平原— 異様な静粛 —
エリスは“境界の子”、別名――聖女。
そして同時に、元・魔族の女王。
誰も辿らなかった第三の道を、彼女は選ぶ。
エリスたちは、森を抜け——
見晴らしの良い平原を進んでいた。
遮るものはなく、
遠くまで視界が開けている。
「……順調だな」
ルシアンが周囲を見渡しながら呟く。
カイルも頷いた。
「ああ……だが——」
言葉を途中で切る。
何かがおかしい。
風は吹いている。
草も揺れている。
なのに——
「……静かすぎる」
鳥の声も、虫の音もない。
生き物の気配が、まるで消えていた。
エリスも、足を止める。
(……おかしい)
その時——
『エリス』
セラの声が、念話で響く。
『……何か、妙だよ』
「うん……」
エリスは小さく頷く。
妙な違和感。
だが——
「……気配が、ない?」
普通なら感じるはずの“敵意”が、まったくない。
完全な空白。
——その瞬間。
「っ!!」
空間が、歪んだ。
次の瞬間——
“現れた”。
突然。
まるで、そこに最初から存在していたかのように。
「……なっ!?」
カイルが即座に身構える。
ルシアンも剣に手をかけた。
エリスの視線の先。
異形の存在。
獣の身体に——
不自然に継ぎ合わされた複数の部位。
歪な魔力のうねり。
「……キメラ」
エリスが、低く呟く。
——次の瞬間。
その化け物が、咆哮を上げた。
「……来るぞ!」
ルシアンが即座に声を張り上げた。
「カイル!後方から目を狙え!
マリン!ウィンドウォールで防御を固めろ!」
そして——
「エリスは——」
言葉を続けようとした、その瞬間。
「もう行く!」
エリスは、すでに地面を蹴っていた。
一気に距離を詰める。
キメラが反応するよりも早く——
剣が閃いた。
「はあっ!」
——斬撃。
確かな手応え。
次の瞬間、
キメラの腕らしき部位が宙を舞った。
「……やったか!?」
カイルが叫ぶ。
だが——
「……いや、違う!」
ルシアンの声が鋭く飛ぶ。
斬り落とされたはずの断面。
そこが——
“蠢いている”。
ぐちゃり、と。
不気味な音と共に、肉が盛り上がる。
そして——
「……再生、してる……?」
マリンの声が震える。
切断されたはずの腕が、
まるで最初から無傷だったかのように再構築されていく。
「……ちっ」
ルシアンが舌打ちする。
「ただのキメラじゃないな
再生能力持ちか……!」
エリスは、距離を取りながら構え直す。
(……斬ったのに)
手応えはあった。
確実に、切断した。
それなのに——
「……効いてない?」
キメラは、まるで何事もなかったかのように動いている。
その異様さに、空気が一気に張り詰めた。
そして——
キメラが、再び咆哮を上げる。
今度は——
“こちらへ向かって”。
エリスは、剣を構え直した。
目の前のキメラは、再生を終え、再びこちらを睨んでいる。
(……どうする)
その時——
『エリス』
セラの声が、念話で響く。
『あれ、体の中心に“コア”みたいなのがあるよ
たぶん、そこを壊せば終わるんじゃない?』
エリスの視線が、わずかに細められる。
『僕も遊びたいけどさー
まだ出ない方がいいんでしょ?
……まあ、エリスなら問題ないけど』
少しだけ、拗ねたような声。
エリスは、思わず小さく苦笑する。
(……今度ね
ちゃんと、遊ばせてあげる)
心の中で、そう約束した。
そして——
一歩、踏み込む。
キメラが腕を振り下ろす。
エリスは、それを紙一重でかわした。
(中心……!)
視線が、標的を捉える。
歪な肉の奥——
不自然に脈打つ“核”。
次の瞬間。
「……そこっ!」
剣が閃く。
迷いのない一撃。
——貫いた。
コアに、確かな手応え。
その瞬間——
キメラの動きが止まった。
「……?」
直後——
その巨体が、崩れ始める。
霧のように。
形を保てなくなった肉体が、空中へと溶けていく。
「……消えた?」
マリンが呟く。
そこに残っていたのは——
一つの魔石。
だが、それは——
「……黒い?」
本来の魔物の魔石とは違う。
透き通るはずのそれは、
濁った黒に侵されていた。
エリスは、その魔石を静かに見つめる。
(……これが
キメラの正体……)
地面に残された、黒く濁った魔石。
それを見つめていたエリスのもとへ——
「エリスっ!」
マリンが勢いよく駆け寄り、そのまま飛びついた。
「すごいよ!
