第33話 ただ水を飲もうと
セルグから木の桶を受け取り。
それを両手で抱えながら、俺は彼の後ろに付いていた。
「──オメガちゃん。この道、覚えておくといいよ。……ここで暮らすなら、何かと川に降りることは多いからね」
男の小屋を離れ、山道……なんて大層なものではない、獣道。
草木の間を縫うように、ほんの少しだけ開かれた隙間を、進む。
……相変わらず、慣れない森の道。
危なっかしい足取りと、両手が桶により塞がっている状態から、思わず何度か転びそうになった。
……。
……。
……!
……そんな中、しばらく歩いていると。
木々の向こうから、僅かに川のせせらぎが聞こえるようになった。
ここ数日の間、四六時中聞き続けていた、あの道しるべの音が。
「──ほら、着いたよ。……オメガちゃんはさっき、丁度あの辺の石に座っていたよね」
茂みを抜け、開いた先はそこそこ幅の広い川の辺。
そして、数歩前を歩いていたセルグは、そう言って一つの岩を指差していた。
……確かに、俺は先程あれぐらいの石に座っていた気がする。
空腹を感じて、食事を摂取しようとしていた時に、突然セルグに話しかけられたのだ。
「……正直、本当にびっくりしたよ。まさかこんなところに人が、しかも君みたいな可愛い女の子が居るなんて思ってもいなかったから……その上、そんな恰好で普通に座って、真顔で石を食べようとしていたんだからね」
「……。」
びっくりした……かは、さておき。
こちらも、ここで再び知性のある存在に出会えるとは思わなかった。
それに、いきなり住処に案内されるとも、食事を分けてもらえるとも思わなかった。
……。
……まあ、今となっては。
あの時、食事の邪魔をされたことも……結果として、是に働いたのかもしれない。
「……肯定。……お腹、空いてたから」
「ははっ、そうだね。オメガちゃんは見た目に寄らず沢山食べるみたいだし、夜ご飯も沢山用意しないと。──さて、さっさと水を汲んで帰ろうか」
セルグはそう言うと、川に近づいた。
そのまま片手に持っていた桶を傾け、水を汲み始める──前に、何故かそれを一度地面の上に置いた。
「……?」
俺がそれを不思議に思っていると、セルグはその場で膝を付き、両手で川の水を掬った。
そして、掬った手の縁に口をつけ、中身をグイっと飲み込む。
「──プハァー! 久しぶりに人と話したおかげで、喉が渇いてしまったよ。……オメガちゃんも、一緒にどうだい?」
彼はそう言うと、こちらを手招きした。
……まるで、自分の隣に来いと言いたげに。
「……。」
俺には、そうしたセルグの行動の意味が、分からなかった。
一緒に水を飲もう、と……誘っているのだろうか。
何故?
……。
……別に、喉は乾いていないんだが……。
「……肯定。……飲む」
だが、だからと言って断る理由も無かった。
この男が、何故俺にそうして欲しいのかはわからない。
が、もしかしたらコレもご飯の準備の手伝いに含まれるのかもしれない。
──それに、水も飲もうと思えば、飲めるのだから。
「……。」
そう思った俺は、セルグの隣にしゃがみ込んだ。
そして、彼と同じように両手を器の様にして、川の水を掬う。
……前に川の水を飲んだ時は、頭をそのまま水中に付けて啜っていた。
だから、こうして手で掬って川の水を飲むのは、これが初めてかもしれない。
「ん……」
水を掬った両手の縁に、口をつける。
先程、セルグがやっていたのと、同じように。
そのまま手と顔を上に向け、器の中の水を口の中に運んだ。
……。
……。
……?
……あれ、おかしいな……?
「……疑問。……水、飲めてない」
手の中の水を飲もうとする動作のまま、俺は数秒停止していた。
……しかし、どういう訳か。
いつまで立っても、口の中に水の感覚を感じることは無かった。
おかしい……。
「────ぷっ……はっはは!」
──突然、隣から大きな声がした。
それは……セルグの、”笑い声”。
一体、何が起きて。どうして笑ったのか……。
「ははっ、はぁ……オメガちゃん、それじゃあ水は飲めないよ。両手の指の間に隙間があり過ぎて、掬った水が全部零れちゃってるじゃないか……ふふっ」
彼にそう指摘され、俺は一度上げていた顔を下に戻し、水を掬ったはずの両手に視線を落とす。
──すると、確かに。
セルグの言う通り、そこにあったはずのものが全て、指の隙間から抜け落ちてしまっていた。
……おかしい、確かに水を掬った筈なのに。
「……納得、拒否。……水が、消えた」
「────ははっ……面白いね、オメガちゃんは。君みたいな子でも、冗談とか言うんだね……ふっ」
相変わらず、男は笑っていた。
多少抑えようとも、笑いが漏れ出すように。
空気を溢しながら、俺を見ていた。
……納得いかない。
何で、笑われているのだろうか。
────ただ、水を飲もうとしただけなのに……。




