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海の女王と陸の花  作者: 天谷あきの


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先祖返り

 エスメラルダの中心部の、外れ。


 敷地の広い住宅が建ち並ぶ一角にある、瀟洒な作りの家だった。


 その玄関先で、ひとりの女性が立ち働いていた。わざわざ光籠を灯し、その明かりに目をすがめるようにして、彼女は道を掃いていた。雪かきをすっかり済ませた、塵ひとつ落ちていない通りなのに。


「シェイラ。ただいま」


 マイラが声をかけると、彼女はぱっとこちらを振り返った。

 そして、ホッとした。優しい顔をくしゃくしゃと歪めて、彼女は笑う。だいぶ年上のようだ。


「お帰りなさい、マイラ様」

「寒いのに。待っててくれたの?」

「だって、マイラ様、大変なお仕事をなさって来たのですから……せめてお外でお出迎えしなければ」

「気にしないでいいのに」

「あら、鴉」


 シェイラが気づき、マイラは頷いた。「うん。拾ったの」


「鴉を? ……まあああ」


 その反応は、ちょっと不思議だった。

 嫌悪でなかったことは、ありがたい。だが、まさか歓迎されるとは思ってもみなかった。シェイラはしげしげと私を見つめ、それから少し後ろに下がってマイラと私を眺めた。その様子は。


 ――まるで惚れ惚れしてるみたい。


 自分の感想が不思議だ。鴉をみて惚れ惚れするなんて。でも、そうとしか思えないのだ。

 鴉はもしかして、愛でられるものなのだろうか。私は思わず首を傾げた。私の思いだした範囲の知識では、鴉は少なくとも、愛玩動物ではなかったと思うし、芸術的な風貌を備えているともされていなかった、と、思う……けれども。


「そうしてらっしゃると、本当に、まるで生まれ変わりのようですわ」


 ややしてシェイラはうっとりとそう言い、「ささ、どうぞ。お帰りなさいまし」玄関の扉を開いた。


 暖かな空気がふわっと吹き付け、私と鴉はほっとする。

 シェイラは後をついてきながら甲斐甲斐しくマイラの世話を焼いた。毛皮と帽子と襟巻きを受け取り、雪を払って衣紋掛けに掛ける。シェイラが気だてのよい召使いで、マイラに心酔していることがよくわかる。


「お寒かったでしょう。ご入浴を先になさいます?」

「ううん、まずは伯父様にご報告を……あ、母様」


 マイラの声が、嬉しさと優しさを帯びた。

 それに応じて、長椅子に座っていた女性が立ち上がってマイラを迎えた。


「マイラ。お帰りなさい」


 私は思わず居住まいを正した。


 その人は、とても美しかった。

 豊かな茶色の頭髪はなだらかにうねり、腰まで届いていた。灰色の瞳が優しそうに光っている。あの意地悪な人魚に負けないくらいの美貌だ。たぶん五十代にはなっていると思う。マイラとはぜんぜん似ていないが、でも、表情がよく似ていた。マイラは嬉しそうに微笑んで、両腕を伸ばして彼女を抱き締めた。


