秘密の共有
エリスは“境界の子”、別名――聖女。
そして同時に、元・魔族の女王。
誰も辿らなかった第三の道を、彼女は選ぶ。
エリスとマリンは部屋に入ると、ほっとしたように息をついた。
「やっと……お風呂入れるね」
マリンが嬉しそうに言う。
「うん……楽しみ」
二人はすぐに着替えを用意し、大浴場へ向かった。
⸻
湯気の立ち込める浴場。
服を脱ぎ、身体を洗い流す。
そして——
湯気が立ちこめる大浴場。
外の喧騒が嘘のように、静かな空間だった。
湯船に肩まで浸かりながら、マリンは大きく息を吐く。
「はぁ〜……生き返る……」
「大げさ」
エリスは隣で静かに湯に浸かりながら、小さく返す。
「大げさじゃないよ!ずっと野営だったし、川で軽く流すくらいしかできなかったし……」
「まぁ、それはそう」
エリスも少しだけ頷く。
しばらく、湯の揺れる音だけが響く。
やがてマリンが、ぽつりと口を開いた。
「ねぇエリス」
「なに?」
「リンデンってさ……思ってたよりずっと大きい街だね」
エリスは少し視線を上げる。
「交易都市だからね。人の流れが多い」
「うん、すごかった。屋台もいっぱいあったし、知らない料理ばっかりで……」
マリンの目が少し輝く。
「串焼きとか、あの甘いパンとか……また食べたいなぁ」
「食べてばっかり」
「だって美味しかったんだもん!」
エリスは小さく息を吐く。
でも、その表情はわずかに柔らいでいた。
「……でも、いい街だとは思う」
「でしょ!?」
マリンが身を乗り出す。
「人も多いけど、なんか活気があってさ。みんな忙しそうだけど、ちゃんと笑ってる感じがして」
「……」
エリスは少しだけ考えるように沈黙する。
「……ああいう街は、強いよ」
「強い?」
「人が集まる場所は、情報も物も流れる。だから発展するし、守る力も自然と強くなる」
「へぇ……」
マリンは感心したように頷く。
「エリスって、そういうのよく分かるよね」
「……見てれば分かる」
そっけない返事。
でもマリンは気にしない。
「他の街はどうなんだろうね?」
「場所による」
エリスは湯に指先を沈めながら続ける。
「もっと閉鎖的な街もあるし、逆にもっと荒れてる場所もある」
「荒れてるって……」
「治安が悪い。ギルドが機能してないところもある」
マリンの表情が少し曇る。
「……怖いね」
「怖いよ」
エリスはあっさり言う。
「だから、見極める力が必要」
「見極める力……」
「街、人、状況」
一拍。
「全部」
マリンはしばらく黙り込む。
湯面に小さな波紋が広がる。
「……エリスってさ」
「なに」
「やっぱり、すごいよね」
「別に」
即答。
マリンは苦笑する。
「そういうとこだよ」
エリスは何も返さない。
でも、少しだけ視線を逸らした。
沈黙。
けれど、気まずさはない。
むしろ、心地いい静けさ。
「……でもさ」
マリンがふっと笑う。
「どんな街でも、一緒に見て回れるなら楽しいと思う」
エリスがわずかに目を向ける。
「ルシアンとカイルもいるし」
「……騒がしくなるだけ」
「それがいいんだよ」
マリンは笑う。
「一人じゃないって、いいことだよ」
エリスは何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ――
湯の中で肩の力を抜いた。
「……はぁ……」
思わず息が漏れる。
旅の疲れが、じんわりとほどけていく。
その時——
マリンの視線が、ふとエリスの腕に向いた。
「……ねえ、エリス
その腕輪」
エリスが少しだけ視線を落とす。
「いつもつけてるよね
お風呂の時も外さないし……」
少しだけ首を傾げる。
「大切なものなの?」
一瞬の沈黙。
エリスは、ほんのわずかに躊躇った。
「……うん」
小さく頷く。
「大切なもの」
マリンは少し考えるように言う。
「最近つけ始めたよね?」
その言葉に、エリスの胸がわずかに揺れる。
(……もう、隠しきれないかもしれない)
少しだけ迷ってから、口を開いた。
「……うん
旅のお守り、みたいなもの」
それだけ伝える。
だが——
それだけでは足りないと、自分でもわかっていた。
エリスはゆっくりと顔を上げる。
「マリン」
少しだけ真剣な声。
「後で……話したいことがあるの
ここじゃ、ちょっと話しにくいこと」
マリンは一瞬驚いたが、すぐに表情を和らげた。
「……うん、わかった」
(きっと、大事な話なんだ)
そう感じ取っていた。
⸻
その後は、あえて深く触れず——
穏やかな時間。
心も体も、ゆっくりとほぐれていく。
⸻
やがて、湯から上がり——
二人は部屋へと戻っていった。
これから話される“本当のこと”を、胸に抱えながら。
⸻
部屋に戻ると、エリスは扉を閉めてから静かに振り返った。
「マリン。これから話すこと、しばらくは……二人だけの秘密にしてほしいの」
