救うという願い ― 聖女と呼ばれた日 ―
スタンピードは終息した。
しかし、街には多くの傷跡が残されていた。
倒壊した建物。
傷ついた人々。
そして救いを求める声。
戦いが終わった今、エリス達は剣ではなく、人々を救うために動き出す。
セントポルの街は静けさを取り戻したとはいえ、魔物の襲撃による爪痕は至る所に残っていた。
倒壊した建物。
傷ついた人々。
泣き声と怒号が入り混じる街並み。
戦いが終わっても、やるべきことはまだ残っていた。
ルシアンは周囲を見渡しながら指示を出す。
「まずは負傷者の確認だ。動ける者は負傷者を探して教会前へ集めてくれ」
全員が頷く。
「エリス、ミリア」
「はい」
「分かったわ」
「二人は大聖堂前で治療を頼む」
ルシアンの指示に二人はすぐ動き出した。
騎士達もその言葉を聞き、街中へ散っていく。
しばらくすると騎士隊長がやって来た。
「皆様、この度は本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「辺境伯様にも皆様の功績は必ず報告いたします」
そう言い残すと、再び負傷者の捜索へ向かっていった。
クラリス、カイル、ガルド、マリンも負傷者の救助へ向かう。
そしてレオネリアとメルキオラも当然のようにその後を追った。
エリスとミリアは大聖堂へ急ぐ。
大聖堂前には既に多くの負傷者が運び込まれていた。
神官達が聖なる力で治療を行っている。
この世界では怪我人や病人を救うことも教会の大切な役目だった。
そんな中――
「エリスさん! ミリアさん!」
神官の一人が二人に気付き声を上げる。
エリス達は周囲を見回した。
すると、負傷者達の中心で治療を行っている人物を見つける。
アウグスト大司教だった。
「大司教様!」
ミリアが駆け寄る。
「私も手伝います」
「助かります」
アウグストは安堵したように微笑んだ。
エリスとミリアも治療に加わり、一人でも多くの命を救うため奔走する。
そんな時だった。
「お願いです!」
女性の悲痛な叫び声が響いた。
全員の視線がそちらへ向く。
一人の女性が少年を抱きかかえながら駆け込んできた。
「息子を……どうか助けてください!」
母親は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらアウグストへ縋り付く。
抱えられている少年を見た瞬間、その場の空気が凍りついた。
右腕が肩口近くから失われている。
応急処置として縄で縛られているが、完全には止血できていない。
服は血で真っ赤に染まり、顔色は死人のように青白い。
呼吸も弱々しかった。
アウグストはすぐに少年の状態を確認する。
しかし――
その表情が曇った。
「……厳しい、か」
その言葉に周囲の神官達も俯く。
治癒魔法は万能ではない。
傷を塞ぐことはできる。
だが失われた腕を生やすことはできない。
そして大量に失われた血液を戻すこともできない。
母親は何度も頭を下げた。
「お願いします……!
この子が助かるならなんでもします……!
お願いです……!」
必死の願い。
しかし誰も言葉を返せなかった。
誰の目から見ても助かる見込みはなかった。
その時だった。
「私にやらせてください」
静かな声が響く。
エリスだった。
全員の視線が集まる。
アウグストが驚いたように振り返る。
「エリスさん?」
ミリアは少年とエリスを見比べる。
そして何かを思い出したように目を見開いた。
「……そうか」
小さく呟く。
リンドルでの出来事。
瀕死だったカイルを救った奇跡。
あの時と同じだ。
ミリアはそっと頷いた。
「お願い、エリス」
エリスは頷くと、少年の前に膝をつく。
そして優しく頭を撫でた。
「大丈夫
絶対に助けるから」
薄く開いた少年の瞳がエリスを見つめる。
エリスは失われた右腕の付け根へ手を添えた。
そして静かに願う。
「戻って」
その瞬間――
柔らかな光が少年の身体を包み込んだ。
流れ出ていた血が止まる。
青白かった顔に少しずつ血色が戻っていく。
さらに光は失われた右腕へ集まっていった。
骨が形成される。
筋肉が繋がる。
血管や神経が再生する。
そして最後に皮膚が覆った。
光が消えた時。
そこには――
失われたはずの右腕があった。
「う、腕が……」
神官の一人が震える声を漏らす。
周囲からどよめきが広がった。
母親は信じられない表情で息子の腕に触れる。
温かい。
確かにそこに存在している。
少年の呼吸も安定していた。
顔色も先ほどとは別人のようだった。
「助かった……の?」
震える声で母親が尋ねる。
エリスは微笑む。
「うん
もう大丈夫です」
その瞬間。
母親はその場に崩れ落ちた。
そして涙を流しながら何度も頭を下げる。
「ありがとうございます……!
