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神父様、風邪を引く。 後編1

「これは見舞いの品だ。神父殿に届けてくれるか?」


 ウィルフレッドがわざわざ一路たちの執務室にやって来て、大層な木箱に入った高価そうなワインを差し出しながら言った。


「わざわざすみません」


 ありがとうございます、とお礼を言って受け取り、真尋のデスクの上に置く。


「すごい量だなあ」


 ウィルフレッドが真尋のデスクの上に築かれた山を見ながら感心したように言った。

 いつもは書類が山を作るデスクの上に今日は見舞いの品が山となっていて今にも崩れそうだ。来てくれたのはウィルフレッドだけではない。第二小隊を始めとした騎士たちや毎日、真尋に昼ご飯を提供している領主家の料理人や団内の掃除夫さんに魔導院の魔術師や治癒術師まで次から次へとお見舞いの品を届けてくれたのだ。

 一路は、巻紙に新たにウィルフレッドの名前と見舞い品の項目を追加する。真尋はああ見えて、お礼はきっちりするタイプなので誰が何を届けてくれたのかをメモしているのだ。ちなみに花やお菓子もあるが殆どが酒と煙草だ。


「私からもこれを」


 そう言って、ウィルフレッドと一緒に来たレベリオも見舞いの品をくれた。礼を言って受け取り、再びメモをする。


「リックとエディは?」


 ウィルフレッドが一路しかいない部屋の中を見回して首を傾げる。


「リックさんは自分の仕事をもって一足先に帰りました。エディさんはちょっとお遣いに行ってもらっているんです」


「そうか。……ところで神父殿は、そんなに具合が悪いのか?」


「教会で倒れていたと聞きしましたが……」


 心配そうに二人が尋ねて来る。

 倒れていたことまで報告したらしい護衛騎士に頭痛を覚えながら一路は答える。


「大丈夫ですよ、ただの風邪だとアルトゥロさんも言っていましたし、薬も飲ませたのですぐに熱も下がると思います。それに愛娘に泣かれたんで、流石に大人しくベッドに居るでしょうし」


 その言葉にウィルフレッドとレベリオは顔を見合わせて、苦笑を浮かべた。

 

「神父殿は大人しく寝込むって言う性質でもなさそうだな」


「そうなんですよ。……彼の奥さんは体の弱い人で寝込むことが多々ありましたし、双子の弟くんたちも年が離れていたので小さいころは風邪とか良く引いたりしてたので本人は看病は得意なんですけど、自分のことになると無頓着で」


「でも、そうなったら奥様が看病なさったのでは? 以前、かなり仲が宜しいご夫婦だったとお聞きしましたが」


 レベリオが不思議そうに尋ねて来る。一路は、苦笑を零して首を横に振る。


「だからこそ、ですよ。僕らにとってはただの風邪でも、体の弱い彼の奥さんにとってはその風邪一つが命取りだったんです。だから真尋くんは風邪を引いたとしても自分は家を出て、家の執事に奥さんたちのことを任せて内緒で宿を取って療養してましたよ。でも、僕が気付いてからは僕の家の客間に放り込むようにしてましたけどね。まあ元が丈夫なので、そんなに風邪を引くこともありませんでしたけど」


「イチロも大変だな」


「十四年目ですから。慣れました」


 ふふっと笑って肩を竦めれば、ウィルフレッドもレベリオも可笑しそうに笑った。

 だが、レベリオはどこか何かを言いたいのだが言い出せないというような雰囲気がある気がする。表面上は笑っているのだが、その口元が何かを言いたげなのだ。普段、ウィルフレッドや真尋相手でもズバズバと物を言う彼らしくない。


「レベリオさん、何か気になることでもありますか?」


 思い切って聞いてみれば、レベリオは驚いたように目を瞠った。どうやら正解だったらしいが、それでも口にするのを躊躇っているようだ。ウィルフレッドもそんな事務官の様子に気付いて首を傾げる。


