6コマ目 新作パフとアナシャ相談所
「「ただいま~」」
タール村に着き、クラスト家に足を踏み入れたのは午後二時ごろ。
家の近くに一時的に馬を繋ぎとめたシャルヤと共に有は家へと入った。
何か作っている所なのか、扉を開けた瞬間少し甘い匂いが鼻を擽った。
扉を開けて声を掛けても誰も出てこないことを不審に思いながら家に上がると、奥のキッチンの方からアナシャがゆっくり歩いてきた。
「あらあら、おかえりなさい。二人一緒に帰ってきたのね」
アナシャは変わりなく元気なようだ。
白色のエプロンを身につけて、顔には頬笑みが浮かんでいる。
しかしこの場にメーヤの姿がない。
「あれ、親父は?」
シャルヤがその事に疑問を抱き尋ねると、ちょうど村長の所に行っているのだと言った。
「今日は聖水を汲みに行く日なのよ。三時頃に森に入るって言っていたから、帰ってくるのは六時位かしら」
「ああ、そっか。んー・・・じゃあ俺ウマを柵の方に移して、その後親父たちの方に付いてくよ」
その提案にアナシャは喜んで賛同した。
「まぁ。シャルヤが付いていってくれるのなら万が一何かあっても大丈夫ね」
つい先日魔獣に襲われそうになった所なのだ。
聖水を取りに行く人達も大なり小なり心のどこかで不安を抱えているに違いない。
「任せといて。じゃあ行ってくる」
シャルヤは持っていた荷物を部屋に置くと、息つく間もなく家の外へと出ていった。
「はぁ、あの子は本当に行動が早いわね。もう少し休んでいけばいいのに」
「ほんとにね。俺なんて一日もウマに乗ってたせいで身体がだるいよ」
普段から鍛えているシャルヤと有ではその体力も筋力も歴然の差があった。
それに向こうの世界でも馬に乗ったことなど無い有が、より脚力が強く持久力も高い此方の馬に上手く乗れる訳が無い。
この世界では頭数が少なく超高級な馬に、一般家庭の人間が乗る機会なんてまず無いのだ。
「そうねぇ、私もシャルヤに乗せてもらった事はあるけれど、もう一度乗りたいとは思わないわね」
「俺は帰りも乗らなきゃいけないんだけどね・・・騎士の人達は凄いと思う」
「ええ、本当にね。それはそうと、ユウも早く荷物を置いていらっしゃいな」
アナシャは有の足元に置かれている袋に眼を移す。
有は自分で持ってきたというのに言われるまでその存在を忘れていた。
「ああ、そうだった。ごめん、ちょっと生徒達にお土産を渡してくるよ」
有はその袋を持ちあげると、腕の中に抱えた。
「分かったわ。直ぐ帰ってくるのかしら?」
「うん、今日は渡してくるだけだから、直ぐだと思う」
「ふふ、どうかしら。みんなユウに会いたがっていたのよ。離してもらえないんじゃないかしら」
アナシャは何かを思い出す様にクスクスと笑う。
「ああ、でも三時頃に新作のお菓子が焼きあがるのよ。もし早めに帰ってこれたなら一緒にお茶にしましょう」
「それは何としてでも早めに帰ってこないと」
有もそう言って笑うと、さっそくお土産を配りに生徒たちの家へと向かった。
アナシャの予測通り行く先々で生徒に拘束された有は、明日王都のことを話すよ、お菓子を作って待っているねと妥協案を出して何とか切り抜けた。
有が家に帰宅したのは三時を少し過ぎた頃だった。
「ただいまぁ・・・」
断る事に体力を使った有は疲れ果てながら、再びクラスト家の扉を開けた。
「おかえりなさい。思ったよりも早かったわねぇ」
そんな疲れた様子の有にアナシャは苦笑すると、リビングへと連れ、席に座らせた。
ようやく一息つけ、ホッとしている有の前のテーブルに、変わり種の焼き立てフルーツパフとジャムが置かれた。
「それにしてもまさか今日帰ってくるとは思わなかったわ」
アナシャはコポコポとコク茶をカップに注いでいる。
コク茶のミルクティーの様な香りとパフの甘い匂いが部屋を満たしていく。
「今日の夕食は豪勢にしないとね」
楽しそうにしながらアナシャはフルーツパフの一つにナイフをそっといれ、半分に切り分けた。
焼き立てという事もあり、開かれた内側から湯気が上る。
