王女のお忍び散策 ― アルフェリア最後の夜 ―
いつも『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をお読みいただき、ありがとうございます。
王都へ向かうための準備も整い、翌日にはアルフェリアを出発することになったエリス達。
そんな中、アイリーナにはこの街を離れる前に、一つだけやってみたいことがありました。
冒険者に姿を変え、クラリス達に守られながら歩くアルフェリアの街。
王女としてではなく、一人の少女として過ごす短い時間が始まります。
それでは、第七章の続きをお楽しみください。
翌日、アルフェリアを出発することが決まった。
ユリウスとの話もまとまり、アイリーナ達が王都まで身分を隠して移動するための準備もほぼ整った。
あとは一晩を過ごし、翌朝になれば王都グランヴェイルへ向けて旅立つだけである。
そんな中、アイリーナには一つだけ、アルフェリアを離れる前にやっておきたいことがあった。
「クラリスさん。少しお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「はい。何でしょう、殿下?」
声をかけられたクラリスが振り返る。
アイリーナは少し迷うような表情を見せた後、口を開いた。
「明日には、この街を出発するのですよね?」
「はい。その予定です」
「でしたら、その前に……少しだけアルフェリアの街を歩いてみたいのです」
「街を、ですか?」
クラリスはすぐには答えず、アイリーナを見つめた。
「はい」
アイリーナは頷く。
「せっかくエリスさんとマリンさんが、冒険者に見える服を選んでくださったでしょう? それに、アルフェリアへ来てから一度も街を見ることができていませんので」
アイリーナ達が保護されている異空間は、旅をする環境として考えれば非常に快適だった。
野営とは比べものにならない。
柔らかなベッドで眠ることができ、温かい食事も食べられる。
身体を洗う場所もあり、室内の温度まで快適に保たれている。
下手な宿に泊まるよりも、遥かに過ごしやすいほどだった。
何より、外部から簡単には侵入できない。
現在のアイリーナにとって、これほど安全な場所は他にないだろう。
それでも――
一つだけ欠点がある。
外が見えないことだった。
異空間である以上、窓を開けても外の景色を見ることはできない。
馬車がどんな道を走っているのか。
どんな街を通っているのか。
外が晴れているのか、曇っているのか。
そうしたことさえ、誰かに聞かなければ分からない。
安全だとは分かっている。
快適なのも間違いない。
それでも、ずっと閉じられた空間の中だけで過ごしていれば、まったくストレスを感じないというわけにはいかなかった。
「長い時間でなくても構いません」
アイリーナが続ける。
「少し外の空気を吸って、アルフェリアがどのような街なのか自分の目で見てみたいのです」
「そうですね……」
クラリスは考える。
本来なら、アイリーナを外へ出すべきではない。
現在、第二王女アイリーナ・サントスは消息不明となっている。
襲撃者達も、アイリーナは馬車の爆発によって死亡したと思い込んでいる。
その状況を維持するためには、誰にも姿を見られないことが一番安全なのは間違いない。
一方で、王都までの道のりをずっと異空間の中だけで過ごしてもらうというのも、アイリーナにとって負担になる。
それに――
クラリスはアイリーナの服を見る。
エリスとマリンが買ってきた、女性冒険者風の服。
華美な装飾はなく、旅をする女性が着ていても不自然ではない。
普段の王女らしい服装とは、かなり印象が違っていた。
少なくとも、遠目に見ただけで王女だと気づく者はいないだろう。
「……分かりました」
クラリスが答えた。
アイリーナの顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「はい。ただし、条件があります」
「何でしょう?」
「私もご一緒いたします。それが条件です」
アイリーナは少し驚いたものの、すぐに笑顔で頷いた。
「もちろんです。よろしくお願いいたします」
「それから、何か異変があった場合は、すぐに戻っていただきます」
「分かりました」
こうしてアイリーナがアルフェリアの街を歩くことが決まった。
とはいえ、護衛がクラリス一人だけというわけではない。
「私も行きます」
