囚われた魔導士の秘密 ― 闇に隠された真実 ―
いつも『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をお読みいただき、ありがとうございます。
王都グランヴェイルの貧民街で相次ぐ失踪事件。
これまでの調査によって、誘拐された人々がグラディウス侯爵邸へ運び込まれていたことは判明していた。
しかし、侯爵邸から先の行方については、依然として謎に包まれている。
その真相を突き止めるため、クラリスたちは危険を伴う作戦を開始した。
夜の貧民街を一人で歩くメルキオラ。
果たして、彼女の前に誘拐犯は姿を現すのだろうか。
第八章の続きをお楽しみください。
夜の貧民街
昼間は炊き出しを求める人々で賑わっていた広場も、今は静まり返っていた。
古びた建物の窓からは、わずかな明かりが漏れているものの、通りを歩く人影はほとんどない。
そんな中、一人の女性が薄暗い路地を歩いていた。メルキオラである。
もっとも、その姿は普段の彼女とは大きく異なっていた。
色褪せた上着に、使い古されたスカート。
髪も少し乱れ、貧民街で暮らす女性と見分けがつかない。
もちろん、それは魔法によって作り出した偽装だった。
メルキオラは周囲を気にするように何度も振り返りながら、少し速足で歩いていた。
いつもの堂々とした足取りではない。
何かに怯え、早く家へ帰ろうとしているような歩き方だった。
(さて……そろそろ現れてくれるといいのですが)
内心では冷静に周囲の気配を探っていたが、表情には不安そうな様子を浮かべている。
時折、背後を振り返っては足を速める。
そんな行動を繰り返しながら、メルキオラは人通りのない路地へと入っていった。
そして、しばらく歩いたときだった。
「……おい、そこの女」
突然、背後から低い声が聞こえた。
メルキオラが振り返ると、そこには黒装束の男が立っていた。
顔の下半分を布で覆い、腰には短剣を差している。
「な、何ですか……?」
メルキオラは怯えたような声を出した。
すると、路地の前方からも二人の男が姿を現した。
合わせて三人。
男たちは、逃げ道を塞ぐようにメルキオラを取り囲んだ。
「こんな時間に、一人で何をしている?」
「い、家に帰るところです……」
「そうか。なら、少し俺たちに付き合ってもらおうか」
男の一人が、ゆっくりと近づいてくる。
メルキオラは一歩後ずさった。
「や、やめてください……!」
そして、隙を見つけたように横の路地へ駆け出そうとした。
しかし、そこには別の男が待ち構えていた。
「おっと、逃がさねえぞ!」
男が腕を伸ばし、メルキオラの肩を掴む。
「きゃっ!」
メルキオラは小さく悲鳴を上げた。
本来の彼女なら、この程度の相手などアビスバインドを使うまでもなく、簡単に制圧できる。
しかし、今夜の目的は男たちを倒すことではなかった。
あえて捕まり、誘拐された人々がグラディウス侯爵邸から先のどこへ運ばれているのかを突き止めること。
そのため、メルキオラは抵抗するふりだけをして、あっさりと男たちに取り押さえられた。
「大人しくしろ!」
男の一人が縄を取り出し、メルキオラの両手を縛った。
「い、嫌です……離してください……!」
「騒ぐな。痛い目に遭いたくなければ、黙っていろ」
男たちは周囲を確認すると、路地の奥に停めてあった馬車へメルキオラを連れて行った。
荷台には、いくつもの木箱が積まれていた。
男の一人が、そのうちの空いている箱の蓋を開ける。
「ほら、入れ」
「そ、そんな……!」
メルキオラが怯えたように首を振ると、男たちは構わず彼女を箱の中へ押し込んだ。
蓋が閉められる。
暗闇に包まれた箱の中で、メルキオラは静かに周囲の様子を探った。
(なるほど……こうして運んでいたのですね)
荷台には、同じような箱が六つほど積まれていた。
その中には、すでに捕らえられた人々が入っている可能性が高い。
「これで最低限の数は確保できたな」
男の一人が言った。
「ああ。これなら何とか間に合うだろう」
「まったく、急に人数を揃えろなんて言いやがって……」
男たちはそんな会話を交わしながら、馬車の御者台へ乗り込んだ。
やがて、馬車がゆっくりと動き出した。
メルキオラは箱の中で身動きせず、車輪の音に耳を傾けていた。
◇◇◇
