3コマ目 毒舌と一休み
「忙しいんだろうなぁ・・・」
その日もまた有は朝から図書館にいた。
しかし横に本は積んでいるものの、それに手を伸ばす気配はなく、机にべったりと片頬を付けて顔を机に預けていた。
その口からは先ほどからずっと溜息が零れている。
もう、前回フラウと会ってから一週間だ。
「会いたい、なぁ・・・」
思わず漏れた本音が溜息と共に図書館に小さく響いた。
「さっきからなんなんですか、あなたは。鬱陶しい」
突然横の本棚の方から聞こえた声に有はビクリと顔を起こした。
まさか人がいたのか。
有は顔を青ざめさせながら、声の聞こえた方へと振り向いた。
丁度本棚の間から出てきたのは、あの早口毒舌なデュラハ大臣だった。
「なんです、その魔獣とでも出くわしたかのような顔は」
「デュ、デュラハ大臣いつからそこに・・・」
その言葉にデュラハは寄せていた眉を更に寄せた。
「勘違いしないでください。言っておきますが貴方がそこに来るずっと前から此処で調べ物をしていましたから。だというのに溜息ばかり何度も何度も鬱陶しい。耳障りで調べ物に集中すらできないではありませんか。本を読まないなら自室にでも戻られたらどうです?いっそ実家に帰られては」
つらつらと並べられる言葉に有は申し訳ない気持ちと先ほどまでの独り言を聞かれていたのではという羞恥心で一杯だった。
「す、すみません・・・」
有は椅子の上で心なし縮こまった。
「・・・はぁ。本当に鬱陶しいですね。誰に会いたいのかなんて知りたくもありませんが、会いたいならさっさと会ってきたらどうですか。そのまま此処から失せて下さい」
ああ、やっぱり聞かれていたと有は項垂れた。
「で、でも・・・」
「なんです、会えない相手だとでも?は、まさか神殿に向われている神子様の事ではないでしょうね」
デュラハはそういうと眼光を鋭くして有を睨みつけた。
それに対し有は青褪めながらぶんぶんと大きく首を振って否と示した。
「それならばいいのですが?」
そう言うとデュラハは再び、本棚の奥の方へと戻っていこうとした。
有は咄嗟にその背中に声を掛けた。
「あ、あのっ」
なぜ呼びかけたのか。
特に用事があったわけでもないというのに。
しかし律儀にもデュラハは此方に振り向いてくれた。
意外と優しい性根の持ち主なのかもしれない。
「あ、すいません、・・・なんでもないです」
「は?」
その時のデュラハの眼はまさにそこらの虫でも見るかのような冷ややかさだった。
さっきの考えはやっぱり却下でお願いします。
青褪めて下を向いた有に、デュラハはまたも分かりやすく大きな溜息をついた。
「今日の貴方は鬱陶しさが十割増しですね。鬱々とした空気を放つのは止めて頂きたい。こちらまで気分が悪くなります。鬱陶しい。・・・まぁいい、その鬱陶しさに免じて私に貴重な時間を浪費させた事は許して差し上げましょう」
さっきから一体何度鬱陶しいと言われた事か。
「会いたいのなら会いに行けばいいとさっき言った筈ですが?一体あなたの足は何のために付いているんです?目は?耳は?曲がりなりにも男でしょう。待っているだけのお淑やかさなど失笑ものですよ。動きなさい、その足で」
デュラハはそれだけ言うと今度は完全に本棚の奥の方へと引っ込んでいってしまった。
有はポカンとしながら、デュラハの向かった本棚の方を眺めていた。
待っているのではなく自分の足で動け、か。
「そう、だよな」
遠い果ての地に相手がいるわけでもない。
好きな相手と偶然会うのを待っているだけだなんて、どんなロマンチストだというのか。
今までの自分自身の思考に笑いが出る。
とんだ乙女思考になっていたようだ。
会いに、行こう。
確か温かいルコナのパイを食べたいと言ってくれていた筈だ。
それを口実に会いに行けばいいじゃないか。
有はそう決めるとさっそく材料を買う為に城下に向かう事にした。
そして本棚の横を通る時、奥の方にちらりとデュラハの影が見えた。
「あのっ、ありがとうございました!」
すると小さく、ふんっという呆れとも失笑ともつかない鼻で笑う声が聞こえた。
「き、緊張する・・・」
時刻はおやつ時。
有は出来たてのルコナのパイをトレーに乗せ、フラウのいる執務室の前に佇んでいた。
仕事の邪魔ではないだろうか。
追い返されたりしないだろうか。
緊張に震える手で、その扉を叩いた。
「誰だ?」
間を置かずして返ってきた声は、何より聞きたかった声だ。
しかしいつもより幾分鋭い。
「あの、ユウです」
「ユウ?・・・入れ」
「し、失礼します」
