第39話 夜空
俺は、ふと、”ある男”の姿を思い出して……。
「……疑問。……なんで、不快なんだろう?」
そう思った。
何故、この──この男のことを思い出して、そう思ったのだろう。
もう、考える必要もない相手なのに。
既に、手放してしまって問題の無い記憶のはずなのに。
俺を、俺として、オメガとして形成する上で、全く必要の無い要素のはずなのに……。
「……どうしたんだい、オメガちゃん……?」
俺は、突然頭の中に湧いた疑問に、頭がいっぱいになっていた。
……すると、隣に座っていたセルグが、そう声を掛けてくる。
しかも、その声音は……何故か、不安?そうであった。
「……質問。……何が?」
「いや、何がって……だってオメガちゃん、今いきなり暗い顔をし始めていたよ? それに、突然不快だって──何を、考えていたんだい?」
男は、続けて聞いてきた。
暗い顔?
……俺が、そんな顔をしていたのだろうか。
だからセルグは、その理由を知りたくて、質問してきたと。
……。
「……回答。……たぶん、父親──っていう人の事、思い出していたから……」
「──!」
……本当に、口にするだけでも、嫌な気持ちになった。
どうして、今まで思い出さなかったのだろう。
何故、今更不快だなんて感じるのだろう。
──これまでだって、そう思えるはずの機会は、幾らでもあったのに。
「父、親って……──そうか。やはり君は、親御さんと……」
「……?」
セルグが、一人で何かを呟いた。
しかし、それは小さすぎて、何と言ったのかはわからなかった。
……。
……だが、まあ……。
──これ以上は、もうよそう。
そんな、思い出したくもない男の姿を思い出すのは、もうやめよう。
また、今までと同じように、記憶の彼方に捨ててしまおう。
……どうせ、もう二度と会うことは無い存在なのだから。
────今の俺はオメガ。
俺はそれを受け入れ、それに従い、それを享受する。
だから、これからはもう……誰にも縛られず、侵されず、そして自由に……生きてゆきたい。
「──オメガちゃん……大変、だったね」
「……?」
セルグが、突然そう言って────何故か、俺の頭の上に、手を置いてきた。
しかも男は、その手をそのままゆっくり動かして、頭上を漂わせた。
触れて。
揺れて。
擦る。
ゆっくり、ゆっくりと動いて……俺を、”撫でていた”?
「……疑問。……何故、撫でるの?」
「──何となく、そうするべきだと思ったからだよ。オメガちゃんが暗い……不安そうな顔をしているように、思ったから……」
「……否定。……そんな顔、してない」
それに関しては、全くの事実だった。
確かに、俺は今考え事していて、その過程で俯いていたことは認める。
しかし、断じて不安な顔などしていなかった。
というより、そんな表情を浮かべる理由が無かった。
意味が無いし、効率が悪いし、不合理だ。
……だから、そんな顔は決してしていない。
「ははっ、そうかい? なら、私の思い過ごしだったよ。……いきなり頭に触って、すまなかったね」
そう言って、セルグは俺の頭から手を離した。
俺は頭皮に感じていた熱が離れ、結果的に、逆に冷たさを感じた。
……彼の手は、汚れていた。
料理をして、食事をして。
確かに数度、水で洗っていたけれど、それでも綺麗な手とは程遠かった。
──だが。
……。
────だが、決して……不快だとは、思わなかった。
「……あっ! オメガちゃん。ほら、見てごらん。──やはり今夜は晴れていて、綺麗に見えるようだ」
……突然、男がそんなことを言い出した。
その声につられて、セルグの方を見ると、彼は上を見上げていた。
「……疑問。……何を、見るの?」
「何って……空だよ、空。上を見上げてごらん?」
「……。」
言われるがまま、俺も彼と同じように、空を見上げた。
……そして、俺は────思わず、目を見開いた。
「──。」
森の中。
焚火の火により、足元は僅かに照らされる。
見上げた視界の端には、木々の葉が映っていて。
しかしそれらも、小屋の周りの開かれた空間では、その先を見る邪魔をしないでいた。
──見上げた先。
そこには、空を埋め尽くすほどの輝きが、これでもかと散りばめられていた。
「……。」
何と、言葉で表現すればいいのか分からなかった。
ただ、一言。
今の自分の気持ちを、表すとするならば──
「……大、きい……」
自分は、なんて『小さな存在なのだろう』、という事だった。
この、星々が煌めく空に比べれば、俺など取るに足らない存在なのだと思わされる。
……それだけ、今宵の夜空は偉大だった。
「……オメガちゃん。私はね、この場所から見る、この空が好きなんだ」
「……肯定。……私も、良いと思った」
空の良し悪しなど、恐らくは無いのだろう。
何処から見ても、何を通して見ても。
これだけ大きいのだから、空は所詮空なのだ。
……ただ。
この空を見て、少なくとも俺は……嫌な気持ちなど、微塵も感じなかった。




