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海の女王と陸の花  作者: 天谷あきの


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35/43

真相

   *


 エリックが人魚によって連れ去られた後。


 一番先に動いたのはユーリだった。何も言わずにアデリシアを抱えあげ、足早に歩きだした。肩の傷が痛むのか、顔をしかめている。


「と、止まれ!」


 エリックの仲間がひとり、うわずった声で制止したが、ユーリは冷ややかに彼を一瞥しただけで無視した。周囲を取り囲んでいたエリックの仲間たちが気圧されたように道をあける。


「ちょ、っと、待て。待ってくれ。いったい何が、どう……」


 一番はじめに声を上げた若者がユーリに追いすがる。制止と言うより懇願に近かった。ユーリは彼にもう一度冷ややかな視線を投げ、


「早く逃げた方がいい」


 穏やかな声音で言った。


「にげる?」

「一刻も早く、この国から避難した方がいい。おまえたちの隊長が【最後の娘】の命令に背き、その命をさえ奪おうとしたところを見ただろう」


 聞いていた若者たちが一様にざわめく。アデリシアはユーリに抱き上げられたまま、身じろぎもせずに彼らの様子を見ていた。


 『エスティエルティナ』を殺そうとしたエリックが、彼らの反感を買ったのは明らかだ。


「良心というものがお前たちにもあるのなら」


 ユーリの言葉は穏やかで、同時にひどく辛辣だった。


「警備隊総出で、国民の避難を助けるんだな」

「なぜ、避難しなければならない」

「〈その日〉が近づいてる。人魚の口車に乗せられた〈神殿〉が、この世に破滅を呼び込む前に逃げろ」


 言い捨ててユーリは足早に歩きだした。肩の傷に触らないように気をつけながら、アデリシアは囁く。


「……ユーリ。どこへ行くの」

「ロビンソン商店で、今できてる分の〈人魚の骨〉を受け取って、みんなに配りに行く」

「マイラは……」


「大丈夫だよ」少し、早口だった。「フェルディナントが一緒に行った。あいつは昔から頼りになるんだ。それにあの人も一緒にいる。何で鴉なんだか……わからないけど、とにかく間違いない。あの人は昔から反則なんだ」


「……反、則?」


「この世で一番敵に回したくない二人が、彼女のそばにいる。それに人魚が関わってる――【最後の娘】の死を、あの人魚が見過ごすはずがない。大丈夫。マイラは死んだりしない」


「そう……?」


「大丈夫だよ」ユーリは繰り返した。「僕が死ななかったんだから。だからマイラも大丈夫だ」

「なに、それ?」

「僕は昔熱病で死にかけたことがあるんだ。一度息が止まったらしい」


 アデリシアは呆気にとられた。「そうなの?」


「うん、一度死んだようなものなんだよ。でも僕の死を、あの人が許さなかった。一度離れかけた魂を無理矢理引きずり戻したんだ。誰もあの人の命令には逆らえない」


 なんだそれ。アデリシアは呆れた。

 『あの人』というのは、天使かなにかなのだろうか?


「それ、本当の話?」

「なわけないだろ」ユーリは笑った。「僕が助かったのは、エスメラルダから呼びつけた左巻きのマヌエルが危ないところで間に合ったからだ。……でもマヌエルが駆けつけるまで僕の命が保ったのは、あの人のおかげだったんじゃないか、とは思う。あの人は本当に、反則なんだよ。泣かれたらお手上げだ。おちおち死んでもいられない」


「意味が分からない」


「僕もわからない。昔からずっと考えてる。ただひとつだけわかるのは、彼女が厄介だってこと」


「やっかい。……邪魔だって、こと?」


「違うよ。あの人は昔からずっと、自分のしたいとおりにするんだ。彼女が一度こうと決めたら、周りの人間は従うしかない。他の選択肢は存在しない。……その上こっちはそれが、ちっとも嫌じゃないんだ。これが厄介じゃなくてなんなんだ」


「……ちっともわからない」


「だからマイラも大丈夫。たとえ死にかけていても、彼女が死なないでくれって言えば逆らえるわけないんだから。死ぬに死ねないでいるうちに絶対人魚が間に合うから。だから大丈夫」


