懐かしき白銀の月亭 ― 王都に築く調査の拠点 ―
いつも『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をお読みいただき、ありがとうございます。
無事に王都グランヴェイルへの潜入を果たしたクラリス、レオネリア、メルキオラ。
本格的な調査を始める前に、三人はまず王都での拠点となる宿を探すことに。
クラリスが向かったのは、かつて白銀の聖剣団として活動していた頃、何度も利用していた懐かしい宿でした。
そしてそこで、クラリスを待っていたのは――
第八章の続きをお楽しみください。
王都グランヴェイルへの潜入に成功したクラリス、レオネリア、メルキオラの三人は、人々で賑わう大通りを歩いていた。
まず決めなければならないのは、王都での拠点となる宿だった。
これからどれだけ王都に滞在することになるのかは分からない。
アイリーナを襲った者たちの正体を探り、王都の状況を確認する。
そのためには、安心して話し合いができる場所も必要になる。
「宿なら、昔よく使っていたところがあるわ」
クラリスが王都の街並みを見渡しながら言った。
「昔?」
レオネリアが尋ねる。
「白銀の聖剣団で活動していた頃よ。王都に来ると、ほとんどそこに泊まっていたの」
「まだ残っているのですか?」
今度はメルキオラが尋ねた。
「それが分からないのよね。随分前だから」
クラリスは苦笑する。
王都には長く住んでいた時期もあり、冒険者として活動していた頃にも何度となく訪れている。
それでも、最後にその宿を利用してからはかなりの年月が経っていた。
店が入れ替わることも珍しくない。
宿そのものがなくなっていても不思議ではなかった。
「とりあえず行ってみましょう。なくなっていたら、その時は別の宿を探せばいいわ」
「場所は覚えているの?」
「たぶんね」
「たぶん?」
レオネリアが笑う。
「昔の記憶なんだから仕方ないでしょう」
クラリスはそう言いながら、大通りから一本横の通りへ入った。
王都の街並みは、昔と変わっているところも多かった。
以前にはなかった建物。
新しくできた店。
逆に、クラリスの記憶に残っていた店が見当たらない場所もある。
「ここに昔、パン屋があったのよ」
クラリスが一軒の店を見ながら呟く。
今は雑貨店になっていた。
「よく行っていたの?」
「ミリアが好きだったの。朝になると焼きたてのパンを買いに行ってね」
「なるほど」
さらに歩く。
次の角を曲がったところで、クラリスが再び立ち止まった。
「あれ……ここだったかしら?」
左右を見回す。
レオネリアが呆れたようにクラリスを見る。
「本当に覚えているの?」
「覚えているわよ。……たぶん」
「また、たぶんって言ったわよ」
「王都も変わっているんだから仕方ないでしょう?」
メルキオラが二人のやり取りを聞きながら、わずかに笑みを浮かべる。
クラリスは周囲の建物を確認すると、やがて一つの道へ目を向けた。
「あっちね。思い出したわ」
今度は迷うことなく歩き出す。
しばらく進むと、通りの先に一軒の宿が見えてきた。
三階建ての建物。
外壁には年月を感じさせるところもあるが、手入れはきちんとされている。
入口の上には、大きな看板が掲げられていた。
クラリスはその文字を見た瞬間、足を止めた。
『白銀の月亭』
「……あった」
自然と笑みがこぼれる。
昔と同じ名前。
昔と同じ場所。
少し古くなってはいるものの、間違いなくクラリスの記憶にある宿だった。
「ここが、その宿?」
レオネリアが看板を見上げる。
「ええ」
クラリスも看板を見上げた。
「懐かしいわね……」
「白銀の月亭……」
メルキオラが宿の名前を口にする。
そしてクラリスを見る。
「もしかして、この『白銀』は……」
クラリスは少し困ったような顔をした。
「そう。私たちが原因」
「やっぱり」
レオネリアが笑う。
「最初からこの名前だったわけじゃないのよ」
クラリスが説明する。
白銀の聖剣団がこの宿を利用し始めた頃は、別の名前だった。
王都で依頼を受ける時。
遠征から戻ってきた時。
次の目的地へ向かうまでの休息。
何度も利用しているうちに、いつしか白銀の聖剣団の常宿として冒険者たちの間でも知られるようになっていた。
そしてある時――
いつものように王都へ戻ってきたクラリスたちが宿を訪れると、看板が変わっていた。
宿の名前の頭に「白銀」が付け加えられていたのである。
「私たちに何の相談もなく変えたのよ」
「随分気に入られていたのね」
「宿の主人は『白銀の聖剣団の常宿なら、この方が客が来る』って喜んでいたわ」
「実際に増えたの?」
「増えたみたいよ」
クラリスは当時を思い出して苦笑した。
「ルシアンなんて、新しい看板を見てしばらく固まっていたもの」
「想像できるわね」
「ミリアは面白がっていたし、カイルは『宿代を安くしてくれるならいいんじゃないか』なんて言っていたわ」