一人で倒しちゃうなんて、びっくりした!」
無邪気な笑顔。
エリスは少し驚きながらも、柔らかく笑った。
「ううん、みんながいたからだよ」
その様子を見ていたルシアンが、ゆっくりと近づく。
「……強いのはいい
だが、無理はするな」
どこか諭すような声。
エリスは素直に頷いた。
「……うん」
その横で、カイルが地面に落ちた魔石へと手を伸ばす。
「……これが核か」
だが——
「っ、熱っ……!」
指先が触れた瞬間、反射的に手を引っ込めた。
「なんだこれ……異様に熱いぞ」
マリンが驚いたように覗き込む。
「え……魔石って、こんなに熱くなるの?」
「いや、普通はならねぇな」
カイルは眉をひそめる。
ルシアンも、その魔石をじっと見つめた。
「……黒く濁っている上に、高熱
通常の魔石とは明らかに違う」
その場にしゃがみ込み、小さく何かを呟きながら観察する。
「魔力の流れは……不安定
人工的に干渉された形跡があるな……」
だが——
「……それ以上は、わからんか」
ルシアンは小さく息を吐いた。
「ここではこれ以上の解析は無理だ」
カイルが頷く。
「持ち帰るしかないな」
「ああ」
布で包み、慎重に袋へと入れる。
その間も——
魔石は、じんわりと熱を放ち続けていた。
エリスは、その様子を静かに見つめる。
(……これが
グリムヴァルの……)
言葉にはしない。
だが確信していた。
この“異常”は、
まだ始まりに過ぎない。
「……さっきのは」
ルシアンが、袋に収めた魔石を一瞥しながら口を開いた。
「この前のゴブリンとは、明らかに別物だな」
カイルも腕を組み、頷く。
「ああ
エリスから聞いてた話……その通りだった」
マリンが少し不安そうに辺りを見回す。
「これから、ああいうのが増えるってこと……?」
ルシアンは、少し考えてから答えた。
「可能性は高い
……厄介だな」
視線を遠くへ向ける。
「今回みたいに、平原ならまだいい
見通しが利く分、対応はできる
だが——
森の中だったら、最悪だ」
その言葉に、場の空気が引き締まる。
奇襲。
視界不良。
逃げ場の少なさ。
すべてが不利に働く。
「……やっぱり」
ルシアンは、小さく呟いた。
「遠回りでも、平原を進む
安全優先だ」
カイルも即座に同意する。
「異論はない」
マリンも頷いた。
「うん……その方が安心」
ルシアンは、簡単な地図を取り出す。
「このルートを行くなら——」
指で一点を示した。
「途中に、小さな街がある
リンデンだ
そこを経由する」
エリスが地図を覗き込む。
「リンデン……
どれくらいで着くの?」
「順調に進めば——」
ルシアンは少し計算してから答えた。
「明日の昼頃だな」
カイルが軽く笑う。
「ちょうどいい補給ポイントだ
情報も集められるしな」
マリンの表情も少し明るくなる。
「街に行けるんだ……!」
だが——
エリスは、静かに頷きながらも考えていた。
(……リンデン)
そこに着くまでに、
何も起きない保証はない。
むしろ——
“起きる可能性の方が高い”。
「……行こう」
ルシアンの一言で、
四人は再び歩き出した。
目指すは——リンデン。
だがその道は、
すでに“安全”とは言えないものになっていた。
———— その頃、魔界のとある研究所で
魔界の奥深く。
不気味な装置に囲まれた研究室。
その中心で、一人の影が静かに佇んでいた。
——グリムヴァル。
彼の視線の先には、魔道具に映し出された光景。
先ほどの戦闘の一部始終だった。
「……ふむ」
低く、乾いた声。
画面には、キメラが霧散する瞬間が映っている。
——自信作。
ダメージを受けても再生する、完成度の高い個体。
本来ならば——
「……ありえない」
グリムヴァルの眉が、わずかに歪む。
「再生能力を持つ個体が……
あの程度で崩壊するなど」
指先で装置を軽く叩く。
映像を巻き戻す。
エリスの動き。
剣の軌跡。
コアへの一撃。
「……なぜだ
なぜ“そこ”を狙った」
目が細められる。
キメラの弱点。
それは——
“完全に秘匿されているはず”の情報。
「生態を知るのは……私のみ
……のはずだ」
一瞬の沈黙。
だが次の瞬間——
グリムヴァルの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……なるほど
これは、面白い」
苛立ちではない。
それは——
興味。
予測不能な存在に対する、純粋な探究心。
「対象の分析が必要だな
あの個体……いや
あの少女」
指先が、エリスの映像をなぞる。
「……優先観察対象に設定する」
静かに、装置を操作する。
新たな設計図が、空中に浮かび上がった。
「次は——
討伐ではない
測定だ
能力、反応、限界
すべてを記録する」
その目は、冷たい光を宿していた。
「……楽しみだ
どこまで壊れずにいられるかな」
研究室の奥で、
新たな“何か”が、ゆっくりと動き出していた。
最後まで読んで頂きありがとうございます
次回の更新は、5月12日18時を予定してます




