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俺がこの剣を抜くときは魔王を倒すときだと決めている  作者: ふるかわゆう


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第五話 臆病者と魔法使い

エルム村のみんなには、別れを告げた。


十五年間、ずっとこの村で過ごしてきたアルトにとって、みんなとの別れは、正直辛いものだった。


アルトは村を背に、一人歩き始めた。


村を出てしばらく進むと、周囲の景色が少しずつ変わっていった。


村の中ではきれいに整えられていた道も、外へ出れば土と小石が混じった簡素な道へと変わる。


道の両側には背の低い草が生い茂り、その向こうには木々が広がっていた。


風が吹くたび、葉が擦れ合う音が聞こえてくる。


道を歩き始めてから、まだ誰ともすれ違っていない。


アルトは、そんな道を一人で歩いていた。


「……」


村にいた頃は、誰かの話し声や生活の音が当たり前のように聞こえていた。


けれど、今は自分の足音ばかりが耳に入ってくる。


アルトは、少しだけ心細くなった。


「……初めての外の世界、か」


そう呟いてみたものの、まだ村を出てから、それほど遠くまで来たわけではない。


振り返ると、まだエルム村の正門が見えた。


アルトは歩きながら、ふと足を止めた。


「でも、エルム村って結界がかなり強いんじゃなかったか?」


そういえば、村全体を覆う強力な結界が張られている。


その結界があるからこそ、アルトは十六年間、一度も魔物を見たことがなかった。


「て……ことは」


アルトはゆっくりと周囲を見回した。


「今、俺がいる場所って……危険なんじゃ……」


そのとき――


ガサッ。


「……ん?」


森の茂みが揺れた。


「……」


アルトの足が止まる。


風が吹いているわけでもない。


何かが、茂みの向こうにいる。


アルトは息を潜め、じっと茂みを見つめた。


「…………」


ガサッ。


再び、茂みが揺れた。


アルトの喉が、ごくりと鳴った。


「……な、なんだ……?」


一歩、後ずさる。


すると――


茂みの隙間から、二匹の獣が勢いよく飛び出してきた。


四本の脚で地面を蹴り、あっという間にアルトの目の前まで迫る。


「……っ」


アルトの身体が、びくりと震えた。


目の前にいる二匹の獣。その全身は、くすんだ灰褐色の毛に覆われていた。


胴体や脚には、不規則な黒い斑点がいくつも浮かんでいる。背中に向かうにつれて毛の色は濃くなり、首から背中にかけては、少し長い毛が逆立つように生えていた。


二匹の獣は、鋭い黄色の目でアルトを睨みつけている。


頭は身体に比べて大きく、頭頂部には丸みを帯びた小さな耳が付いていた。


大きく開かれた口には鋭い牙が並び、口の端からは紫色の涎が糸を引いて垂れている。


ぽた……。


地面に落ちた涎が、草に触れた。


ジュッ――。


「……え?」


アルトは目を見開いた。


涎が触れた草が、音を立てて溶けていく。


「……な、なに……」


二匹の獣が、低く唸った。


「ヴゥゥゥ……」


「ヴゥゥゥ……」


その声を聞いた瞬間、アルトの顔から血の気が引いた。


目の前にいる。


自分が十六年間、一度も見たことのなかった存在。


――魔物だった。


アルトは、魔物について本で読んだことがあった。


とはいっても、ほんの少しだけだ。


どんな姿をしているのか。


どんな魔物が人に危害を加えるのか。


そんな基本的な知識すら、アルトはほとんど持ち合わせていなかった。


ただ、怖かったのだ。


魔物について詳しく知ろうとすることさえ、避けてきた。


だが、目の前にいる魔物は違う。


鋭い牙を剥き出しにし、紫色の涎を垂らしながら、こちらを睨みつけている。


どう見ても、友好的な相手ではない。


(まさか……俺を餌にするつもりなのか?)