昔を思い出しながら話すクラリスの表情は、どこか楽しそうだった。
「とにかく入りましょう」
三人は白銀の月亭の扉を開けた。
「いらっしゃい」
中へ入ると、受付から女性の声が聞こえてきた。
クラリスは宿の中を見回す。
昔とまったく同じではない。
テーブルや椅子は新しくなっている。
壁紙も張り替えられているようだった。
それでも基本的な造りは変わっていない。
受付の位置。
奥に見える食堂。
二階へ続く階段。
「本当に変わってないわね……」
クラリスが小さく呟いた。
三人が受付へ向かう。
そこにいたのは初老の女性だった。
「三人かい?」
女性はそう言いながらクラリスたちを見る。
最初は普通の宿泊客を見るような表情だった。
しかし――
クラリスの顔を見たところで、その視線が止まった。
「……あれ?」
女性が目を細める。
クラリスも相手の顔を見た。
どこかで見覚えがある。
髪には白いものが混じっている。
昔より少しふっくらしたようにも見えた。
それでも、その顔立ちには確かな面影が残っていた。
女性は受付から少し身を乗り出した。
「おや……クラリスさんじゃない?」
「え?」
クラリスがもう一度女性を見る。
そして――
「あ……サンドラ?」
「やっぱりクラリスさんかい!」
サンドラの表情が一気に明るくなった。
「久しぶりじゃないか!」
「本当に久しぶりね!」
クラリスも笑顔になる。
サンドラは、白銀の聖剣団がこの宿を利用していた頃からここで働いていた女性だ。
宿を訪れるたびに顔を合わせていたため、クラリスたちとも親しかった。
「いやあ、驚いたよ。似てる人が来たと思ったら、本当にクラリスさんだったなんてねぇ」
「サンドラも元気そうね」
「元気だけが取り柄だからね」
サンドラは豪快に笑う。
そして改めてクラリスを眺めた。
「それにしてもクラリスさんは変わらないねぇ」
「そんなことないわよ」
「いやいや。昔より少し落ち着いたくらいじゃないか」
「それは歳を取ったってこと?」
「そんなこと言ってないだろう?」
二人は顔を見合わせて笑った。
旧知の仲だということは、レオネリアとメルキオラにもすぐ分かった。
「それで?」
サンドラが尋ねる。
「王都に戻ってきたのかい?」
「戻ってきたというほどじゃないわ」
クラリスは少しだけ言葉を選ぶ。
「ちょっと用事があってね。少し王都に滞在することになったの」
「そうなのかい」
サンドラは頷いた。
そこで初めて、クラリスの後ろにいる二人へ視線を向ける。
「おや、そちらのお二人は見ない顔だね?」
「そうね。昔は一緒じゃなかったから」
クラリスが二人を見る。
「レオネリアとメルキオラ。今、一緒に旅をしている仲間よ」
「レオネリアよ。よろしく」
「メルキオラです。よろしくお願いします」
「サンドラだよ。よろしくね」
サンドラは気さくに挨拶を返した。
そして首を傾げる。
「じゃあ、ミリアさんやルシアンさんたちは一緒じゃないのかい? カイルさんも」
「今はちょっと別行動しているの」
「そうなのかい?」
「ええ。私たち三人が先に王都へ入っただけ。すぐに前のパーティのメンバーもここで合流することになってるわ」
その瞬間、サンドラの目が輝いた。
「本当かい!」
「え?」
クラリスが嫌な予感を覚える。
「それじゃあ、白銀の剣姫が帰ってきたって宣伝しないと!」
「やめて」
クラリスは即答した。
「なんだい、せっかくいい宣伝になるのに」
「本当にやめて。今回は静かに滞在したいの」
クラリスの声が少しだけ真剣になる。
「できれば、私たちがここにいることもあまり広めないでほしいのよ」
サンドラはクラリスの表情を見る。
何か事情がある。
長年宿を営んできた彼女には、それだけで十分だった。
「……分かったよ」
「ありがとう」
「詳しいことは聞かない方が良さそうだね」
「助かるわ」
サンドラはそれ以上尋ねなかった。
「まあ、クラリスさんたちには昔から随分世話になったからね。静かに泊まりたいなら、そうしてあげるよ」
「ありがとう、サンドラ」
「ただし」
「何?」
「ミリアさんたちが来たら、久しぶりに顔くらい見せてもらうよ」
クラリスは笑った。
「もちろんよ」
宿泊の手続きを済ませる。
「部屋はどうする?」
「とりあえず三人部屋を一つお願い」
「三人部屋なら空いてるよ」
サンドラから鍵を受け取り、三人は二階へ上がった。
案内された部屋にはベッドが三つ。
中央にはテーブルと椅子があり、三人で滞在するには十分な広さだった。
部屋へ入ると、レオネリアが扉を閉める。
メルキオラが念のため周囲を確認した。
「特に問題はなさそうです」
「それじゃあ、これからのことを決めましょう」
クラリスがテーブルの前へ座る。
レオネリアとメルキオラも向かい側へ座った。
ここまでは順調だ。
王都への潜入に成功し、滞在する宿も確保した。
しかし、本来の目的はここからだった。