一方、その頃、クラリスたちは、グラディウス侯爵邸から少し離れた場所で待機していた。
メルキオラが誘拐犯に連れ去られることを想定し、あらかじめ移動していたのである。
これまでの調査で、攫われた人々が侯爵邸の地下室へ運び込まれていたことは分かっている。
そのため、今回も同じ場所へ連れて行かれる可能性が高かった。
「……まだ来ないわね」
マリンが小声で呟いた。
「そうね。でも、焦らず待ちましょう」
クラリスが答える。
エリスも、侯爵邸へ続く道をじっと見つめていた。
「メルキオラ、大丈夫かな……」
「ご安心ください、エルシア様」
レオネリアが静かに答えた。
「メルキオラが、あの程度の相手に後れを取ることはありません」
「うん。それは分かってるけど……」
「お気持ちは分かります。ですが、メルキオラも十分に承知したうえで、この役目を引き受けています」
レオネリアは穏やかに微笑んだ。
「今は、あの者を信じてお待ちください」
エリスはレオネリアを見つめ、小さく頷いた。
「……うん。そうだね」
そのときだった。遠くから、馬車の車輪の音が聞こえてきた。
「……来たわ」
クラリスが小さく告げる。
暗い道の向こうから、一台の幌馬車が近づいてきた。
御者台には、黒装束の男たちが乗っている。
「さっきの連中かしら?」
マリンが尋ねた。
「おそらくね」
レオネリアが頷いた。
馬車は侯爵邸の門の前で止まった。
門番と短い言葉を交わすと、重厚な門が開かれる。
そして、馬車はそのまま敷地内へ入っていった。
「やっぱり、ここへ運び込まれるのね」
クラリスが呟いた。
「これで、これまでの情報とも一致したわ」
レオネリアも頷いた。
「でも、本当に知りたいのは、この先だよね」
エリスが言った。
「ええ。侯爵邸から先の行方が、まだ分かっていないもの」
クラリスは屋敷を見つめた。
「メルキオラからの連絡を待ちましょう」
四人はその場で、しばらく待機することにした。
◇◇◇
グラディウス侯爵邸。
馬車が屋敷の裏手へ回ると、待機していた私兵たちが荷台へ近づいてきた。
「何人だ?」
「七人だ。これで最低限の数は揃った」
「よし。急いで地下へ運べ」
私兵たちは木箱を次々と降ろし、屋敷の中へ運び始めた。
メルキオラが入れられた箱も、二人の私兵によって持ち上げられた。
箱の中では、メルキオラが静かに周囲の音を聞いていた。
石造りの廊下を進む足音。
階段を下りる音。
そして、重い扉が開く音。
(……地下室ですね)
やがて箱が床へ置かれ、蓋が開けられた。
「出ろ」
私兵の一人が命じる。
メルキオラは怯えた表情を浮かべながら、ゆっくりと箱から出た。
周囲を見渡すと、そこは以前クラリスたちが潜入した地下室だった。
鉄格子のケージがいくつも並び、薄暗い魔道具の明かりが室内を照らしている。
メルキオラは私兵に腕を掴まれ、そのうちの一つへ押し込まれた。
「大人しくしていろ」
扉が閉められ、鍵が掛けられる。
私兵は鍵が確実に掛かっていることを確認すると、仲間へ声を掛けた。
「……何とか間に合ったな」
「ああ。これで明日の約束の時間には間に合う」
「まったく、余計な手間を掛けさせやがって」
「仕方ないだろう。前の連中がいなくなったんだからな」
「まあいい。あとは明日、引き渡せば俺たちの仕事は終わりだ」
私兵たちはそんな会話を交わしながら、地下室を後にした。
重い扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
メルキオラは、しばらくその場でじっとしていた。
そして、周囲に人の気配がないことを確認すると、小さく息を吐いた。
「……なるほど。明日が引き渡しの日というわけですね」
彼女は静かに立ち上がった。
「それなら、今夜はここまでで十分でしょう」
メルキオラは魔力を集中させた。
「アビスシャドー」
その身体が、周囲の闇へ溶け込むように消えていく。
続けて、もう一つ魔法を発動した。
「アビスサイレント」
周囲に音を漏らさないための魔法だった。
そして、最後に
「アビスファントム」
メルキオラの目の前に、もう一人のメルキオラが現れた。
それは、彼女自身の姿を再現した幻影だった。
幻影はケージの中に座り込み、怯えたように膝を抱えている。
本物と区別がつかない。