「ただいま」


 マイラのお母様。私は心の中だけで、初めまして、と挨拶した。

 彼女は嬉しそうに娘の抱擁を受けた。


「無事でよかったわ。寒い中、今日もお疲れさま。まあ――この子は?」

「うん、拾ったの。友達」

「ともだち」


「うん、友達なの」まじめにマイラは繰り返した。「今夜一晩、泊まっていただいていいでしょうか」


「あらあら。もちろん、あなたのお友達を、寒空に追い出したりはしませんよ。初めまして。……お名前は?」


 彼女は私をのぞき込む。私は思わずうっかり、名乗ってしまいそうになった。それより先にマイラが言った。


「コ……コーデリア」


 くすっ。背後でシェイラが笑った。私も状況が許せば笑うところだった。鴉にしては大層な名前だ。

 でもお母様は笑わなかった。頷いて、私に向かって優しく微笑んだ。


「いらっしゃい、コーデリアさん。マイラの母です。娘をよろしくね」


 不思議な人だ。私が本当は鴉などではなく、人間なのだと、まるで初めから知ってでもいるみたいだ。

 シェイラが先へ行って、奥の扉をノックしている。


「旦那様、お嬢様がお戻りです」

「こ……コーデリア、伯父様に挨拶してくるから、母様と一緒に待っていて」


 マイラは私を、お母様に渡そうとした。

 でもシェイラが不満の声を上げた。


「まあ! せっかく『お友達』を連れていらしたのですから、旦那様にもご挨拶されてはいかがですか」

「え、でも……」

「旦那様もきっとお喜びですよ。さささ」


 促され、マイラは少し困ったように私を肩に乗せ、その部屋に歩み寄る。マイラが緊張しているのが私にはわかった。毛皮を脱いだせいか、マイラの髪に触れているせいか、さっきほどではないものの、少しマイラの感情がわかるような気がする。


 嫌だな、と思っている。それがよくわかる。

 彼女は『伯父様』が苦手なのだろうか。それとも、私を見せたくなかったのか。


「お帰り、マイラ」


 伯父様は、寝台に寝ていた。

 上半身を起こしてはいたが、下半身は厳重に毛布にくるまれていた。マイラのお母様に少し面差しの似た、六十がらみの人だった。髪はすっかり白髪になっていたが、瞳は炯々としている。


 さっきマイラは、この人を父だと言った。

 でもとても畏まって、きちんとした礼をした。


「ただいま戻りました」

「友達とは――鴉かね? おお、これはこれは」

「コーデリアという名だそうです、旦那様」


 後ろに控えたシェイラが嬉しそうに報告する。マイラは微笑んでいた。困ったな、と思っているのがわかる。

 なにが困るのだろう、と私は思う。


「そうしているとまるで生き写しだ」


 伯父様はさっきのシェイラと同じようなことを言う。シェイラは興奮したように頷いた。


「こんな賢い大人しい鴉までが、マイラ様の元に来たのですもの、やはり生まれ変わりでいらっしゃるのですわ――」

「……あの、なんのお話ですか」


 マイラが困惑したように訊ねる。伯父様は微笑んだ。


「知らないか。祖母の――お前の曾祖母の、若い頃の話だ。同盟の会合を終えた帰路で、祖母は一羽の鴉を拾った。人間の宿る賢い鴉で――アナカルシスの王旗の紋章のもととなった、あの鴉だ」

「へえ」


 気のない返事とは裏腹に、マイラが緊張しているのがわかる。人間の宿る賢い鴉、という言葉が気に入らなかったらしい。つまり私にも人間が宿っているのではないかと、疑われるのが困るのだ。伯父に紹介できないと言った声を思い出す。


 それから、なぜか藍色に見えた、あの時の瞳の色も。


 私は羽ばたいた。わっ、マイラが驚きの声を上げたが、私は構わず伯父様に突進した――正しくは、伯父様の寝台机の上に乗っていた、食べ残しの焼き菓子に向かって。


「あっ、……すみません!」


 マイラが赤面している。私は構わず、いかにも鴉らしく、焼き菓子をがつがつ食べて見せた。破片をぴしぴしとところ構わずまき散らして。伯父様は驚いたように私を見ていたが、ははははは、と鷹揚に笑った。


「腹が減っていたか。これはこれは、気づかずすまんことをしたね」

「まあまあ、お行儀の悪いこと。こちらはシルヴィア姫とは似ても似つきませんねえ」

「シェイラ。呆れてないで、何か食べるものを持ってきておやり」


 伯父様に指示され、シェイラは「はいただいま」と急いで出ていった。私は鴉のするまま、思うままに任せていた。焼き菓子を食べ終えた鴉は、遠慮なく伯父様のコップからガブガブと水を飲んでいる。


