第九話 決闘
アルトは、セレナの言葉に耳を疑った。
(……え? いま……なんて?)
「アルトくんは、あなたと決闘します」
セレナは、迷いのない口調でそう告げた。
「そうか、わかった。仲間の姉ちゃんがそこまで言うなら、やろうか」
ドランは、あっさりと決闘を了承した。
「楽しみになってきたな」
ドランは口元に笑みを浮かべ、アルトを見据えた。
カウンターの向こうから、女性職員が声をかけた。
「えーっと、お客様……」
二人が振り向くと、女性職員は困ったような笑みを浮かべていた。
「冒険者同士で決闘をなさるのでしたら、ギルド内での決闘は禁止されていますので……。申し訳ありませんが、外でお願いできますか?」
「チッ、わかったよ」
ドランは舌打ちすると、アルトに鋭い視線を向けた。
「先に外で待ってるからよ。さっさと来いよ」
そう言い残し、ドランは仲間たちを引き連れてギルドの外へと向かった。
その様子を見ていた冒険者たちも、決闘を見物しようと次々に席を立ち、彼らの後に続いていった。
「ちょっと! セレナさん! どういうことですか? 俺はあの人と決闘なんてしたくない!」
「うん、そんなことはわかってるよ。アルトくんが戦いたくないことくらい」
セレナは穏やかな表情で答えた。
「だけど、どうするの? このまま逃げるの? わたしはそれでも構わないけれど」
「それは……」
アルトは言葉に詰まった。
「それに、アルトくんが聖剣を抜いてからというもの、やっぱり噂が少しずつ広まっているのかもね」
「町に入ってから、アルトくんがじろじろ見られていたのも、そのせいだったのかもしれないね」
セレナは、アルトの背負った聖剣に目を向けた。
「その聖剣を持っているだけで、今回だけじゃなく、これから何度も決闘を申し込まれるかもしれないよ」
「そのたびに、アルトくんは逃げ出すの?」
「……」
「君は、冒険者になったんじゃないの?」
「……」
アルトは静かに目を閉じた。
(セレナさんの言う通りだ。ここで、あの人から逃げてどうする?)
(ここまで来て、今さら「決闘なんてできません。許してください」なんて言ったところで、聞き入れてもらえるはずがない。下手をすれば、殺されるか、奴隷にされるかの二択だろう)
(でも、どうやって戦えばいいんだ?)
(聖剣がある。……いや、ダメだ。剣なんてまともに振ったこともない)
(魔法は? ……ダメだ。使い方どころか、出し方さえわからない)
(ああ、なんて俺は怖がりで、情けなくて、臆病者なんだ……)
それ以上は、この先に待ち受ける恐怖で何も考えられなくなった。
アルトの頭の中は真っ白になり、瞳からはつーっと涙がこぼれ落ちた。
すると――
ポンッ。
セレナが、アルトの肩を軽く叩いた。
そして、その肩にそっと手を置くと、アルトの耳元に顔を寄せた。
「アルトくん、そんな顔しなくていいよ。アルトくんは、あんな男になんて絶対に負けないから。自信を持って」
「セレナさん……俺……あんな男と戦いたくないですよ。絶対に殺される……。聖剣だって奪われる……」
「大丈夫。そんなに震えるほど恐れなくてもいいから」
セレナは、アルトの顔を覗き込むようにして、優しく微笑んだ。
「怖いのはわかるよ。無理に平気なふりをしなくてもいいからね」
「で、でも……俺、本当に剣なんて振ったこともないんですよ……?」
「うん、知ってるよ。でもね、アルトくん」
セレナは少しだけ身をかがめ、アルトの目をまっすぐに見つめた。
「今は、何も心配しなくていいから。アルトくんは、アルトくんのままで大丈夫だよ」
「セレナさん……」
「わたしが近くで見てるから。何かあったら、ちゃんと助けるよ。だから、そんなに怖がらなくても大丈夫」
「ほ、本当ですか? 俺が死にそうになったら、すぐ助けてくださいよ?」
「うん、わかったよ」
セレナは穏やかに微笑み、アルトの背中をそっと押した。
「さあ、行こうか、アルトくん。あんな奴、ぶっ飛ばそうよ」
「……はい」
アルトは濡れた目を袖でぬぐい、小さく返事をした。
そして、アルトは渋々とギルドの扉に手をかけ、重そうに押し開けた。
その先には、何十人もの見物客が集まっていた。
「おお! やっと出てきたぞ!!」
「よく逃げなかったな、坊主!」
「おお~! あいつが聖剣を抜いたっていう奴か~!」
「おい、あんなひょろっちい奴が本当に聖剣を抜いたのか?」
「聖剣を持ってるんだ。何かすげえ技でもあるんじゃねえか?」
「なんか、見るからに腰抜けそうだな? もう泣いてんじゃねえか? ははははッ!」
あちこちから、アルトを冷やかす声が飛んでくる。
