第二話 諦めない男
そうして、二人はエルム村を少し離れたところにある、山間の川へやってきた。
片手には、今にも折れてしまいそうなボロボロの釣り竿。
「……これ、本当に大丈夫かな」
アルトは不安そうに釣り竿を見つめた。
そしてカミアはというと――
片手に短剣を握っていた。
釣り竿など持ってはいない。
魚を取りに来ただけとは思えない、かなり物騒な代物である。
「……」
アルトは、隣を歩くカミアの手元をじっと見つめた。
「なあ、カミア」
「なに?」
「その手に持ってるのは……なんですか?」
「見れば分かるでしょ。剣よ」
「あの、カミアさん? それはどうやって使うのでしょうか?」
「今日は釣りに……」
「分かってるわよ、そんなの。決まってるでしょ!」
カミアは短剣を掲げる。
「これで魚を狙って、捕まえるのよ!」
「……」
アルトは、しばらく短剣を見つめた。
「それ……釣りって言うの?」
「細かいことはいいの!」
「いや、かなり大事なことだと思うけど……」
「前にもあんたに言ったことあると思うけど、私は魔法はあんまりだから、剣術はお手のものなのよ」
カミアは得意げに短剣を見せた。
「す、すごいです! カミアさん。だったら僕は、そこの木陰で昼寝でも……」
カミアがアルトをじっと睨みつける。
「……」
「嘘、嘘、嘘!」
アルトは慌てて両手を振った。
「そんな滅相もございませんよ、カミアさん! 大丈夫です。ちゃんと手伝います!」
そんな話をしながら、二人は川へと辿り着いた。
「さーて、魚釣るわよ、アルト」
カミアに言われ、アルトは釣り竿を手に取った。
針には、幼虫を餌としてつけてある。
「よいしょっと」
アルトは釣り竿を振り、仕掛けを川へと投げ入れた。
ぽちゃん。
「暇だなあ……」
川面を眺めながら、アルトはぼんやりと呟く。
「にしても、平和だなぁ」
川のせせらぎが聞こえる。
木々の葉が風に揺れ、心地よい音を立てている。
「なんとも心地いい……」
アルトがそう思った――その瞬間。
バッシャァァァン!!
真正面で、特大の水飛沫が上がった。
「ええええええ!?」
アルトの目の前で、魚が数十匹、宙を舞った。
バシャバシャと水面を跳ねた魚たちは、そのまま死体となって水面に浮かび上がってきた。
「……え?」
アルトが呆然としている横で、カミアは魚籠を背負い、ズボンの裾を太ももまで捲り上げる。
そして――
ズンズンと川の中へ入っていった。
「……」
カミアは何の迷いもなく、水面に浮かんでいる魚を拾い上げていく。
一匹。
また一匹。
拾った魚は、そのまま背中の魚籠へ。
まるでゴミ拾いでもするかのように、次々と魚を魚籠へ放り込んでいく。
「……」
アルトは、その光景を呆然と眺めていた。
「……これ、釣りって言うの?」
「カミアさん……?」
「ん?」
カミアが振り返る。
「もう終わったわよ、アルト。帰るわよ」
「…………」
アルトは、魚籠いっぱいに詰め込まれた魚を見つめた。
「……釣りって、なんだっけ」
アルトは思った。
――もう二度と、この少女を怒らせてはいけない。
心の底から、そう思った。
予定していた時間よりも、大幅に早く魚を取り終えてしまった。
大量の魚が入った魚籠は、アルトが背負っている。
「重い……」
「何言ってんのよ。あんたが持ちなさいよ、男なんだから」
「うぅ……」
アルトは重そうに魚籠を背負いながら、カミアと並んで歩いていた。
隣を歩くカミアは、どこか上機嫌だった。
口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいる。
時折、アルトのほうをちらりと見ては、得意げに胸を張る。
「ふふん……」
その足取りは、いつもより軽かった。
───
二人がエルム村へ戻ると、村の広場では、すでに祭りの準備が始まっていた。
村人たちはテーブルや椅子を運んだり、料理を並べたり、広場を飾りつけたりしている。
いつもは静かな広場が、今日は多くの人で賑わっていた。
「おお……」
アルトは魚籠を背負ったまま、広場を見渡す。
すると――
広場の中央に、一際目立つものがあった。
一本の剣が、鞘に収まったまま地面に突き刺さっている。
聖剣。
白銀の鞘には細かな金の装飾が施され、中央には見たこともない紋章が刻まれている。
柄もまた白銀と金を基調としており、柄頭には淡く光を放つ青い宝石が埋め込まれていた。
長い年月が経っているとは思えないほど、その姿は美しく、どこか神々しい。
魔王討伐後、天空から落ちてきたとされ、そのままエルム村の大地に突き刺さったのだという。
それ以来、長い年月を経てもなお、聖剣は誰にも抜かれることなく、この場所にあり続けている。
聖剣の周囲には花が植えられ、近くには花束や果物などが供えられている。
村人たちはその前を通るたびに、軽く頭を下げる。
この村にとって聖剣は、ただの武器ではない。
魔王を討った勇者の証。
そして、平和をもたらした象徴。
長い年月の間、村人たちに大切にされてきた、いわば村の守り神のような存在だった。
――しかし。
そんな聖剣には、もう一つの顔がある。
「お、今日も誰か挑戦してるぞ」
「今度こそ抜けるかねぇ」
