静かな追跡 ー “消滅”への対抗策 ー
エリスは“境界の子”、別名――聖女。
そして同時に、元・魔族の女王。
誰も辿らなかった第三の道を、彼女は選ぶ。
翌朝。
まだ朝靄の残る中、四人は宿の一階へと集まっていた。
「ちゃんと起きれたね」
マリンが笑いながら言うと、カイルが静かに返す。
「子供扱いするな」
「してないって」
そんな軽いやり取りを交わしながら、四人は簡単な朝食を済ませる。
パンと温かなスープ。
旅の朝としては十分だった。
食事を終えると、ルシアンが立ち上がる。
「行くぞ」
その一言で、四人はリンデンの街を後にした。
⸻
街道はしばらく穏やかだった。
荷馬車とすれ違い、旅人と言葉を交わし、時折休憩を挟みながら進んでいく。
リンデンを離れるにつれ、人の気配は徐々に減っていった。
「思ったより平和だね」
マリンが周囲を見回しながら言う。
「街道沿いは比較的安全だからな」
ルシアンが答える。
「商人の行き来も多い。定期的に討伐も入ってる」
エリスは頷きながらも、どこか落ち着かなかった。
時折、背中に視線を感じる。
振り返っても、そこには何もない。
だが――
『まだいる』
腕輪の中から、セラの声が静かに響く。
エリスの表情がわずかに引き締まる。
『近いの?』
『いや、距離は取ってる。でも、ずっと追ってきてる感じ』
それ以上は何も言わなかった。
前を歩くルシアン達には聞こえない。
だからこそ、余計に現実感が薄かった。
⸻
昼を少し過ぎた頃。
街道は徐々に森沿いへと変わっていく。
その時だった。
ピタリ、と。
前を歩いていたカイルが足を止める。
「……静かすぎる」
その一言で空気が変わった。
ルシアンも周囲を見渡す。
風は吹いている。
だが――鳥の声がしない。
『エリス』
セラの声が低く響く。
『来る』
次の瞬間。
森の奥から黒い影が飛び出した。
「っ!?」
マリンが息を飲む。
現れたのは狼型のキメラ。
黒く変色した毛並み。
不自然に膨れ上がった筋肉。
身体の各所には、別の生物を無理矢理継ぎ合わせたような赤黒い組織が浮かんでいる。
「キメラ……!」
エリスの表情が引き締まる。
以前戦った個体と酷似していた。
だが――違う。
全身を巡る赤黒い脈動が、不規則に動いている。
まるで何かが身体の中を這い回っているようだった。
『……気をつけて』
セラの声が低くなる。
『この個体、核の反応が動いてる』
「っ……!」
エリスが目を見開く。
次の瞬間。
キメラが地面を蹴った。
「速い!」
カイルの矢が放たれる。
鋭い一撃がキメラの肩を貫いた。
だが――
傷口が赤黒く蠢き、一瞬で再生する。
「再生は前と同じか……!」
ルシアンが舌打ちする。
キメラがそのまま突進。
地面を抉りながら爪を振るう。
エリスが剣で受け流すが、衝撃で大きく後退した。
「力も強い……!」
その横を、尾が鞭のように薙ぎ払う。
「マリン!」
「っ!」
風魔法で辛うじて軌道を逸らす。
だが、地面が爆ぜ、石片が飛び散った。
『核、右肩付近!』
セラが叫ぶ。
「分かった!」
エリスが一気に踏み込む。
右肩へ向けて“消去”を放とうとした――
だが。
『違う!? 移動した!』
「なっ――!」
瞬間。
赤黒い脈動が胸部へと走る。
キメラが嗤うような唸り声を上げた。
「核が動いてるのか!」
カイルが即座に距離を取る。
ルシアンが炎槍を放つ。
「〈フレアランス〉!」
炎がキメラを呑み込む。
だが、焼けた肉が即座に再生していく。
しかも。
再生する度に、赤黒い脈動の位置が変わっていた。
「面倒な相手だな……!」
ルシアンが眉を顰める。
『普通のキメラじゃない!』
セラの声にも焦りが混じる。
『核を固定してないんだ! 身体の中を循環してる!』
エリスはキメラを睨みつける。
以前の個体。
あれは核が二つあり、同時破壊が必要だった。
だが今回は違う。