「まずは情報収集ね」
クラリスが切り出す。
「どこから調べる?」
レオネリアが尋ねた。
クラリスはほとんど迷わなかった。
「冒険者ギルドへ行きましょう」
「ギルドですか?」
「ええ」
クラリスが頷く。
「最近の王都で何が起きているのか知りたいなら、まずはあそこがいいと思う」
冒険者ギルドには様々な情報が集まる。
王都の中だけではない。
周辺の街道や村、魔物の動き。
貴族から出された依頼。
護衛をしている冒険者が耳にした噂。
表向きには見えてこない情報が手に入ることもある。
「それに、王都のギルドなら昔の知り合いがまだいるかもしれないわ」
レオネリアが少し笑った。
「また知り合い?」
「仕方ないでしょう。昔ここで暮らしていたんだから」
「門ではジーク。この宿ではサンドラ。次は誰が出てくるのかしらね」
「私にも分からないわよ」
クラリスも苦笑する。
それでも、昔の人脈が使えるなら利用しない手はない。
「じゃあ、まずは冒険者ギルドね」
「ええ。でも、その前にエリスたちへ連絡しておきましょう」
クラリスが通信機を取り出した。
エリスたちはアイリーナを護衛しながら、馬車で王都へ向かっている。
三人が無事に王都へ入り、宿を確保したことを知らせておく必要があった。
通信機を起動する。
しばらくすると、エリスの声が聞こえてきた。
『お母さん?』
「エリス。聞こえる?」
『うん。大丈夫だよ』
娘の声を聞いて、クラリスの表情が少し和らぐ。
「こっちは無事に王都へ入れたわ」
『本当? 良かった』
「宿も取れたから、これから本格的に王都の状況を調べるつもり」
『分かった。こっちは今のところ何もないよ』
「アイリーナ様も?」
『うん。一緒にいるよ』
「それなら、一つお願いがあるの」
『何?』
クラリスは少し声を落とした。
「アイリーナ様に、陛下へ連絡していただけないか聞いてほしいの」
『陛下に?』
「ええ。まずはアイリーナ様が無事であることを、陛下に直接伝えていただきたいのよ」
王都にアイリーナを狙った者が潜んでいる可能性がある。
誰を信用していいのか分からない以上、王女の生存を不用意に広めるわけにはいかない。
しかし、国王には知らせておく必要がある。
「できれば、アイリーナ様ご本人から陛下へ伝えていただいた方がいいわ。私たち三人が先に王都へ入っていることもね」
『分かった。アイリーナ様に伝えるね』
「お願い」
『お母さんたちも気をつけてね』
「そっちもよ。私たちから連絡するまでは、王都には入らないで」
『うん、分かってる』
「何かあったらすぐに連絡して」
『お母さんもね』
通信が切れる。
クラリスは通信機をテーブルの上へ置いた。
「これで向こうへの連絡も終わったわ」
レオネリアが立ち上がる。
「それじゃあ、いよいよ調査開始ね」
「ええ」
クラリスも立ち上がった。
メルキオラもそれに続く。
王都へ入ることができた。
宿も確保した。
エリスたちへの連絡も済んだ。
ここから先は、本来の目的である情報収集だ。
アイリーナを襲った者たちは誰なのか。
王都の中で、今何が起きているのか。
そして――
その背後に、どのような者たちが潜んでいるのか。
まだ何も分かってはいない。
クラリスは部屋の扉へ手を掛けた。
「まずは冒険者ギルドへ行きましょう」
「ええ」
「行きましょう」
三人は部屋を出る。
懐かしい王都。
クラリスにとっては、かつて騎士として、冒険者として何度も歩いた街。
しかし今、その王都のどこかにアイリーナの命を狙った者が潜んでいる。
そしてクラリスたちはまだ知らない。
自分たちが王都へ入る少し前にも、人知れず魔族と手を結び、何かを企む者が動いていたことを。
王都グランヴェイルに潜む影を追って――
クラリスたちの本格的な調査が、いよいよ始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、王都での調査拠点となる宿を確保するクラリスたちのお話でした。
かつて白銀の聖剣団が常宿としていた「白銀の月亭」。
宿の名前に「白銀」と付けられるほどクラリスたちと縁の深かった宿は、年月が経った今も変わらず営業を続けていました。
そして、そこでクラリスは旧知のサンドラと久しぶりの再会を果たします。
王都での拠点も決まり、エリスたちへの連絡も済ませた三人。
ここから、いよいよ本格的な情報収集が始まります。
次回、クラリスたちは王都の冒険者ギルドへ。
かつて王都で活動していたクラリスの人脈を頼りに、最近の王都で何が起きているのか、その手掛かりを探していきます。
次回も『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をよろしくお願いいたします。
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