幕間 聖女と魔法使いのスイーツ探し ― モニカの甘くない休日 ―
モニカを襲ったスタンピードから、一夜が明けた。
海から押し寄せた魔物たちは姿を消し、沖合に現れていた不気味なゲートも、すでに存在しない。
昨日まで戦場となっていた港には騎士や冒険者だけでなく、多くの住民たちが集まり、壊れた建物や散乱した荷物の片付けを始めていた。
そんな中――。
「エリス、行こう!」
宿の前で、マリンが元気よく声を上げた。
「うん。でも、本当にお店やってるかな?」
「一軒くらいはやってるって!」
マリンは自信満々だった。
今日、二人には少しだけ自由な時間ができた。
そこでマリンが真っ先に提案したのが――。
「スイーツを食べに行こう!」
だった。
セントポルでも二人はスイーツを食べに行こうと話していた。
ところが、結局いろいろなことが重なり、満足に食べ歩くことはできなかった。
王都へ向かう馬車の御者台でも、
『王都では絶対に食べよう』
と二人で話していたくらいである。
もっとも、ここはまだ王都ではない。
しかも帝国の港町モニカだ。
それでも港町なら、この土地ならではのお菓子があるかもしれない。
そんな期待を胸に、エリスとマリンは街へと繰り出した。
ところが――。
「……閉まってるね」
「うん……」
一軒目。
扉には『本日休業』の札。
「次!」
マリンはまだ元気だった。
二軒目。
窓には板が打ち付けられ、店主らしき男性が壊れた壁を修理している。
「……次!」
少しだけ声が小さくなった。
三軒目。
店そのものに大きな被害はなかったものの、店頭には『材料入荷まで休業』と書かれていた。
「…………」
マリンが無言になる。
エリスは申し訳なさそうに、その横顔を覗き込んだ。
「マリン……」
「まだよ」
「え?」
「まだ諦めるのは早いわ!」
マリンは拳を握った。
「モニカは大きな街なんだから、お菓子屋さんの一軒や二軒、絶対に営業してるはずよ!」
「そうだね」
エリスも笑って頷く。
しかし、歩けば歩くほど、昨日のスタンピードが残した爪痕が目についた。
港に近い場所ほど被害は大きい。
壊れた屋台。
割れた窓。
崩れた壁。
荷車には瓦礫が積まれ、あちらこちらで人々が修復作業をしている。
港では、停泊していた船から荷物を降ろす作業も再開されていたが、いつもの状態にはほど遠い。
昨日の今日なのだ。
普通に考えれば、店が営業している方が珍しい。
「やっぱり今日は無理なのかな……」
エリスが呟く。
「そんなこと……」
マリンも否定しようとしたものの、途中で言葉を止めた。
そのときだった。
「あっ!」
マリンが前方を指差した。
「エリス! あそこ!」
「え?」
通りの向こうに一軒の店があった。
窓には果物を使った焼き菓子らしき絵が描かれている。
そして何より――扉が開いている。
「開いてる!」
「やった!」
二人の表情が一気に明るくなった。
エリスとマリンは顔を見合わせると、少しだけ足早に店へ向かった。
ところが。
店へ近づくにつれ、何かがおかしいことに気づく。
店先に商品が並んでいない。
甘い香りもしない。
代わりに聞こえてくるのは、木材を打ち付ける音だった。
「あれ……?」
店の中では、数人の男女が片付けをしていた。
どうやら扉が開いていたのは営業しているからではない。
壊れた店内を修復するためだった。
「そんなぁ……」
マリンの肩ががっくり落ちる。
「仕方ないよ。昨日あんなことがあったんだから」
「分かってるけど……」
マリンは店を見つめた。
「ちょっとくらい期待したっていいじゃない……」
エリスも苦笑する。
すると、店の奥から木箱を抱えた若い男性が出てきた。
「そこ、通ります!」
「あ、ごめんなさい」
二人が慌てて道を開ける。
男性は木箱を店先に置くと、再び店内へ戻ろうとした。
その直後だった。
「危ない!」
誰かの声が響いた。