核そのものを“捕まえられない”。
キメラが再び飛びかかる。
エリスは紙一重で回避。
直後、背後の木が爪で切断された。
「っ……!」
マリンが青ざめる。
カイルの矢が連続で放たれる。
だが、キメラは異様な動きで回避した。
「核を狙う瞬間だけ動きが変わる……!」
カイルが鋭く言う。
「狙われるのを理解してるのか?」
「いや――」
エリスが違和感に気づく。
「逃げてるんじゃない」
赤黒い脈動。
その動きには、一定の流れがあった。
肩。
胸。
腹部。
首。
そして再び胸へ。
「循環してる……?」
『エリス!』
セラが叫ぶ。
『同じ場所を通る!』
その瞬間。
エリスの中で感覚が繋がった。
核は無秩序に動いているわけではない。
決まった経路を巡回している。
「なら――通る瞬間を狙えばいい!」
キメラが咆哮を上げ、突進。
エリスは動かない。
「エリス!?」
マリンが叫ぶ。
ギリギリまで引きつける。
赤黒い脈動が首から胸へ移動する。
その一瞬。
世界が止まったように見えた。
(――今!)
「消えて」
瞬間。
キメラの胸部、その中心だけが音もなく消失する。
露出した赤黒い核。
逃げようと脈動する。
だが、遅い。
エリスはそのまま核へ手を伸ばした。
「――消えろ」
核そのものが、跡形もなく消滅する。
次の瞬間。
キメラの再生が止まった。
身体を巡っていた赤黒い脈動が崩壊していく。
「ギ、ァ……アアァ……!」
断末魔を上げながら、キメラの身体が黒い粒子となって崩れ落ちる。
静寂。
その場に残ったのは――
赤黒い亀裂の走る、一つの魔石だけだった。
だが、その魔石は普通ではない。
黒く濁り、内部には淀んだ魔力が渦巻いている。
ルシアンがそれを拾い上げ、険しい表情を浮かべた。
「……やはり、前のキメラと同じか」
カイルも静かに周囲を警戒したまま頷く。
「ああ。間違いない」
マリンが不安そうに魔石を見る。
「じゃあ、これって……」
「誰かが意図的に作ってる」
ルシアンが低く答えた。
その声音には確信が混じっていた。
エリスは黒い魔石を見つめる。
(やっぱり……)
昨夜感じた気配。
あれは偶然なんかじゃない。
自分たちを追っている“何か”がいる。
『しかも、多分様子見じゃない』
セラの声が静かに響く。
『戦い方を見てた感じがする』
エリスの胸に、嫌な予感が広がっていく。
ただ襲われたわけじゃない。
――試されている。
そんな感覚だけが、強く残っていた。
―――― 少し離れた森の奥。
ノクスは木々の影に紛れながら、エリス達の戦闘を静かに見届けていた。
キメラの再生。
赤黒い脈動。
体内を循環する核。
通常の相手なら、核の位置を把握するだけでも困難な個体。
だが――
「……迷いがない」
ノクスが低く呟く。
エリスは最初から“核”を警戒していた。
それだけではない。
移動する核の軌道を、戦闘中に見抜いている。
カイルとルシアンの連携も早い。
マリンも動揺しながら、確実に援護を行っていた。
「想定以上、か」
淡々と戦力を分析する。
そして。
エリスが核の巡回タイミングを見切った瞬間。
「――消えて」
静かな声。
次の瞬間、キメラの胸部が音もなく消失した。
露出した核。
逃げるように脈動する赤黒い光。
だが――
「……消滅」
ノクスの目が僅かに細まる。
核そのものが、跡形もなく消えた。
再生停止。
直後、キメラの身体が黒い粒子となって崩壊していく。
ノクスは最後までそれを見届けると、静かに踵を返した。
「……報告が必要だな」
懐から転移の呪符を取り出す。
次の瞬間、その姿は森の中から消えた。
⸻
――魔界。
薄暗い空間。
静寂の中に、ノクスの姿が現れる。
その先には、気配を感じさせない存在――シャドウウォーカー。
そしてもう一人。
赤黒い液体の入った試験管を弄りながら、不気味な笑みを浮かべる男。
グリムヴァル。
「戻ったか」