「どうしたんだ、リオ」


「いえ、なんでも……なくはないんですが。その……弟に聞いたのですが、妻が、お邪魔しているそうで」


 随分と歯切れが悪い。

 一路はどうしてレベリオが自分の妻の話を出すのにこんなに躊躇するのか分からなかったが、流石に付き合いの長いウィルフレッドはその理由が分かったのか何だか困ったような複雑な表情を浮かべている。


「キース様は、ここのところ激務だったので真尋くんの病気を理由にうちに滞在して羽根を伸ばすと仰られていましたけど」


「ご、ご迷惑を……それに寝込みを襲うやも……っ」


 見たこともないほど焦った様子でレベリオが詰め寄ってくる。一路はのけぞりながら、落ち着いて下さい、と声を掛ける。


「そ、そんなことはしないと思いますよ? 万が一、真尋くんが魔力暴走でも起こしたら町が駄目になってしまうことはキース様も承知しておりましたし……それに迷惑だなんてことはありませんよ。プリシラさんの診察もして下さいましたし、キース様がいてくれれば僕たちも安心ですし」


 確かにナルキーサスの趣味は心配だが、彼女は具合の悪い人間に無理強いするような人ではない。子どもたちに対しても嫌がる子どもに無理矢理石膏型を取らせるような真似もしない。興奮すると延々と骨について語り出すが、それも聞き流していても怒られないので問題はないと思う。


「キース様は、たくさんの人に頼られる優秀な治癒術師ですからその分、たまには息抜きも必要なんだと思いますよ。真尋くんもそうですから」


 レベリオはそれでも何か喉に詰まらせているかのような顔をしている。彼は騎士団長の筆頭事務官で有り、子爵でもあるから夫としても一般人の一路には分からない心配事もあるのかもしれない。

 さてどうしたものかと一路が頭を悩ませながら口を開こうとした時、急に廊下の方が騒がしくなる。ウィルフレッド達も気付いて、部屋の中に緊張が走る。


「町で何かあったのか?」


「分かりません、すぐに確認を……」


 レベリオが部屋を出て行こうとするより早く、バタンと勢いよくドアが開いた。


「ま、真尋くん!?」


「神父殿!」


 何故かそこに現れたのは、黒のトラウザーズにワイシャツという軽装の上、ずぶ濡れの真尋だった。よほど慌てて着替えたのか、ワイシャツはボタンを掛け違えている上に真ん中の三つくらいをかけているだけだった。


「え、なっ、ど、どうしたの!?」


 訳が分からず真尋に駆け寄るとがしりを腕を掴まれた。


「はあはぁ、サヴィと、ミアが……ごほごほっ、いなく、なっ、ゴホゴホゴホゴホッ」


 咳が酷くなり言い切ることが出来ず、一路から離れてしゃがみ込むようにして真尋が咳き込む。一路はその横に膝をつき、その背を擦る。冷たく濡れたワイシャツ越しに触れる彼の体は酷い熱を帯びている。


「マヒロ!! 待てと言っただろうが!! 馬鹿か貴様は!!」


 廊下から怒鳴り声が響いて同じく全身、ずぶ濡れのナルキーサスが現れた。けれど彼女は、きちんとローブを纏っている。


「この雨の中、無暗に飛び出していく馬鹿があるか!! 悪化すれば肺炎を起こすこともあるんだぞ!? そうなったらロープで縛り上げて治療院に放り込むぞ!!」


 フードを脱ぎながらナルキーサスが真尋を怒鳴りつける。真尋は真尋で咳き込みすぎて返事が出来ないようだった。

 おそらく廊下を疾走してきたのだろう、騎士たちが何事かと部屋の前に集まっていた。一路は、顔見知りの騎士二人に拭く物と水を頼んだ。すぐに水を持ってきてくれたことに礼を言って真尋に飲ませる。グラスに二つ持ってきてくれたので一つをナルキーサスに勧めるがナルキーサスは、真尋の無茶に大層、お冠の様子で周りが目に入っていないようだった。するとレベリオがグラスを受け取り、ナルキーサスに差し出す。