アナシャはそれを皿の上に盛ると、さらにジャムをその上に乗せた。
このパフはスープに付けるのではなく、特製のジャムを掛けて食べるようだ。
有はごくりと喉を鳴らした。
「・・・ん?どうして豪勢に?」
有はそのパフに目を釘付けさせながら、疑問に思った事を聞いた。
シャルヤの帰省祝いかとも考えたが、今までの帰省日の料理はいつも通りの食事だったはずだ。
「あら、今日はあなたがこの家に来てちょうど五年じゃない。それに二人の帰省がちょうど重なったのだから、これを祝わない手はないでしょう?」
そう、聖水を取りに行ったメーヤが有を見つけて連れてきてからちょうど五年が経ったのだ。
「ああ、もうそんな時期だっけ」
「そうよ。はい、出来たわ」
アナシャは綺麗に盛り付けた皿を有に差し出した。
有は有難うとそれを受け取ると、早速フォークで刺し口に運んだ。
その瞬間ほんのりとした甘酸っぱさが口に広がる。
「あれ、このジャムもしかしてルコラ?」
「ええ、名産をもっと活かせないかと、新しくルコラ入りのジャムを作ってみたのだけれど、どうかしら?」
有はもう一つ口に入れると、もぐもぐと口を上下に動かした。
爽やかな酸味と甘みが、サクサクしっとりな果肉入りパフに絶妙にマッチしている。
「うん、すっごくおいしいよ!」
「よかった。試作段階だったからちょっと自信がなかったのよ」
「これで?店に並んでてもおかしくないよ」
有は積み上げられたパフとジャムを見て、目を瞬いた。
その時ふとミシェルの顔が頭に浮かんだ。
「・・・そういえば王宮のシェフがアナシャさんのレシピをべた褒めしてたよ。天才だって」
その時の事を思い出して有は小さく楽しそうに笑った。
「あら。王宮のシェフに褒められるだなんて身に余る光栄だわ」
同じようにアナシャも柔かく笑った。
それから暫く二人、主に有が三ヶ月の出来事を話しながら、アフタヌーンティーを楽しんでいた。
お茶会も終盤に進みカップの中身が温くなった頃、アナシャはそれまでの聴きの体制を崩した。
「ねぇ、ユウ」
「ん。何?」
どうしたのと表情に書いてある有にアナシャはニコリと微笑んだ。
「何か悩んでいる事があるのかしら?」
その言葉にドキリと有の胸が高鳴った。
「う、え、なにが?」
「ふふ、私の目は誤魔化せないわよ」
王都での出来事を話している時、僅かに上の空になったり、少し眼に動揺が浮かんだりした事をアナシャは見逃さなかった。
アナシャ以外であれば、間違いなく気付くことはなかっただろう。
その確信の言葉に、有はハァと小さくため息を吐いた。
「・・・ほんと、アナシャさんには叶わないや」
ここ数日有を苦しめていた感情と想い。
話してしまえば楽になれるのかもしれない。
話したい。でも。
塾講師という職業柄もあるが、元々の性分が大きいのだろう。
浅く広くをモットーに、昔からそんな関係を築いてきた有。
その中でいつしか自分の内の深い所が露見することを恐れ始めたのだ。
否、露見して相手に否定される事を恐れたのだ。
アナシャはきっと有を否定したりはしないだろう。
それでも。
「でも、大丈夫。ありがと。そんな大したことじゃないんだ」
有は笑ってその想いを隠した。
アナシャはそんな有の返事を予想していた。
有がクラスト家に来てまだ間もない頃、有はいつも楽しそうにこの世界の事を学んでいた。
辛い、悲しいという素振りなんて少しもなく、本当に楽しそうに見えたのだ。
その姿にアナシャ達は、有がこの世界に来た事を受け入れて、前の世界の事を割り切ったのだと思い込んでいた。
それほどに有は巧みに自分を隠すのだ。
いくら大人だとはいえ、気付いたら異世界にいたなんて、そう割り切れるはずもないのに。
アナシャがその事に気付いたのは、半年が経った頃だった。
その日、偶々目が覚めたアナシャは、有の部屋が開いている事に気付いた。
どうしたのだろうと中を見ても誰もおらず、不審に思ったアナシャは窓の外、少し遠くで木に寄りかかる様に座っているその姿を見つけた。
