侯爵邸に隠された闇 ― 閉ざされた屋敷の秘密 ―
いつも『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をお読みいただき、ありがとうございます。
王都で相次ぐ若者たちの失踪事件。
ランスから得た情報によって、アルベルト・グラディウス侯爵の存在が浮かび上がりました。
しかし、侯爵が事件に関与しているという確かな証拠はありません。
そこでクラリス、レオネリア、メルキオラの三人は、真相を確かめるために侯爵邸への潜入を決意します。
メルキオラの隠匿魔法を使い、密かに屋敷へ忍び込む三人。
果たして、侯爵邸には何が隠されているのでしょうか。
第八章の続きをお楽しみください。
クラリス、レオネリア、メルキオラの三人は、ルシアンたちとの相談を終えると、馬車の異空間から白銀の月亭の部屋へ戻ってきた。
「さて、それじゃあ行きましょうか」
クラリスが二人を見る。
「ええ。準備はできているわ」
レオネリアが答える。
「私も問題ありません」
メルキオラも頷いた。
今回の目的は、アルベルト・グラディウス侯爵の屋敷を調べること。
王都の貧民街で起きている失踪事件。
三か月ほどの間に、およそ五十人もの若い男女が姿を消しているという。
さらに、ランスの調査によって、グラディウス侯爵が騎士団の捜索を抑えているという噂まで浮かび上がっていた。
侯爵邸には頻繁に馬車が出入りしているという話もある。
しかし、どれも決定的な証拠ではない。
だからこそ、直接確かめる必要があった。
「今回の目的は情報収集よ。無理はしないでね」
クラリスが念を押す。
「分かっているわ」
「隠匿魔法は私に任せてください」
メルキオラが微笑む。
三人は白銀の月亭を出ると、王都の貴族街へ向かって歩き始めた。
◇◇◇
王都グランヴェイルの貴族街。
そこには一般市民の暮らす住宅街とは異なる、豪華な街並みが広がっていた。
広い石畳の道に、綺麗に整えられた街路樹。
道の両側には高い塀に囲まれた屋敷が立ち並び、門の前には武装した警備兵の姿も見える。
通りを行き交う馬車も立派なものが多く、裕福な貴族たちの暮らしぶりが窺えた。
「相変わらず、立派な屋敷が多いわね」
クラリスが周囲を見回す。
かつて王国騎士団に所属していた頃、この辺りを訪れたことは何度もあった。
もっとも、騎士団を離れてから随分と年月が経っている。
以前とは変わっている場所もあるようだった。
「グラディウス侯爵の屋敷は、もう少し先ですね」
メルキオラが言う。
「そうね」
三人は周囲に不審がられないよう、普通の通行人を装って歩き続けた。
やがて、道の先にひときわ大きな屋敷が見えてきた。
高い石造りの塀に囲まれ、正面には頑丈そうな鉄製の門がある。
門の両脇には二人の門番が立っていた。
その向こうには広い庭園があり、奥には立派な屋敷が見える。
「あれがグラディウス侯爵の屋敷ね」
クラリスが小さな声で言った。
「警備も厳しそうね」
レオネリアが門番を見る。
「正面から入るのは難しいでしょうね」
メルキオラも頷く。
「まずは場所を変えましょう」
クラリスの言葉に、二人が頷いた。
三人は屋敷の前を通り過ぎると、近くの脇道へ入った。
大通りとは違い、人通りはほとんどない。
クラリスは周囲を確認した。
「誰もいないわね」
「ええ」
レオネリアも頷く。
メルキオラはさらに周囲の気配を探った。
「近くに人の気配はありません。ここなら大丈夫でしょう」
「お願いするわ」
クラリスが言う。
メルキオラは静かに魔力を集中させた。
「――アビスシャドー」
その瞬間、三人の身体を薄い闇のようなものが包み込んだ。
闇は一瞬で消えたが、三人の姿も周囲から見えなくなっていた。
アビスシャドー
それは、メルキオラが使う隠匿魔法、アビスステルスの上位に位置する魔法だった。
通常の隠匿魔法よりもさらに強力で、対象の姿を他人の視界から完全に隠すことができる。