 励ましてくれているのか、それとも、煙に巻こうとしているのか。判断ができず、アデリシアはユーリの顔をのぞき込んだ。


 とても真面目な顔をしている。

 だから、


「……そっか」


 うなずくと、ユーリもうなずいた。


「そうだよ。大丈夫だ」

「うん。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

「あなたの大切なお嬢様は、なんだかすごい人なのね」


 言うとユーリは、一瞬黙った。

 そして、笑う。


「本当にね。……ひどいのはさ」

「え? ひどいの?」


「うん。彼女が本当にそうしたいと言えば、逆らえる人間はいないんだよ」

「うん、さっき聞いたよ」


「……なのに僕が求婚したら、身分違いだからと後込みしたんだ」

「へ……」


「身分違いなんて。彼女が心底そう望めば誰も反対できない、障害なんて起こりようもないのに……ひどいよなあ。あのとき、今までの人生で一番打ちのめされた。父から打ち明けられた秘密なんて軽いもんだったよ。……まあ、今となっては良かったんだけどね。諦めもつくってもんですよ」


「あたしの理解なんて、どうでもいいんでしょう?」


 聞いてみるとユーリは笑った。


「うん、ただグチってるだけだから。聞いてくれてありがとう」


 この人もひどい、と、アデリシアは思った。

 こんなひどい人がこの世にいたなんて知らなかった。


 これが彼の言う、『厄介』ということなのではないだろうか。だって、と、アデリシアは思う。こっちの理解なんてお構いなしに愚痴を聞かされているというのに、こっちはそれが全然嫌じゃないのだ。


 アデリシアは笑って、ユーリの首にしがみついた。

 そして、硬直した。


「どうした?」


 気づいたユーリが不思議そうに訊ねる。アデリシアは体が勝手にがくがくと震え出すのを感じた。


 マイラの家の周りは喧噪に包まれていた。火事はもうほとんど消えていたが、人だかりは増える一方だ。続々と集まってくる人々の中に、ひとり、ユーリとアデリシアを見送る壮年の男がいた。


 衣類を取り替え、帽子を目深にかぶっていたが、見間違えるはずがない。


 エリックを挑発し、餌でも与えるみたいに紙片を投げてよこし、綺麗な女の人を殺し、優しそうな女の人をエリックの剣の前に突き出した、車椅子のあの男だった。


 暗い底光りのする瞳でアデリシアをじっと見ている。二本の足でしっかりと立って。狩るべき獲物を見つけた、狩人のような瞳で。



   *



 近所の子供たちみんなと、海賊ごっこをしたことがあった。

 私の役は、海賊にさらわれるお姫様だった。


 森の奥に囚われた姫を助けに行く王子様ごっこをしたこともあった。

 私の役は、囚われたお姫様だった。


 陥落しようとしている砦で決死の突撃を敢行する兵士たちごっこのときも、私の役はみんなを鼓舞するお姫様。流行病に効く特効薬を取りに行くという設定の時、私は病に倒れたお姫様だった。


 私は子供の頃につくづくと思い知ったのだ。

 お姫様って、つまらない。


 お姫様というと、一見華やかなようだけれど、その実、綺麗な服を着たお人形がやっても同じなのだ。王子が助けにきてくれるまで、お姫様はただ待っているしかない。待っていないと助けにきた王子様はがっかりするし遊びが壊れてしまうから、待っているのは義務だ。王子様たちが幾多の困難に立ち向かっている楽しそうな様子を、遠くから指をくわえて見ていたあの時、心底、つまらない、と思っていた。


 といって、〈兄〉のように高い木に登ったり滑り降りたり早く走ったりすることもできず、〈兄〉のように困難に打ち勝つ方策を直ちに示してみせることもできなかった。チャンバラごっこでは我ながらへっぴり腰の無様な動きしかできなかったし、何より打たれそうになると目をつぶってしまうから、戦いの真似事さえも無理だった。


