第三話 抜けちゃった
アルトとカミアは、クラウスの結末を見届けたあと、広場を後にした。
先ほどまで広場を包んでいた騒がしさも、少しずつ遠ざかっていく。
二人は並んで歩きながら、アルトの家へと向かった。
しばらく歩いたところで、アルトがぽつりと口を開いた。
「なあ、クラウスってすごいよな」
「そう? 私には全然、そうは見えないけれど」
カミアは、特に興味を示す様子もなく答えた。
「いやいや、だってあんなに長いこと聖剣を抜こうとしてたんだぞ?」
「……それのどこがすごいの?」
「だって普通、あんなに頑張れるか?」
アルトはそう言って、感心したように頷いた。
「俺なら途中で諦めるけどな」
「あんたは最初から諦めそうだけど」
「……まあ、それはそう」
アルトは素直に認めた。
「俺は何事もすぐ諦める性格だし、何もかも、やる前から無理って決めつけるんだ」
アルトは少しだけ俯きながら、続けた。
「だからさ。クラウスみたいに、あんな一つのことに夢中になれるっていうか……何かを極めようとしてる姿って、すごいなって思うし、かっこいいと思うんだ」
「だって、俺より一つ歳が上なだけで剣豪なんだぜ?」
「まあ、あんたよりはみんな凄い人ばかりかもしれないわね」
「あとそれに、あんたの性格は前から知ってる」
カミアは、くすっと笑った。
「ひどいな……」
アルトは苦笑しながら、頭を掻く。
「でも、まあ……否定はできないけど」
「でしょう?」
カミアは楽しそうに笑いながら、アルトの隣を歩いていく。
「でも……あんたはあんたで、良いところもあるんじゃない? 例えば……」
「例えば……?」
アルトは期待するように聞き返した。
カミアは何かを言いかけたが、ふとハッとしたように口を閉じた。
「……やっぱり、なんでもない」
「えぇ~?言いかけるくらいなら言えよな」
「うるさいわね。ほら、早く私についてきなさいよ」
「そんなこと言ったって、籠が重いし仕方ないじゃんか~。カミアがいっぱい魚を取るから」
アルトは背負った魚籠を揺らしながら、ぼやいた。
「情けないわね。そんなんじゃ強くなれないわよ」
「いやいや、魚を取りすぎたのはカミアだろ?」
「だって、そこに魚がいたから」
「理由になってないって……」
アルトはため息をつきながらも、重たい魚籠を背負ったままカミアの後を追った。
───
「ただいまー」
アルトが玄関の扉を開ける。
「おかえり。あら、アルト。随分と早かったじゃない」
母親が顔を出した。
「お邪魔します」
その後ろから、カミアがぺこりと頭を下げる。
「あら、カミアちゃん。いらっしゃい」
母親は笑顔でカミアを迎えた。
しかし、ふとアルトとカミアを交互に見て、首を傾げる。
「……ん?」
そして、アルトの背負っている魚籠に目を向けた。
「アルト。あんた、なんでカミアちゃんと一緒にいるの?」
「あ、母さん。うーん、たまたまカミアと居合わせて……」
アルトは苦し紛れに答えた。
「な? カミア」
「うん、そうだね。アルト」
カミアもすぐに頷いた。
「あら、そうだったのね」
母親は二人の話を聞いて、納得したように頷いた。
「カミアちゃん、息子に付き合わせて悪かったわね~」
「いえ、私は別に……」
「今日はこの子の誕生日だから、今日だけ許してあげて」
母親はそう言って、アルトを見る。
「明日からはちゃんと一人で行きなさいよ?」
「分かってるって」
「誕生日って、何でも許されるのか……やっぱりいいなぁ」
「調子に乗らないの」
「はい……」
アルトがしゅんとしたところで、母親がふと思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。二人とも、お腹空いてない?」
「……言われてみれば、空いたかもしれない」
アルトはそう言って、自分のお腹に手を当てた。
「カミア、空いてる?」
「ちょっとだけなら」
カミアも小さく頷いた。
「そう。じゃあ、何か作るから二人とも上がってなさい」
「え、大丈夫ですよ。そんな、ご飯までご馳走になるなんて……」
カミアが遠慮するように言う。
「いいのよ~。カミアちゃん、ご飯くらい食べて行きなさい。祭典が始まるまで時間あるんだから。それに、アルトがいつもお世話になってるからね」
「そんな……」
