝顔を見たのは、三年くらい前なんだけどねぇ、眠りが馬鹿みたいに浅いからちょっとの物音で起きちゃうし、気配にも敏感だから正直面倒くさいんだよねぇ。でも一番の問題は今の真尋くんは熱があるという一点なんだよ。迂闊に近付くと多分、投げられる」


 イチロがやけにしみじみと言った。

 心なしか皆の顔が引きつっている。


「その上、もし高熱で意識が朦朧として敵だと認識されたら何をされるかわかったもんじゃないしねえ。あの人、眠っている時が一番、警戒心が強いんだよ。だから、まず女性陣は絶対に近付かないように。他の人も緊急事態以外は三階には近寄らないで下さいね。魔力暴走なんてなったら、町が一つ落ちちゃいますから」


 相変わらずサヴィラの父は規格外だった。ただの風邪一つで町を危険に晒すなんて、インサニアと同じレベルの凶悪さだ。そう考えると父の存在が天災と変わりないのではという事実に気付いた。


「とりあえず、レイさん。大至急、アルトゥロさんを呼んで来て下さい。顔見知りの方が絶対に良いので」


「分かった。ジョシュ、馬借りるぞ」


「ああ」


 レイはジョシュアに声を掛けるとすぐに階段の方へと行ってあっという間に姿は見えなくなる。


「クレアさん、悪いんですけどなんかチキンスープとか消化の良さそうなものを作ってもらっていいですか? 食欲だけは落ちていないので、お腹も減っているみたいだったし。ルーカスさんは予定通りお弟子さんの庭の視察に行って下さい。エディさん、僕は二時間ほど遅れるので先に行って団長さんに言づけお願いします。ついでに昨日までの赤の地区の分の情報を纏めておいてください。リックさんは申し訳ないんですけど、商業ギルマスのクロードさんに今日の昼の会食は真尋くんがこの有様なので延期する旨を小鳥で伝えて下さい。ティナ、温室に行って解熱薬と鎮咳痰去薬の調合の準備をお願いできる? ジョシュアさんは冒険者ギルドに行く予定でしたよね? 割と緊急事態なのでティナも二時間遅れますって言っといてください」


 イチロが流れるように指示を出し、大人たちは忙しなく散っていく。

 残ったのは、サヴィラとミアとジョンとリースという子供たちだけだ。ミアはサヴィラに抱き着いて離れないし、リースもジョンのズボンを不安そうに握りしめている。大好きな母親とマヒロの具合が悪いので幼いリースも不安なのだろう。ミアに至っては、サヴィラの肩に顔を埋めたままぴくりともしない。肩が湿っているので泣いていることだけは分かる。


「さて、ジョンくん、プリシラさんに状況だけ伝えて絶対にベッドから起き上がらなくていいって言っといてもらえる?」


「うん……ねえイチロお兄ちゃん、マヒロお兄ちゃん大丈夫だよね?」


 ジョンが不安そうにイチロを見上げる。


「もちろん。それより真尋くんがプリシラさんは絶対に近付くなって念を押してたから、本当に起きないように伝えておいて」


 イチロはジョンとリースの頭を交互に撫でると、含み笑いを一つ彼らに零した。


「何かあるの?」


「ナーイショ」


 ふふっと笑ったイチロにジョンが答えを求めてサヴィラを振り返るが、サヴィラも答えは持ち合わせていないので首を竦めて返した。ジョンは「よく分からないけど、分かった」と素直に返事をするとミアに手を伸ばして、ぽんぽんと背中を撫でた。


「ミアちゃん、マヒロお兄ちゃんは大丈夫だからね」


 ジョンはミアの背にそう声を掛ける。ミアからの返事がないことに心配そうな顔をしながら「大丈夫だからね」と念を押して、泣きそうなリースの手を引き去っていく。

 その背を見送ったイチロがくるりとこちらを振り返った。膝に手を着き、ミアの顔を覗き込む。


「ミアちゃん、パパは大丈夫だよ。ただの風邪だから寝ていれば治るからね」


 やっぱりミアはうんともすんとも言わない。困ったなぁ、とイチロが淡い茶の髪を掻く。サヴィラはよいしょとミアを抱えなおした。前に比べればミアも重くなった。


「ねえ、イチロ、俺とミアも入っちゃだめ?」


 イチロは形の良い眉を下げる。


「それが問題なんだよねぇ。二人は僕よりずっと真尋くんにとって特別だから多分、大丈夫だとは思うんだけど……まあ物は試しだよね。何かあったら僕が守るから、ちょっとだけ顔を見に行こうか。その後は風邪が移っちゃ困るから、サロンか自分たちのお部屋にいてね」