店の横では、昨日壊れたらしい軒先を数人の男性が修理していた。
一人が抱えていた木材が手から滑り落ちる。
「あっ!」
木材が足元に落ちた。
近くにいた男性が避けようとして体勢を崩し、そのまま瓦礫の上へ倒れ込んだ。
「ぐあっ!」
「大丈夫か!?」
周囲の人々が一斉に駆け寄る。
エリスも反射的に走り出していた。
「大丈夫ですか!?」
「エリス!」
マリンもその後を追う。
倒れた男性は足を押さえていた。
ズボンが破れ、その下から血が流れている。
瓦礫から突き出していた金属片で深く切ってしまったらしい。
「誰か、治癒魔法を使える奴はいないか!?」
「教会まで運べ!」
「待ってください!」
エリスが声を上げた。
集まっていた人々が一斉に振り返る。
見慣れない少女が二人。
誰もエリスが何者なのか知らない。
「私が診ます」
「嬢ちゃんが?」
「はい」
エリスは男性の横へ膝をついた。
傷はかなり深い。
このままでは歩くことはできないだろう。
エリスは傷口へそっと手をかざした。
「少しだけ、じっとしていてください」
「お、おう……」
淡い光がエリスの手から溢れた。
傷口を光が包み込む。
流れていた血が止まる。
裂けていた皮膚がゆっくりと塞がっていく。
やがて――。
傷そのものが跡形もなく消えた。
「……え?」
男性が自分の足を見る。
何度見ても傷はない。
恐る恐る足を動かしてみる。
「痛く……ない」
周囲が静まり返った。
「立てますか?」
「あ、ああ……」
エリスが手を差し出す。
男性はその手を借りて立ち上がった。
足を地面につける。
痛みはない。
「すげぇ……」
誰かが呟いた。
「治癒魔法……なのか?」
「でも、あんな傷が一瞬で……」
ざわめきが広がっていく。
エリスはそれを気にすることなく、男性へ尋ねた。
「ほかに痛いところはありませんか?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
「良かった」
エリスが笑顔を見せた。
そのとき。
人混みの後ろにいた女性が、何かに気づいたように目を見開いた。
「ちょっと待って……」
女性はエリスをじっと見る。
「もしかして……昨日の……」
「昨日?」
「ほら! 港で魔物と戦ってた人たちよ!」
別の男性もエリスを見る。
「そういえば白い大きな魔獣と一緒にいた女の子がいたって……」
「聖女がいるって騎士たちが話してたぞ」
「じゃあ、この子が……?」
エリスの表情が固まった。
隣にいたマリンが、ゆっくりエリスを見る。
「エリス……」
「うん……」
嫌な予感がした。
そして。
「聖女様だ!」
誰かが叫んだ。
その一言で、周囲の空気が一変した。
「昨日モニカを助けてくれたっていう!?」
「聖女様!」
「本当に聖女様なのか!?」
人が集まり始める。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
エリスは慌てた。
しかし遅かった。
「聖女様! こっちにも怪我人がいるんです!」
「昨日瓦礫が崩れて、腕を怪我した人が!」
「港にも動けない人がいる!」
次々と声が上がる。
エリスは困ったようにマリンを見る。
マリンもエリスを見る。
そして二人は同時に、目の前の菓子店へ視線を向けた。
当然、営業していない。
エリスは小さく息を吐いた。
「……マリン」
「分かってるわよ」
マリンもため息をつく。
「怪我してる人を放っておいて、お菓子食べに行けるわけないでしょ」
「ありがとう」
「その代わり!」
マリンが人差し指を立てる。
「今度こそ絶対に食べるからね!」
「うん!」
こうして――。
二人のスイーツ探しは、いつの間にか人助けへと変わってしまった。
エリスは怪我人の治療を始めた。
軽い切り傷。
瓦礫で痛めた腕。
昨日の避難中に負った足の怪我。