カミアは少し困ったように笑う。
「じゃあ……お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろんよ」
「じゃあ、一緒に食べようぜ」
アルトがそう言うと、カミアは小さく頷いた。
「うん。せっかくだしね」
昼ご飯は、いつもより豪華だった。
カミアがいるせいか、母親はいつも以上に料理を振る舞ってくる。
「これも食べなさい。あれもまだあるから」
「母さん、夕方から祭典があるんだから、そんなに食べたら入らなくなるって」
そう言っても、母親は聞く耳を持たない。
「いいから、いいから。せっかくカミアちゃんも来てるんだし、アルトもいっぱい食べなさい」
「あら、ところでカミアちゃん、今日は一段と可愛いわね」
「カミアちゃんは好きな子とかできたの?」
「あらやだ~顔赤くしちゃって可愛いんだから~」
「余ったら、お隣さんにあげればいいのよ」
あれもこれもと、次々に料理を出してくる。
そのうえ、話まで次から次へと飛んでくる。
母親とは、実に厄介なものだ。
───
夕方。
「もうこんな時間か」
「もう、そろそろ広場に行かないと遅刻するね」
「そういえばさ、アルト。今日、祭典で言う言葉、考えてきたの?」
「あ……全然考えてなかった……」
「だと思ったわよ」
カミアは呆れたようにため息をついた。
村を挙げて行われる祝いの祭典―― 門出ノ儀。
それは、少年から青年へと移る者たちの門出を祝う、エルム村の大切な日だ。
門出ノ儀では、青年となった者が村の皆の前に立ち、自らの決意を言葉にする。
それは、自分がもう子供ではないことを示し、一人前の青年として歩んでいくことを皆に伝えるためのものだった。
「まあ……なんとか言うよ。大丈夫」
アルトはそう言ったものの、どこか落ち着かない。
「本当に? 皆んなの前でつまんないこと言うんじゃないわよ、アルト」
「分かってるって……」
「ならいいけど」
カミアがそう言うと、アルトは小さく息を吐いた。
「……でもさ」
「なに?」
「みんなの前で話すんだろ?」
「そうだけど?」
「……俺、人前で話すの苦手なんだよ」
アルトは少し顔を引きつらせた。
「今からもう緊張してきた……」
アルトはそう言いながら、自分のお腹をさする。
「お腹痛くなってきたかも……」
「はあ、ほんとに……」
カミアは呆れたように息を吐いた。
そして次の瞬間――
バシンッ!
カミアはいきなりアルトの背中を、手のひらで強く叩いた。
「っ痛!!」
アルトは思わず前のめりになる。
「な、何すんだよ!」
「ほら、これで大丈夫だから」
「何が!?」
「緊張なんて吹き飛んだでしょ?」
「いや、背中が痛いだけなんだけど……」
「ほら、もう行くわよ」
「えぇ……まだ痛いんだけど」
「知らないわよ。早く来なさい」
カミアはそう言うと、さっさと歩き始めた。
「ちょ、待ってよ!」
アルトは慌てて、その後を追いかけた。
───
二人は駆け足で、会場となる広場へと辿り着いた。
広場は、朝に見たときとはまるで別の場所のようになっていた。
色とりどりの飾りがあちこちに吊るされ、村の中央には料理や酒が並べられている。
すでに多くの村人が集まっており、料理を囲んで酒を嗜みながら、あちこちで楽しそうな声が飛び交っていた。
エルム村の住人は、およそ百人。
そのほとんどがこの広場に集まっているのだから、普段よりずっと賑やかに感じられる。
アルトは、そんな広場を見渡した。
朝、ここを通ったときには、まだ何もなかった。
それが今では、村を挙げての祭りになっている。
いつもなら、自分はこうした祭りを見ている側だった。
皆が楽しそうにしているのを眺めながら、自分もその輪の中に混ざっている。
けれど今日は違う。
この祭りの主役の一人は、自分なのだ。
広場をカミアと歩いていると、すれ違う人たちが次々とアルトへ声をかけてきた。
「アルト、おめでとう!」
「え、あ……ありがとうございます」
少し歩けば、また別の村人が声をかけてくる。
「アルト、おめでとうな!」
「どうも……」
さらに向こうからも。
「アルト! 今日はめでたい日だな!」
「は、はい……」
アルトはそのたびに頭を下げる。
何度も、何度も。
最初のうちは普通に返していたが、こうも続くと、次第に居心地が悪くなってきた。