 コンスタンスはお姫様がぴったりだよ。


 そう〈兄〉に言われるたび、お前にできるのはお姫様くらいのものだ、と、貶されているような気がした。


 そして今も。

 私はちっとも、進歩していなかった。





 ティティさんが戻ってきたのは、出ていって半刻も経った頃だっただろうか。


「コンスタンス」


 呼びかけられても、私はすぐに振り向くこともできなかった。『自分』の体を見ることさえ嫌だった。外から見る『私』は、いかにもお嬢様、という姿をしていた。育ちの良さそうな、躾の良さそうな、従順で穏やかで、優しそうで、辟易するほどか弱く見えた。


「コンスタンス、そう拗ねるな」


 ティティは優しく言い、後ろからそっと私を手のひらにすくい上げた。よしよし、と細く優しい指先が羽を撫で、鴉が陶酔する。畏れ多い嬉しいもう死んでもいい、とは鴉の呟きだ。


「〈窓〉はすべて閉じたはずじゃ。リエルダの報告がまだじゃが――これでひとまずは安心、というところ」


『……マイラと、フェルディナントは』

「皆に〈通行証〉を配りに行ったはずじゃ」


『私にも』


 言って、私は、身をよじってティティさんに向き直った。


『私にも、何か、できませんか。〈通行証〉を配るなら鴉にだってできるはずよ』

「危険すぎる。やめておけ」


『どうして! 危険というならマイラやフェルディナントだって――私はっ、私はただの小間使いなんです! フェルディナントは王子だしマイラはえす……えす、ええと、忘れましたがとにかく、』


「エスティエルティナか。確かに【最後の娘】に死なれては困る。困るが、のう。【最後の娘】が喪われても次の代に引き継げる。絶望ではない。じゃが貴女は――貴女だけは無事でいねばならぬ。貴女が死んだらこの世の破滅じゃ」


 ティティさんの声は真摯で、からかっている様子など微塵もない。彼女は私をその美しい瞳でのぞき込んだ。拗ねていじけた私の心の奥底にまで届いてくるような、優しいまなざし。


「そうじゃ。不本意なことじゃろう。それはようわかっておる。じゃが今はいかぬ。エルカテルミナ――【最初の娘】(エルカテルミナ)。この世の花。責務はすでに儂らの手を離れ、貴女の背に委ねられておる。貴女はこの世に生きとし生けるものすべての希望」


 私はまじまじとティティさんを見た。言ってる意味がわからない。


『……は、い?』

「小間使いというのがどういうものを指すのかようわからんが、貴女は、自分の素性を知らぬのか。まあ……ルファ・ルダはちとややこしい状況に陥っていたようじゃし……。先ほどマイラが言っておったろう。エスティエルティナを巡って三つどもえの状況が長く続いておったとな。その争いに『花』が巻き込まれることだけは避けようと考えたのやもしれぬ」



 ――ランバートは何か大きな仕事を負わされて英傑王の養子になった。

 ――せめてもの餞に、姫は彼に“シャトー”を贈った。



 フェルディナントの言葉がぐるぐると頭を回る。


『どういう……意味ですか……?』


 聞きながら、じわじわと、理解が胸に沁みてくる。


 ああ、と、頭のどこかで思っていた。

 そうだ。もうとっくに、わかっていて良かったのだ。


 ティティさんは、私の考えたとおりのことを言った。


「今代のエルカテルミナは貴女じゃ。エルカテルミナ=ラ・コンスタンス=エスメラルダ。……それが本当の、貴女の名」

『だって……それじゃあ……』


 そんなはずはない、と、信じたくない自分が頭の中で無益な反論をする。だって、エスメラルダにはちゃんと、エルカテルミナがいるはずだ。呼んできて欲しいと伯父様が言った。確か、パトリシアと言ったはず……



 ――パトリシアは、気の毒な方。

 ――私は彼女に負い目がある。幸せでいてほしいと思っている。

 ――彼女が私を憎むのは、当然のことだから。



 ――貴女という人が、貴女のような人で本当に嬉しい。



『……なにそれ』


 呟きが勝手に口からこぼれ出た。ティティさんが少し驚いたように身を引いた。


「どうした」

『エルカテルミナがなんだというのです。私そんなの聞いてないわ』


「平時には別に告げる必要はあるまい」

『私の意志など知ったことじゃない、というわけですか。私はなにも知らず、なにもせず、ただ安全なところで生きていればいいと――そんなっ』



 そのとき唐突に。

 私は、“憤怒”を思い出した。



『そんな失礼な話がありますか! 身分なんてくだらない――全くそう、全くそのとおりだわ! 私は自分でエルカテルミナを勝ち得たわけじゃない! 何の努力もしてない、なりたいと望んだわけでもない、それならこの身がエルカテルミナだってことは、私の責任じゃないわ!』