話を聞いたエリスが名乗りを上げた。
「エリスも?」
クラリスが尋ねる。
「うん。お母さん一人でも大丈夫だと思うけど、護衛は多い方がいいでしょ?」
「そうね」
エリスならば実力に問題はない。
それに十五歳のエリスが一緒なら、クラリスとアイリーナを含めた女性三人で街を楽しんでいるように見える。
大勢の屈強な護衛を連れて歩くより、遥かに目立たない。
「では、エリスにもお願いしましょう」
「任せて」
エリスが嬉しそうに答える。
さらに――
「私達も同行いたします」
メルキオラだった。隣にはレオネリアもいる。
「でも、人数が増えすぎると逆に目立たない?」
エリスが首を傾げる。
「問題ありません」
メルキオラが答える。
「認識阻害の魔法を使います」
「なるほど」
クラリスもすぐに意図を理解した。
メルキオラとレオネリアは、周囲の者から認識されにくくなる魔法を使い、姿を隠した状態で同行する。
そうすれば表向きはクラリス、エリス、アイリーナの三人だけ。
しかし実際には、すぐそばにメルキオラとレオネリアもいる。
万が一何か起きても、即座に対応できる。
「そこまでしていただかなくても……」
アイリーナが少し申し訳なさそうに言う。
するとレオネリアが首を横に振った。
「お気になさらず。何も起きなければ、私達は何もせず戻ってくるだけです」
「そうですね」
アイリーナも納得した。
準備を整えると、アイリーナはエリスとマリンが選んだ冒険者風の服に着替えた。
髪型も普段とは少し変える。
装飾品も身につけない。
鏡の前に立ったアイリーナは、自分の姿を見て微笑んだ。
そこにいるのは王女というより、ごく普通の若い女性冒険者だった。
「どうでしょう?」
「全然違って見えます」
エリスが答える。
「これなら、知らない人が見ても王女様だとは思わないんじゃないかな」
「それなら良かったです」
もっとも、アイリーナにとって変装して城下を歩くこと自体は、初めての経験ではなかった。
王都でも、時折お忍びで城下へ出ることがあった。
もちろん近衛の護衛はついていたが、身分を隠し、一般の人々に混ざって市場や店を見て回る。
そのため、こうした行動には意外なほど慣れていた。
やがてメルキオラが認識阻害の魔法を使う。
メルキオラとレオネリアの存在感が薄れ、意識して見ようとしなければ気づきにくくなる。
二人はアイリーナ達から離れず、すぐ近くで護衛することになった。
「では、行きましょうか」
クラリスが言う。
「はい」
アイリーナは嬉しそうに頷いた。
こうして、アルフェリア最後の夜。
第二王女アイリーナは王女という身分を隠し、街へ出た。
夜のアルフェリアは、昼間とはまた違った賑わいを見せていた。
通りには魔道具の灯りが並び、店先や露店を明るく照らしている。
仕事を終えた者達。
これから宿へ向かう商人。
酒場へ入っていく冒険者。
明日の商売の準備をしている露店商。
様々な人々が行き交っていた。
「これがアルフェリア……」
アイリーナが周囲を見回す。
異空間の中では知ることのできなかった光景だった。
「かなり賑やかですね」
「交易都市だからでしょうね」
クラリスが答える。
「王都とはまた違った賑わいがあると思います」
「ええ。本当に」
アイリーナの視線が、次々と周囲へ移っていく。
並べられた果物。
色鮮やかな布。
香辛料。
装飾品。
見たことのない雑貨。
各地から商品が集まるアルフェリアだけあって、露店を眺めているだけでも飽きない。
「あれは何でしょう?」
アイリーナが一軒の露店を指差す。
そこには小さな細工物が並べられていた。
三人で近づいてみる。
「各地の街を模した飾りみたいですね」
エリスが一つを手に取る。
「こんなものまで売っているんですね」
アイリーナも楽しそうに眺める。
その様子を少し離れた場所から、メルキオラとレオネリアが見守っていた。
周囲の者達は二人をほとんど気に留めない。
それでも二人の視線は絶えず周囲へ向けられていた。
怪しい動きをする者はいないか。
アイリーナを必要以上に見ている者はいないか。
何かあれば、すぐに動ける距離を保っている。
もっとも、当のアイリーナはそうした厳重な護衛を意識することなく、街歩きを楽しんでいた。
市場へ向かえば、並べられた商品を興味深そうに眺める。
露店で珍しい品物を見つければ、足を止める。
時には店主と話をする。
その振る舞いは自然だった。
