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魔族の女王が転生したら聖女になっていた  作者: 白神 エル
第一章:静かな日々  ― そして、幼き聖女の力は目を覚ます ―

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過去の史実

昨日の話を聞いたあとから、エノクは落ち着かなかった。

神官としての責務が、胸の奥で重く沈んでいる。


——報告すべきだ。


そう分かっている。

だが同時に、別の声が囁く。


——報告すれば、あの子を失うかもしれない。


エリスはただの保護対象ではない。

里子として迎え、共に暮らし、笑い合ってきた。


「……私は、神官失格かもしれないな」


小さく呟き、額に手を当てる。


それでも、決断はできなかった。

だからエノクは、別の道を選ぶ。

教会の奥にある書庫へと向かった。


古い石の壁に囲まれたその部屋には、長い年月を経た書物が静かに眠っている。

埃の匂いと、乾いた紙の気配。


「何か……手掛かりがあるはずだ」


一冊、また一冊とページをめくる。

時が過ぎていく。

光が傾き、やがて薄暗くなり始めたころ——


「……これは」


エノクが見つけた書物は、他のものよりもさらに古びていた。

表紙は擦り切れ、文字もところどころ掠れている。

慎重にページをめくると、ある章の見出しに目が止まった。


——「境界の聖女 アテナの記録」


エノクは息を詰めるようにして読み進めた。


“彼女は人の子として生まれたのではない”

“ある日、神殿の祭壇に光とともに現れた”


その記述は、まるでエリスのことを語っているかのようだった。


“母もなく、父もなく、ただ神の加護の証を纏っていた”

“人々はこれを奇跡と呼び、同時に畏れた”


エノクの指先が、紙の上で止まる。

次の頁には、彼女の幼少期の記録があった。


“アテナは幼き頃より不思議な力を持っていた”

“傷を癒し、枯れた大地を蘇らせる”

“しかし同時に、穢れを消し去るとき、その存在そのものを還した”


「……還す、だと」


エノクの喉が乾く。

それは“破壊”ではない。

だが結果は同じだった。


さらに読み進める。


“彼女は戦を終わらせた”

“疫病の広がる国を救い、荒廃した土地を再生させた”

“人々は彼女を救世の聖女と呼んだ”


だが、次の記述は暗かった。


"彼女は人々を魔族から救ったため、勇者とも呼ばれた”

”彼女には不思議な力があり、時に戦う相手の存在そのものを消した”

挿絵(By みてみん)


“その力は、やがて恐怖の対象となる”

“神の祝福か、理を乱すものか、議論は尽きなかった”


ページの端には、かすれた追記があった。


“最後の記録:彼女は光に包まれ、天へと還った”

“それが救済であったのか、排除であったのかは分からない”


エノクは本を閉じた。


胸の奥に、重いものが沈む。


「……同じ、なのか」


エリスの姿が、脳裏に浮かんだ。

無邪気に笑う少女。

だがその内側に眠るのは、世界の理に触れる力。


「もし、この記録が真実なら……」


その先の言葉は、口に出せなかった。


エノクは静かに書物を元の場所へ戻す。

その手は、わずかに震えていた。ページを持つ手が、わずかに震えた。


(エリスは……)