「落ち着きなさい、キース。冷静にならないと碌に話も出来ませんよ」


 漸く、ナルキーサスは部屋の中に夫とその上司がいることに気付いたようで少しバツが悪そうに視線を外し、レベリオの手から水の入ったグラスを受け取ると一気に煽った。しかし、空になったグラスを騎士に渡すと、再び真尋を睨み付ける。


「キース、何があったんです?」


 レベリオが問いかける。


「ミアとサヴィラがいなくなったんだ」


「え?」


 ぽかんと口を開けた間抜け面のまま一路はナルキーサスを見上げる。


「リックが貧民街に向かいながら、薬屋を覗いてくれている。レイに頼んで冒険者ギルドと孤児院にも行ってもらっている。だというのにこの馬鹿は私の言うことを聞かずにこの軽装で、この雨の中、馬に跨り出かけて行ったんだ」


 がしりと腕を掴まれて真尋に意識を戻す。ひゅーひゅーと怪しい呼吸音をさせながら、真尋が唇を震わせる。


「ミアとサヴィは……?」


「き、来てないよ、門番に聞かなかったの?」


「門は強引に素通り、玄関で適当な騎士に馬を預けてここに一直線だ」


 真尋の代わりにナルキーサスが答える。一路は、親友の背を擦りながらため息を堪えた。ミアとサヴィラは、彼にとって彼の命よりも大事な我が子だ。その二人が居なくなったせいで、普段は冷静な彼が熱があるのも相まってこれだけ取り乱したとしても当たり前のことだからだ。

 けれど、このままでは真尋が駄目になってしまうと一路はぐっと表情を引き締める。


「真尋くん、僕が代わりに探しに行くから、君はすぐに屋敷に戻ってベッドで寝ていて」


「……い、やだ」


 熱が上がり出したのか撫でる背が震えはじめた。

 ふわりと毛布が掛けられて顔を上げれば、先ほど拭く物を頼んだ騎士が戻って来ていた。一路は彼から手ぬぐいを受け取り、この数か月で大分長くなった真尋の髪を拭く。


「嫌だじゃないよ。君が肺炎にでもなってこじらせて死んだら、ミアとサヴィラはまた孤児になっちゃうんだよ? 父親としての自覚があるなら、自分の身を省みてベッドに戻って」


「そうだぞ、神父殿。神父殿の身に何かあれば、他ならないミアとサヴィラが一番、哀しむんだ」


 ウィルフレッドも傍に膝をつき、真尋を諭す。しかし、頑なに彼は首を縦に振ろうとはしない。


「ミアとサヴィラは、いつからいないんです?」


「それが分からん。私は図書室に籠っていたからな……ジョンとリースは母親のところにいたらしいし、クレアはキッチン、レイは自室、リックは書斎、ルーカスは出かけて居て留守だった。眠りから覚めたマヒロが屋敷の中に二人が居ないが行方を知っているかと私に尋ねて来て、二人が居ないのが分かったんだ」