「頑張れ~! 負けるな~!」
「お前に賭けてるんだぞ! いけ~!」
「何言ってんだ! ドランにあんな奴が勝てるわけないだろ~!」
「ドラン、そんな奴やっちまえ~!」
決闘を見物しようと集まった人々の間では、罵声や声援が飛び交っていた。
中には、どちらが勝つか賭けを始めている者たちまでいる。
思いがけず大勢の視線を浴びることになったアルトは、ますます顔を青ざめさせた。
(ああ、皆の視線が俺に……。やっぱり怖すぎる)
(冒険に出て、まだ数時間しか経ってないのに、こんなのってないよ……)
(今、すごく逃げ出したい……)
「すごいね、アルトくん。本当に人気者になったみたいだね?」
セレナは周囲を見回しながら、楽しそうに微笑んだ。
「もう、セレナさん! 今、そんな冗談を言ってる場合じゃないですよ!」
「ふふっ、ごめんごめん」
ドランはアルトとセレナの姿を見つけると、ニヤリと笑って声をかけてきた。
「よお、よく逃げずに出てきたな。それだけは褒めてやるぜ。自分から死にに来るなんて、いい度胸してるじゃねえか」
「……」
(はぁ……。本当に今から俺は、あの人と戦わなくちゃいけないのか。さっきから物騒なことばかり言ってるし……。それに、何あれ。剣、大きすぎるだろ……)
ドランは片手で大剣を握り、その切っ先を地面につけていた。
「おい、早くこっちまで来い」
「……はい」
アルトの返事は、観衆の歓声やざわめきにかき消された。
アルトは肩を落とし、トボトボとドランの待つ場所まで歩いていった。
二人が向かい合うと、観衆は左右に分かれるようにして集まっていた。ドラン側とアルト側、それぞれの後ろには人だかりができ、まるで両者を応援する陣営に分かれたかのようだった。
ドランは不敵な笑みを浮かべ、アルトを見据えた。
「俺は今まで、狩ってきた新人の数なんて覚えちゃいねえ。もっとも、俺より弱い奴がこの先も冒険者を続けられるとは思わねえがな」
ドランは口元を歪めた。
「巷じゃ、俺のことを『初心者殺し』なんて呼ぶ奴もいるが、あながち間違っちゃいねえ」
「俺は若い芽を摘む。弱い奴は徹底的に痛めつける。それが俺のやり方だ」
ドランは、アルトの背負う聖剣に目を向けた。
「それになあ、お前みたいな弱そうな奴に、その聖剣が抜けるわけないんだよ」
(……確か、前にも誰かにそんなことを言われたな)
アルトは、聖剣を抜いたときのことを思い出した。
「俺に渡せ。お前には似合わねえよ、聖剣なんざ」
「……」
アルトは何も言い返せなかった。
怖くて、声が出なかったのだ。
「なんとか言ったらどうなんだ、ガキ!」
「……」
「情けねぇ男だな、お前って奴は」
ドランは鼻で笑った。
「一発で仕留めてやるよ」
アルトは、ずっと下を向いていた。
まるで、自分自身を遠くから眺めているかのようだった。
(情けないよな、俺。何が冒険だ。なんで、少しでも外の世界に出て楽しいなんて感じたんだろう……。聖剣なんて抜かなければ、村から出ずに済んだのかな)
(でも……楽しかったなあ。村での生活も)
(たった数時間の冒険だったけど、死ぬ前に、セレナさんの言う通り、聖剣を抜いたことで有名になれたのかもしれない)
(ああ、そうか。セレナさん……)
下を向いていたアルトは、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、ずっと自分を見守っていたセレナの姿があった。
セレナはアルトと目が合うと、静かに頷いた。
その表情は、いつもと変わらない優しい笑顔だった。
――頑張って。
言葉にはされなかったけれど、アルトにはそう言われた気がした。
「さて、こんだけ人も集まったんだ。少しは俺を楽しませてくれよ? ガキ」
「おい、どうした? さっきから下を向いて突っ立ってるだけじゃねえか」
ドランは首を鳴らしながら、アルトに近づいていった。
「まさか、怖くて動けねえのか?」
「……」
アルトは後ずさりしながら、必死に言葉を探した。
しかし、ドランは待つつもりなどないらしい。
「もう、待ちくたびれたわ。じゃあな、クソガキ。聖剣もろとも頂いてやる。そっちが来ねえなら、こっちから行くぜ!」
ドランは地面を蹴り、一気にアルトとの距離を詰めた。
「ひえええっ!?」
突然の動きに、アルトは悲鳴を上げた。
ドランは大剣を振りかぶり、アルト目がけて勢いよく斬りかかった。その一撃は、空を真っ二つに切り裂くかのような迫力だった。
「うわあああっ!!」
アルトは反射的に両手を頭の上に掲げ、ぎゅっと目をつぶった。
(お、終わった……!)
