王都に蠢く影 ― 密約の代償 ―
いつも『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をお読みいただき、ありがとうございます。
一足先に王都グランヴェイルへの潜入を果たしたクラリス、レオネリア、メルキオラ。
しかし、三人が王都へ入ったその頃、華やかな街並みの裏側では、すでに魔族の影が動き始めていました。
人知れず交わされる取引。
魔族から渡される魔道具と、その対価として用意されたものとは――
第八章の続きをお楽しみください。
ーー王都グランヴェイルーー
サントス王国の中心であり、王城を中心として広大な街並みが広がる、この国最大の都市。
多くの商人や冒険者が行き交う大りには今日も活気があり、王都へ入る門には長い列ができている。
一見すれば、いつもと何も変わらない。
人々は働き、商人は商品を売り、貴族たちは華やかな暮らしを送っている。
しかし――
そんな王都の華やかさから遠く離れた場所で、人々の目には決して触れることのない取引が行われようとしていた。
王都の貴族街。
その一角に、一際大きな屋敷が建っている。
広大な敷地。
美しく整えられた庭園。
屋敷を囲む高い塀。
門には侯爵家の紋章が掲げられ、武装した私兵が警備に当たっていた。
王国でも高い地位にある侯爵家の屋敷。
その客間に、一人の男がいた。
黒い装束に身を包んだ男。
シャドウウォーカー。
魔族は現在、サントス王国に対して表立った大規模な攻撃を仕掛けてはいない。
それは決して、王国への工作を止めたという意味ではなかった。
むしろ逆だった。
人々から見えないところで、その手は着実に伸びている。
王国に不満を持つ者。
王家を快く思っていない者。
より大きな権力を求める者。
そうした人間たちへ近づき、必要なものを与える。
その代わりに、魔族側も必要なものを受け取る。
表立った戦争とは異なる、もう一つの侵攻。
シャドウウォーカーが今日この屋敷を訪れたのも、そのためだった。
客間のソファへ腰を下ろしたまま、シャドウウォーカーは静かに待っていた。
目の前のテーブルには高級そうな茶と菓子が置かれている。
しかし、それに手を付ける様子はない。
やがて――
客間の扉が開いた。
「待たせたな」
入ってきたのは、上質な服を身にまとった中年の男だった。
この屋敷の主人。
そして王国でも高い地位を持つ侯爵である。
「いや」
シャドウウォーカーは気にした様子もなく答えた。
「こちらが予定より早く来ただけだ。気にすることはない」
侯爵は向かい側のソファへ腰を下ろす。
二人の間に余計な挨拶はなかった。
今回が初めての顔合わせではない。
それを示すように、侯爵もシャドウウォーカーの存在を警戒する様子はなかった。
シャドウウォーカーは懐へ手を入れた。
そして取り出した二つの物を、テーブルの上へ置く。
「約束のものだ」
侯爵の目が細くなる。
テーブルに置かれたのは二つの魔道具だった。
一つは、掌に収まるほどの黒い球体。
表面には複雑な魔法陣のような紋様が刻まれており、その中心には赤黒い魔石が埋め込まれている。
もう一つは、小さな箱型の魔道具。
こちらにも見慣れない術式が刻まれていた。
侯爵は最初に黒い球体を手に取った。
「これが……例のものか」
「ああ」
シャドウウォーカーが頷く。
「指定した場所へ設置して起動すればいい。後はそれ自身が仕事をする」
「なるほど」
侯爵は黒い球体を眺める。
「どれほど集められる?」
「場所次第だ」
シャドウウォーカーは口元に薄い笑みを浮かべた。
「ただ、期待を裏切ることはないと思うぞ」
侯爵もわずかに笑った。
次に、もう一つの箱型の魔道具へ手を伸ばす。
「こちらは?」
「周囲から認識されにくくするためのものだ。完全に存在を消せるわけではないが、人目を避けて何かを行うには十分だろう」
「それは便利だ」
侯爵は二つの魔道具を満足そうに眺めた。
何のために使うのか。
どこで使うのか。
シャドウウォーカーは尋ねなかった。
必要もない。
彼にとって重要なのは、魔道具が王国の内部で使われること。