「失礼しました。驚かせてしまって」


 マイラが謝罪し、伯父様は笑って手を振る。


「いいのだよ。それより、首尾はどうだったね」

「ずいぶんはかどりました」


 マイラはこちらにやってきて、地図を開いて伯父様の膝の上に置いた。エスメラルダをぐるりと取り囲む円の上につけられた×印はかなりの量に上り、もう全周の三分の二が終わったことを示していた。私は鴉らしく無関心を装いながら、できるだけその地図をよく見た。残りの三分の一は、ほとんど海の上だ。


「あと――四つか」


 伯父様の言葉が意外だった。残り、あと四つしかないなんて。


 でも、よく考えたら、海の上にあの〈窓〉を設置するのは難しいだろう。周辺の海域には大小様々な、たくさんの島が書かれているけれど、〈壁〉と交わる位置に存在する島となるとやはり限られてくる。

 マイラに手振りで椅子を勧め、伯父様は、座ったマイラの手を取ってさすった。

 その声は、とても暖かだった。


「よく頑張ってくれた」

「恐れ入ります。でも、なぜカイを」


 声が固い。


「カイに……カイに人殺しをさせてしまった。それも二人も」

「そうか。それではカイは、グウェリンの務めを立派に果たしたのだな」

「伯父様」


 マイラが咎めるように言う。伯父様は手を挙げて見せた。


「カイは【最後の娘(エスティエルティナ)】を守り、その邪魔をするものを排除した。悔やむことはない。貴女が責任を負わなければならないことでもない。それがグウェリンの仕事なのだ。あの剣を持つにふさわしい……」


 そして伯父様は困ったように笑う。


「嫌がるのはわかっていたさ。だが貴女は、本来ならばエスティエルティナだ。……本当なら私がやらなければならないこと、いや――エリックが、やらなければならないことだ。その重い仕事を貴女に担わせてしまったのだ、グウェリンの男がそれを手助けするのは当然のことではないか。エリックがああなった時点で、カイを養子に迎えておくべきだったとずいぶん悔やんだ」


「……ロビンソンから、息子をもうひとり、奪うわけにはいかないでしょう」


「貴女は優しいな」伯父様の手がマイラの頬を撫でた。「貴女はそれでいい。だが……グウェリンはそうはいかんのだ」


「そう……でしょうか」


「そうだとも。冷徹であらねばグウェリンの意志は果たせない。だが、貴女は違う。貴女はそのままでいいのだ。私の忌々しい足の代わりに重役を担わせて、申し訳ない。感謝しているよ」

「……兄様は」


 マイラが訊ねる頃、お盆に食べ物を乗せたシェイラが戻ってきた。

 鴉は早速羽ばたいて、シェイラの運んできたお盆に直接飛び乗った。皿がひっくり返り、盆にこぼれた肉の山をそのままがつがつ貪る。生肉だ生肉だ、鴉は大喜びだ。どう、生肉って、美味しいでしょう。