軽い朝食にでもするつもりなのだろうか。


どちらにしても、命の危険が迫っていることだけは間違いなかった。


「……ここから逃げなければ、殺される」


アルトの頭には、村で過ごしてきた日々が走馬灯のように駆け巡った。


「ああ……さっき村を出たばかりなのに、もう俺の冒険は終わりなのか……」


逃げなければ。


そう思うのに、足が地面に張りついたように動かない。


身体は震え、完全に固まってしまっていた。


「まずは噛みつかれて……あの涎で溶かされるんだろうな……」


アルトは、そんなことを考えていた。


一瞬だった。


瞬きをした、そのわずかな間に――二匹の魔物が牙を剥き、アルトに襲いかかっていた。


その瞬間――


「――ヴェルフレイム」


アルトの頭上で、二匹の魔物が一瞬にして炎に包まれた。


次の瞬間、魔物たちは無残にも焼き焦がされ、肉片となって飛び散った。


恐怖で頭を抱え、その場にうずくまっていたアルトの身体に、肉片がべちゃべちゃと降り注いだ。


「…………」


頭に、何かが落ちてきた。


「……え?」


アルトは、恐る恐る手を伸ばし、頭に触れた。


「…………」


手に付いていたのは、赤黒い肉片だった。


「…………」


アルトの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「…………」


そして――


アルトは、そのまま意識を失った。


───


「ねぇ、大丈夫?」


「ちょっとー、おーい。きみ、大丈夫ー?」


「え、まさか……死んだりしてないよね?」


聞き覚えのない女性の声が、ぼんやりと耳に届いた。


アルトは、ゆっくりと目を開けた。


仰向けに倒れたまま、ぼんやりと空を見つめる。


「うわっ!?」


ハッとして、勢いよく身体を起こした。


「……あれ?」


辺りを見回しながら、アルトは先ほどまでの出来事を思い返す。


そうだ。俺は魔物に襲われそうになって……。


突然、目の前が焼けるような光に包まれて――。


それから……。


肉片。


血。


脳裏によみがえった光景に、アルトの顔から血の気が引いた。


「うっ……おえっ……!」


アルトは、思わずその場で吐いてしまった。


「あらあら……大丈夫? きみ、私の治癒魔法が効いていないのかな?」


女性は不思議そうに首を傾げた。


「アリアレーヴ」


女性がそう呟くと、アルトの身体が緑色の光に包まれた。


全身に温もりが広がり、先ほどまでの不快感が少しずつ和らいでいく。


「……あれ?」


アルトは自分の身体を見下ろした。


まだ少しふらつくものの、先ほどよりもずっと楽になっていた。


「これで、少しは楽になった?」


女性は、ほっとしたように微笑んだ。


「あ、はい。ありがとうございます」


アルトは少し戸惑いながらも、頭を下げた。


「もしかして、俺をあの魔物から助けてくれたのは、あなたですか?」


「うん、そうだよ~。急に倒れちゃったから、びっくりしたよ」


女性は、にこっと笑った。


淡い金色の髪は肩より少し下まで伸びていて、風が吹くたびにふわりと揺れている。


穏やかな緑色の瞳に、柔らかな顔立ち。


白を基調とした衣装には金色の刺繍が施され、肩には白いケープを羽織っていた。


手には、先端に大きな緑色の宝石をあしらった杖を携えている。


年齢は、アルトより少し上だろうか。


「あの……あなたは?」


「ん? 私?」


女性は小首を傾げた。


「私はセレフィーナ・ルシエル。セレナって呼んでくれていいよ~」


「セレナさん、ですか」


「うん!」


「あ、先ほどは助けていただき、ありがとうございました。俺はアルト・クロードって言います」


「アルトくんって言うんだね。よろしくね~」