「真尋くん、二人に付けてる小鳥は?」


 真尋は首を横に振った。


「メンテ中で、アイテムボックスの、中、だ……」


 途切れ途切れの返答に一路は、困ったな、と頭を掻いた。


「あー……やっぱり、僕が探しに行くよ。団長さん、とりあえず着替えさせて隣の仮眠室のベッドにでも放り込んでおいてもらえますか?」


「いやだ、いく」


「寝言はベッドの中で言って。こんなフラフラな状態でOKなんて言える訳ないでしょ」


「いく」


 短くはっきりと真尋は意思を示す。

 すると野次馬の中からカロリーナが前に出て来て、口を開く。


「神父殿、警邏中の騎士にも声を掛けて私たち第二小隊が中心になって町に捜索に出る。だからイチロ神父さんの言う通り、寝ていた方がいい」


「いやだ、いく」


 熱でフラフラで立ち上がることすら出来そうにない状態だというのに何とも強情な男である。一路は、こうなると雪ちゃんの言うことしか聞かないんだよなぁと髪を掻いた。


「イチロ! 何事だ!? って、マヒロさん!? あっ、団長! おはようございます!」


 一路が頭を悩ませていると騎士たちをかき分けるようにして慌ただしくエドワードが部屋の中に飛び込んで来て、真尋に気付いて目を丸くした。ウィルフレッドたちがいることに来づいて慌てて挨拶をする。流れるように落ち着きがない。


「ああ、おかりなさい、エディさん。後でその落ち着きのなさに関してはお説教です」


「え、何で!?」


「黙れ、馬鹿野郎。神父殿は具合が悪いのだ!」


 カロリーナが小声で怒鳴ってエドワードに拳骨を落とした。あでっ、と間抜けな声とゴンと痛そうな音がした。

 ナルキーサスが呆れたようにため息を零して口を開く。


「ミアとサヴィラがいなくなってしまったんだ。それでこの騒ぎになっているんだ」


「え? ミアとサヴィラなら教会に居ますよ」


 エドワードの言葉にその場にいた全員の視線が一斉に彼に向けられた。辺りがしんと静まり返る中、力を振り絞って立ち上がった真尋がエドワードの胸倉をつかんだ。


「マ、マヒロさん?」


「ほ、んと、か?」


 ゼーハー言いながら真尋が問いかける。


「本当です。イチロのお遣いで途中、屋敷に必要書類を取りに行った時、庭でミアとサヴィラに会って、どこに行くのか聞いたら、教会だって言ってそのまま二人で教会に入っていくのを確かに見ましたから。テディも一緒でしたよ。それにサヴィが書き置き残してきた……って、マヒロさん!? だ、大丈夫ですか?」


 ぐらりと揺れた体がそのままエドワードに寄り掛かるようにして倒れ込み、一路とウィルフレッドも咄嗟に横から真尋を支えた。目が開いているので辛うじて意識はあるようだが、呼吸が先ほどよりも忙しない。

 触るぞ、と一言告げてナルキーサスが真尋の首に触れた。途端に彼女の端正な顔がしかめっ面になる。


「とんでもなく熱が上がっている。家ではなくこのまま治療院に連行しろ。点滴の上、今夜一晩、入院だ」


「い、やだ。かえる」


 頑なな返事にナルキーサスの頬が引きつった。やれやれと一路はついに隠し切れなくなった溜め息を零して、顔を上げた。


「キース様、ミアとサヴィの無事を確認しないと絶対に言うこと聞かないので、教会の方に連れて行きます。エディさん、僕の馬車を玄関にお願いします。その後、居ても居なくても僕が責任をもってベッドに縛り付けるので点滴はそちらでお願いできますか? 何より人の出入りの多い治療院ではこの人、絶対に眠れないので」


「……分かった」


 ナルキーサスが降参だと両手を上げた。


「なら、馬車の仕度が整うまでに隣の部屋で着替えさせよう。濡れたままはよくない」


 ウィルフレッドの提案に一路が頷くとウィルフレッドは真尋に背を向けてしゃがみ込んだ。エドワードと一路が二人がかりでその背に真尋を乗せる。風属性と火属性があればいつも真尋がしてくれるように乾かしてやることもできただろうが、生憎と一路は火属性を持っていない。


「はい、皆さんも業務に戻って下さい。カロリーナ小隊長は念の為、一緒に行って下さい。もし教会にも屋敷にも居なかったら捜索をお願いします」


 レベリオの一声に騎士たちは、失礼しますと軽く頭を下げて去っていく。エドワードも行ってきます、と部屋を飛び出して行き。ナルキーサスも仕度をしてくる、と部屋を出て行く。


