第38話 不要な記憶
──お湯が沸いた。
鍋の中の水が沸騰して、ブクブクと音が鳴る。
……暫くすると、セルグが言っていた通り、鍋から動物の骨を取り出した。
そこに、軽く塩を振る。
そして、まずは肉から、順に鍋の中へと入れていった。
お湯に浸かる前の肉は、深い赤色を帯びていた。
しかし鍋に入り、熱湯に晒されると徐々にその色が変化していく。
最初は深紅だった表面が、少しずつくすんで、薄い灰色に。
更に長く湯立つと、今度は茶色へと変化しつつあった。
……その頃になると、セルグが他の食材も鍋に入れ始める。
まずは茸。
傘のような部分があって、元の状態から半分に切られている。
次に野草、の一部。
主に茎のような所や、緑色の濃いものだけを入れる。
そして、セルグは軽く中をかきまぜてから、再び鍋を焚火に寄せた。
どうやら、ここから更に『煮込む』というのをするらしい。
……途中、男は一度か二度、鍋の水の表面を軽く掬っては捨てていた。
何故そうするのかと理由を聞くと、それは『アク』といい、これを取った方が美味しくなるからだと教えてくれた。
──その後は、ただひたすら煮込んでいた。
鍋が熱くなり過ぎないようにしながら、ゆっくりと。
コポコポと軽い音を鳴らして、気付けばいい匂いがしていた。
……途中、セルグが残っていた野草を、全部鍋に入れた。
そして煮る。
煮る。
煮込む。
……。
……。
──。
────マダ?
「……さて。そろそろいいかな?」
「──!」
思わズ、私は飛びつキそうな勢いダった。
すルと、男がそウ言った。
「あぁ、ちょっと待ってねオメガちゃん。我慢できないのは分かるけど、直ぐに器によそうから……」
そノマま、私が鍋に手ヲ伸ばそうトスルと、男が止めてきタ。
装ウ?器二?
……なんデモ、いイから。
早ク、速く……ハヤク食ベタイ。
「──はい、どうぞ。熱いから気を付けてね。あ、それとパンもある────」
「……ズズ、んガッ!」
私ハ、渡さレタ器を、奪イ取ッた。
そシテ、直ぐ二、口を開イテ。
呑ミ込ム、全部ヲ。
中身ヲ、喉の奥に。
押シ込むヨウニ、押シ込んダ。
……。
……。
……。
──うん、美味しい。
「……評価。……美味しい」
「ははっ、そうみたいだね」
俺は、渡されたスープをあっという間に飲み干してしまった。
……いや、果たして。今飲んだものは本当にスープだったのだろうか。
お腹が空き過ぎて、とにかく夢中で器の中身をかき込んだ。
そして気が付けば、口の中にほのかな塩味と旨味が広がっていた。
その状況からして、恐らく俺は、たった今出来上がったスープを飲んでいたはずなのだが────その自覚が、薄いような気がする。
……。
……。
……まあ、いいか。
大した問題では無い。
それよりも──。
「……要求。もっと、食べたい。……おかわり」
……今は、この耐え難い空腹感を、補うのが先だ。
「あぁ、勿論いいとも。さっきも言った通り、好きなだけ食べていいからね」
セルグはそう言いながら、俺が渡した器を受け取り、スープをよそい始めた。
”好きなだけ食べていい”。
……という事は、これまでの一連の行動から、俺は『料理の準備の手伝いをする』条件を達成できたという事だろう。
だから、今こうして、美味しい食事にありつけている。
……。
……あれ、そう言えば。いつの間に、パンが置いてあって……。
「……質問。……こっちも、食べていいの?」
「え? あぁ、そうだよ。それはオメガちゃんの分だから……パンもおかわりあるからね」
俺も気付かぬうちに、自分の膝の上にはパンの乗った木製の皿が置かれていた。
そして、どうやらそれも、好きなように食べていいらしい。
……。
「────幸福。……いっぱい食べられて、嬉しい」
俺は、今──きっと、それを感じていたのだと思う。
必要な、労働という対価を払って、食事にありつく。
……あぁ、なんだか……この感覚は、懐かしい感じがする。
労働、努力、苦労────その結果に得られるのは身体的な、或いは心理的な、安らぎだ。
それを人は、『幸福』と呼ぶ。
だからきっと、俺は今安らいでいて、満たされて、充実していて……幸せ、なんだと思う。
「──いっぱい食べられて、か……そうだね、たくさん食べるのは大事なことだ。オメガちゃんは今日は沢山頑張ってくれたし、これからもお腹一杯食べていいからね」
「……? ……うん」
セルグは、何故かそう言って、俺の大食を許してくれた。
しかし、相手が食べていいというのなら、それに甘んじるのは当然だろう。
なにせ、俺は今”幸せ”なのだから。
……本当に。
この感覚は、本当に久しぶりだ。
────それこそ、例え”父親に言われたことをしていただけ”だったとしても、初めて他人から自分の仕事を評価された時みたいに──。
────。
────。
──。
……父親?
「──疑問。……それはもう、必要のない記憶のはず……」
……今、何となく……。
その気持ちが、考えが湧いて……。
ただ、一人の男の姿を思い浮かべた。
それは、本当に偉大で。
大きく、強く、過剰に、抗うことが出来ず……
────本当に、不快な男の姿だった。




