水都の縁 ー王都への道標ー
セントポルでの滞在は、エリス達に束の間の安らぎを与えていました。
しかし、旅の目的はまだ終わっていません。
王都へ向かうために必要な出会いと導きが、この水都で待ち受けています。
新たな一歩へと繋がる物語をお楽しみください。
馬車が城の正面へと到着すると、既に数人の従者達が待機していた。
先頭の馬車が止まるや否や、一人の年配の執事と思われる男が素早く前へ進み出る。
「セレフィーナ様、お帰りなさいませ」
恭しく頭を下げる従者達。
セレフィーナは優雅に馬車を降りると、小さく微笑んだ。
「ただいま戻りました」
その後に続いて、クラリスも馬車から降りる。
エリス達は既に別の馬車から降りており、そこで全員が合流した。
するとセレフィーナは、従者へ向き直る。
「こちらの方々は、私の命の恩人です」
その一言で、従者達の表情が変わった。
「客間へ丁重にご案内してください」
「かしこまりました」
執事は深く一礼すると、クラリス達へ向き直る。
「どうぞ、こちらへ」
そうして一行は、従者の案内で城の中へと入っていった。
「わぁ……」
中へ入った瞬間、マリンが思わず声を漏らす。
天井は驚くほど高く、赤い絨毯が真っ直ぐ奥まで敷かれている。
壁には美しい絵画や装飾品が並び、巨大な柱には精巧な彫刻が施されていた。
廊下の幅ですら、リンデンの宿屋一軒分はありそうだった。
エリスも目を丸くしながら周囲を見回す。
(お城って……こんな場所なんだ……)
歩いているだけで緊張してくる。
マリンなどは完全に落ち着きがなくなっていた。
「ね、ねぇエリス……床ピカピカすぎない……?」
「わ、わかる……なんか歩くの怖い……」
小声でそんなことを話しながら、二人は従者の後をついていく。
その様子に、ルシアンは苦笑を浮かべ、カイルは呆れたように肩を竦めていた。
やがて、一行は大きな扉の前へと案内される。
執事が静かに扉を開いた。
「こちらでお待ちくださいませ」
案内されたのは、豪華な客間だった。
ふかふかの長椅子。
美しく織られた絨毯。
壁際に飾られた高価そうな壺や絵画。
そして何より、部屋そのものが広い。
「……広……」
マリンが呆然と呟く。
エリスも思わずきょろきょろと辺りを見回してしまう。
普通の家なら、この部屋だけで丸ごと入ってしまいそうだった。
二人は、改めて自分達がとんでもない場所へ来てしまったのだと実感するのであった。
暫くして――
廊下の向こうから、複数の足音が聞こえてきた。
その音は客間の前で止まり、コンコン、と静かなノック音が響く。
「失礼いたします」
扉が開き、一人の男が姿を現した。
年齢は三十代半ばほど。
整えられた黒髪に鋭い眼差し。
端正な顔立ちをしているが、その立ち姿には自然と人を従わせる威圧感があった。
豪奢な衣服を纏っているものの、どこか軍人のような空気も感じさせる。
セントポル辺境伯――
ヴァルディス・レインハルト。
その若さに、エリスは思わず目を瞬かせた。
(この人が……辺境伯?)
もっと年配の人物を想像していた。
だが、周囲の従者達の態度を見れば分かる。
この男が、このセントポルを束ねる主なのだと。
その後ろには、先ほどまで一緒だったセレフィーナ。
さらに数人の従者達が続いて部屋へ入ってくる。
それを見て、クラリス達は立ち上がった。
ヴァルディスは真っ直ぐクラリスへ視線を向けると、深く頭を下げた。
「妻を救っていただいたこと、心より感謝する」
領主自らの礼。
エリスとマリンは慌てて姿勢を正した。
クラリスも静かに一礼する。
「身に余るお言葉です」
ヴァルディスは顔を上げると、そのまま続けた。
「セレフィーナから話は聞いている。道中で魔物と賊の襲撃を受けたそうだな」
「はい。ですが、奥方様にお怪我はありません」
「それが何よりだ」
ヴァルディスは小さく頷いた。
そして従者へ視線を向ける。
すると従者が、一つの革袋をテーブルへ置いた。
その音だけで、中身の重さが分かる。
「こちらは今回の報奨金だ」
ヴァルディスが淡々と言う。
「護衛依頼の報酬に加え、辺境伯家からの謝礼も含まれている」
ルシアンが袋の中を確認し――一瞬だけ目を見開いた。
「……これは」
普段冷静なルシアンの反応に、エリス達も驚く。
マリンが恐る恐る覗き込み――固まった。
「えっ……!?」
エリスも息を呑む。
そこに入っていたのは、見たこともない額の金貨だった。
普通の家なら、一軒どころか数軒買えてしまいそうな金額。
「こ、こんなに……!?」
マリンが思わず声を漏らす。
ヴァルディスはそれを見て、小さく笑った。
「妻の命に比べれば安いものだ」
その言葉に、エリスとマリンはさらに緊張してしまう。
だが次の瞬間――
ヴァルディスがふっと表情を和らげた。
「……さて。形式ばった話はここまでにしよう」
そう言って椅子へ腰を下ろす。
「ここからは、もう少し楽にしてくれて構わん」
セレフィーナも柔らかく微笑んだ。
「そうよ。そんなに緊張しなくても大丈夫」
だが、クラリスだけは姿勢を崩さない。
