境界へ続く道 ー セントポル前夜、交差する思惑 ー
エリスは“境界の子”、別名――聖女。
そして同時に、元・魔族の女王。
誰も辿らなかった第三の道を、彼女は選ぶ。
母親達と合流したエリス達は、その日は無理に進まず、近くの安全な場所でしばらく休息を取っていた。
久しぶりの再会ということもあり、マリンはミリアに旅の出来事を次々と話している。
「それでね、リンデンの串焼きがすっごく美味しくて!」
「あなた、ちゃんと買い出ししてたのよね?」
ミリアが半ば呆れながら言うと、マリンは視線を逸らした。
「……一応?」
「食べ歩きがメインだった気がするが」
カイルの追撃に、周囲から小さな笑いが漏れる。
そんな穏やかな時間を挟みながら、一行は再びセントポルを目指して進み始めた。
⸻
旅路そのものは、比較的順調だった。
途中、街道脇の森でトレントと遭遇したり。
夜行性のシルバーウルフの群れに襲われたりもした
以前遭遇したキメラのような異様さはなく、ルシアン達も比較的落ち着いて対処していた。
それでもエリスは、完全には気を抜けずにいた。
(あれ以来、出てこない……)
『でも、消えた感じもしない』
腕輪の中から、セラの声が静かに響く。
『まだ見られてる感じはあるよ』
エリスは小さく頷いた。
それは、エリス自身も感じていた。
距離はある。
だが、“何か”がまだ追ってきている。
そんな感覚だけが残っている。
⸻
そして翌日にはセントポルへ到着できる、という場所まで来た頃。
一行は街道から少し外れた開けた場所で、最後の野営準備を始めていた。
ただ――
以前までとは、野営の空気がかなり違っていた。
クラリス、ミリア、そしてガルド。
新たな戦力が加わったことで、準備の役割も変わっていたのだ。
「水汲みはエリスとマリンお願い」
クラリスが手際よく指示を出す。
「はーい!」
マリンが元気よく返事をした。
「私達は食材を見てくるわ」
ミリアも荷物を確認しながら続ける。
「ガルド、薪集め頼める?」
「ああ」
低く短い返答。
その隣で、カイルも静かに頷いた。
「行くぞ」
こうして、
* エリス&マリン → 水汲み
* クラリス&ミリア → 食材探し
* ガルド&カイル → 薪集め
と自然に役割が分かれていく。
ルシアンは野営地の設営と周囲警戒を担当していた。
人数が増えた分、役割分担にも余裕がある。
以前までとは違う安心感があった。
⸻
川辺へ向かいながら、マリンがぽつりと呟く。
「なんか、ちゃんとした旅って感じになったね」
「前は余裕なかったもんね……」
エリスも苦笑する。
実際、ここまでの旅はかなり慌ただしかった。
特に食事。
実際、ここまでの旅でも食事自体はちゃんと作っていた。
簡単なスープや焼いた肉。
保存食だけ、ということは流石になかった。
ただ――
味付けはかなり簡素だった。
塩を入れて煮込むだけ。
香草も最低限。
「腹に入れば問題ない」
というのが、ルシアンとカイルの基本方針だったのだ。
その話を聞いたクラリスとミリアは――
「……あなた達、それで育ち盛りの子供に旅させてたの?」
呆れたようにクラリスが言う。
「栄養自体は問題ないはずだが」
ルシアンは本気で答えていた。
ミリアは深いため息をつく。
「そういう問題じゃないのよ……」
「せめて、もう少し味を考えなさい」
「旅って、食事も大事なの」
その横で、マリンがうんうんと頷いていた。
「ほんとそれ」
「お母さん達来てから、スープめっちゃ美味しくなったもん」
エリスも苦笑しながら頷く。
「……前は薄味だったよね」
「素材の味を活かしていたと言え」
カイルが真顔で返す。
「言い方の問題でしょ、それ」
思わずマリンが笑った。