「……分かった」


 サヴィラが頷くとイチロがくるりとドアに向き直る。


「真尋くん、入るからね!」


 少し大きめの声でそう声を掛けるとややあって、掠れた声で、ああ、と短い返事が聞こえた。

 ミアが少しだけもぞりと動いたがサヴィラに抱き着く力は弱まらない。

 イチロがドアを開けて中へ入る。暖炉に火が入れられて部屋の中は、廊下に比べればずっと暖かくなっていた。

 どういう仕組みなのかベッドの脇に置かれた小さな丸テーブルの上では洗面器から蒸気が上がって、部屋の中の空気はしっとりとしている。

 広いベッドに沈む父の月夜色の眼差しがぼんやりとこちらを見ているのに気付いて、サヴィラはミアを抱えたまま駆け出した。


「……サヴィ、ミア」


 掠れた声に名前を呼ばれて、ミアが漸く顔を上げる。

 珊瑚色の大きな瞳からぼたぼたと涙を零すミアにマヒロが苦笑を零して腕を広げた。そうすればミアはサヴィラから降りて父の腕の中に飛び込む。ひっくひっくと小さな声を上げて泣き出した妹にサヴィラは何も言えず、とりあえずミアの靴を脱がしてベッドの下に置いた。そして、ベッドの縁に腰掛けて、自分もなんとなく父の寝間着の袖を摘まんだ。するとすぐに気づいた父の手がサヴィラの手を包み込むように握りしめた。いつもよりずっと熱い手だった。

 

「全くさぁ、こんなことになる前に自己申告するとか、薬を飲むとかなんかあるでしょ? っていうか、朝起きた時点で気付いてよ」


 イチロが呆れたように言いながら父の額に氷と水を入れた皮袋をぞんざいに乗せた。マヒロはじとりとイチロを睨みながら、ミアの背を撫でていた手で皮袋を乗せ直した。


「……パパぁ」


 ミアのか細い声が落ちた。

 何度も何度も、パパ、パパと繰り返して、小さな手に込められるだけの力を込めて父に抱き着いているのが見て分かった。サヴィラは、どんな言葉がいいのか分からなくて、ミアの小さな背をトントンとあやすように撫でてやるくらいしか出来なかった。

 イチロはサヴィラに「落ち着いたら、自分達の部屋に行ってね」と告げるとこちらに背を向けて部屋を出て行く。だが、ドアを開けて一歩を踏み出すとその場で足を止めて微かに振り返った。