思考を途中で止める。

まだ、決めつけるべきではない。


その日の仕事を終え、いつもの道を歩く。

夕暮れの街は静かで、遠くで子どもたちの笑い声が聞こえる。


——この日常を、守りたい。


家の扉を開けた瞬間。

ふわりと、香ばしい匂いが漂ってきた。

肉の焼ける、食欲をそそる匂い。


「おかえりなさい

 今日は少し早く帰れたのね」


台所から、クラリスの声がした。

フライパンの焼ける音と一緒に、香ばしい匂いが部屋に広がっている。


「ああ、仕事が一段落してな」


エノクは外套を脱ぎながら答えた。


「今日は肉よ」


クラリスが少し誇らしげに言う。


「市場でいいものが手に入ったの」


「ほんと?」


エリスの目が少しだけ輝いた。


「ふふ、ちゃんと手を洗ってきなさい」


「はーい」


小走りに洗い場へ向かう足音が響く。

エノクはその様子を見ながら、ふっと微笑んだ。

やがて三人がテーブルに揃う。


「いただきます」


ナイフが皿に当たる音。

パンをちぎる音。

何気ない音が、心地よい。


「今日はマリンと何をしていたんだ?」


エノクが尋ねる。


「広場に行ったの」


エリスは肉を小さく切りながら答えた。


「噴水のところで話して……それから教会に行って」


「あら、珍しいわね」


クラリスが少し驚いたように言う。


「どうして?」


「昨日のこと、お礼を言おうって」


エリスは少しだけ視線を落とした。

エノクの手が、ほんの一瞬だけ止まる。

だが、すぐに平静を装った。


「そうか」


「ちゃんとお礼が言えるのは、いいことね」


クラリスは自然な口調で言う。

その声には、探るような色はなかった。

ただ、いつも通りの優しさだけ。


「パンも食べなさい」


「うん」


バターを塗ると、ほんのりと溶けていく。

エリスはそれを見つめながら、ふと呟いた。


「……こういう時間、好き」


「こういう?」


クラリスが微笑む。


「みんなでご飯食べるの」


一瞬、静かになった。

エノクが小さく笑う。


「それは何よりだ」


「じゃあ毎日好きでいられるわね」


クラリスが冗談めかして言う。

三人の笑い声が、部屋に広がった。

外では夜風が静かに吹いている。


だがこの家の中には、穏やかな温もりだけがあった。

クラリスの声。

その奥から、エリスが顔を覗かせる。


笑い声が、家の中に満ちる。


エノクはその光景を見ながら、静かに思った。


(……守らなければならない)


神官としてではなく。

ひとりの父として。


食事が終わり、しばらく三人で穏やかな時間を過ごしたあと。

エリスは椅子から立ち上がった。


「……おやすみなさい」


小さく頭を下げる。


「おやすみ、エリス」

クラリスが優しく微笑む。


「いい夢を見るんだよ」

エノクも静かに言った。


軽い足音が階段を上っていく。

やがて、扉が閉まる音がした。

家の中に、静けさが戻る。


暖炉の火が小さく揺れた。


「……話がある」


エノクが低く口を開いた。

クラリスは驚かず、ただ椅子に腰を下ろす。


「聞くわ」


エノクは今日の出来事を語り始めた。


教会の書庫。

古い書物。


そして——


聖女アテナの記録。


「エリスと……あまりにも似ている」


言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。


「現れ方も、力の性質も」


クラリスは黙って聞いていた。


「その聖女は、最後に天へ還ったと記されていた」


エノクの声が、わずかに震える。


「もし、同じ運命を辿るのだとしたら……」


言葉は途中で止まった。

想像するだけで、胸が締めつけられる。

しばらく沈黙が続いた。


やがて、クラリスが静かに口を開く。


「それで?」


「……それで?」


エノクが戸惑う。


「だから、どうするの?」


あまりにも落ち着いた問いだった。

エノクは答えられない。

神官としての責任。

父としての想い。


その間で、揺れている。


「私は……」


言葉が続かない。

そんなエノクを見て、クラリスは小さく息をついた。


「あなたは難しく考えすぎなのよ」


そう言って、微笑む。


「あの子が何者でもいいじゃない

 聖女でも、奇跡でも、災いでも

 あの子は、エリスでしょう?」


エノクは言葉を失った。

クラリスの瞳には、迷いがなかった。


「未来のことなんて分からないわ

 でも、今ここにいるあの子は本物よ

 それで十分じゃない?」


エノクは目を閉じる。

自分は神官だ。

理を守る者だ。


だが同時に——


父でもある。


「……お前は強いな」


小さく呟く。

クラリスは首を振った。


「違うわ

 ただ、信じているだけ」


暖炉の火が、静かに揺れる。

その夜、二人の間にあるものが決まった。


まだ言葉にはならないが——


エリスを守るという覚悟だけが、確かにそこにあった。

最後まで読んで頂きありがとうございます

次回の更新は3月27日18時を予定してます

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