そして、その結果として王国に混乱が生まれることだけだった。
侯爵は二つの魔道具をテーブルへ戻した。
「確かに受け取った」
そしてシャドウウォーカーを見る。
「こちらも約束のものは揃えてある」
「ほう」
「地下だ。すでに準備はできている。好きに持ち帰るといい」
その言葉を聞いた瞬間。
シャドウウォーカーの口元が歪んだ。
「それは何よりだ」
立ち上がる。
「では、早速受け取らせてもらおう」
侯爵も立ち上がった。
「好きにするといい。地下の者には話を通してある」
シャドウウォーカーは扉へ向かう。
しかし部屋を出る直前、足を止めた。
振り返り、侯爵を見る。
「こちらの魔道具が役に立つことを祈っているよ」
「心配はいらん」
侯爵が答える。
シャドウウォーカーは笑った。
「あなたの計画が成功することを祈っている」
それだけ告げると、客間を後にした。
廊下を歩き、階段へ向かう。
途中ですれ違った使用人たちは、シャドウウォーカーを見ても何も言わない。
すでに屋敷の中では、彼の存在そのものが受け入れられている。
やがて地下へ続く階段へたどり着いた。
地上の華やかな屋敷とは対照的に、地下は薄暗かった。
壁に取り付けられた魔道具の灯りが、石造りの通路を照らしている。
階段を降りた先には、二人の男が立っていた。
侯爵家に仕える私兵だ。
そのうち一人がシャドウウォーカーに気づく。
「お待ちしておりました」
「話は聞いているな?」
「はい。こちらへ」
誰何すらされなかった。
シャドウウォーカーはすでに何度もこの場所を訪れている。
見張りの男たちとも顔見知りになっていた。
一人の兵士が先頭を歩き、シャドウウォーカーを地下の奥へ案内する。
いくつもの扉を通り過ぎる。
さらに奥へ。
地上からは想像もできないほど、地下は広かった。
やがて兵士が一つの扉の前で立ち止まる。
鍵を取り出し、扉を開けた。
「こちらです」
シャドウウォーカーが中へ入る。
その先にあったものを見て――
満足そうに笑った。
部屋の中央。
そこには、大きな鉄製のケージが置かれていた。
そしてその中には――
人がいた。
一人ではない。
十二人。
若い男女だった。
年齢には多少の差があるものの、そのほとんどが若者だった。
身に着けている服は古く、何度も繕われている。
王都の華やかな大通りを歩く者たちとは明らかに違う。
おそらく――
貧民街の住人。
十二人全員の両手と両足には、重い枷が取り付けられていた。
シャドウウォーカーが姿を見せると、ケージの中の者たちが怯えた表情を浮かべる。
「……誰だ」
一人の青年が声を絞り出した。
しかし、シャドウウォーカーは答えない。
「俺たちをどうするつもりだ!」
青年がもう一度叫ぶ。
隣にいた女性が身体を震わせている。
さらに奥では、別の男が鉄格子を掴んでいた。
「ここから出せ!」
「俺たちは何もしてない!」
「お願い……家に帰して……」
次々と声が上がる。
シャドウウォーカーはそんな十二人を眺めた。
そして――
笑った。
「十二人」
静かに数える。
「確かに約束通りだな」
案内してきた兵士が頭を下げた。
「侯爵様からは、すべてあなたに引き渡すよう命じられております」
「そうか」
シャドウウォーカーはケージの周囲をゆっくりと歩く。
中の者たちは、少しでも彼から離れようと後ずさった。
誰も、自分たちがこれからどこへ連れて行かれるのか知らない。
なぜ捕らえられたのかさえ、理解していない者もいる。
「それでは、遠慮なくいただこう」
シャドウウォーカーが懐から一枚の魔道具を取り出した。
小さな板状の魔道具。
表面には転移用の術式が刻まれている。
それを見た兵士が一歩下がった。
シャドウウォーカーは魔道具へ魔力を流す。
その瞬間――
ケージの下に巨大な魔法陣が広がった。
「な、何だ!?」
「何をする気だ!」
中の者たちが騒ぎ始める。
シャドウウォーカーは答えない。
自らも魔法陣の中へ入る。
転移の光が強くなっていく。
「それでは」
シャドウウォーカーが兵士を見る。
「侯爵に、確かに受け取ったと伝えておいてくれ」