 ここに取り残されたことに対する、唯一の心の支えが、打ち砕かれてしまった。


 マイラは私のことを大切に思ってくれているのだと考えて、自分を慰めようとしてきたのに。


 違ったのだ。マイラにとって私は、大切な友人なんかじゃなかった。


 ――世界の花とかいう存在、だったのだ。


 ティティさんは私を見つめ、穏やかな口調で言った。


「……貴女の怒りはよくわかる。リエルダも同じことを言った。銀狼と決別したのは自分じゃない。生まれつき愛を知らぬのは、自分の責任ではない、とな。……じゃから儂は、貴女にも、同じことを言わねばならぬ。生き物は皆、自分のさだめを選ぶことはできぬ。貴女だけではない。儂もそうじゃ。王子も、そして……マイラも」


『……!』


「どんなに足掻いても過去は変えられぬ。エルカテルミナに生まれたのは貴女の責ではない。もちろんそうじゃ。人間に生まれたのも、女に生まれたのも、非力でか弱く生まれついたのも……。エスティエルティナに選ばれたのはマイラのせいではない、そのために箱庭で他の人間から隠されて育てられたのも……幼い頃、どんなに同い年の友人が欲しかったか。箱庭の中で、子供たちが楽しげに遊ぶのをどんな気持ちで見ておったか。

 ……しっかりおし、コンスタンス。マイラの気持ちを汲んでおやり。母の生存を確かめることさえ拒んだ。あの子はきっと、愛する母がこの世にいないことを覚悟している。ならば、もうこれ以上、ひとつたりとも大切なものを喪いたくない、そう望むのは当然ではないかえ」


 混乱と怒りで嵐のように乱れる私の頭の中に、ティティさんの言葉がひとつひとつ沁みてくる。翼で顔を覆った私に、ティティさんは優しく言った。


「エルカテルミナでなくても、あの子は貴女をおいていったはずじゃ。あの子にとって貴女はエルカテルミナではない。箱庭の中で出会った、たった一人の友達じゃもの」


『……ティティさん。ティティさん、ティティさん、私、私、なにができますか』


 鴉の体を借りていてよかった。つくづくそう思っていた。

 もし自分の体だったなら、こんな風に声を出すことなどできなかっただろうから。


『死ぬなというなら死なないわ。安全な場所にいて欲しいというなら、いて差し上げるわ、しょうがないから、そこは譲って差し上げてもいいわ。でも、このままここで手をこまねいているなんて絶対に無理です……!』