「よし、行こう、イチロ神父」


「はい。お願いします」


 真尋を背負って立ち上がったウィルフレッドに続くようにして一路も部屋を後にしたのだった。








「……ミア、もうそろそろ家に戻ろうよ」


 神様の石像の前に跪いて祈るミアの背に声を掛けるが返事はない。

 サヴィラは一番前の長椅子に膝を抱えるようにして座り、かれこれ小一時間は妹の背を見ていた。

 目を覚ましたミアが一緒に眠ってしまっていたサヴィラを起して、教会に、パパの神様のところに行きたいと言ったのだ。父は寝ているようだったし、ナルキーサスの読書を邪魔するのも気が引けて、部屋に書き置きを残してきた。ジョンやリース、クレアたちは広い屋敷の中でどこにいるか分からなかったのだ。だが、ここへ来る時に丁度、エドワードが帰って来たので教会にいることは伝えてある。


「……ぐー?」


 ミアの横にどんと座っているテディは、真剣に祈るミアを不思議そうに見ている。時折、サヴィラのところにも来るが少し撫でられた後、またミアのところへ戻って、祈る妹をじっと見ている。

 石造りの教会は雨の音がザァザァと反響して、まるで雨の中にいるように錯覚する。


「……ミアは、何を祈っているの?」


「……サヴィはなんでいつもお祈りしないの」


 ゆっくりと振り返ったミアが問いを重ねて首を傾げた。さらり、と長い砂色の髪が揺れる。

 こちらを真っ直ぐに見つめる珊瑚色の瞳から逃げるように視線を俯けた。


「俺はその神様、あんまり好きじゃないから」


「ミアは、好きよ。だって、神様のところにはノアもお母さんもいるもん」


「それは……知ってるよ。爺さんだって、きっと、マックスやレジーやルーシーたちもそこにいるんだろうからね」


 サヴィラが拾い、或は、見守っていた中で喘ぐような貧困の中、儚く散った幼い命も神様のところにいるのだろう。この優しい神様に見守られながら面倒見がよくお節介なダビド爺さんが世話を焼いているのなら、きっと幸せだろうと思うと心が軽くなる。ノアよりも幼い子もいたし、ネネと同い年の子どももいた。名前がなくてサヴィラが名付けた子どももいた。皆、飢えに加えて、病気や怪我に勝つことができず幼くして死んでしまった。

 抱えていた足を降ろし、椅子から立ち上がってミアの隣に立つ。見上げた先で雨にもかかわらずステンドグラスの光が落ちる中に佇む神様の石像は、長い前髪の隙間から今日も穏やかな銀の眼差しでこちらを見下ろしていた。

 その優しい眼差しはいつだってサヴィラの心に寄り添うようだ。サヴィラだって心の底から父の愛するこの襤褸をまとった優しそうな神様が嫌いなわけではない。あのインサニアの騒動において父とイチロに力を貸してくれたし、町中に金色の粉を纏った風を吹かせてインサニアの恐怖を消し去ってくれた。でも神様の何倍も何十倍もサヴィラはマヒロが大好きだから、そのマヒロから愛する人を奪ったこの神様が心から好きにはなれないのだ。


「……ミアね、今日はお祈りしてたんじゃないの。ママがここに来られますようにってティーンクトゥス様にお願いしてたの」


 予想外の言葉が聞こえてきてサヴィラは顔を妹に向けた。ペタンと座り込んだミアは、どこかしょんぼりと膝の上のウサギのぬいぐるみを見ている。サヴィラの視線に気づくとミアが顔を上げた。


「ママは生きてるんでしょ?」


「うん。父様はそう言ってたよ」


 ミアの隣に腰を下ろす。テディが「ぐー?」と心配そうに鳴いてミアに大きな顔を寄せる。ミアが片手を伸ばして鼻先を撫でた。


「母様は生きているけど……でも、母様は父様が生きてることを知らないんだよ」


「じゃあ、ママ来られないの?」


「死んじゃったと思っているから……それに父様の故郷は、ここからずっと遠いところにあるんだって。母様はとても体の弱い人だって父様は言っていたから、長旅には耐えられないんじゃないかな」