「これで、私たちの姿は周囲から見えなくなりました」
メルキオラが説明する。
クラリスは自分の手を見た。
自分自身の姿は普段通りに見えている。
隣にいるレオネリアとメルキオラの姿も確認できた。
「私たち同士は見えるのね」
「はい。魔法の対象になっている者同士は、互いの姿を認識できるようにしています」
「便利ね」
レオネリアが感心したように言った。
「ただ、これだけでは不十分です」
メルキオラが続ける。
「姿が見えなくても、足音や衣服の擦れる音は残りますから」
「確かにそうね」
クラリスが頷く。
誰もいないはずの場所から足音が聞こえれば、不審に思われる可能性がある。
メルキオラは再び魔力を集中させた。
「――アビスサイレント」
今度は三人の周囲を淡い魔力が包み込んだ。
「これで足音や衣服の擦れる音も、周囲には聞こえなくなりました」
「話し声は?」
クラリスが尋ねる。
「私たち同士の会話は聞こえますが、外には漏れません」
「それなら安心ね」
レオネリアが頷く。
「ただし、物に触れたり、人にぶつかったりすれば気づかれる可能性があります。そこだけは注意してください」
「分かったわ」
クラリスが答えた。
こうして三人は、姿と音を消した状態で侯爵邸へ向かった。
◇◇◇
侯爵邸の門の近くまで来ると、三人は通行の邪魔にならない場所で足を止めた。
門番たちは、すぐ近くに三人がいることなどまったく気づいていない。
「さて、どうやって入ろうかしら」
クラリスが門を見つめる。
門は閉ざされており、門番が出入りする者を確認していた。
いくら姿が見えなくても、閉じた門を通り抜けることはできない。
「馬車を待ちましょう」
メルキオラが提案した。
「馬車?」
「はい。ランスさんの話では、この屋敷には頻繁に馬車が出入りしているそうですから」
「なるほどね」
クラリスが頷く。
「馬車が入る時に、一緒に入るというわけね」
「ええ」
レオネリアも賛成した。
「それが一番自然そうね」
三人は門の近くでしばらく待つことにした。
幸い、長く待つ必要はなかった。
しばらくすると、通りの向こうから一台の馬車が近づいてきた。
大きな幌付きの荷馬車だった。
御者台には男が一人座っている
馬車は侯爵邸の門の前で速度を落とした。
「来たわね」
クラリスが呟く。
「ええ。あれを利用しましょう」
三人は馬車の側面へ移動した。
門番が御者と話している間に、クラリスたちは荷台の後方へ回り込む。
そして、音を立てないように慎重に乗り込んだ。
「……何か積んであるわね」
レオネリアが荷台の奥を見る。
そこには、大きな布を被せられた荷物がいくつか並べられていた。
形も大きさも不揃いで、何が入っているのかは分からない。
クラリスはその荷物を見つめた。
その時だった。
「……う……」
微かな音が聞こえた。
クラリスの表情が変わる。
「……今、何か聞こえなかった?」
「ええ」
レオネリアも頷いた。
「人の声みたいだったわ」
三人は布を被せられた荷物へ視線を向けた。
すると、再び微かな音が聞こえてきた。
「……ん……」
明らかに、人の呻き声のようだった。
「まさか……」
クラリスは息を呑んだ。
荷物だと思っていたもの。
その中に、人がいるのではないか。
しかも、普通に馬車へ乗っているわけではない。
布を被せられ、荷物のように運ばれている。
「……攫われた人たちかもしれないわね」
レオネリアが低い声で言った。
「その可能性は高そうです」
メルキオラも表情を険しくする。
クラリスは布へ手を伸ばしかけた。
しかし、すぐに止めた。
今ここで布を捲れば、中にいる者が驚いて声を上げるかもしれない。
そうなれば、馬車に誰かが潜んでいることを知られてしまう。
せっかくの潜入が失敗する可能性があった。
「……今は我慢しましょう」
クラリスが静かに言った。
「そうね」
レオネリアも頷く。