「……なあ、カミア」
「なに?」
「今日って、こんなに『おめでとう』って言われるもんなのか?」
「そりゃそうでしょ。門出ノ儀を迎えたんだから」
「いや、それは分かってるけど……」
アルトは周囲を見回した。
また誰かと目が合う。
「アルト、おめでとう!」
「……ありがとうございます」
反射的に頭を下げる。
顔を上げると、また別の人がこちらを見ている。
アルトはなんとなく落ち着かなくなり、首の後ろをぽりぽりと掻いた。
「……なんか、今日の俺、変じゃない?」
「別に変じゃないよ」
「でも、みんな俺を見るじゃん」
「そりゃ、今日からアルトは青年なんだから」
「……青年」
その言葉を聞いて、アルトは少しだけ複雑そうな顔をした。
昨日までと何も変わっていない。
なのに、今日からは村の中で一人前の青年として扱われる。
それがどうにも、まだ実感できなかった。
「……なんか、変な感じだな」
アルトはそう呟きながら、カミアの隣を歩いていった。
村の皆が、自分のためにここまで準備してくれた。
そう考えると、少しだけ照れくさい。
「……なんか、すごいな」
思わず、アルトは小さく呟いた。
「おお、アルトや来たか。」
エルム村、村長のシルバ•ジースだ。
白髪の生えた長い髭を揺らしながら杖をつきながら近寄ってくる。
「アルトよ、十六歳、おめでとう」
「ほほ、この前見た時よりか、ちと逞しくなったかの?」
「村長、全くそんなことはありませんよ」
「むしろ、退化してます」
「……退化?」
シルバは目を丸くした。
「はい。昔より怖がりになりました」
「ほっほっほ! それは逞しくなったとは言わんのう」
「ですよね」
アルトは妙に納得したように頷いた。
「お、そうじゃった。アルトよ、これを渡そうと思って来たのじゃよ」
村長はそう言うと、自らの服の中をゴソゴソと探り始めた。
「えーっと……どこじゃったかのう」
「あれ? ないのう……」
そう呟きながら、服の中から何やら次々と取り出していく。
「なんじゃこれは……」
「それ、いらない物まで出てきてません?」
「おお、そうじゃった。これは違う」
「絶対それも違うでしょ」
しばらく探したあと、村長はようやく何かを掴んだ。
「おお、あったあった」
「ほれ」
差し出されたのは、手のひらに収まるほどの正方形の鉄板だった。
表面には、文字が一つだけ刻まれている。
――アルト・クロード。
アルトの名が、はっきりと刻印されていた。
「これは……?」
アルトは鉄板を手に取り、まじまじと眺めた。
「これを村の門番に見せたら、いつでも一人で村の外に出られるぞ」
村長は、アルトの手にある鉄板を指差した。
「まあ、もう知ってはおると思うが確認の為に。十五歳までは親と同伴でないと村からは出られんようになっているのは知っておるな?」
「見ての通りじゃが、エルム村は結界が強く張られておる。魔物が村へ近づくこともない」
「じゃが、それゆえに幼い者で外に出ればそれこそ危険じゃ」
「しかし、この証を見せれば、もう誰の許可も必要ない」
「へえ……」
「もしかして、知らんかったのか?」
「……はい。興味がなかったもので……。」
「しかし、アルトよ」
村長はふと首を傾げる。
「わしの手違いであったらすまんが……お主、今まで村から出たことはあったかの?」
「いいえ! 一度たりともありません!」
アルトは胸を張って答えた。
「こわいですからね! 外は危険ですしね!」
なぜか誇らしげなアルト。
「ほほ……」
村長は長い髭を撫でながら、なんとも言えない顔でアルトを見つめた。
「……そうか」
「はい!」
アルトは満足そうに頷いた。
村長はそれ以上、何も言わなかった。
「アルトには、必要ないかもしれんの……」
村長がしみじみと呟く。
「カミアよ、これ、いるか?」
「欲しい!!」
カミアは食い気味に答えた。
「村長、早く私にもくださいよ!」
「ほほ……まだカミアには早いのぉ」
「えー、なんでですか!」
「まあ、世間話はこれくらいにして――」
村長は杖をつきながら、アルトへ向き直った。
「アルトよ、わしについてきなさい」
「え?」
「門出ノ儀を始める時間じゃ」
「……もう?」
アルトの顔が、わずかに引きつった。