少し賑やかになった野営地。
以前より、ずっと“旅の空気”が柔らかくなっていた。
そして今、この場には。
元Sランク冒険者が四人。
さらに元騎士団所属のガルドまでいる。
普通なら、これだけで一つの最上級パーティと言っていい戦力だった。
だからこそ。
今はまだ、穏やかな時間が保たれている。
焚火の準備が進み、食材の香りが漂い始める。
⸻
だが、その平穏の裏で。
森のさらに奥。
ノクスは静かにその様子を見つめていた。
「……戦力、増加」
低く呟く。
想定以上。
それでも、その視線は冷静だった。
「だが――」
進路は、ほぼ確定した。
セントポル。
そこから先で、すべてが変わり始める。
ノクスは静かに気配を消し、再び闇の中へと溶け込んでいった。
⸻
食事を終えた頃には、空はすっかり夜の色へと変わっていた。
焚火の火が静かに揺れ、周囲を暖かな橙色で照らしている。
食後の片付けを終えると、ルシアンが全員を見回した。
「明日の予定を確認する」
自然と空気が引き締まる。
「予定通り進めば、明日の昼頃にはセントポルへ到着できるはずだ」
その言葉に、マリンの顔がぱっと明るくなった。
「いよいよ大都市かぁ……!」
エリスもどこか楽しそうに頷く。
「ちょっと緊張するかも」
今まで立ち寄った街より遥かに大きい都市。
人も多く、物も集まり、王都へ向かう重要な中継地点。
二人とも自然と気持ちが昂っていた。
そしてそこには、クラリスやミリア達が一緒にいる安心感も大きかった。
「迷子になるなよ」
カイルが静かに言う。
「ならないって!」
即座に返すマリン。
その様子に、小さな笑いが起こる。
ルシアンも少しだけ口元を緩めてから続けた。
「それと、見張りも変更する」
人数が増えたことで、これまでの四人体制ではなくなっていた。
「最初はエリスとマリン」
「次がクラリスとミリア」
「その次がガルド」
「四番手がカイル」
「最後を俺がやる」
五組体制。
その分、一人あたりの時間も短くなる。
「最初ならまだ元気な時間だね」
マリンが少し嬉しそうに言う。
「後半だと絶対眠くなってたかも」
「それは否定できないわね」
ミリアが苦笑する。
「……確かに」
エリスも小さく頷いた。
そんな穏やかなやり取りの後。
「じゃあ、先に休む」
「おやすみなさい」
それぞれ短く挨拶を交わし、クラリス達は順番にテントへ入っていった。
やがて残ったのは――
エリスとマリンの二人だけ。
焚火の音だけが静かに響いている。
「なんか、不思議だね」
マリンが空を見上げながら呟いた。
「最初は二人だけだったのに」
エリスも同じように夜空を見上げる。
無数の星が広がっていた。
「……うん」
旅に出たばかりの頃。
不安だらけだった。
キメラに襲われ、知らない街へ行き、追われるように進んできた。
でも今は違う。
仲間が増えた。
守ってくれる人達もいる。
「お母さん達いると安心するよね」
「分かる」
マリンが笑う。
「なんか、“大丈夫”って思える」
その言葉に、エリスも小さく頷いた。
しばらく二人は静かな夜空を見上げていた。
風が草を揺らし、焚火がぱちりと音を立てる。
『……今は近くにいないみたい』
不意に、セラの声が腕輪の中から響いた。
エリスだけが小さく反応する。
(そうなんだ)
『うん。でも、完全に消えたわけじゃない』
やはり、まだ追われている。
その感覚だけは消えない。
だが――
今だけは。
この穏やかな時間を大事にしたかった。
「セントポル、どんな街なんだろうね」
マリンが少し楽しそうに言う。
「美味しいものいっぱいあるかな」
思わずエリスが苦笑した。
「そればっかり」
「大事だよ?」
真顔で返され、エリスは小さく笑う。