「まずは、どこへ運ばれるのかを確かめましょう」
「ええ」
三人は荷物から少し距離を取り、馬車の奥で様子を窺った。
やがて門番との確認が終わり、馬車が再び動き始めた。
大きな鉄門が開かれる。
馬車はゆっくりと侯爵邸の敷地内へ入っていった。
◇◇◇
馬車は屋敷の正面玄関には向かわなかった。
建物の脇を通り、裏手へと進んでいく。
しばらくすると、屋敷の裏口近くで停車した。
「着いたみたいね」
クラリスが言う。
「先に降りましょう」
メルキオラが促した。
三人は荷台から静かに降りると、少し離れた場所へ移動した。
周囲には荷物の搬入口らしい扉があり、その近くには木箱や樽が積まれている。
馬車が到着して間もなく、屋敷の裏口が開いた。
中から数人の男たちが出てきた。
「運ぶぞ」
そのうちの一人が声を掛ける。
男たちは馬車の荷台へ近づいた。
そして、布を被せられた荷物の一つを四人がかりで抱え上げた。
「……やっぱり、人が入っているのかしら」
クラリスが呟く。
「その可能性は高いわね」
レオネリアが答えた。
男たちは荷物を抱えたまま、裏口から屋敷の中へ入っていった。
「追いましょう」
クラリスの言葉に、二人が頷く。
三人は男たちの後を追った。
屋敷の中は、外観に違わず立派な造りだった。
広い廊下。
壁には高価そうな装飾品が飾られ、床には上等な絨毯が敷かれている。
しかし、男たちはそうした場所には向かわなかった。
裏口から続く通路を進み、やがて階段の前で足を止めた。
「地下……?」
クラリスが呟く。
男たちは荷物を抱えたまま、階段を下り始めた。
三人も後に続く。
階段を下りるにつれ、周囲の雰囲気が変わっていった。
豪華な屋敷の内部とは違い、地下は石造りの壁が続く薄暗い場所だった。
壁に取り付けられた魔道具の灯りが、通路をぼんやりと照らしている。
やがて、男たちは大きな扉の前で足を止めた。
一人が扉を開ける。
その奥には、広い地下室があった。
クラリスたちは男たちの後を追って中へ入った。
そして――
「……っ!」
クラリスは思わず息を呑んだ。
地下室には、いくつもの鉄製のケージが並べられていた。
その中には、人がいた。
若い男。
若い女。
数人がそれぞれのケージの中に閉じ込められている。
床に座り込んでいる者もいれば、力なく横たわっている者もいた。
「……何よ、これ」
レオネリアの声が低くなる。
「本当に、人を閉じ込めているのね……」
クラリスも表情を険しくした。
先ほど馬車から運び込まれた荷物が床へ下ろされる。
男たちは布を外し始めた。
その下から現れたのは、やはり人間だった。
若い男が身体を拘束された状態で横たわっていた。
意識はあるようだが、まともに抵抗できる状態ではない。
「……やっぱり」
クラリスは拳を握り締めた。
酒場で聞いた噂。
貧民街で次々と姿を消している若者たち。
そして、侯爵邸へ頻繁に出入りする馬車。
その二つが、目の前で繋がった。
少なくとも、この屋敷で人間が不当に拘束されていることは間違いない。
「どうする?」
レオネリアがクラリスを見る。
その声には怒りが滲んでいた。
クラリスも同じ気持ちだった。
目の前に閉じ込められている人々を、今すぐ助け出したい。
しかし、ここで騒ぎを起こせば、屋敷の者たちに潜入が知られてしまう。
それに、他にも捕らわれている人間がいるかもしれない。
「……今はまだ動かないで」
クラリスが静かに言った。
「分かったわ」
レオネリアは短く頷いた。
その時だった。
メルキオラが何かに気づいたように顔を上げた。
「……待ってください」
「どうしたの?」
クラリスが尋ねる。
メルキオラは地下室の奥へ視線を向けた。
「この場所……」
彼女の表情が変わる。
「魔法が使われた痕跡があります」
「魔法?」
レオネリアが聞き返す。
「ええ。それも、普通の魔法ではありません」
メルキオラは周囲に残された僅かな魔力を探るように、静かに意識を集中させた。