「……やっぱり緊張してきた」
「さっき背中叩いたでしょ」
カミアが呆れたように言った。
「それとこれとは別だよ……」
───
村長に連れられ、アルトは広場の中央へと向かった。
そこには、いつの間にか木で組まれた小さな壇が用意されていた。
門出ノ儀のために作られた、簡素な舞台だ。
その周囲を囲むように、村人たちが集まっている。
アルトは村長に促され、壇の上へと上がった。
カミアは壇のすぐ下に残り、アルトを見上げている。
「…………」
壇の上から広場を見渡す。
見慣れた顔ばかりだった。
いつも顔を合わせている村の人たち。
それなのに、こうして全員から見られていると、どうにも落ち着かない。
アルトは思わず視線を逸らした。
――そのときだった。
ふと、正面に目を向ける。
壇から少し離れた場所。
そこには一本の剣が立てられていた。
鞘に収められたまま、台座に固定されたように置かれている。
エルム村の名物。
これまで何人もの人間が挑み、それでも誰一人として抜くことのできなかった聖剣。
壇の上に立ったアルトからは、その姿がよく見えた。
「では、ワタシから。おほん。」
村長は壇上のアルトへ向き直った。
「アルト・クロード。無事に青年を迎えることができ、本当におめでとう」
広場に集まった村人たちも、静かにアルトを見つめている。
「君の母親も、とても嬉しく思っていることじゃろう」
その言葉に、アルトは母親へと目を向けた。
母親は少し離れたところで、手拭いを目元に当てている。
「……」
どうやら、泣いているらしい。
村長は続ける。
「君も、これまでいっぱい苦労したことじゃろう」
「そして――幼い頃からではあるが、父親なしで……」
そこまで言ったところで、村長はふと口を閉じた。
母親へ視線を向ける。
「……すまん。今のは、よしておこう」
村長はそれ以上触れず、小さく咳払いをした。
そして、改めてアルトへ向き直る。
「さて、アルトや」
「そなたは今日、青年になった」
「これから先、何を目指す?」
村長の問いかけが、広場に静かに響いた。
アルトはしばらく黙っていた。
百人近い村人たちの視線が、自分に集まっている。
壇の下では、カミアも黙ってアルトを見上げていた。
「……俺が、目指すもの……」
エルム村からは、これまでにも様々な分野で名を残す者たちが生まれてきた。
剣の道を極め、名のある剣士となった者。
武を極め、強者として名を轟かせた者。
村を出て旅に出た者。
自らの手に職をつけ、外の町で一流の職人となった者。
中には、外の世界へ出て仲間を集め、冒険者となった者もいる。
ギルドを立ち上げ、多くの冒険者たちを束ねるまでになった者さえいた。
エルム村は、決して大きな村ではない。
それでも、なぜかこの村からは、様々な分野で才能を開花させる者が現れてきた。
だからこそ、門出ノ儀は村にとって大切な日なのだ。
青年となった者が、これから何を目指し、どんな道を歩んでいくのか。
それを、村のみんなに伝える日。
そして今――
村人たちの視線は、壇上に立つアルトへと集まっていた。
「あの……」
アルトは少し俯きながら、口を開いた。
「今日は、ありがとうございます」
「俺のために、ここまでしてくれて……」
アルトは広場を見渡した。
自分のために飾り付けられた広場。
集まってくれた村人たち。
そして、目元を手拭いで拭っている母親。
「将来については……まだ、何も決めてません」
アルトは少し間を置いた。
「自分のやりたいこととかも、特にないです」
壇の下から、静かに自分を見つめる村人たち。
アルトは少しだけ困ったように笑った。
「俺は……普通に生きられたら、それでいいかなって」
「ほっほっほ。アルトらしいのぉ」
村長は、穏やかな笑みを浮かべた。
「まだまだ先は長い。焦る必要などない」
「これからゆっくりと、自分の進む道を探していけばよい」
「……はい」
アルトは小さく頷いた。
村長の言葉に、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
――すると突然。
「アルト!」
広場に、鋭い声が響いた。
アルトは声がした方を見る。
聖剣の横には、腕を組んだクラウスが立っていた。
「それは男として情けねえぞ」
「……クラウス?」