「でも、私が助けたっていうか……なんか、もう『死ぬ~!』って感じだったから、焼き尽くしちゃったけど……よかったのかな?」


「えぇ、そりゃあもう! あそこで助けてもらえなかったら、俺は死んでましたよ」


「そっか~。なら、よかった!」


セレナは、安心したように頷いた。


それから、アルトの背中に目を向けた。


「それにしても、アルトくんって剣士なの?」


「え?」


「背中に大きくてかっこいい剣を背負ってるから、そうなのかな~って」


「ああ……」


アルトは、少し気まずそうに頬をかいた。


「実は俺、さっき村を出たばかりなんです。初めての冒険で……」


「えっ?」


セレナは目を丸くした。


「さっき村を出たばかりって……アルトくん、歳はいくつなの?」


「十六です」


「じゅ、十六!?」


セレナは思わず声を上げた。


「十六歳で初めて冒険に出たの?」


「え? はい……そうですけど」


アルトは、なぜそんなに驚かれているのか分からず、首を傾げた。


「私が生まれ育ったところだと、もっと早くから冒険に出るのが普通だったから……。あんまり遅いと、周りからあれこれ言われちゃうんだよ」


「へえ……そうなんですね」


「うん。だから、ちょっとびっくりしちゃった」


セレナはそう言って、くすりと笑った。


「でも、なんで十六歳で冒険に?」


アルトは、エルム村で起きた出来事をセレナに話した。


門出ノ儀で聖剣を抜いてしまったこと。


そのせいで村中が大騒ぎになり、旅に出ることになったこと。


そして何より、魔物が怖くて、本当は冒険になんて出たくなかったこと。


セレナは、そんなアルトの話を興味深そうに聞いていた。


「それで、村を出てすぐに魔物に襲われそうになって……」


「いや、本当に死んだかと思いましたよ。ははっ」


アルトは、思い出すだけでも恐ろしい出来事を、まるで他人事のように笑って話した。


セレナは、呆れたように彼を見つめた。


「アルトくん、もしかして命知らずなの?」


「えっ?」


「だって、背中に背負ってる大きな剣も、腰に差してる剣も強そうなのに……」


「いや、俺は剣も使えないし、魔法もさっぱりダメで……」


アルトは苦笑いを浮かべた。


「魔物に襲われて、死んだかと思ったんでしょ?」


「そ、それは……」


アルトは気まずそうに視線を逸らした。


「……怖かったですよ。ものすごく」


「ふふっ。じゃあ、どうして笑ってるの?」


「いやぁ……生きててよかったなって」


「自分で無謀って分かってるなら、もう少し考えようよ……」


セレナは、呆れたように小さく息を吐いた。


アルトは乾いた笑みを浮かべた。


「でも、セレナさんの言う通り、聖剣を抜いたせいで村を出ることになって……まあ、無謀ですよね」


「ほんとだよ。ここら一帯には、さっき君が見た魔獣もいるし、ほかにも魔物がいるんだよ。危険なんだから」


「魔獣?」


アルトは不思議そうに首を傾げた。


「あれ? もしかしてアルトくん、知らない?」


「は、はい……。怖かったもので、それっきり魔物については何も学んでなくて……」


「それでよく冒険に出ようと思ったね……」


セレナは呆れたように苦笑した。


「なんだか、君のことが心配になってきたよ」


「うっ……」


アルトは返す言葉もなく、気まずそうにうつむいた。


しばらく考えたあと、意を決したように顔を上げる。


「俺、魔物のことを聞くだけでも、本当は怖いんです。でも、このままじゃ冒険なんてまともにできないので……セレナさん、よかったら教えてもらえませんか?」


「うん、もちろん。じゃあ、まずは――」


「あ、でも……!」


アルトは慌てて声を上げると、ぎゅっと目を瞑った。


「目は閉じててもいいですか!? 話はちゃんと聞くんで!」