冬でとても肌寒いというのに上に何も羽織らず外に出ている有。
アナシャはそれを気にかけて、上掛けを持って外に出た。
そして上掛けを渡そうと近づいた時に、ようやく有が声も出さず静かに泣いている事に気付いたのだ。
アナシャに気付いた有は慌てて涙を拭い、何かを言って家に走っていったが、アナシャはそのまま棒立ちしていた。
夕食の時も楽しそうにしていたし、寝る前も笑顔だった。
そこでようやく気付いたのだ。
有が話しにくい事や強い想いを、その心の内に秘めて鍵を掛けてしまうことに。
アナシャは半年もの間身近に暮らしていたのに、その事に気付けなかった自分を恥じた。
それ以来アナシャはより一層有の様子を気にかけた。
どんな小さなサインも見逃さない様に。
少しでも溜めこんだ想いを吐き出せるような安心できる存在になれる様に。
それでも肝心な鍵は開けてもらえなかったが、箱を見せてくれるようになったのだ。
アナシャはその箱を一人で重くない様に、手を差し出して支えるのが自分の役目だと考えていた。
だから今回もアナシャはその役目を買って出た。
もちろんアナシャは有の心の鍵を開けることができた唯一の人物がこの世界にいるだなんて露も知らない。
「ねぇ、ユウ。核心的な事は話さなくて良いわ。それに訊かれたくない所は答えなければいいから、いくつか質問させてくれないかしら」
アナシャは質問形式なら、有が嫌な部分に触れないでも良いと考えた。
それに対し有はアナシャのとことん有を気遣った提案に、少し悩んでから小さく頷いた。
「ありがとう。それで、悩んでいる事は、自分の事?それとも他の人に関する事なのかしら?」
アナシャの早速の質問に、有は一つ一つ答えを返していった。
「どっちも・・・・かな」
ただどちらかといえば、自分の事だろう。
「その他の人って言うのは、ユウが嫌いな人?」
「違うよ。・・・けど羨ましいと思う人もいる、かな」
有が頭に思い浮かべているのは自分を兄のように慕う少年と連日夢に出るあの人だった。
「その人の立場が羨ましいという事かしら」
それに対して有は頷いた。
その事にアナシャは首を傾げた。
「どうして羨ましいのか、訊いてもいいかしら」
その言葉に有は少し迷った後口を開いた。
「その人にしか、出来ないことがあるんだ」
国民にはまだ知らされていないその存在。
嫌いか好きかと聞かれれば、間違いなく好きな部類だ。
「特別な人なのね」
その答えを聞いて、アナシャは一つの仮定を頭に思い浮かべた。
そして次の反応を見て、その仮定が事実に近いものだと確信した。
「ユウは色んな人に特別だと思われたいの?」
その言葉に有は考え込んだ。
フリをした。
結論は、一晩考え込んだ日にほとんど出ているのだ。
ただ、それでも否定し続けているその想い。
その他大勢に特別だと思われたい訳ではなく、たった一人のあの人に特別だと思われたいという想い。
それは、間違いなく。
アナシャは俯いたままの有を見て、ふぅ、と小さく息を吐いた。
それが呆れから来るものでないという事は、その慈愛に満ちた眼が物語っていた。
「人を好きになる事はとても素敵な事よ、たとえ相手が誰であっても」
恋愛ごとだと確信を得たアナシャは有の悩みようから想い人が良い所のお嬢さんだと想定した。
まさか男でこの国の王様だなんて到底思ってもみなかった。
だが、例え相手を知っていても同じことを言っただろう。
「あなたの想いを大切にしなさいな」
その優しい言葉と頬笑みに、有は否定し続けていた想いを受け入れていいのだと漠然と思えた。
アナシャの言葉をすんなりと受け入れられたのは、四年以上のアナシャの努力の甲斐とも言えるかもしれない。
男同士だとか、相手は国王だとか、何も解決してはいないけれど、心の重しが一つ取り除けたようだった。
「俺、アナシャさんの事大好きだよ」
「あら、私もユウの事大好きよ。でも本命はメーヤよ?」
アナシャの悪戯な笑みに、有は心から笑った。