広場の一角では、村人たちが聖剣の周りに集まっていた。
どうやら、誰かが聖剣を抜こうとしているらしい。
実はこの聖剣。
抜こうとすること自体は、誰でもできる。
これまでにも、エルム村の屈強な男たちはもちろん、隣町や他の村からわざわざ訪れてまで、聖剣を抜こうと挑戦する者が何人もいた。
だが――
今まで、誰一人として抜くことはできていない。
いつしかそれは、エルム村の名物の一つになっていた。
「ぐぐぐぐぐっ……くう~!! 抜けねえ!!」
一人の青年は、聖剣の柄を両手で握り締めていた。
足を踏ん張り、身体を後ろへ反らす。
鍛え上げられた腕に力を込め、歯を食いしばる。
「おおおおおおおっ!!」
それでも――
聖剣は、ぴくりとも動かなかった。
「……はぁ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、ゆっくりと手を離した。
「……またか」
誰かが呟く。
「あいつ、またやってるわね」
隣にいたカミアが、呆れたように呟いた。
聖剣に挑戦するのは、これが初めてではない。
何度も。
何度も挑戦している。
力を込めても。
握り方を変えても。
身体の使い方を工夫しても。
どれだけ鍛錬を積んでも。
結果は、いつも同じだった。
聖剣は――
ぴくりとも動かない。
それでもクラウス•アルバートは、諦めなかった。
アルトより一つ上の十七歳。
ツンツンと跳ねた髪に、吊り上がった目。
同年代の少年より一回り大きな身体つきで、肩幅も広い。
腕や胸元には、日々の鍛錬で身についた筋肉がついている。
立っているだけでも周囲より頭一つ分ほど高く、その姿には十七歳とは思えない迫力があった。
普段から眉間に皺を寄せていることが多く、近寄りがたい印象を与える。
だが、その鋭い目はただ人を睨みつけているわけではない。
剣を握った瞬間には、その視線がさらに鋭くなる。
クラウスは、村の中でもひときわ目立つ存在だった。
剣の腕前、力、そして戦いにおける判断力。
どれを取っても、村の中では抜きん出ている。
そしてクラウスは、十七歳にしてすでに――剣豪の称号を得ていた。
さらに、アルバート家は代々続く剣士の家系だった。
父親もまた、かつて名を馳せた剣士。
剣士には、いくつかの階位がある。
剣士、剣術士、剣豪、剣聖、剣王、そして――
クラウスの父は、かつてその中でも剣聖まで上り詰めたのだとか。
剣聖――。
そのさらに上にある剣王へと、いずれは届くのではないか。
そう誰もが思っていた。
だが、父親はある日を境に、剣士の道を捨てた。
自らの片腕を切り落としたのだ。
それ以来、二度と剣を握ることはなかった。
そんな父を持つクラウスにとって、聖剣を抜くことはただの遊びではなかった。
父を超える。
いつか自分も、そのさらに先へ行く。
そのためにも――この聖剣を抜きたかった。
「……まだだ」
クラウスは聖剣を睨む。
「俺は、まだ諦めねえからな」
そう言って、再び柄へ手を伸ばした。
「おい、クラウス! 今日はもうやめとけ!」
「うるせえ!」
「何回やってんだよ!」
「何回でもやるんだよ!」
村人たちから笑い声が上がる。
笑われようが、馬鹿にされようが関係ない。
父を超える。
そのために、ここまで鍛えてきた。
聖剣を抜けないままでは、終われない。
クラウスは柄を強く握り締めた。
その光景を、少し離れた場所からアルトは眺めていた。
「……すげえな」
アルトは素直にそう思った。
クラウスは、自分とは違う。
強い。
努力もする。
何度失敗しても、また挑戦する。
だからこそ――。
アルトは、聖剣へと視線を向けた。
「まあ、クラウスでも抜けないんだ」
あれだけ強いクラウスが、何度挑戦しても抜けない。
だったら――。
「……俺がやっても、無理だろ」
「てか、痛そうだし、やらない」
その瞬間――。
ズズッ……。
聖剣の鞘が、ほんの少しだけ地面から動いた。
「おおおおっ!」
村人たちから、一斉に歓声が上がる。
「いけるぞ、クラウス!」
「動いたぞ!」
「あと少しだ!」
クラウスは目を見開いた。
「……動いた……?」
確かに、今。
聖剣が――動いた。
クラウスは柄を握る手に、さらに力を込めた。
「うおおおおおお!!!」
全身の力を腕へと込める。
肩が震える。
足が地面に食い込む。
「ぐっ……! うおおおおおっ!」
聖剣は――動かない。
ほんの少し浮いたように見えた鞘も、再び地面へと沈み込んでいた。
「くっ……そぉ……!」
クラウスは歯を食いしばる。
それでも、手を離さない。
「まだだ……!」
力を振り絞る。
だが――。
聖剣は、抜けなかった。
地面へと倒れ込んだクラウスは、荒い息を吐きながら天を仰いでいた。
「……くそっ」
「……また……挑んでやる……」
「次こそは……必ず……」
握り締めた拳が、わずかに震えている。
何度も挑戦した。
それでも――届かなかった。
「ま、無理でしょうね。私はわかってた」
カミアは腕を組み、鼻を鳴らした。
「私が試してダメだったし。あいつなら、なおさら無理よ」
「ふん!」
カミアはそっぽを向いた。
その言葉に、アルトは心の中で呟く。
「俺はあんなの、挑戦もしたくないけどね!?」