セレナは一瞬きょとんとしたあと、思わず笑みをこぼした。


「ふふっ、いいよ。それじゃあ、まずは魔物と魔獣の違いから説明するね」


「魔物と魔獣って、違うんですか?」


「うん。一緒のように見えるけど、実はちょっと違うんだよ」


セレナはそう言うと、少し考えるように視線を上げた。


「簡単に言うとね――」


「魔獣は、獣や鳥、魚みたいに、生き物に近い姿をした存在だよ。普通の生き物にはない力を持っていたり、人を襲ったりするんだ」


「獣……ですか?」


「うーん……。あっ、そうだ。アルトくんの村にも、ミュルって生き物がいたでしょ?」


「ああ、いましたね。長い耳に、ふさふさした毛並み。季節によって毛の色が変わる、不思議な生き物ですよね。跳ねるときなんて、驚くほど高く飛ぶんですよ」


「そうそう! ミュルって可愛いよね~。もふもふしてて」


セレナはミュルを思い浮かべたのか、嬉しそうに微笑んだ。


「……で、そういう生き物が、普通の獣とは違う力を持っていたり、人を襲ったりするような存在が魔獣なんだよ」


「なるほど……」


「それに対して、魔物にはスライムみたいに、獣とはまったく違う姿をしたものもいるんだよ」


「へえ……。そんなのもいるんですね」


「うん。まあ、厳密に分けるのが難しいものもいるんだけどね」


セレナはそう言うと、ふと辺りを見渡した。


「あっ、そうだ!」


何かを思いついたように、セレナはぱっと顔を上げた。


「よし、じゃあアルトくんに問題!」


「も、問題ですか?」


突然のことに、アルトは戸惑った。


セレナは少し離れた場所に立つ、大きな木を指差した。


「ほら、あの木を見て」


アルトが目を向けると、太い枝の上に鳥の巣があった。


巣の中では、卵から孵ったばかりのような小さな雛鳥が、ピーピーと鳴いていた。


白いくちばしに、全身を覆う灰色のふさふさとした羽毛。まだ生まれたばかりなのか、どこか頼りない姿をしていた。


「さて、問題です! あの巣の中にいる雛鳥は、魔獣でしょうか? それとも普通の鳥でしょうか?」


アルトはしばらく雛鳥を眺めてから、セレナに答えた。


「セレナさん、あれはどう見ても普通の鳥だと思います」


「ほお~。アルトくん、じゃあ、あの木まで近づいて、一匹捕まえてきてくれる?」


「セレナさん、俺を舐めてもらっては困りますよ。俺だって、村で鳥くらい飼ってましたからね」


アルトはそう言って立ち上がると、尻についた土を払った。


(ふぅ……セレナさん、俺を見くびりすぎだぜ)


そんなことを考えながら、アルトは胸を張った。


そして、一歩、また一歩と、雛鳥のいる巣へ近づいていく。


一歩。


ぐぐぐっ。


巣の中の雛鳥が、ほんの少し大きくなった気がした。


また一歩。


ぐぐぐぐっ。


今度は、雛鳥の体が巣からはみ出しそうになっている。


「……あれ?」


見間違いだろうか。


(俺が歩くたびに、あの鳥、大きくなってないか?)


「……えっ、嘘だろ?」


アルトは目を凝らした。


さっきよりも、明らかに大きくなっている気がする。


「あれれ? 羽って、あんなに生えてたっけ?」


「あれあれあれ?」


「くちばし、あんなに黄色かったっけ?」


「羽も……あんなに青かったっけ?」


気づけば、アルトの目の前には、体長一・五メートルほどの鳥が四匹もいた。


全身を青い羽毛に覆われ、黄色く長いくちばしは、先端が鋭く尖っている。


四匹はそれぞれ、筋肉質な二本の足で木の枝をしっかりと掴み、鋭い目でこちらを睨みつけていた。


「あの~……セレナさん?」


アルトは恐る恐る振り返った。


「アルトくん、外れだよ」


セレナはにっこりと微笑んだ。

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