初めての街 ― 甘い香りと月光の宿 ―
エリスは“境界の子”、別名――聖女。
そして同時に、元・魔族の女王。
誰も辿らなかった第三の道を、彼女は選ぶ。
重くなった空気の中——
エリスは一瞬だけ迷った。
(……言うべき?)
だが、すべてを話すわけにはいかない。
(なら——)
少しだけ、遠回しに。
エリスは顔を上げた。
「……あの」
アルバインが視線を向ける。
「何者かの手って……」
「人の手で、できるものなんですか?」
その問いに、アルバインはわずかに目を細める。
「……難しいな
少なくとも、通常の人間では考えにくい」
エリスは続けた。
「じゃあ……例えばですけど」
一拍置く。
「魔族が関係している可能性は……ありますか?」
その瞬間——
アルバインの目がはっきりと見開かれた。
「……魔族、か」
低く呟く。
しばしの沈黙。
だがその後、ゆっくりと頷いた。
「確かに——辻褄は合う
再生能力、複数コア、統制の取れた魔物
人の手では説明がつかない部分が多すぎる」
視線が鋭くなる。
「魔族の関与……十分にあり得る」
部屋の空気がさらに引き締まる。
だが——
アルバインはすぐに続けた。
「ただし」
その声は、はっきりと線を引くものだった。
「ここから先は、ギルドの管轄だ」
四人を見渡す。
「むやみに踏み込むな
調査も、討伐も——こちらで動く」
重い忠告。
エリスは静かに頷いた。
「……はい」
だがその胸の内では——
別の思いが静かに渦巻いていた。
アルバインは一通り話を聞き終えると、テーブルの上の魔石に視線を落とした。
「……その濁った魔石だが
ギルドで買い取る」
顔を上げる。
「すべて出せ」
ルシアンは迷わず頷いた。
「構わない」
持っていても使い道はない。
袋から黒く濁った魔石を取り出し、テーブルの上に並べる。
アルバインはそれを確認すると、軽く頷いた。
「報告料込みで引き取る
こちらの言い値で構わんな
問題ない」
やり取りはすぐに終わった。
⸻
ルシアンは続けて尋ねる。
「もう一つ確認したい
セントポル方面の状況は?」
アルバインは少しだけ考え、答える。
「現時点では、特段変わった報告は上がっていない
少なくとも、この周辺ほどの異常は確認されていないな」
ルシアンは小さく頷いた。
「……そうか」
それだけ確認できれば十分だった。
アルバインは背もたれに軽く寄りかかる。
「話は以上だ
協力に感謝する」
視線を向ける。
「もう下がっていい」
四人は頷き、席を立った。
⸻
部屋を出ると、再びギルドの喧騒が耳に戻ってくる。
そのまま受付へ向かう。
「すみません」
ルシアンが声をかける。
「この街でおすすめの宿はあるか?」
受付の職員はすぐに答えた。
「いくつかございますが——
冒険者の方に評判がいいのは、“月光”という宿屋ですね」
「……月光か」
ルシアンが頷く。
「ありがとう」
四人は礼を言い、ギルドを後にした。
⸻
外に出ると、街の活気が広がる。
「じゃあ、そこに行こうか」
マリンが言う。
異論はない。
四人は、そのまま“月光”へと向かって歩き出した。
月光へ向かう途中——
エリスとマリンは、すっかり街並みに見入っていた。
「見て、あのお店
なんか変わったの売ってるね」
と、エリスが言うと、マリンが
「ホントだ、見た事がないものが売ってる」
リンドルと似ているようで、やはりどこか違う。
並ぶ店、行き交う人、漂う空気。
すべてが新鮮だった。
二人は目を輝かせながら、あちこちを見て回るように歩いていく。
「こっちも面白そう」
と、エリスが言えば
「あとで時間あったら見てみたいね」
マリンも興味があるようだった。
そんな会話をしていた、その時——
ふと、二人の足が止まった。
「……あ」
視線の先。
甘い香りが漂ってくる店。
ショーケースには、色とりどりのケーキが並んでいる。
「ケーキ屋さん……」
マリンがぽつりと呟く。
エリスも、じっと見つめる。
「……美味しそう」
完全に心を掴まれていた。
二人は顔を見合わせると、同時に振り返る。
視線の先には、ルシアンとカイル。
「……あの」
エリスが少し遠慮がちに口を開く。
「買って……宿で食べてもいい?」
マリンも小さく頷く。
期待のこもった目。
ルシアンとカイルは一瞬顔を見合わせ——
そして、揃ってため息をついた。
「……好きにしろ」
カイルが肩をすくめる。
「ただし、ほどほどにな」
ルシアンも付け加える。
その言葉を聞いた瞬間——
「やった!」
二人の表情が一気に明るくなる。
さっきまでの緊張など忘れたように、店へと向かっていった。
二人はケーキ屋の前まで来ると、ふと看板が目に入った。
「……いちご日和?」
エリスが小さく読み上げる。