クラウスはアルトを真っ直ぐ見据えていた。
「何にもならなくていいのか?」
「このまま、こんなちっせえ村で生きて、それで満足できるってのか?」
アルトは何も答えられなかった。
クラウスは、さらに言葉を続ける。
「確か、お前の親父――ダンジョンに行ったきり、パーティー諸共全滅して帰ってきていないんだってな」
「…………」
その言葉に、アルトの表情が固まる。
クラウスは口元を歪めた。
「くくく……」
「そりゃお前、あんな負け犬みてえな親父からは――」
「負け犬しか生まれねえよな」
広場が、しんと静まり返った。
誰も口を開かない。
アルトは、ただクラウスを見つめていた。
言われるがままだった。
クラウスの言葉に、何一つ言い返せなかった。
確かに、自分には何かを極めようとする気持ちもない。
外の世界へ出ようとも思わない。
だけど――
「……俺は……」
アルトは拳を握った。
悔しかった。
心の底から、悔しかった。
「うん。俺は……」
何かを言おうと、顔を上げた。
その瞬間だった。
アルトが瞬きをする。
ほんの一瞬。
次に目を開けたときには――
「……え?」
クラウスとカミアの剣が、目の前で交わっていた。
キィィン――!
鋭い金属音が、広場に響き渡る。
一体、いつの間に。
アルトには、二人が動いた瞬間すら見えなかった。
周囲にいた村人たちは、突然の出来事に悲鳴を上げた。
「きゃあっ!」
「危ない!」
「離れろ!」
皆が一斉に二人から距離を取る。
さっきまで酒や料理を囲んでいた人々も、慌ててその場から逃げていく。
広場の中央に残ったのは――
剣を交えたクラウスとカミア。
そして、そのすぐ近くに立つアルトだった。
「…………」
アルトは目の前の光景を呆然と見つめていた。
何が起きたのか。
なぜ、突然二人が剣を交えているのか。
アルトには、まだ理解できていなかった。
カミアは、クラウスの言葉を聞いていた。
アルトを侮辱する言葉。
それだけは、どうしても許せなかった。
普段なら、アルトの情けなさに呆れることもある。
からかうことだってある。
けれど――
「……あんたに、アルトの何が分かるのよ」
「これ以上、アルトのこと言ったら……私が許さないから」
カミアは剣を構えたまま、クラウスを睨みつけていた。
その声には、先ほどまでの軽さはなかった。
クラウスもカミアを睨みつける。
「おいおい、誰に向かって口聞いてんだ、剣術見習いが」
クラウスが一歩、前へ出る。
「……殺すぞ」
その言葉に、アルトの顔が引きつった。
「えっ……」
思わず一歩、後ずさる。
怖い。
クラウスは本気だ。
目の前で剣を構える二人を見ているだけで、足が震えてくる。
「カ、カミア……」
アルトは恐る恐る声をかけた。
「もう、いいから……」
けれど、カミアはクラウスから目を逸らさない。
「……嫌よ」
「でも……!」
アルトは二人の間に入ろうとして――
「ひっ……!」
クラウスが剣をわずかに動かしただけで、反射的に足を止めた。
「…………」
アルトはその場で固まった。
怖い。
それでも、このまま二人が戦うのは嫌だった。
「二人とも、やめんか――!!」
村長の怒号が、広場に響き渡った。
先ほどまで騒然としていた村人たちも、一瞬で静まり返る。
クラウスとカミアも、互いに剣を構えたまま動きを止めた。
「ここは門出ノ儀の場じゃぞ!」
村長は杖を強く地面に打ちつけた。
「祝いの日に、何をしておる!」
広場に、重い沈黙が落ちた。
クラウスは舌打ちをした。
「チッ……」
そして、アルトへと視線を向ける。
「なあ、アルト」
「お前、前々から思ってたんだがよ」
「その馬鹿女とつるんでて、いつも守られてんだろ?」
クラウスはカミアを一瞥する。
「恥ずかしくねえのか?」
「俺はよぉ、てめぇみてえな情けねえ男が心底嫌いでよ」
「見てるだけで虫唾が走るんだよ」
アルトは何も言えなかった。
クラウスはさらに一歩、アルトへ近づく。
「アルトよぉ……俺が羨ましいだろ?」
「強くて、何でもできる俺がよ」
「お前とは正反対だ」
クラウスは口元を歪めた。
「なあ、アルト」
「俺に勝ってるところなんて――お前にあんのかよ?」
クラウスの言葉が、頭の中を何度も巡っている。
――俺に勝ってるところなんてあんのかよ?