「これなら、明日まで気づかれることはないでしょう」
メルキオラは幻影の様子を確認すると、小さく頷いた。
さらに、通信機を取り出した。
明日、地下室で何が起こるのかを確認するため、通信機を幻影の近くに残しておくことにした。
「これで準備は整いましたね」
メルキオラは周囲を見渡した。
ケージの中には、怯えた様子の自分の幻影。
そして、その近くには通信機。
誰かが様子を見に来ても、メルキオラが逃げ出したとは気づかないはずだった。
彼女は静かに転移魔法を発動した。
次の瞬間、その姿は地下室から消え去った。
◇◇◇
グラディウス侯爵邸から少し離れた場所。
クラリスたちは、メルキオラからの連絡を待っていた。
そのとき、何もなかった空間に淡い魔力の光が浮かび上がった。
「……来たわね」
レオネリアが呟く。
次の瞬間、メルキオラが姿を現した。
「お待たせしました」
「メルキオラ!」
エリスが嬉しそうに声を上げた。
「無事だったんだね!」
「はい。エルシア様。問題ありません」
メルキオラは微笑んだ。
クラリスが近づく。
「どうだった?」
「予想どおり、侯爵邸の地下室へ運ばれました」
「やっぱりね」
クラリスが頷く。
「それで、何か分かったことは?」
「はい。明日、捕らえた人々を引き渡す予定のようです」
「明日?」
マリンが驚いたように尋ねた。
「ええ。私兵たちが、明日の約束の時間に間に合ったと話していました」
「なるほど……」
クラリスは考え込んだ。
「ということは、明日になれば、例の黒いフードの人物が現れる可能性が高いということね」
「その可能性は十分にあります」
メルキオラが頷いた。
「それと、地下室には私の幻影を残してきました」
「幻影?」
エリスが首を傾げた。
「はい。アビスファントムで作り出したものです。今もケージの中に、私が捕らえられているように見えるはずです」
「へえ、そんなことまでできるんだ!」
マリンが感心したように言った。
「さらに、通信機も残してあります。明日、地下室で何か動きがあれば、こちらでも確認できるようにしてあります」
クラリスは満足そうに頷いた。
「それなら、今夜はこれ以上動く必要はなさそうね」
「ええ。今、無理に調べても相手に気づかれる危険がありますから」
レオネリアも同意した。
クラリスは仲間たちを見渡した。
「それじゃあ、本番は明日ね」
「はい」
メルキオラが答える。
「明日こそ、侯爵邸から先の行方を突き止めましょう」
「そうね。今度こそ、黒幕へ繋がる手掛かりが見つかるかもしれないわ」
クラリスは侯爵邸へ視線を向けた。
夜の闇に包まれた屋敷は、何事もなかったかのように静まり返っている。
その地下室には、今もメルキオラの幻影が残されていた。
そして、明日、その地下室を訪れるであろう謎の人物。
クラリスたちは、いよいよ事件の核心へ近づこうとしていた。
「さあ、宿へ戻りましょう」
クラリスの言葉に、全員が頷いた。
こうして、一行は宿屋『白銀の月亭』へと戻っていった。
地下室に残されたメルキオラの幻影と通信機。
それが翌日、どのような真実を明らかにすることになるのか。
今はまだ、誰にも分からなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、メルキオラが自ら誘拐犯に捕まり、グラディウス侯爵邸への潜入を果たしました。
黒装束の男たちによって木箱に押し込まれ、ほかの被害者たちとともに侯爵邸の地下室へ運ばれたメルキオラ。
そこで耳にしたのは、翌日に予定されている謎の取引についての会話でした。
メルキオラはアビスファントムによって自分の幻影を作り出し、通信機とともに地下室へ残して、無事にクラリスたちのもとへ帰還します。
これで、翌日の取引を探るための準備が整いました。
次回は、いよいよグラディウス侯爵邸の地下室で行われる取引の場面へ。
捕らえられた人々を受け取りに現れるのは、いったい何者なのか。
そして、失踪事件の背後に潜む黒幕の正体は明らかになるのでしょうか。
次回も『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をよろしくお願いいたします。
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