 生肉の匂いと感触は、確かにものすごく『美味しかった』。そう感じてしまう自分から、私はできるだけ意識を背けた。


 まあまあ、とシェイラが呆れている。どうやらただの鴉にすぎないと、思ってくれたようだ。生肉を食べた甲斐があるというものだと、自分を慰めることにする。

 伯父様は難しい顔をして唸った。


「うむ……。人魚との契約を破棄するつもりはないらしいね。残念だが」

「……そうですか」

「グウェリンから〈信者〉が出るとは嘆かわしい話だ……。ヴァルターに顔向けができないよ」

「今朝行きがけに、お花を届けて参りました」


 すると伯父様は少し顔をしかめた。


「行かなくていいと言ったろう」

「でも……葬儀に参列できないので、せめてお花くらい……」


「そう言うことは私とファムルに任せなさい。葬儀へはファムルが行った。貴女は余計なことを――」

「……余計でしょうか」


 マイラが呻き、伯父様はマイラをじっと見た。

 それから、取り繕うように笑った。


「いや、余計じゃないさ。ヴァルターは気の毒だった。あの男は貴女の婚姻を、ずいぶん心待ちにしていたのに。残念だった」


「あら。でも、お陰でマイラ様は初対面の相手に無理に嫁がされずに済みましてよ。不幸中の幸いでは」


 シェイラが呟き、マイラが目を伏せた。伯父様はシェイラをたしなめた。


「シェイラ、口を挟むな」

「失礼いたしました。でも私たち、皆喜んでおりますのよ。エスティエルティナともあろうお方が、アナカルシスなどの、それも王位を継承できないような――」

「シェイラ」


 静かに伯父様が言い、シェイラは今度こそ黙った。伯父様は困ったように笑い、マイラを見た。


「すまない」

「……いえ」


「話を戻すが……エリックにも困ったものだ。私は心配なのだ。ヴァルターの奥方が、貴女にまで何か、その……恨み言を言ったのではないかとね」

「それは……そんなことはありませんでしたが。あの、本当に……本当に兄様が、ヴァルターを……?」

「わからんね」


 伯父様の言い方が、とても意味ありげで。

 本当はわかっているが、マイラの手前、あえてそう言っている、というような口調だったので。


 ――隊長の妹だぞ。


 カイに殺される前にあの見張りたちが言っていた言葉を思い出し、私は身を震わせた。エリック、というのは、きっとマイラのお兄さまの名前だ。


 マイラの兄が、“ヴァルター”という名らしい男の人を、殺した。そのせいで、マイラの“婚姻”が破談になってしまった、らしい。


 全てを失った私にも、ようやくうすうす、事態がわかりかけてきている。マイラが嫁ぐはずだったのは、アナカルシスの王子様だった。銀狼に変えられてしまった、あの気の毒な『王子様』がそのお相手だったのではないか。飛躍しすぎかもしれないが、でも。


 まだがつがつ食べながら考える私をよそに、マイラはうつむいていた。ヴァルターという人は、マイラにとってどんな人だったのだろう。

 伯父様はマイラの手をそっと握った。


「……だが……私はね、マイラ。エリックのことは認めているのだよ」


 ぽんぽん、優しく手を叩いて、伯父様は噛んで含めるように言った。


「あの子は祖父に……私の祖父にそっくりだ。祖父は、エルヴェントラの権威もアナカルシスの王位継承者も気に掛けず、一人の女性を愛し、信じて、他のすべてを敵に回してでも、彼女のためだけに力を尽くしてやれた人だった。エリックもきっと、先祖返りだ……ただその、彼の愛した対象が、マイラ、私たちと袂を分かった。ただそれだけのことなのだ」


「……はい……」


「心配するな。エスティエルティナは貴女を選んだ。エリックは、愛する女を間違えた。気の毒なことだ……。だがあちらにはルファルファ神殿がついている。人々の不安を糧にぶくぶく肥え太った、あの醜悪な神殿がな。油断するな。貴女は優しい。それでいい。だが神殿は貴女の優しさにさえつけ込むぞ」


「……はい」


「寒かっただろうね」


 伯父様は微笑んで、シェイラに合図をした。シェイラが進み出て、マイラの背に手を掛ける。


「さ、ご入浴を。その間に、お食事の支度をいたしますから」

「……お願いします」


 マイラは立ち上がり、伯父様に礼をして、私に手を伸ばした。満腹になっていた鴉は素直に、ぴょん、とその手に乗った。(くちばし)についた食べかすを見て、マイラは笑う。


「本当に……ひどいお行儀だね、コーデリア」


 ほめ言葉なのだと私は悟る。知らん顔して羽づくろいしてやると、マイラは歩きだした。部屋を出ると、さっきと同じ場所にお母様がいた。慈しむような微笑みに、マイラがほっとしたのがわかる。

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