エリスは少し意外そうにアイリーナを見る。
「アイリーナ様、慣れてますね」
「何がですか?」
「こういうところを歩くの」
アイリーナが小さく笑った。
「王都でも、時々お忍びで城下へ出ることがあるんです」
「そうなんですか?」
「はい。もちろん護衛にはついてきてもらいますけれど」
エリスは納得したように頷く。
「だから普通に歩けるんですね」
「王城から一歩も出たことがないわけではありませんから」
少し楽しそうに答えるアイリーナに、クラリスも微笑んだ。
王女であっても、こうして街を歩けば普通の少女とそれほど変わらない。
気になるものを見つければ立ち止まり、珍しい商品を見れば目を輝かせる。
しばらく市場を歩いた後、今度は露店が多く並ぶ通りへ向かった。
「すごいですね……」
アイリーナは立ち止まる。
食べ物を扱う店からは、様々な香りが漂っていた。
焼いた肉。
香辛料。
焼きたてのパン。
甘い果物。
エリスも思わず周囲を見る。
「昼間に来た時も思ったけど、本当にお店が多いですね」
「エリスさんは今日、買い物をされていたのでしたね」
「はい」
そこでエリスの表情が一瞬曇った。
スイーツ探しのことを思い出したのだろう。
クラリスはそれに気づいたものの、あえて何も言わなかった。
アイリーナはそんな二人の様子には気づかず、楽しそうに露店を眺めている。
それからも三人は、アルフェリアの街をゆっくり歩いた。
長い時間ではない。
それでもアイリーナにとっては十分だった。
閉ざされた異空間では感じられない夜風。
人々の話し声。
露店から漂ってくる料理の香り。
商人達の呼び込み。
自分の足で街を歩いているという感覚。
その一つ一つを楽しんでいた。
やがてクラリスが空を見上げる。
「殿下。そろそろ戻りましょう」
アイリーナも名残惜しそうに周囲を見回した。
それでも、約束を破ってまで長居するつもりはない。
「はい」
素直に頷く。
「ありがとうございました、クラリスさん」
「いえ。少しでも気分転換になったのでしたら良かったです」
「十分すぎるほどです」
アイリーナは笑顔を見せた。
「明日から、またしばらく外へ出られなくても大丈夫そうです」
「無理はなさらないでください。安全を確認できる場所があれば、また考えましょう」
「ありがとうございます」
三人は来た道を戻っていく。
そのすぐそばでは、最後までメルキオラとレオネリアが周囲を警戒していた。
幸い、何事も起こらなかった。
誰かに正体を見抜かれることもない。
怪しい者につけられることもなかった。
やがて一行は馬車へ戻った。
異空間へ入る直前、アイリーナは一度だけ振り返る。
夜のアルフェリア。
大勢の人が行き交い、いくつもの灯りが街を照らしている。
明日になれば、この街とも別れることになる。
「楽しかったです」
アイリーナが小さく呟いた。
そして今度こそ異空間へ戻っていく。
アルフェリアで過ごす最後の夜。
ほんのわずかな時間ではあったものの、アイリーナは久しぶりに外の空気に触れ、一人の少女として街を歩く時間を楽しむことができた。
そして翌朝――
エリス達は交易都市アルフェリアを後にし、王都グランヴェイルへ向けて再び旅立つことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、アルフェリア最後の夜を迎えたアイリーナが、クラリス達とともにお忍びで街を散策しました。
安全とはいえ、外の景色を見ることもできない異空間で過ごし続けていたアイリーナ。
王都でもお忍びで城下を歩くことがあった彼女にとって、久しぶりに自分の足で街を歩き、市場や露店を眺める時間は良い気分転換になったようです。
表向きはクラリスとエリスの二人が護衛し、そのすぐそばでは認識阻害の魔法で姿を隠したメルキオラとレオネリアが見守る中、何事もなくアルフェリア最後の夜を楽しむことができました。
そして、王都へ向かうための準備もすべて整いました。
次回、エリス達はいよいよ交易都市アルフェリアを出発。
第二王女アイリーナを秘密裏に守りながら、一行は再び王都グランヴェイルへ向けて旅を始めます。
果たして、王都までの道のりには何が待っているのでしょうか。
次回も『魔族の女王が転生したら聖女になっていた』をよろしくお願いいたします。
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