「……前にも言ったけどさ、」


 殆ど表情は見えないが、その声はいつもの朗らかな彼らしくもなく強張って弱々しいものだった。


「僕にとって君は大事な大事な親友で……ミアやサヴィにとって君は唯一の父親なんだよ。君は昔から自分を大事にしなさすぎるんだよ。……もっと自分を大事にしてよ」


 マヒロは少しの間を開けて、ああ、と短い返事をした。

イチロは「薬を調合してくるから」と告げるとそのまま部屋を出て行き、パタンとドアが無機質な音を立ててしまった。

 静まり返った部屋にはしとしとと降る雨の音とミアのか細く途切れる泣き声だけが降る。サヴィラは、顔を俯けて父の熱い手を握る手に少し力を込めた。


「……俺も、心配した」


 ぼそりと呟くと父の手にも力が込められた。

 教会で倒れる父の姿を見つけた時、サヴィラは心臓がひやりと凍るような感覚が確かに在ったのだ。


「次からは、ゴホッ、もっとちゃんと、気を付ける……お前とミアを、泣かせてしまっては元も子も、ないからな」


 掠れた声はまるでサヴィラを慰めているように優しかった。じわりと目頭が熱くなって慌てて深く顔を俯けた。


「別に、ないてないよ……っ」


 ぐすっと鼻を啜って全てを誤魔化して、サヴィラは父の手を握りしめる手にますます力を込めた。

 結局、それからサヴィラもミアもマヒロも何も言わず、アルトゥロがやって来るまでそこでじっとしていたのだった。












「風邪ですねぇ。それもちょっとこじらせてますけど、イチロ神父さんの調合したお薬を飲んで眠れば大丈夫だと思いますよ」


 聴診器や白衣を鞄にしまいながらアルトゥロが言った。


「そうですか……アルトゥロ先生、雨の中、わざわざありがとうございました」


 サヴィラが頭を下げるとアルトゥロはぱちりと目を瞬かせた後、ふふっと笑った。


「しっかりした息子さんですねぇ」


「自慢の、ごほっ、息子だからな、ごほごほっ、この間も、ごほっ」


「分かってるから、大人しく寝てなよ」


 イチロがほっとした苦笑を零しながらドヤ顔で起き上がろうとしたマヒロの肩を押してベッドに戻した。

 こんな時まで親馬鹿全開な父親に嬉しいやら恥ずかしいやら息子としては何とも言えない。


「では、お薬は先ほどイチロ神父さんに依頼したので、ちゃんとその指示に従って下さいね。僕も治療院に戻りますから……義姉上は気が済んだら帰ると思いますので、放っておいてください。一応、ここには入らないように言い聞かせてから帰りますので」


 くすくすと笑ったアルトゥロは、最後に遠い目をするとそう言って鞄を手に取った。

 アルゲンテウス領最高の治癒術師であるナルキーサスは何故かアルトゥロより先に来た。父の苦手な「若い女性」という点で不安があるのでイチロが丁寧に事情を説明したら当のナルキーサスは「領主様の大事な賓客である神父様が病気とあらば領内最高位の治癒術師である私が付きっきりで看病にあたっても何ら問題ない。つまり素晴らしい口実のお蔭で有休を使わずとも私は自由だ!」と嬉々としていた。マヒロを診られなかったので代わりにプリシラを診てくれたのは有難いが、その後、図書室に籠ったきり出て来ない。アルトゥロが「ああ見えて既に百歳はとうに超えているんですがね」とぼやいていたのは聞かなかったことにした。エルフ族は本当に年齢が分からない。見た目も若いが中身は百歳越え、一見、美青年だからいいのではと思ったが、イチロ曰く「キース様を真尋くんは女性扱いしているから、女性として認識していると」との理由でやっぱり診察は駄目らしい。


「それではマヒロ神父さん、私は義姉上に声を掛けてから帰りますね」


「ああ、すまない。ありがとう」


 顔だけ上げて父が礼を言う。

 いえ、お大事にとアルトゥロは笑うと先に部屋を出て行く。


「じゃあ、僕もアルトゥロさんを見送って、そのままティナを送って仕事に行って来るね。最低限片付けたら帰って来て、家で仕事もするから大人しく寝ててよ?」


「……分かってる」


「サヴィもミアもそろそろ自分の部屋に行ってな?」


 サヴィラが頷くとイチロは、アルトゥロと共に部屋を出て行った。マヒロの脇では泣き疲れたミアが小さく丸くなって眠っている。起こさないようにそっと抱き上げようとするが、妹の小さな手は父の服をぎゅうと握りしめていた。その小さな手をマヒロがそっと解いて、あやすように一度だけぽんと撫でた。

 落とさないように慎重にミアを抱えなおす。


「俺、自分の部屋にいるから何かあったら、呼んでね」


「分かった。ゴホゴホッ……ミアを頼むぞ」


 自分で額に氷嚢を乗せながら父が優しく微笑んだがどこかいつもと違って弱々しく見える。

 後ろ髪を引かれて、何度も振り返りながらサヴィラはミアと共にマヒロの寝室を後にした。廊下に出るとサヴィラの部屋の前にはテディがどんと座っていて、ぐーと鳴きながら首を傾げた。ミアを抱えてゆっくりとテディのもとに歩み寄る。


「大丈夫、治癒術師の先生も来てくれたし、イチロの薬も飲んだから、父様はすぐに良くなるよ」


「ぐー?」


 テディが心配そうにミアに鼻先を近づける。サヴィラは、しーっと告げて一歩離れた。するとテディは素直に頭を引っ込める。大きくていかつい顔だがテディはとても優しい。


「……小さなレディは、泣き疲れて眠ってしまったのかな?」


 急に聞こえて来た声に驚いて顔を上げると数冊の本を小脇に抱えたナルキーサスがこちらにやって来た。

 相変わらず今日もイケメンという出で立ちだ。


「マヒロは?」


「今、寝ました」


「そうか。中へ入るのか?」


 そう言ってナルキーサスが、ドアを顎でしゃくった。サヴィラが頷くとナルキーサスがドアを開けてくれた。テディが先に中へと入っていく。サヴィラは礼を言って中へ入り、最後にナルキーサスも入ってきた。