「よしよし。では、体にお戻り」


 ティティさんは微笑んで、私の頭をそっと撫でた。


「どうやら魂がまあるくなった。まだ少し、ところどころ欠けておるが――このまま鴉の体に間借りしたとて、治らぬ部分じゃろう」


『で、も。でも、私、まだ、〈兄〉のことを思い出していないんです』

「それはそうじゃろう。その感情は鴉は知らぬはずじゃ」


 ティティさんがそう言ったとき。

 すうっ、と、目の前が真っ暗になった。

 そして。




 コンスタンスは目を開けた。さっきまで目の前にいたティティが、今は少し離れたところで、うっとりした鴉を腕に抱いて笑っている。


「気分はどうじゃ」


 問われ、コンスタンスは頬に手を当てた。動くと、斬り裂かれたワンピースの胸元がはだけて慌てる。

 確かワンピースの隠しに荷物を入れておいたはずだ。急いで取り出すうちに、ティティが水を滑ってこちらにきた。


「ふむ……よし、よし。どうじゃ、コンスタンス。〈兄〉とやらの名は、思い出したかえ」

「……いえ、まだ……」

「その感情は鴉にはないじゃろう。どうじゃ」


 コンスタンスはティティを見た。自然に頬が赤くなった。

 そうだ、と思った。確かに、鴉にはこの感情は無縁だろう。


「……そうですね。よくわかりました」

「先ほどの問いじゃがな。ここで貴女になにができるのか、儂にもわからぬ。儂もそろそろ加勢に行かねばならぬしの」


「えっ」

「リエルダからまだ連絡がない。回収したら報せろと言ったのじゃが……」


 また置いて行かれるのか。内面が顔に出てしまったのか、ティティは笑ってコンスタンスの頬を撫でた。


「じゃから置き土産じゃ」


 すると。

 出し抜けに、背後の壁に、絵が映った。


「〈水鏡〉をここに残しておこう。貴女の魔力量ならしばらく保つであろうし、儂がここにおらねば動力が足らぬ、こないだのように未来を覗いてしまうこともあるまい」


 言ってティティは、微笑んだ。


「これで借りはすべて返したぞ。よいか」


 コンスタンスは悲しかった。

 でもそれを押し隠して、微笑んだ。


「ええ。ありがとう、ございます」

「すべて済んだら儂の方から会いに行くぞ。アデルとやらの菓子を逃す手はないからのう」


 いたずらっぽく笑ってティティは、身を翻した。わき起こった水流に目を閉じた一瞬に、その場からいなくなっていた。




 コンスタンスは周囲を見回した。ここは丸い穴の底のように見える。巨大な井戸の底のようなものだ。それなのに、ティティもマイラもフェルディナントも、どこから出ていったのだろう。エスティエルティナが飛び込んできたときも、入り口のようなものは見えなかった。


 急いで着替え、破れた衣類を小さく縮めてスカートの隠しにしまう頃、ただひとりコンスタンスのそばに残ってくれた鴉がふわふわと漂ってきた。頭をコンスタンスの手のひらにぐりぐりと押し当ててくる。撫でろ、ということらしい。


 マイラの母親の、優しい指先を思い出す。彼女に撫でてもらったのは、ほんの昨夜のことなのに。


 そうだ。そうだった。


 あの人は、長い間、愛する娘を箱庭の外に出すことを願い続けていた。娘を絡めとろうとするエスメラルダの抱えるすべての問題から娘を逃がそうと、骨を折り続けてきたあの美しい人は、本当にもう、この世にいないのだろうか。


 どうしてあの人の指先は、あんなに優しかったのだろう。

 どうしてあの人の笑顔は、あんなに美しかったのだろう。


 マイラはあの人を喪ったのだろうか。


 マイラがここにいなくて良かった。鴉をそっと撫でながら、コンスタンスはつくづくとそう思った。先ほどの自分のていたらくはどうだろう。もしあの秘密を知った時にマイラがそばにいたら、マイラの気持ちを考えもせず、自分の感情を抑えることなど思い至りもせず、衝撃をそのまま彼女にぶつけてしまっていただろう。


 私は浅ましい人間だと、コンスタンスは考えた。


 世界の花だとか、唯一の希望だとか、数々の美辞麗句で彩られているはずの【最初の娘】――エルカテルミナと呼ばれる存在が、こんなに卑小で良いのだろうか。しっかりおし、優しく窘めてくれたティティの声が、胸の奥に響いている。


 この場に〈水鏡〉を残したティティは、どういうつもりだったのだろう。


 なにもできず、危険に身をさらすことも許されないコンスタンスには、ただ『見る』ことくらいしかできることなどない――そう言われたような気がして、悲しかった。けれど。


 コンスタンスは鴉を抱いたまま、〈水鏡〉に向き直った。


「いいわ。見ろというなら、見てやりましょうとも」


 知らなかった。今までなにも。

 自分の素性さえ知らされず、なぜ〈兄〉から引き離されなければならなかったのかも知らないまま、自分の身の上を嘆いて。母の変節を悲しみ、ただ縮こまるだけだった。

 知らなければ立ち向かえない。

 顔を上げて向かい合う方策を、考えることさえできない。


「マイラとフェルディナントは、無事でいるかしら」


 そして〈兄〉も。

 そう思ったとき、水面が揺らいだ。

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