「お店の名前、かな?」
マリンも頷く。
「なんか可愛いね」
甘い香りに誘われるように——
二人は自然と店の中へ入っていった。
⸻
扉を開けた瞬間。
ふわりと広がる甘い匂い。
「……わぁ……」
思わず声が漏れる。
ショーケースの中には、色とりどりのケーキが並んでいた。
見たことのない形。
鮮やかな色。
丁寧に飾られたクリーム。
どれもこれも、初めて見るものばかり。
「すごい……」
「こんなの、見たことない」
目を輝かせながら、ショーケースに顔を近づける。
その中でも——
二人の視線は、自然と同じものに引き寄せられた。
ひとつは、白いクリームの上に色とりどりのフルーツが乗ったケーキ。
もうひとつは、薪のような形をした茶色いケーキ。
「これ……気になる」
「うん、こっちも」
だが、名前がわからない。
二人は顔を見合わせると、少しだけ遠慮しながら指を差した。
「あの……これと、これ」
店員がにこやかに頷く。
「はい、こちらは——」
白いケーキを示しながら。
「ガトー・オ・フリュイです」
続けて、茶色いケーキへ。
「そしてこちらが、ブッシュ・ド・ノエルになります。」
聞き慣れない名前に、二人はきょとんとした表情になる。
「……ガトー・オ・フリュイ?」
「ブッシュ……ド……?」
少し困ったように顔を見合わせる。
その様子を見て、店員は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
穏やかな声で続ける。
「ガトー・オ・フリュイは、フルーツケーキという意味です
なので、“フルーツケーキ”でも通じますよ」
「なるほど……!」
エリスが少し安心したように頷く。
店員は続けて、もう一つのケーキを指した。
「こちらのブッシュ・ド・ノエルは——
薪と、冬のイベントの名前を組み合わせたものなんです」
「なので、“薪ケーキ”や“ノエル”と呼んでも大丈夫ですよ」
マリンがほっとしたように笑う。
「よかった……」
二人は少し照れながら、頭を下げた。
「ありがとうございま
助かりました」
店員はにこやかに頷く。
⸻
やがて、ケーキは丁寧に紙箱に入れられた。
大事そうにそれを受け取る二人。
箱からほんのりと甘い香りが漂う。
「楽しみだね」
「うん、絶対美味しい」
自然と笑顔がこぼれる。
二人はそのまま、待っているルシアンとカイルの元へと戻っていった。
ルシアンとカイルのもとへ戻ると——
カイルがふっと鼻を鳴らした。
「……なんか、いい匂いするな」
エリスとマリンは顔を見合わせて、少し嬉しそうに笑う。
「二人の分も買ってあるよ」
エリスが箱を軽く持ち上げる。
「後で宿で食べよう」
その言葉に、カイルが目を細めた。
「気が利くな」
ルシアンも小さく頷く。
「……悪いな」
短いが、しっかりとした感謝の言葉だった。
⸻
四人はそのまま、“月光”へ向けて歩き出す。
やがて——
「あれじゃない?」
マリンが指さす。
そこには、“月光”の看板が掲げられていた。
だが、その建物は——
周囲とはどこか違う雰囲気を纏っていた。
「……なんか、違うね」
エリスが呟く。
石造りを基調としながらも、装飾や形がどこか異国的。
落ち着いた中にも、独特の趣がある。
四人はしばらく、その佇まいに見入っていた。
「……ちょっと遠くに来た感じする」
マリンがぽつりと言う。
「うん、わかる」
エリスも頷いた。
旅の実感が、じわりと湧いてくる。
⸻
やがて中へ入り、受付へ向かう。
「二部屋、お願いしたい」
ルシアンが用件を伝える。
「かしこまりました。ご滞在はどれくらいで?」
「……どうする?」
軽く相談し、結論を出す。
「二泊で頼む」
受付は頷いた。
「では、お部屋をご用意いたしますので、こちらにご記帳を」
四人は順に記帳する。
「お一人様、一泊30ギルですので——合計240ギルになります」
それぞれが、自分の分を支払う。
手続きはすぐに終わった。
⸻
「それと、大浴場はありますか?」
マリンが尋ねる。
「はい、ご利用いただけます」
その言葉に、二人の顔が明るくなる。
「よかった……」
ルシアンも軽く頷いた。
「先に体を休めよう
そのあと食事だな」
時間を決める。
「一時間後、ここに集合でいいか」
異論はない。
四人は頷き合う。
⸻
「じゃあ、また後で」
エリスとマリン。
ルシアンとカイル。
それぞれ二人ずつに分かれ、部屋へ向かっていく。
久しぶりの“安心して休める場所”。
その扉が、静かに閉まった。
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次回の更新は、5月20日18時を予定してます