斬られる。
そう思った、次の瞬間だった。
ガキィンッ!!
ドランの大剣が、分厚い何かに衝突したかのような鈍い音が響き渡った。
「ぐおおおっ!?」
突然、ドランの巨体が宙を舞った。
アルトの目の前を勢いよく飛んでいったドランは、少し離れた地面に激しく叩きつけられた。土煙が舞い上がり、その巨体は地面を転がっていった。
「…………え?」
アルトは恐る恐る目を開けた。
目の前にいたはずのドランが、いない。
代わりに、少し離れた地面にドランが倒れていた。
「……えええええっ!?」
アルトは慌てて周囲を見回した。
いったい何が起きたのか、まったく理解できなかった。
集まっていた野次馬たちも、何が起きたのかわからず、唖然としている。
(……え~!? 俺、なんかした!?)
(なんであの人、あんな遠くまで飛んでんの!? しかも、すごく痛そうだし……どういうこと!?)
倒れたドランを見て、周囲の野次馬たちが一斉にざわつき始めた。
「お、おい……今の見たか?」
「なんだ、いったい何が起きたんだ!?」
「確かに、あの男が斬りかかったはずだよな……?」
「なのに、なんであいつのほうが吹っ飛んでるんだ!?」
誰もが信じられないといった表情で、地面に倒れたドランとアルトを交互に見ていた。
一方、当のアルトはというと、両手を上げたまま呆然と立ち尽くしていた。
(……え? え? 俺、何もしてないよな?)
自分が何をしたのかさえ、まったくわからない。
アルトは恐る恐る、自分の両手を見つめた。
そのとき、土煙の向こうから男のうめき声が聞こえてきた。
「……ぐっ、くそっ。いてぇな……」
ドランは顔をしかめながら、ゆっくりと上半身を起こした。
その姿を見た野次馬たちが、再びざわめき始める。
「おい、あの男が起き上がったぞ……!」
「そりゃそうだろ。あの程度で倒れるような奴じゃねえ」
ドランは服についた土を払い落とすと、鋭い目つきでアルトを睨みつけた。
「てめえ……いったい何をしやがった?」
「えっ!? お、俺ですか!?」
アルトは目を丸くした。
「そ、そんなこと言われても……俺、何もしてませんよ!」
「ふざけんじゃねえ!」
ドランは怒鳴り声を上げると、地面に落ちていた大剣を拾い上げた。
「まぐれか何か知らねえが、次はそうはいかねえぞ!」
「ひいいっ! ま、まだやるんですか!?」
アルトは情けない声を上げ、じりじりと後ずさった。
周囲の冒険者たちは、先ほどとは違う目でアルトを見始めていた。
「なあ……あの坊主、本当に何者なんだ?」
「分からねえ。だが、あの一撃をまともに食らったようには見えなかったぞ……」
「いや、もしかして、俺らには見えないだけで、あの小僧、聖剣を抜いたんじゃないか?」
観衆の間では、さまざまな憶測が飛び交っていた。
先ほどまでとは違い、ドランが吹き飛んだことで、アルトの緊張と恐怖も少しばかり和らいでいた。
アルトは、おそるおそる口を開いた。
「も、もうやめませんか!? 吹き飛ばしたのはごめんなさい! でも、俺、何もしてないですよ!?」
「おい、あいつ、何もしてねえって言ってるぞ?」
「いや、絶対に嘘だろ。あいつ、本当は強さを隠してるだけかもしれねえぞ」
観客たちは、アルトの言葉を信じるどころか、ますます彼への疑いを深めていた。
「何もしてないだと? うるせえ! 今度こそ、その澄ました顔をぶっ潰してやる!」
ドランは剣を構え直すと、アルトに向かって駆け出した。
「ひいいっ! だから、俺は戦いたくないんですってばぁ!」
アルトは情けない声を上げながら、必死に逃げようとした。
しかし、ドランの足は速かった。
「逃がすかよ!」
ドランが剣を振り上げる。
アルトは反射的に身をすくめ、ぎゅっと目をつぶった。
(だ、誰か助けてぇぇぇ!!)