しばらくして、確信したように口を開く。
「……転移魔法です」
「転移魔法!?」
クラリスが驚く。
転移魔法。
それは、人間の世界では伝説に近い存在とされている魔法だった。
実際、クラリス自身もメルキオラと出会うまでは、自由に転移できる者など知らなかった。
「間違いないの?」
「はい」
メルキオラが頷く。
「ここで転移魔法が使われた痕跡が残っています」
レオネリアの表情も険しくなった。
「ということは……」
「ええ」
メルキオラは静かに答えた。
「魔族が関わっている可能性が高いですね」
クラリスは改めて地下室を見回した。
鉄のケージ。
閉じ込められた若者たち。
荷物のように運び込まれてきた人間。
そして、転移魔法の痕跡。
これだけのことが、王都の有力貴族であるグラディウス侯爵の屋敷の地下で行われている。
「……まさか、ここで魔族の名前が出てくるなんてね」
クラリスが小さく呟いた。
「ただ、まだ断定はできません」
メルキオラが言う。
「転移魔法が使われたことは確かですが、誰が、何のために使ったのかまでは分かりません」
「そうね」
クラリスは頷いた。
そして、鉄のケージに閉じ込められた人々へ視線を戻した。
誰もが疲れ切った様子で、助けを求めることさえ諦めているように見える。
その姿を見ていると、胸が締めつけられた。
「……まずは、この人たちを助けないといけないわね」
クラリスが静かに言った。
レオネリアも頷く。
「ええ。このまま放っておくわけにはいかないわ」
「ただ、ここで騒ぎを起こすのは得策ではありませんね」
メルキオラが言った。
「他にも捕らわれている人がいるかもしれません。それに、転移魔法が使われている以上、すでに別の場所へ運ばれた人がいる可能性もあります」
「そうね……」
クラリスは少し考えた。
目の前にいる人々だけを助け出しても、他に捕らわれている人がいれば、その者たちが危険にさらされるかもしれない。
さらに、屋敷の者たちに気づかれれば、証拠を隠される可能性もある。
「まずは、この人たちを安全に助け出す方法を考えましょう」
「分かったわ」
レオネリアが頷いた。
メルキオラも静かに頷く。
三人は改めて地下室を見渡した。
王都の貧民街で起きている失踪事件。
その被害者と思われる人々が、今まさに目の前にいる。
そして、この場所に残された転移魔法の痕跡。
失踪事件の背後に、魔族が関わっている可能性が浮かび上がってきた。
クラリスたちは、目の前の人々を救い出すため、次の行動を考え始めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、クラリスたちがグラディウス侯爵邸へ潜入するお話でした。
メルキオラのアビスシャドーとアビスサイレントを使い、姿と音を消して屋敷へ忍び込んだ三人。
そこで目にしたのは、荷物のように運び込まれる人々と、地下室のケージに閉じ込められた若者たちでした。
王都の貧民街で噂になっていた失踪事件。
その被害者と思われる人々が、侯爵邸の地下に捕らわれていたのです。
さらに、メルキオラは地下室に残された転移魔法の痕跡を発見します。
人間には伝説の魔法とされる転移魔法。
その存在から、事件の背後に魔族が関わっている可能性も浮かび上がってきました。
しかし、誰が何のために人々を攫っているのか、その目的はまだ分かっていません。
そして次回
クラリスたちはランスに相談し、侯爵邸に捕らわれている人々の解放へ向けて動き始めます。
相手は王都の有力貴族。
果たして、捕らわれた人々を無事に救い出すことができるのでしょうか。
次回も『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をよろしくお願いいたします。
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