本当にありがとうございます!」
少年もゆっくりと目を開ける。
その姿を見て母親は息子を強く抱きしめた。
教会前に集まっていた人々から歓声が上がる。
奇跡だった。
誰もが助からないと思った命。
失われた腕。
それら全てをエリスは取り戻してみせた。
アウグストはしばらく言葉を失っていた。
やがて静かに目を閉じる。
そして納得したように呟いた。
「なるほど……」
「古き記録の中で、境界の子が別名『聖女』と呼ばれていた理由が、ようやく理解できました」
その場にいた神官達が息を呑む。
アウグストはエリスを見つめた。
その眼差しには驚きだけではない。
深い敬意が込められていた。
「人々を救い、絶望を希望へ変える存在
確かにあなたは聖女なのでしょう」
その言葉に周囲の神官達も静かに頷く。
エリスは少し困ったように笑った。
だが人々の目には、絶望の淵から命を救った奇跡の聖女の姿が映っていたのだった。
大聖堂前では、奇跡を目撃した人々が次々と声を上げていた。
「見たか……!?」
「失われた腕が戻ったんだぞ!」
「まるで奇跡だ……!」
「聖女様だ!」
「本物の聖女様が現れたんだ!」
その噂は瞬く間に広がっていく。
エリスは戸惑ったように周囲を見回した。
だが、人々の興奮は収まる気配がない。
そんな中――
「負傷者を連れてきたぞ!」
聞き慣れた声が響く。
クラリス達だった。
クラリス、カイル、ガルド、マリン。
それぞれが負傷者を連れて戻ってくる。
しかし、大聖堂前の異様な熱気に気付くと首を傾げた。
「何かあったのかしら?」
クラリスが不思議そうに呟く。
人々は口々に聖女の名を叫んでいる。
だが、まさかその中心に自分の娘がいるとは思ってもいなかった。
負傷者を神官達へ引き渡した後、クラリスはミリアの元へ向かう。
「ミリア、何があったの?」
そう尋ねた瞬間だった。
群衆の中心にいる人物が目に入る。
「あ……」
思わず言葉を失う。
そこにいたのはエリスだった。
人々に囲まれ、
「聖女様!」
「ありがとうございます!」
と次々に感謝の言葉を向けられている。
クラリスは呆れたように小さく笑った。
「なるほどね
騒ぎの原因はエリスだったのね」
ミリアも苦笑する。
「仕方ないわ
腕を失った子を助けたのだから」
その言葉にクラリスは目を見開く。
「腕を……?」
ミリアは静かに頷いた。
クラリスは遠くから娘を見つめる。
そしてどこか誇らしげに微笑んだ。
「そう
エリスらしいわね」
しばらくしてレオネリアとメルキオラも戻ってきた。
二人もまた、大聖堂前の異様な雰囲気に気付く。
「何かあったの?」
メルキオラが尋ねる。
すると群衆の中心にいるエリスの姿が目に入った。
「なるほど」
レオネリアは自然と口元を緩める。
「流石ですね」
メルキオラも小さく笑った。
「ええ
我らの主らしいわ」
二人は胸の奥で静かな誇りを感じていた。
その時だった。
遠くから馬の足音が聞こえてくる。
カツ、カツ、カツ――。
やがて豪華な馬車が姿を現した。
側面にはレインハルト辺境伯家の紋章。
周囲の人々が道を開ける。
馬車は大聖堂前で静かに停車した。
扉が開く。
中から現れたのはセレフィーナだった。
「皆様、お疲れ様です」
優しい笑みを浮かべながら神官達へ声を掛ける。
神官達も慌てて頭を下げた。
やがてアウグスト大司教が歩み寄る。
「セレフィーナ様」
「大司教様」
二人は軽く挨拶を交わした。
しかしセレフィーナもすぐに周囲の異変に気付く。
「随分と賑やかですね
何かあったのですか?」
アウグストは穏やかに微笑んだ。
そして群衆の中心にいるエリスへ視線を向ける。
「実は――」
アウグストは先ほど起きた出来事を語った。
瀕死の少年。
失われた右腕。
誰も救えないと思われた命。
そしてエリスが起こした奇跡。
話を聞き終えたセレフィーナは驚きに目を見開いた。
「そんなことが……」
やがて優しく微笑む。
「やはりあの子は特別な方ですね」
アウグストとの話を終えたセレフィーナは、人々に囲まれているエリスの元へと歩み寄った。
「エリスさん」
声を掛けられたエリスが振り返る。
「あ、セレフィーナ様」
セレフィーナは周囲を見渡しながら小さく微笑んだ。
「また皆様を驚かせたようですね」
その言葉にエリスは慌てて首を振る。
「ち、違うんです!
私はただ助けたかっただけで……
驚かせるつもりなんて全然なくて……」
しどろもどろになりながら説明するエリスを見て、セレフィーナは思わず笑みを深めた。
「ふふっ」
「え、えっと……?」
エリスは不思議そうに首を傾げる。
「いえ、エリスさんらしいと思いまして」
そう言うと、セレフィーナは周囲の人々へ目を向けた。
未だに興奮冷めやらぬ様子で、あちこちから聖女という言葉が聞こえてくる。
「これは今夜も皆様をもてなさないといけなくなりそうですね」
少し冗談めかした口調だった。
エリスは困ったように笑う。
「そんな大げさな……」
「大げさではありませんよ」
セレフィーナは優しく答えた。
「今日、あなたに救われた方々にとっては、本当に奇跡だったのでしょうから」
そう言って微笑む。
だがすぐに表情を引き締めた。
「さて、私はまだ街の様子を見て回らなければなりません
被害状況の確認もしなければなりませんから」
エリスは頷いた。
「はい
お気を付けて」
セレフィーナは軽く会釈すると、その場を後にした。
その背中を見送りながら、エリスは再び運び込まれてくる負傷者へと視線を向ける。
まだ助けを必要としている人がいる。
それなら、自分にできることをするだけだ。
エリスは気持ちを切り替えると、次の負傷者の元へと向かうのだった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は戦いの後始末と、エリスが聖女として人々に認識されるきっかけとなったお話でした。
一方で、魔族側も今回の戦いで大きな動きを見せています。
セントポルでの騒動は終わりましたが、物語はまだ大きく動き続けます。
次回の更新は、6月26日18時を予定してます




