夏季集中講習 国王と溜息
「王、この書類を」
グランは五枚の書類を重ねて机の上に置くと、ずいとその書類をフラウ前に押し出した。
フラウは短く返事を返すと書類を手に取りそれを読み出した。
フラウがそれに目を通している間、二人しかいない執務室には無言の時間が流れる。
しばらくしてフラウは書類を机に戻すとふぅ、と息を吐いた。
「内紛は未だ膠着状態、か・・・」
それに対し、グランはええと言葉を返した。
「しかし以前の報告よりもかなり緊張した様子だとシャルヤが言っとったから、いつ何が原因で爆発するかも分からんよ」
フラウは深く椅子に座り直すと、天を仰ぎ見ながら溜息を吐いた。
ルスファーナ王国は古くから隣国と友好を結んでいる。
その隣国の第一皇子と第二皇子による王権争いが始まったのは二年も前だ。
より国を豊かにしようと外交を、時には武力行使を推奨している第一皇子派と対外的には現状のまま、より国の内側を改善しようとしている第二皇子派。
初めは内部の小さな争いであったそれも、いつしか国全体に波及し、改革派と保守派という名前で内紛へと発展したのが五ヶ月前だ。
ちょうど修也が王宮に来た時期であった。
「すでに難民の数も万を超えて、派閥争いはこの国にも小さな波紋を起こしとる。このままの状態が続けば、この国への影響も馬鹿にはならんでしょうな」
「国としては第二皇子を推したいところだが、王権争いに手を出すわけにもいかん。事態に決着が付くまでは表向きは傍観の態度を続けるしか無いな。とりあえず国内は警備隊にしっかり目を見張らせるように言っておけ」
フラウは姿勢を正すと、机の上の書類にポンと印を押した。
「ええ。調査団の方はどうなさいますか?」
「変わらず送れ。事態が動きそうになったら直ぐに知らせを飛ばす様に」
「そのように。それでは今日はそろそろ失礼しますな」
「ああ、ご苦労だった。明日も宜しく頼む」
「ええ。王も御疲れの出ませんようにな」
グランはそう言うと書類を手に部屋を後にした。
一人残ったフラウは手を組みその上に額を乗せた。
「兵を出すような事態にならなければ良いが・・・」
ここ百余年、ルスファーナ王国は戦争を起こしていない。
その為王宮騎士団の一番の大仕事は魔獣退治だった。
今もし戦争が飛び火すれば、国中に混乱を招くことなど想像に難くない。
フラウは再び大きな溜息を吐いた。
魔獣討伐とその間に溜まった仕事の処理。
そこに追い打ちをかける様に調査員から齎された今日の報告。
休む暇もない激務に、ついには軽い頭痛がフラウを襲い始めている。
フラウの意思に反して疲れた体は正直だった。
「はぁ・・・」
フラウは溜息と共に米神を押さえて、両目を瞑った。
―このパイは甘いですし、皮も使っているので疲れた時にもとてもいいんですよ―
いつかの言葉と有の姿がフラウの頭の中を巡っていた。
有を王宮に招くよう手配したのはフラウだ。
当時神子が現れた事で王宮中が騒然となり、誰しもがその存在に期待を抱いた。
国王として、神子に全てを頼るつもりはないが、それでも“先詠み”で一人でも多くの国民を守れるようになるのならば嬉しい。
宰相も大臣も同意見であった。
しかしそこに立ちはだかったのは神子が異流者であった故の言葉の壁だった。
言語が統一されているこの世界では、言語の違う人間に言語を教えるというノウハウがないのだ。
何人もの教師が雇われ、神子に言葉を教えようと試みたが、一向に成果が見えない事と周りからのプレッシャーに全員匙を投げてしまい、その上神子が塞ぎこんでしまった。
その事実にいつしか王宮全体が不安の色を湛えていた。
そんな中たまたま騎士が持ってきた噂が、学者顔負けな広い知識を持った異流者の塾講師がタール村にいるらしいということだった。
溺れる者は藁をも掴む。
同じ異流者同士ならもしかして、そんな縋る想いで、姿すら知らない人物の元に使者が送られた。
フラウはまだ見ぬ人物のことを、異流者でありながら物知りなど、勉強熱心な堅物に違いないと想像していた。
しかし予想に反して現れたのは艶やかな黒髪と柔かな雰囲気を持った青年だった。
フラウの中の異流者の人物像がガラガラと崩れ落ちていった。
