10.わがまま
仕事終わり。
先輩は俺が帰るのを待っていた。
「お疲れ様……です」
いつもに増して小さな声で挨拶する。
顔が合わせられない。
「……なぁ、雪」
先輩が俺を呼ぶ。
俺は背中を向けたまま帰り支度をしながら返事を返した。
「……はい、なんですか」
普段よりゆっくりめにエプロンを外す。
いつもならうきうきしながらやる動作をもたもたとこなす。
「……今日、行ってくれんだろ?一緒に、メシ」
一瞬だけ、心が弾む。
でも、すぐに自己嫌悪に陥る。
俺は……また先輩に嫌味を言ってしまわないだろうか。
嫉妬して、醜い言葉を吐いたりしないだろうか。
不安になる。
答えない俺の肩を先輩が掴んだ。
「雪……俺はお前と喧嘩なんかしたくない」
振り向けないまま、肩が震えた。
「……俺だって……したくないですよ」
「ならっ……」
先輩の力強い手が俺の体を強制的に振り向かせた。
あぁ、こんな情けない顔、見せたくなかった。
「っ……でも、俺……し……嫉妬しちゃうんだ……あの新人の子に……」
必死で下を向き、俺は絞り出すように言った。
……言ってしまった。
ぎゅっと先輩の手が俺の両腕を掴んだ。
「こんな……っ醜い感情……知りたくなかった……」
がばっと先輩の腕が俺を包んだ。
体が強張る。
「雪……」
先輩の反応が怖かった。
でも……。
「言ってくれよ……なんでもいいから、雪の気持ち、ちゃんと俺に言ってくれよ」
強張った体から力が抜けていく気がした。
「寂しい思いさせてたのは……俺が悪い。ほんと俺が悪い」
ぎゅうっと力が強くなる。
「でもっ……雪に我慢させたくないんだよ」
「……先輩……」
先輩の手が俺の背中を優しく撫でた。
温もりが俺の感情を刺激する。
……涙が出そうだった。
「でも……」
「わがまま、言ってくれよ」
先輩は俺の言葉に被せるように言った。
「……わがまま……」
先輩の手が俺の頬に触れる。
俺は恐る恐る先輩を見上げた。
先輩の優しい目が俺を見ていた。
急に感情がこみ上げる。
俺は先輩の胸に顔を押し付けた。
言って……いいのか。
それはまだ悩むけど。
俺は聞こえるかわからないくらいの小さな声で、初めてのわがままを口にした。
「……あの子と、仲良くしないで……」
先輩は俺の頭に顔を乗せて背中をぽんぽんと撫でた。
「わかった」
「ほんとに……いいんですか」
「当たり前だろ」
事も無げに言う先輩の声は、なぜか嬉しそうだった。
……俺は少しだけ調子にのってみた。
「先輩……」
「ん?」
「……キスして欲しいです」
先輩の手が止まり、抱き締める手にきゅっと力がこもる。
先輩の顔が少しかがんで俺の顔に近づく。
そして、唇が重なった。
俺の体から力が抜けていった。