「お気遣い感謝いたします。ですが、そういうわけにも参りませんので」
するとセレフィーナは、どこか懐かしそうに笑った。
「昔から変わらないのね、クラリスは」
「立場ある方を前にして、礼を欠くわけには参りません」
「そういうところよ」
セレフィーナはくすりと笑う。
そのやり取りを見ていたヴァルディスは、小さく感心したように口を開いた。
「なるほど。セレフィーナがよく話していた理由が分かった気がする」
「恐縮です」
クラリスは静かに頭を下げた。
「王国騎士団時代、“白銀の剣姫”と呼ばれていたそうだな」
ヴァルディスの言葉に、エリスとマリンが反応する。
「白銀の剣姫……?」
セレフィーナは楽しそうに頷いた。
「王都では有名だったのよ?」
クラリスは僅かに困ったような表情を浮かべる。
「……昔の話です」
エリスは思わずクラリスを見る。
(やっぱり、お母さんって凄い人だったんだ……)
そんな中、セレフィーナがふと穏やかな表情で尋ねた。
「そういえば、あなた達はこれからどちらへ向かう予定なの?」
その問いに、客間の空気が少しだけ変わった。
クラリスは一瞬だけ考え込んだ。
どこまで話すべきか。
相手はセントポル辺境伯夫妻。
しかもセレフィーナは王族の血を引く人物だ。
今後のことを考えれば、ここで隠し続けるよりも味方につけておいた方がいい。
そう判断し、クラリスは静かに口を開いた。
「……実は、王都へ向かう理由がございます」
客間の空気が少しだけ引き締まる。
ヴァルディスとセレフィーナも、静かにクラリスへ視線を向けた。
「“境界の子”――その件についてです」
その言葉に、セレフィーナが僅かに表情を変える。
「境界の子……?」
ヴァルディスも眉を寄せた。
クラリスは慎重に説明を始める。
登録時に起きた水晶の異常反応。
古い文献に記されていた存在。
そして、それがエリスに該当する可能性。
もちろん、全てを話したわけではない。
だが、“普通ではない存在”として王都へ向かう必要があることは伝えた。
「現在は、こちらの教会で教皇猊下への紹介状を受け取った後、王都へ向かう予定です」
話を聞き終え、部屋には短い沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはセレフィーナだった。
「……なるほど。だから王都へ向かうのね」
「はい」
クラリスは静かに頷く。
するとセレフィーナは、ふと思いついたように微笑んだ。
「それなら、私からも紹介状を書きましょうか?」
「セレフィーナ様から、ですか?」
「ええ。王都で動くなら、その方が色々と話が早いでしょう?」
確かに、王族の血を引くセレフィーナからの紹介状は強力だ。
王都での扱いも大きく変わる。
クラリスも、その価値は十分理解していた。
だがその時――
セレフィーナは、どこか楽しそうに笑った。
「もっとも、“白銀の剣姫”の名前だけでも十分通じそうだけれど」
その言葉に、エリスとマリンが反応する。
「やっぱり有名なんだ……」
「お母さん凄い……」
だがクラリス本人は、僅かに困ったような表情を浮かべた。
「……昔の話です。今はただの冒険者に過ぎません」
「ふふ、そういうところも変わらないわね」
セレフィーナは楽しそうに笑う。
ヴァルディスも小さく頷いた。
「少なくとも、普通の冒険者ではないのはよく分かった」
その言葉に、クラリスは苦笑するしかなかった。
するとセレフィーナは、今度は柔らかな表情で言った。
「紹介状の準備には少し時間が掛かるわ」
「ですから、それまではこの城に滞在していってくださいな」
「……よろしいのですか?」
クラリスが確認するように尋ねる。
「もちろんよ」
セレフィーナは即座に頷いた。
「命の恩人なのですもの。それくらい当然です」
そして少し考えるようにしながら続ける。
「せっかくですし、一週間ほどセントポルに滞在していったらどうかしら?」
「一週間……」
エリスとマリンが顔を見合わせる。
こんな大都市に、そんなに長く滞在するなど想像もしていなかった。
しかも――城の中で。
「街も案内できるでしょうし、王都へ向かう準備を整える時間にもなるわ」
セレフィーナは穏やかに微笑む。
その提案に、クラリス達はそれぞれ考え込むのだった。
お読みいただきありがとうございます。
今回はヴァルディス辺境伯とセレフィーナ夫人との正式な顔合わせとなりました。
旅人として各地を巡ってきたエリス達ですが、領主の城で過ごすことになるのは初めてです。
また、クラリスが「境界の子」の件を打ち明けたことで、エリス達の旅は少しずつ王都へ向けて本格的に動き始めました。
そして何より、改めて語られる「白銀の剣姫」クラリスの名声。エリス達にとっては母であり仲間ですが、世間では今なお語り継がれる英雄でもあります。
次回からはセントポルでの滞在が始まります。水都での穏やかな日々の中、エリス達はどのような出会いを重ねるのでしょうか。
次回の更新は、6月10日18時を予定してます