「…………」
アルトは俯いた。
何も思いつかなかった。
剣も得意じゃない。
魔法も使えない。
何かに夢中になったこともない。
外の世界へ出たいと思ったこともない。
「……ないよ」
アルトは小さく呟いた。
「俺には……クラウスに勝ってるところなんて、たぶんない」
アルトは顔を上げた。
「でも――」
アルトは拳を握った。
クラウスを真っ直ぐに見つめる。
「俺はまだ、何もしてないんだから」
アルトは一度、息を呑んだ。
そして――
「俺が、唯一クラウスに勝てることならあるよ!」
言い切った瞬間。
アルトの頭の中に、嫌な想像が浮かんだ。
――いや、待て。
もし今、クラウスに向かっていったら。
たぶん、一瞬で斬られる。
そもそも俺、剣なんてまともに扱えないし。
妙なはったりで誤魔化そうとしても、クラウスならすぐに見抜くだろう。
「…………」
アルトの額に、じわりと汗が浮かぶ。
――どうしよう。
勢いで言っちゃったけど、これ……どうすればいいんだ?
そして、アルトは思いついた。
「そうだ!」
突然、アルトはカミアを振り返った。
「カミア! ごめん! クラウスをなんとかして!」
「え!?」
「ちょっと、アルト! あんた今、何を――」
「お願い!」
アルトは必死だった。
何をどうすればいいのか、自分でもよく分かっていない。
ただ――
このまま自分が戦うよりは、カミアに任せたほうがいい。
その判断だけは、間違っていなかった。
「もう! 分かったわよ!」
カミアは剣を握り直す。
そして、状況がよく分からないまま――
再びクラウスへと斬りかかった。
言い切った。
――言い切ってしまった。
その瞬間、アルトは走り出した。
「アルト!」カミアが声を上げる。
その声を背に、アルトは必死に走った。
――クラウスに勝てるところ……。
走りながら、必死に考える。
こわい。
逃げたい。
殺される。
何で俺がクラウスに……。
無理だ。
絶対無理だ。
俺なんかが勝てるわけない。
カミア、ごめん。
でも、ありがとう。
母さん……ありがとう。
こんな息子で、ごめん。
ああ、嫌だ。
死にたくない。
こんなことなら、青年なんかになりたくなかった。
俺はただ、普通に暮らしたかっただけなのに。
誰もが平和に安心して暮らせる世界がいいなぁ……。
そんなことを考えながら、アルトは聖剣のもとへ駆けていった。
そして――
聖剣の目の前まで来る。
アルトは、目の前に立つ聖剣を見つめた。
これまで、何人もの人たちが挑んできた。
クラウスもだ。
それでも、今まで誰一人として抜くことのできなかった聖剣。
けれど――
この聖剣を、自分が抜くことができるのだろうか。
アルトは、聖剣を見つめた。
――唯一、クラウスに勝てること。
これだけは、クラウスにもできなかった。
アルトは、聖剣の柄に手をかけた。
そして――
地面に突き立つ、鞘に収められた聖剣を――
下から上へ、一気に引き抜いた。
「え……?」
「抜けちゃった……」