 ナルキーサスがベッドの足元に本を置き、布団を捲ってくれたのでそこへそっとミアを降ろす。泣き過ぎて赤くなった目元が可哀想でサヴィラはポケットから取り出したハンカチを呪文を唱えて水で濡らしてミアの目元にそっと当てた。


「やはりサヴィは年齢の割に魔法の扱いがかなり長けているなぁ。水魔法は比較的御しやすいとはいっても、ハンカチという小さな的だけに絞って適量で濡らすというのはなかなか難しいことだ。マヒロがしょっちゅう自慢するだけのことはある」


 ナルキーサスが感心したように言った。サヴィラは、改めて父が行く先々で自分やミアを自慢しているのだろうと気付いて恥ずかしくなり、誤魔化すようにミアに布団を掛けてベッドに腰掛けた。ナルキーサスが、くすくすと可笑しそうに笑う声が聞こえて来たから、赤くなった頬は見つかってしまったのかも知れない。


「……随分と元気になったな、ミアも君も」


 不意に穏やかな声音でナルキーサスが漏らした言葉にサヴィラは顔を上げる。ナルキーサスは、テディに寄り掛かるようにして腕を組み、とても優しい眼差しをサヴィラとミアに向けていた。

 サヴィラは、この変わり者の治癒術師があまり得意ではなかった。嫌いではないが、何だか取って食われそうな雰囲気があるし、しょっちゅう、将来は魔導院においでと勧誘されるし、先日は面と向かって石膏像を作らないかと言われた。無論、傍にいた父が速攻で断りを入れてくれたが。あと骨の話をし出すと興奮して恍惚としながら延々、骨について語られるのもちょっと苦手というか、はっきりいって怖い。

 でも、それらを除けばこの人は優しい人だと思う。

 孤児だけではなく、貧民街の住人ははっきり言って汚い。風呂に入る習慣がないので、臭いも酷いし垢まみれだ。だから普通の人間は近寄ることも拒否するし、触れるなんて絶対にしない。でも、父もこの人もサヴィラやミアに触れることに躊躇いがなかった。インサニアの騒動の時、この屋敷で治療の最前線に彼女は立っていたが、どれほどの怪我をしていようが、どれほど薄汚れた人間であろうが、彼女は躊躇いなく手を差し伸べた。治癒術師なのだから当たり前といえばそうなのだろうけれど、本当はあの騒動以来、治療院が定期的に貧民街に派遣する人員に頭を悩ませているのを知っている。皆が皆、不衛生で不潔な人間に躊躇いなく触れるわけではないのだ。サヴィラだって最初の頃は、本当に嫌だった。


「マヒロは良い父親か?」


 唐突な問いだったが、躊躇うこともなくサヴィラは頷いた。

 親馬鹿が酷くなるので言わないがマヒロ以上に素晴らしい父親はいないと思っている。


「だろうな。君もミアもここ数ヶ月で随分と変わった。体の面でも健康的になったのは確かだが、二人とも表情が随分と柔らかくなった」


 そう言われても自分ではよく分からず、サヴィラはなんとなく自分の頬に触れて首を傾げた。


「君たちの父親は、本当に不思議な人だ。私からすれば百以上も年が離れているのに、話していても違和感がない。君たちの父親をやっていても板についている。まだ十九歳の若造なのに、だ。優秀な騎士を従え、こんなに可愛いらしい従魔もいる」


 ナルキーサスが自分が寄り掛かっているテディを振り返った。テディは、きょとんと首を傾げた。


「テディは父様の従魔じゃないですよ。契約を結んでいないので……曰く戦友らしいです」


 サヴィラの言葉にナルキーサスは、ぱちりと目を瞬かせてテディを振り返った。サヴィラの言葉を肯定するようにテディがぐーっと鳴いて頷く。

 父は何も言わないし、テディの言葉は分からないので確証はないが、多分、父はテディの気持ちが分かるのだ。テディは、魔の森で野宿をしていた父に戦いを挑んだ勇気あるキラーベアだが、素手でやり合った父はテディの勇ましくも潔い姿に感動して友達になったと訳の分からないことを言っていた。テディもまた父に何かを感じてここに居るのだろう。魔獣、それもAランクなので従魔登録はしてあるが契約自体は結んでいない。あの神父様だからなという特別措置だ。最初は周辺住民も怯えていたようだが庭で子どもたちと遊んだり、庭師の手伝いをすうテディの姿や何より飼い主が神父様だからなと納得してくれている。