そして幸運な事にその日に齎された情報は、王宮中を安堵させるものだった。
更に次の日から入ってくる神子の情報は良いものばかりだった。
期待以上の教師の働きに、フラウは心底青年に感謝した。
しかし多忙な事と他国に出向かなければならない用事もあり、暫くは直接礼をする事も出来なかった。
ようやく仕事に区切りを付けたフラウと有の二度目の顔合わせは図書館でだ。
フラウは神子が来るまで図書館に訪れる事は皆無だった。
しかし神子が来た事により神子の事を学ぶ必要が出てきた為、かなり久しぶりに図書館を訪れた。
そんな割と仕方なく訪れた図書館は思いのほか安らげる場所で、特に二階奥のテーブルはほどよく暖かく静かで休憩を取るには最適の場所だった。
なにより口うるさい一部の大臣に会う必要もない。
それ以来フラウは度々暇を作ってはその場所に安息を求めに行った。
そんなある日、またも安息を求めて図書館の定位置に向かったフラウが見たものは、一月程前に会話して以来の青年が本に没頭している姿だった。
「久しぶりだな、教師殿」
確か名前は、ユウ=クラスト。
フラウは少し前の記憶を探りながら有に声を掛けた。
しかし返事は返ってこない。
「どうしたのだ?」
前の席に座り、机を手の甲でコンコンと叩いても返事は返ってこなかった。
どうやら集中すると周りの音が耳に入らない人間の様だ。
国王であるフラウの言葉を無視する人間など、まずいない。
しかしフラウはその事に腹を立てる事はなかった。
この空間に流れる柔かい雰囲気がそうさせているのかもしれない。
フラウは有の手元の青い本に目を向けた。
表表紙に“神子の遺したもの”と書いてある、一度読んだことがある本だった。
有はその本の後の方のページを見ていた。
読み終わるまで待つかとフラウは適当な本を持ってきて、有が気付くまでそこでゆったりと本を読み始めた。
その間、フラウはちらちらと有の方を見たが、一切気付く様子がなかった。
そんな有の集中力に思わず笑いが漏れたフラウは、ふと自問した。
こんな穏やかな気持ちになったのはいつ以来だろうか。
記憶を辿っても、思い至らないほど前の様だ。
・・・国王になってから知らずの内にその重責に押し負けておったのかもしれんな。
フラウは一度大きく溜息を吐くと、目の前に座る有を見た。
この雰囲気のおかげだろうか。
フラウは早く目の前の青年が自分に気付かないかと期待しながら、再び手に持った本に目を落とした。
この日以来、何の因果かフラウが有と遭遇する回数が圧倒的に増えた。
基本的には図書館での逢瀬であり、本に没頭している間の有はフラウが前に座ろうと気付きもしない。
しかし疲れ果てたフラウにはその静かな柔らかい時間が、“国王”の責から解き放たれる、唯一の癒しの時間となっていた。
少しでも長く傍に居たい。
フラウがそう思い始めるのに、時間は掛からなかった。
そしてその想いが更に変化したのはフラウが討伐に向かった時、つまり“国王”という形で有と二度目の接触をした時だ。
その時は“先詠み”で予言された間近に迫る非常事態に、国民を守りに行かねばと焦っていた。
その所為で国王としての非情な部分がつい口から飛び出してしまったのだ。
言葉を放った直後に脳裏を占めた後悔は筆舌に尽くしがたい。
振り払った時に見た泣き顔に、心臓が抉り取られるようだった。
フラウはすぐさまこの場で謝り抱きしめたいと思ったが、“国王”という立場がそれを許さなかった。
それから無事討伐が終わり帰還するまで、フラウの心は有で一杯だった。
逢いたい、早く謝りたいという一心でフラウは馬を急がせた。
そしてその願いは王宮に帰還してから十数時間を経て、叶えられる事になるのだった。
フラウは米神を押さえていた手を顎の方に移し、三日前の事を思い出しながら小さく微笑んだ。
静かに涙を流す有が、愛しかった。
細くなった身体を抱きしめ口づけたいと思ったのだ。
その意味に気付かないほど幼くはない。
勝手に動いていた体は、もし直前で正気に戻っていなければ間違いなく額ではなくその唇に唇を重ねていた事だろう。
「・・・国王になってから恋をする事になろうとは、な」
主しかいない部屋に小さな声が木霊して消えた。