少し真剣な声音に、マリンも表情を引き締める。
「うん、わかった」
頷きを確認してから、エリスは問いかけた。
「ねえ、聖獣って知ってる?」
「聖獣……?」
マリンは腕を組んで考え込む。
「えっと……あまり見かけないけど、女神に仕えてる魔物……みたいな?」
「……まあ、大体は合ってるかな」
エリスは苦笑しながら、自分の腕輪に視線を落とした。
「実はね。この腕輪が……そうなの」
「えっ……?」
マリンの目が大きく見開かれる。
驚きがそのまま固まったように、言葉が出てこない。
「びっくりしないでね」
そう前置きしてから、エリスは優しく呼びかけた。
「セラ。小さい姿で出てこれる?」
次の瞬間、淡い光がふわりと揺れ、空間が歪む。
そこに現れたのは――狼ほどの大きさの、美しい獣だった。
神秘的な気配をまといながら、静かに床へと降り立つ。
「……」
マリンは完全に固まっていた。
その沈黙を破ったのは、当のセラだった。
「ひどいなあ。“魔物”だなんて。失礼しちゃうよ」
少し頬を膨らませるような声色で、不満げに言う。
「ご、ごめんごめん」
エリスが慌てて謝る。
「僕はこれでも、自然や魔力の流れと結びついた存在なんだよ?」
セラはふん、と鼻を鳴らす。
「そこらの魔物と一緒にされるなんて、心外だね」
拗ねたようにそっぽを向く仕草に――
「……ふふ」
マリンが思わず小さく笑った。
「なんか……想像と違う」
「違うって?」
エリスが首を傾げる。
「もっとこう……神聖で、厳かな感じかと思ってたけど……」
ちらりとその獣を見る。
「普通に喋るし、ちょっと子供っぽいし」
「子供っぽいは余計だよ!」
すぐさま言い返す。
その様子に、マリンは今度ははっきりと笑った。
「でも……なんか安心した」
そう言ってから、改めてその存在を見つめる。
「あなたが……聖獣なんだね」
そこでエリスが一歩前に出る。
「うん。この子の名前は――セラ」
「セラ……」
マリンはその名を小さく繰り返した。
「よろしくね、マリン」
セラは少しだけ誇らしげに胸を張る。
エリスはそんな二人のやり取りを見ながら、軽く肩をすくめた。
「性格は……見ての通りかな」
「聞こえてるんだけど?」
即座に返ってくる抗議に、エリスはくすっと笑う。
「まあまあ。ちゃんと紹介するから」
そう言ってから、マリンに向き直る。
「セラはね、ただの聖獣っていうより――ちょっと特別で」
「特別?」
マリンが首を傾げると、セラが得意げに一歩前に出た。
「ふふん、任せてよ。説明してあげる」
胸を張るその姿は、どこか誇らしげだ。
「僕はね、この世界の“流れ”と繋がってる存在なんだ」
「流れ……?」
「そう。魔力とか、大地とか、風とか……そういう自然の巡り全部」
セラの足元に、ふわりと淡い光が揺れる。
まるで空気そのものが応えているようだった。
「だから――周りの魔力の状態を感じ取ったり、異常を見つけたりするのは得意かな」
「索敵とかもできるってこと?」
「うん、それもあるね。隠れてる魔物とか、気配を消してる相手でも割とわかるよ」
マリンの表情が少し引き締まる。
「それって……かなりすごくない?」
「まあね」
セラは満足げに尻尾を揺らした。
エリスが補足するように続ける。
「それだけじゃなくて、魔力の流れを整えたりもできるの」
「整える?」
「うん。例えば――疲労を軽くしたり、怪我の治りを早くしたり」
「回復もできるの!?」
マリンが思わず声を上げる。
「“治す”っていうより、“本来の状態に戻す”って感じかな」
セラが少し真面目な口調で言う。
「無理やり癒すんじゃなくて、自然に近い形でね」
「……それ、すごく聖獣っぽい」
ぽつりと呟くマリンに、セラは満足そうに頷いた。
「でしょ?」
エリスは苦笑しながら続ける。
「あとね……戦うこともできるよ」
「え?」
マリンが驚いたようにセラを見る。
セラは少しだけ口元を吊り上げた。
「さっきのゴブリンくらいなら、正直相手にならないかな」
「……えぇ」
「ただ――」
エリスが少しだけ真剣な顔になる。
「本気を出すと目立つから、あんまり使えないけどね」
その一言に、マリンも状況を理解したように小さく頷いた。
「なるほど……だから秘密なんだ」
「うん」
エリスは静かに微笑む。
「セラのこと、あまり知られると面倒なことになるから」
少しの沈黙。
その後、マリンは改めてセラを見つめた。
「……よろしくね、セラ」
「うん、こちらこそ」
セラは軽く頷く。
そのやり取りを見て、エリスはどこか安心したように息をついた
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次回の更新は、5月21日18時を予定してます