「やはり君の父親は、底知れないな」


 そう言ってナルキーサスは降参とでもいうように両手をひらひらと振った。

 ナルキーサスは、ふっと唇に小さな笑みを浮かべると徐に窓の外に顔を向けた。憂いを帯びた横顔は、絵画みたいに綺麗だった。男装の麗人と言われるナルキーサスは、確かに女性としてはとても珍しい短い髪やハスキーな声も相まって一見、美青年だけれど時折浮かべる表情や仕草は間違いなく女性のものだ。

 サヴィラも彼女の視線の先を追って、窓の外に顔を向けた。ザァザァと酷い雨が降り続けている。


「……ミアは、まだ、泣くか?」


 一瞬、何を言われたかが分からなかったが、少し考えてそれがミアの夜泣きについて問われているのだと気付いた。


「前ほどじゃないです。最近はほとんどなかったし……」


「…………そうか」


 目が伏せられて長い睫毛が彼女の白い頬に影を作った。


「…………ノアが助からなかったのは、先生の所為じゃないってミアだって分かってます」


 ナルキーサスが弾かれたように顔を上げた。

 驚きと困惑に揺れる黄色の瞳がじっとサヴィラを見つめているのに居心地が悪くなって、逃げるようにミアへと顔を向けた。涙で湿った柔らかなほっぺを指の背で撫でる。


「あの時、最後の最期までノアのことを諦めないでいてくれたのは……多分、ミアを除けば、キース先生だったと思うから」


 サヴィラはミアがノアを自分のところに連れて来た時点でもう助からないと諦めた。せめてミアがノアの最期を一人で看取ることがないようにと家に招き入れることくらいしか出来なかった。

 父もリックもイチロも他の大人たちだって、その時、ノアに出来る全てを、与えられる全てを注いでくれたことは分かっている。でも、最期まで諦めずにいてくれたのは他ならない彼女だ。ミアもサヴィラもネネもルイスもレニーも皆、分かっている。


「キース先生が、ステータスが消えるあの瞬間まで、それでもノアを生かそうとしてくれたことは知っています」


「……私を過大評価しすぎだよ」


 自嘲の混じった声が聞こえた。


「でも、」


 衣擦れの音が聞こえて顔を上げると細い手がサヴィラの頭をそっと撫でた。

 その細い手では覆い切れなかった視界の向こうに泣きそうな顔で微笑うナルキーサスがいた。


「サヴィラは、優しい子だな」


 何かを言おうと思ったけれど、サヴィラがこれ以上何か言ったら、彼女が泣いてしまうような気がして口を噤んだ。ナルキーサスは、ぽんぽんとあやすようにサヴィラの頭を二、三度撫でるとその表情を隠すようにこちらに背を向け、ベッドの上にあった本の束を手に取った。


「私は、図書室で本を読んでいるから何かあったら呼んでくれ」


「分かりました」


 サヴィラが応えるとナルキーサスは、こちらに背を向けたままひらりと手を振って部屋を出て行った。バタン、とドアが閉まれば部屋の中はまた雨音だけになった。

 どうしたんだろうとテディと顔を見合わせるが、ナルキーサスの心中を推しはかれるほど彼女を知っている訳ではない。彼女が何を考えているかなんてさっぱり分からないけれど、きっと、悩みのない人間なんていないのだ。

 靴を脱いでベッドに上がり、ミアを抱きかかえるようにして横になる。ミアは少しだけ目を開けたがサヴィラの服を掴んで胸に顔を寄せるとまた目を閉じて眠ってしまった。


「……早く父様が良くなって、雨も上がればいいのに」


 ぽつりと呟いて、ミアの髪をそっと撫でた。





―――――――――――――

ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

いつも閲覧、感想、ブクマ登録、本当にありがとうございます!


番外編に関して温かいお言葉の数々、自信を失いかけていた心に深く沁みました。

本編の番外編も執事の番外編もどちらもこれからも私らしい思いを込めて書いていきたいと思います。


前編で皆さんが口を揃えて「鬼の霍乱」と真尋さんの風邪を言うので、真尋さん人間だと思われてなかったんだなぁ、やっぱりとしみじみ実感しました(笑)

イチロが風邪を引いたらそうでもないのかな?とも思ったり。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。

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