「承知しました」
次の瞬間。
光が地下室を包み込んだ。
そして――
シャドウウォーカーも。
十二人の若者たちも。
巨大な鉄製のケージさえも。
その場から跡形もなく消えた。
◇◇◇
次の瞬間。
十二人を閉じ込めたケージが姿を現したのは、王都ではなかった。
薄暗い巨大な空間。
壁には数え切れないほどの魔道具。
棚には怪しげな液体の入った瓶や、何に使うのか分からない器具が並べられている。
そして部屋の奥には、巨大な培養槽のような装置がいくつも置かれていた。
魔族の研究施設。
グリムヴァルの研究所だった。
突然変わった周囲の光景に、ケージの中の者たちは混乱していた。
「ここ……どこだ?」
「さっきの地下じゃない……」
「何なの……?」
怯えた声が響く。
シャドウウォーカーはそんな声を気にも留めず、研究所の奥へ向かって声を掛けた。
「グリムヴァル」
しばらくすると、奥から足音が聞こえてくる。
姿を現したのはグリムヴァルだった。
彼はシャドウウォーカーを見る。
そして――
その後ろにあるケージへ視線を移した。
十二人。
一人。
また一人。
まるで物の数を確認するかのように、ゆっくりと視線を動かしていく。
やがて、その顔に笑みが浮かんだ。
「ほう……」
グリムヴァルがケージへ近づく。
中の若者たちは、その異様な雰囲気を感じ取ったのか、さらに奥へ身を寄せた。
シャドウウォーカーが尋ねる。
「約束のものだ」
グリムヴァルは返事をせず、しばらく十二人を観察していた。
やがて満足したのか、シャドウウォーカーへ向き直る。
「十二人。確かに」
「これでいいのだろう?」
「ああ」
グリムヴァルの笑みが深くなる。
「十分だ」
シャドウウォーカーは壁へ寄りかかる。
「わざわざ王都から運んできたんだ。期待しているぞ」
「心配する必要はない」
グリムヴァルは再びケージへ目を向けた。
その視線の先で、一人の女性が怯えながら後ずさる。
「これだけあれば、試したかったことがいくつも試せる」
「例の研究か?」
グリムヴァルは答えなかった。
ただ、楽しそうに笑っただけだった。
シャドウウォーカーはその様子を見て肩をすくめる。
研究の詳しい内容など、彼にはどうでもよかった。
必要な人間を集める。
それをグリムヴァルへ届ける。
自分の役目はそれだけだ。
「それで?」
シャドウウォーカーが尋ねる。
「本当に作れるんだろうな?」
その問いに。
グリムヴァルは迷うことなく答えた。
「ああ」
ケージの中にいる十二人へ視線を向ける。
そして静かに告げた。
「もちろんだ」
その口元が、大きく歪む。
「これで――最凶のものを作ることを約束しよう」
研究所に、グリムヴァルの低い笑い声が響く。
ケージの中で身を寄せ合う十二人は、まだ知らない。
自分たちがなぜここへ連れて来られたのか。
これから何をされるのか。
そして――
王都の華やかな日常の裏側で。
人間と魔族の間に、どれほど深い闇が広がり始めているのかを。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は視点を変え、王都の裏側で暗躍する者たちの様子を描きました。
謎の侯爵へ二つの魔道具を渡したシャドーウォーカー。
そして、その対価として魔族へ引き渡された十二人の若い男女。
彼らを受け取ったグリムヴァルは、「最凶のものを作る」と不穏な言葉を口にしました。
王都の表側では何事もないように人々の日常が続く一方、その裏側では魔族による工作が着実に進んでいます。
次回は再びクラリスたちへと視点を戻し、王都潜入編へ。
王都へ入り込んだクラリス、レオネリア、メルキオラの三人は、アイリーナを狙った者たちの手掛かりを求めて調査を開始します。
次回も『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をよろしくお願いいたします。
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次回の更新は、9月30日18時を予定してます