 ミアの眉が下がる。ぎゅうとラビちゃんを抱き締めてミアは顔を伏せた。

 小さく幼い背にサヴィラは手を添える。ミアの背中はとても温かい。


「……パパはママが大好きなの」


「……うん」


「……ミアとね、サヴィと同じくらいママが好きなんだよ」


「……うん」


「だからね、ママがいたらパパの風邪もね、すぐに治るって思ったの。イチロくんがパパはママがそばにいるとよく眠れるって教えてくれたから。それにね、それに……パパはきっと神様よりママが好きだからね、だからママが居ればパパはどこにも行かないって思ったの。……そうしたら、」


 言葉が途切れて、ぽたりとラビちゃんの上に透明な滴が落ちた。


「……ノアとお母さんみたいに遠いところに行っちゃわないでしょ?」


 サヴィラは何も言えなくなって、妹の小さな肩をぎゅうと抱き寄せた。

 広い教会に雨の音がたくさん溢れ返って、二人きりになってしまったみたいに寂しい気持ちになった。

 奴隷商の男たちから逃げて、倉庫街でダビドに拾われて、貧民街に来た時に初めて会ったのが、当時一歳のミアとその頃はまだ元気だったミアの母のオルガだった。オルガは本の中にしかいないと思っていた、愛情深く優しい母親で何よりもミアを愛していた。貧しい暮らしの中でもミアは、あの頃から貧民街では珍しい無邪気で可愛い笑顔が印象的な子どもだった。オルガが夜、仕事に行く時にダビドがミアを預かることも何度かあって無愛想なサヴィラにもミアは懐いた。

 今思えば、あの頃、ダビドのことも信頼しきれなかったサヴィラにとってミアの笑顔は特別だったのかもしれない。大人と違って裏のない笑顔と純粋な好意は確かにサヴィラを癒してくれたのだろうし、きっと、知らないうちにサヴィラは救われていた。


「……父様は、大丈夫だよ、ミア」


 もっと気の利いたことが言えればいいのにと唇を噛む。

 ミアがこてんとサヴィラの胸に寄り掛かってラビちゃんをぎゅうと抱き締める。ぽろぽろと落ちる涙をサヴィラはミアの肩を抱く手とは逆の手で拭う。テディが心配そうに「くー」と鳴いた。


「父様も俺も、ミアを置いて遠くになんか行かないよ。こうやってずっと傍に居る」


「……うん」


 弱々しくミアが頷いた。ぎゅうと抱き着いて来たミアを抱き上げて胡坐を掻いた膝の上に乗せた。

 その時だった。

 バタン、と勢いよく屋敷の庭へ続くドアが開く音が雨音に包まれた世界に鋭く響いた。続いてバタバタと複数の足音が聞こえて来る。

 驚きに思わずミアを抱き締め立ち上がり、振り返って、目を丸くする。


「と、父様!? イチロも、エディも、え、なっ」


「パパ? ひゃっ」


 答えよりも先に飛び込んで来た父に苦しいくらいに抱き締められた。いつもよりずっと早い鼓動の音が聞こえるし、何より父の腕の中は燃えるように熱かった。ミアも驚きに涙が止まったのか、腕の中で目を白黒させている。