のろりのろりと取っ手を回し、手に持っているトレーをひっくり返さない様に最大限の注意を払いながら執務室へと入った。
「どうしたのだ?」
「あの、ルコナのパイを焼いたのでよければと」
そしてようやく対面したフラウを前に、有は大事な事を思い出した。
いつもより鋭い眼光を持った瞳。
そう、執務室にいるのは“国王”としてのフラウなのだ。
そう考えると、やはりこれは迷惑だったのではないかと有は内心慌てふためいた。
しかし、有が一人憂いている間、フラウは少し嬉しそうに机の上の書類を纏めて横に置いた。
「そうか。是非こっちに持ってきてくれ」
一瞬にして柔らかくなった雰囲気に、有はあれ?となった。
そもそも“国王”を休憩といった話は、フラウが対等に話したいが為に適当に作った話なのだ。
先ほど見が鋭くなっていたのだって、ずっと書類を眺めていた所為で疲れた目を細めながら見ていただけに他ならない。
もちろん有にはそれを知る由もないが。
とはいえ心配が杞憂で済んだことに、有はホッと胸を撫で下ろした。
有はコトリと手に持ったカップとパイの乗った皿を置いた。
「御迷惑ではありませんでしたか?」
そろりとフラウの顔を窺う有に、フラウは優しい笑みを浮かべた。
「いや、ちょうどそろそろ一休み入れようと思っておったのだ。そこにそなたのパイとは、とんだ僥倖だ」
フラウが喜んでくれている事に有は嬉しくなり、顔に笑みを浮かべてカップにカラ茶を注いだ。
「ふむ、いい匂いだ。それは?」
「これはルコナで作ったジャムです。カラ茶に入れるとおいしいんですよ」
有は帰省した時にユナサからルコナのジャムの瓶づめを貰ったのだ。
パフに塗って良し、お茶に入れて良しと、有のお気に入りになりつつある。
有はそれを一掬い、カラ茶の中に落とすとクルクルと掻き混ぜた。
「ほお、どれ」
フラウは言葉と共にカップにすっと手を伸ばすと、口元までその手を運んだ。
目を閉じカップに口づけるその仕草は、まるで一枚の絵だ。
有はその姿に見惚れながら、フラウの反応を待った。
「・・・うむ、うまいな」
ふぅと小さな息と共に吐き出された声。
その言葉を聞いた瞬間、有の顔はパァッと明るくなる。
「良かった!よければパイの方も熱いうちにお召し上がりください」
「ああ、頂こう」
フラウは有から手渡されたナイフとフォークを、パイに刺した。
焼きたてのパイ特有のサクッという良い音が執務室に響く。
さすがは王族というべきか、食べにくいパイだと言うのにナイフとフォークを使って流れる様に口に運んで行く。
「うむ。やはり冷えているのとはまた違って、此方の方がルコナの香りが引き立つな。毎日でも食べたいくらいだ」
「そういって頂けると嬉しいです。まだあるので良ければお代わりもどうぞ」
フラウの言葉に有は嬉々としながら空になったカップにカラ茶を注いだ。
そこからはまるで図書館で過ごしてきた時間の様に、まったりとした時間が流れた。
一週間かけてようやく読み切ったというヤン=リーズウェリーの本の内容を語り合ったり、ルコナのパイやジャムの発案者であるアナシャの話をしたり。
しかししばらくして、どうしたのかフラウが突然その手を止めた。
それを見ていた有は何事かとフラウを見遣った。
「そなたは食べないのか?」
「え?あ、私は後で頂きますのでお気になさらないでください」
「折角だ。一緒に食べればよかろう」
「い、いえ。あ、それに食器もフ、国王様の分だけしか持ってきておりませんので」
「二人しかおらぬのだからフラウでよい。・・・ふむ、食器がないのか」
フラウは一瞬思案した後、ナイフでパイを一口サイズに切るとそれをフォークで突き刺した。
しかし、その手がフラウの口に運ばれる事はなかった。
パイを刺したフォークは、フラウの反対側へと突き出されたのだ。
有は目を真丸にして、その手とフラウに何度も視線を動かした。
「え?」
「ほれ、口を開けよ」
「え、ええ!?む、無理です!ほんと気にしないでください!」
好きな人からのアーン+関節キッスだなんて!
有は顔を紅く染めて、ぶんぶんと首を振った。
「なんだ、少々マナーは悪いが、そなたしかおらんのだ。気にする必要もなかろう」
「い、いや!そういう事じゃなくてですね!」
「ならばどういう事だ」
「いや、あの、え、と、ですね」
どう言えばいいのかとあたふたとする有。
一方でフラウはそんな有の仕草を見ながら口元を緩ませていた。
今この事態をどう乗り切るかと頭をこんがらがせていた有は、フラウに遊ばれているのだという事に気付かないのだ。
そして有が完全に言葉を詰まらせたその時、コンコンと扉をノックする音が部屋に響いた。