次の瞬間――。
ガキィィンッ!!
再び、金属が激しくぶつかり合う音が辺りに響き渡った。
「なっ……!?」
ドランはまたしても宙を舞い、勢いよく吹き飛ばされた。
何度も攻撃を弾き返されたせいか、ドランは相当なダメージを負っているようだった。
息を切らし、苦しそうに肩を上下させている。
(な、なんなんだよ、ほんとに……。俺、何もしてないのに、あの人が吹っ飛んでいくし……)
(……俺は何もしてない……。うん? 俺は何も……)
アルトは、ふとセレナの方を振り返った。
すると、セレナは満面の笑みを浮かべ、こちらに向かってピースサインを送ってきた。
「えっ、もしかしてセレナさん……」
「ふふっ……やっぱりアルトくんは面白いな~」
「セレナさん! 何が面白いんですかぁぁ!?」
「ほらほら、アルトくん、前、前! ドランが来てるよ」
「え?」
次の瞬間、ドランが再びアルトに斬りかかった。
「うわあああ!」
しかし、次の瞬間――。
ガキィィンッ!!
ドランの身体は、またしても勢いよく吹き飛ばされた。
「……ぐっ。くそっ! 俺の剣は弾かれるわ、攻撃だって当たりはしねえ……!」
(あのガキ、攻撃している素振りさえ見せてねえ……)
(なんなんだ、あのガキ……。俺に見えていないだけで、反撃でもしているのか?)
(くそっ、俺も相当ダメージを受けちまったみたいだ……)
身体中が痛む。息も上がり、剣を握る手にも力が入りにくくなっていた。
(身体中がいてぇ……。なんなんだ、あいつは……)
(もう、普通に攻撃しても埒が明かねえ。俺の身体も限界だ……。これで最後にするしかねえ)
ドランは荒い息を吐きながら、大剣を握り直した。
そして、アルトを鋭い目つきで睨みつける。
「おい、ガキ。お前が何をしてるのかは分からねえ。だがな、この攻撃を防げた奴はいねえんだよ」
ドランは大剣を両手で握りしめ、全身の魔力を刀身へと集中させた。
「燃え盛る炎よ、我が剣に宿り、すべてを焼き尽くせ!」
その瞬間、大剣が徐々に赤く染まり始めた。
刀身を覆う赤い魔力は、まるで燃え盛る炎のように揺らめいている。剣の周囲では陽炎が立ち上り、熱気がじりじりと辺りに広がっていった。
「お、おい……あれは……!」
観衆から驚きの声が上がる。
ドランは荒い息を吐きながら、大剣を頭上高く振りかぶった。
「今度こそ終わりだ! 食らいやがれぇぇッ!! 剛炎撃ッッ!!」
「ああ! セレナさん、今度はあれ絶対やばいですって! 大剣が熱そうですよ!?」
「アルトくん、大丈夫。わたしが絶対に君を守るから」
「え!? 今なんて!?」
ドランは渾身の力を込め、アルトに向かって駆け出した。
赤く熱を帯びた大剣が、激しい熱気をまといながら振り下ろされる。
その瞬間、凄まじい爆風が巻き起こった。
轟音が響き渡り、辺り一面が煙と砂埃に包まれた。
誰もが息を呑み、煙の向こうを見つめていた。
やがて、煙が少しずつ晴れていく。
ゆっくりと、少しずつ――。
そして、煙の向こうに姿を現したのは、誰もが予想だにしなかった光景だった。
アルトの目の前では、ドランが全身を焼かれ、地面に倒れ込んでいた。
顔は苦痛に歪み、荒い息を繰り返している。身体を起こす力さえ残っていないのか、指先ひとつ動かせずにいた。
無残にも大剣は折れ、その破片がアルトのすぐ横に転がっている。
一方、当のアルトはというと――。
傷ひとつ負うことなく、その場に立ち尽くしていた。
「ええええええ~!?!?」
アルト自身も、目の前で何が起きたのか理解できず、思わず叫び声を上げた。
次の瞬間。
「うおおおおおおおおっ!!」
観客たちから、割れんばかりの大歓声が巻き起こった。
その歓声は、ベルンの町中に響き渡るほどだった。