 父がずるずると座り込み、つられるようにしてサヴィラとミアも床に座り込む。


「……よかっ、た」


 掠れた声に途方もないほどの安堵を滲ませてマヒロがゆっくりと息を吐きだした。けれど、抱き締める腕の力は緩まない。


「あー、良かったぁ、ここにいてくれて」


 イチロが安心したように座り込みながら大きな声で言った。一緒にやってきたエドワードやリック、ナルキーサスにカロリーナとレイも安心したような表情を浮かべている。


「と、父様? イチロ?」


「ったく、心配かけんなよ」


 レイが安堵を滲ませたため息交じりに肩を竦める。


「え?」


 訳が分からずサヴィラとミアは顔を見合わせる。自分たちを抱き締めた父はぴくりとも動かない。熱のせいで荒い息遣いが聞こえるのみだ。


「君達、今の今まで行方不明だったんだよ。眠りから覚めたら二人が居なくて、真尋くん、慌てちゃったみたい」


 ふっと苦笑を零しながらイチロが言った言葉にサヴィラとミアはますます首を傾げる。


「ミア、ここにサヴィとテディとずっと一緒にいたのよ?」


「俺、自分の部屋のサイドテーブルに書き置き残して来たよ? エディにも言ったし……」


「んー、君たちのお父さん、熱でいつもみたいに冷静な判断は出来なかったんだよ。書き置きも気付かなかったみたいでね」


「マヒロが駆け込んで来て私が部屋を見に行った時には、何でかサイドテーブルは倒れていたからその書き置きもどこかに行ってしまったのかもしれない。布団も床に落ちてたし、クローゼットもチェストも全部引き出しが開けられていたからな」


「俺も屋敷に必要な物を取りに行っただけで誰にも会わなかったんだ。それで商業ギルドに寄ってから帰ったら既にマヒロさんが飛び込んだ後だったんだ」


 ナルキーサスは苦笑交じりに、エドワードは申し訳なさそうに言った。

 サヴィラとミアは顔を見合わせて、ミアは父の首に、サヴィラはその広い背に腕を回した。行方不明になっていた自覚がないので話はよく分からないのだが、とりあえず父が普段の冷静さが嘘のように取り乱して、自分たちを探してくれたことだけは分かった。


「ごめんなさい、パパ」


「ごめん、父様」


 回された腕にまた力が込められて少し苦しい。

 父からの返答はなかったが、その腕が熱の所為かそれ以外の理由からか、微かに震えているような気がする。


「ところでここで何してたの?」


 イチロが不思議そうに首を傾げた。


「ミアがここでお祈りしたいっていったから、サヴィとテディと一緒にきたの。工事してて危ないから一人は駄目だけど、パパが前にサヴィと一緒ならいいよって言ってたから」


「何をお祈りしてたの?」


 ミアがイチロの問いかけにちらりと父を見た。サヴィラの肩に顔を埋めていた父は、いつの間にか月夜色の眼差しをミアに向けていた。ミアは少し悩んだあと、その目から逃げるようにラビちゃんに顔を向けた。


「……ママを連れてきてくださいって神様にお願いしてたの」


 息を飲む音が二つ聞こえた。一つは父のもの、もう一つは父の向こうにいるイチロのものだと思うけれど、もしかしたら他の誰かかもしれない。


「……どう、して」


 父の掠れた声がミアとサヴィラの間に落ちた。


「パパは神様よりママが好きだから……ママがいればパパは、どこにもいかないって思ったの……」


 ミアの声はだんだんと心細く小さくなっていった。マヒロの首に回していた腕がいつのまにかサヴィラの服を掴んでいた。止まっていたはずの涙がまたミアの頬を濡らす。


「ノア、だって、いっぱいお熱あったし、お母さんも、苦しそうにゴホゴホ、してた、からっ……パパも、遠くにいっちゃうの、やだぁ」


 ふえぇとミアは声を上げて泣きながらサヴィラに抱き着いて来る。父の背に回していた腕を解いて泣き縋るミアを抱き締めた。

 どうしてかつられて自分まで泣きそうになって、それを紛らわすためにミアの髪に鼻先を埋めた。大丈夫、大丈夫だと伝える声が震えてしまいそうで、何度も唾を飲み込んでどうにかしようとするのにきゅっと喉が絞まって、舌と唇も上手に動かせそうになかった。