シャドウウォーカーが静かに言う。
ノクスは淡々と口を開いた。
「対象は現在、中継地へ向け移動中。
王都方面か、セントポル方面かは未確定。
だが、間もなく判明すると思われる」
シャドウウォーカーは静かに頷く。
「続けろ」
「戦闘を確認。
試験個体は撃破された」
グリムヴァルの口元が僅かに歪む。
「で?」
興味があるのはそこだった。
ノクスは続ける。
「対象は、最初から核の存在を警戒。
再生能力への対応も早い。
加えて――」
僅かな間。
「移動する核の軌道を、短時間で見抜いた」
空気が静まる。
グリムヴァルの視線がゆっくりと上がった。
「……ほう?」
ノクスは淡々と続ける。
「核は循環移動型。
通常なら位置特定は困難。
だが対象は、核が通過する瞬間を正確に捉えた」
グリムヴァルは無言。
その瞳だけが異様な熱を帯びていく。
「そして――」
ノクスが最後の報告を口にする。
「核そのものを、“消滅”させた」
短い沈黙。
研究室の空気が僅かに重くなる。
グリムヴァルはゆっくりと試験管を持ち上げた。
黒い液体が不気味に揺れる。
「……やはり、“核”を認識できているか」
低い声。
だが、その声音には確かな愉悦が滲んでいた。
「移動程度では意味が薄い、か」
独り言のように呟く。
映像の中では、エリスが静かに手を下ろしている。
グリムヴァルはその姿を見つめたまま、静かに笑った。
「しかも破壊ではなく、“消滅”」
その言葉だけ、僅かに熱を帯びる。
「興味深い……」
まるで未知の現象を観測した研究者のようだった。
ノクスは無言。
シャドウウォーカーも口を挟まない。
やがてグリムヴァルが静かに呟く。
「ならば、核そのものを変質させればいい」
試験管の中の黒い液体を見つめる。
「あるいは――
“消滅”そのものに耐性を持たせるか」
その瞬間。
研究室の空気が、わずかに冷えた気がした。
――――そして。
その様子を、少し離れた影から見つめる者が二人。
銀髪の女騎士――レオネリア。
そして、紫紺のローブを纏う魔法使い――メルキオラ。
グリムヴァルが去っていく背中を見送りながら、レオネリアが小さく息を吐いた。
「……やっぱり、核を変えてきたわね」
驚きではない。
半ば予想していた確認に近かった。
メルキオラも静かに頷く。
「移動型の核……。
以前の二重核個体より、明らかに対エルシア様を意識してる」
以前から、グリムヴァルがキメラを実戦投入していることは把握していた。
その情報は既にエルシアにも伝えてある。
だが――今回違ったのは。
敵が明確に、“対策”を進め始めていることだった。
レオネリアが険しい表情を浮かべる。
「しかも、あの言い方……」
脳裏に浮かぶのは、先ほどのグリムヴァルの言葉。
――“核そのものを変質させる”
――“消滅に耐性を持たせる”
レオネリアが低く呟く。
「移動核でも止められないって判断したのね……」
メルキオラも静かに続ける。
「ええ。
次はもっと別の形で来る可能性が高いわ」
「核そのものを隠すか。
分裂させるか。
あるいは、“消滅”への干渉手段を作るか……」
空気が重く沈む。
グリムヴァルなら、本当にやりかねない。
しばし沈黙。
やがてレオネリアが決意するように口を開いた。
「……この件、改めてエルシア様に伝える必要があるわ」
「ええ」
メルキオラも頷く。
「特に、“次は核そのものが変化してくる可能性がある”ってことは」
レオネリアが静かに目を細める。
「シャドウウォーカーの追跡だけでも厄介なのに……」
「グリムヴァルまで本格的に動き始めたら、間違いなく今までより危険になる」
二人は視線を交わす。
そして――
音もなく、その場から姿を消した。
魔界の裏側でもまた。
静かに、次の戦いへの準備が進み始めていた。
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