そんな穏やかな声が、静かな夜へ溶けていった。
⸻
朝。
木々の間から差し込む柔らかな朝日と、鳥達の囀りが静かな森に響いていた。
その音で、エリスはゆっくりと目を開ける。
「……朝か」
まだ少し眠気の残る頭で身体を起こす。
隣ではマリンが気持ちよさそうに眠っていた。
エリスは小さく苦笑しながら、音を立てないように身支度を始める。
だが――
荷物を整える小さな音で、マリンがもぞりと動いた。
「んん……」
ゆっくり目を擦る。
「おはよ、エリス……」
「おはよう」
まだ少し眠そうな声に、エリスは小さく笑った。
マリンは欠伸をしながら身体を起こす。
「もう朝かぁ……」
外から聞こえる鳥の囀りに耳を傾けながら、ぼんやり呟く。
「そろそろ起きないとね……」
「うん。みんなもう起きてるかも」
「うぅ……もうちょっと寝たい……」
そう言いながらも、マリンはしっかりと身支度を始めた。
その間、エリスは外の様子へ耳を澄ませる。
昨夜の不穏な気配は、今は感じなかった。
『今のところ大丈夫そう』
腕輪の中から、セラの声が静かに響く。
(そっか)
少しだけ安心する。
やがて準備を終えた二人は、揃ってテントの外へ出た。
朝の空気はひんやりとして気持ちいい。
焚火の火はまだ小さく残っていた。
そのそばでは、ルシアンが静かに周囲を警戒している。
「おはようございます」
エリスが声を掛けると、ルシアンも軽く頷いた。
「おはよう」
「おはよーございます……」
マリンはまだ少し眠そうだった。
ルシアンはそんな二人を見て、僅かに口元を緩める。
「クラリス達なら、もう食材探しに行ったぞ」
「早いね……」
マリンが驚いたように言う。
「慣れてるからな」
実際、元Sランク冒険者達は朝の行動も早い。
「じゃあ、私達は水汲み行ってきます」
「ああ、頼む」
二人は桶を持ち、近くの川へ向かった。
⸻
川辺へ着くと、朝日が水面に反射してきらきらと輝いていた。
「なんか、今日すごく天気いいね」
マリンが空を見上げながら言う。
「うん。旅しやすそう」
二人は水を汲みながら、今日にはセントポルへ着くという話をしていた。
「どんな街なんだろうね」
「ルシアンさん達の話だと、かなり大きいみたい」
「楽しみだなぁ」
そんな会話を交わしながら野営地へ戻ると――
既にクラリス達が朝食の準備を始めていた。
鍋からはいい匂いが漂っている。
「おかえり」
クラリスが振り返る。
その横ではミリアが手際よく調理を進めていた。
そして。
「……卵?」
マリンが目を丸くする。
そこには鳥の卵まで並んでいた。
「どこで見つけたの?」
「近くに巣があったのよ」
ミリアがさらりと答える。
「流石に全部は取ってないけどね」
「すご……」
マリンが感心したように呟いた。
以前までの旅では、こんな朝食はなかった。
焼いた卵に、香草入りのスープ。
簡単な料理ではあるが、それでもかなり豪華に感じる。
「やっぱり、お母さん達来てから食事すごいよね……」
マリンがしみじみと言う。
「否定はできない」
エリスも苦笑した。
やがて全員揃って朝食を取り終えると、ルシアンが改めて今日の予定を確認する。
「予定通り進めば、昼頃にはセントポルへ到着する」
「街へ入った後は、まず宿の確保と情報収集」
「単独行動は極力避けるように」
全員が頷いた。
キメラの件もある。
警戒を解くわけにはいかなかった。
食器を片付け終えると、それぞれ荷物をまとめ始める。
やがて準備が整い――
一行は、セントポルへ向けて歩き出した。
街道の先。
その向こうに、大都市セントポルが待っていた。
最後まで読んで頂きありがとうございます
次回の更新は、6月4日18時を予定してます