「ミアとサヴィを、置いて行くわけがないだろう」


 泣きそうに震えた声が上から落ちて来た。背中にある父の手が確かに震えている。


「もし、また神様に選択を迫られたなら、俺は祟られようが何しようが神様を捨ててお前たちを選ぶ。ミアとサヴィラ以上に大切なものなんて、今の俺にはもうないんだから」


 ゆっくりと顔を上げれば、優しく微笑う父の顔があった。ミアも同じように顔を上げて涙に濡れた珊瑚色の瞳で月夜色の優しい目を見つめる。


「……俺はな、この世界で一番、ミアとサヴィラを愛してるんだ」


「……ママは?」


 鼻を啜りながらミアが問う。


「ママだって一番だ」


「一番が、三人も、いるの?」


 ひっくひっくとしゃくりあげるミアの言葉は細切れだ。マヒロは、ミアの頬を大きな手の平で包み込む様に撫でて涙を拭う。


「パパは欲張りだから、一番がたくさんなんだ」


「ミアも、よくばりだから、パパとサヴィとノアとお母さんがいちばんすき」


 ミアがほっとしたように涙の痕を残して笑って、父に抱き着いた。すると父の表情がますます柔らかくなって、サヴィラの胸にも漸く安堵が広がった。大きな手がいつもみたいにぽんとサヴィラの頭を撫でてくれて引き締めていても頬が緩んだ。でも、その手の熱さに慌てて額に手を伸ばす。


「父様、すっごく熱有るよ?」


 ミアが「パパ、とっても熱いの」と驚いたように父の首に触れる。

 伸びてきた細い手が父の額に触れた。顔を上げればナルキーサスが顔を顰めて立っていた。


「また熱が上がっている。いい加減、私の言うことを聞いてもらうからな。そろそろ部屋に戻るぞ」


「ミア、サヴィ、私の背中にマヒロさんを乗せるのを手伝ってくれるかい?」


 リックが今朝と同じように傍にしゃがみ込んだ。マヒロは「大丈夫だ」と言ったが、一向に立ち上がろうとしない様子をみるに、多分、大丈夫じゃないのだ。


「父様、変な意地張ってないで、ほら、リックに乗って」


 サヴィラが急かすとマヒロは渋々、リックの背に腕を伸ばした。エドワードとレイが脇を支えてサヴィラもその背に手を添えて父をリックの背に乗せた。その間、ナルキーサスがイチロに薬の調合についての指示を出す。


「パパ、立てないの? 大丈夫?」


「ちょっと今は立ちたい気分じゃなかっただけだ」


 心配そうなミアにリックの背に乗せられた父が答える。もうちょっとマシな言い訳はないのかな、と思いながらサヴィラはミアと手を繋ぐ。テディが父とリックを交互に見てオロオロしている。こちらにやって来たカロリーナが慰めるようにテディの頭を撫でた。


「神父殿、イチロ殿、私は本部に戻って無事発見の報せを入れて来ます。そのまま通常業務に戻りますがよろしいですか」


「もちろんです。今日は仕事にならないので、今度の休日に出勤するので僕はこのまま屋敷に残りますね」


「俺もソニアのところに行って、見つけたって言って来る」


「レイさんもありがとうございました」


 レイはひょいと肩を竦めるとカロリーナと共に一足先に教会を出て行く。


「エディさんも一度、本部に戻って僕の分の書類を持ってきてもらっていいですか?」


「了解」


 エドワードもまたカロリーナたちを追いかけるように出て行く。サヴィラはミアと手を繋ぎ、リックの後ろをついて行く。


「キース先生、パパ治る?」


 隣を歩くナルキーサスをミアが見上げる。ナルキーサスは、ぱちりと目を瞬かせた後、ふっと優しく笑った。


「大人しく寝ていれば治るから大丈夫だ。安心するといい」


 こくりとミアが頷く。ナルキーサスの手がミアの小さな頭を優しく撫でた。

 教会の外はやっぱりまだ雨が降っていて、イチロが魔法で作ってくれた大きな水の傘の下をサヴィラたちは足早になって屋敷へと急いだのだった。





後編2へ続く

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