重傷者の多くはすでに教会や治療所へ運ばれていたが、街にはまだ治療を受けられていない人が大勢いた。
一方のマリンも黙って見ているわけではない。
「それ、私がやるわ」
「え?」
「ちょっと離れてて」
マリンが杖を向ける。
「ウインド!」
柔らかな風が瓦礫を包み込む。
人の力では数人がかりで運ぶような木材が、ゆっくりと浮き上がった。
「おおっ!」
「そこに置けばいい?」
「あ、ああ!」
驚く住民たちの指示に従い、マリンは木材を邪魔にならない場所へ移動させる。
その後も二人は街中を歩き回った。
エリスが怪我人を見つければ治療する。
マリンは片付けを手伝う。
気がつけば――。
太陽は海の向こうへ傾き始めていた。
「…………」
「…………」
夕暮れの港。
エリスとマリンは並んで歩いていた。
朝とは違い、二人の足取りは重い。
疲れたからではない。
「ねえ、エリス」
「なに?」
「私たち今日、何しに出掛けたんだっけ?」
エリスは少し考えた。
「……スイーツを食べに?」
「食べた?」
「……食べてないね」
「一個も?」
「うん」
「…………」
マリンが空を仰ぐ。
「なんでよぉ……」
エリスは思わず笑ってしまった。
「笑わないでよ!」
「ご、ごめん」
「セントポルでも食べられなかったのよ!? モニカならって思ったのに!」
「でも、今日は仕方ないよ」
「分かってるけどぉ……」
そのときだった。
「おーい!」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると、昼間の菓子店にいた男性が走ってくる。
その手には小さな紙袋があった。
「良かった。まだいた」
「どうしたんですか?」
男性は二人の前で止まる。
「今日は本当にありがとう。店の片付けまで手伝ってもらって」
「いえ」
「これ、持っていってくれ」
差し出されたのは紙袋だった。
「これは?」
「昨日の騒ぎで材料はほとんど駄目になっちまったんだけど、無事だった小麦と蜂蜜が少しあってな」
袋を開く。
中には、小さな焼き菓子が二つ入っていた。
豪華な飾りはない。
果物もクリームも使われていない。
ただ小麦を焼き、蜂蜜を塗っただけの素朴なお菓子だった。
「店を開けられるほどじゃないけど、これくらいなら作れる」
「いいんですか?」
「ああ。モニカを助けてもらった礼には全然足りないけどな」
エリスとマリンは顔を見合わせた。
「ありがとうございます!」
二人は一つずつ受け取った。
まだ少し温かい。
エリスが一口食べる。
「……美味しい」
「ほんと!」
マリンの表情も一気に明るくなった。
蜂蜜の優しい甘さが口いっぱいに広がる。
一日中歩き回った後だからなのか。
それとも、作ってくれた人の気持ちが嬉しかったからなのか。
とても美味しく感じた。
「良かった」
店主は笑う。
「街が落ち着いたら店も再開する。今度モニカに来ることがあったら、その時はちゃんとしたのを食べに来てくれ」
「はい!」
エリスは笑顔で頷いた。
店主と別れ、再び宿へ向かう。
マリンは最後の一口を大切そうに食べた。
「美味しかったね」
エリスが言う。
「うん」
マリンも満足そうに頷く。
ところが――。
「でも、これは数に入れないから」
「え?」
エリスが目を丸くした。
マリンは真剣な表情でエリスを見る。
「これはお礼でもらったお菓子でしょ?」
「そうだけど……」
「私たちがやりたいのはスイーツの食べ歩きなの!」
「……確かに」
「だからこれは別!」
マリンは拳を握る。
「王都よ!」
「え?」
「王都グランヴェイル! 今度こそ絶対にスイーツを食べるわよ!」
その勢いに、エリスは思わず笑ってしまう。
「うん。今度こそね」
「約束よ!」
「約束」
二人は笑いながら宿へと歩いていく。
セントポルでは叶わず。
モニカでも叶わず。
果たして二人が思う存分スイーツを楽しめる日は、本当にやって来るのだろうか。
それはまだ――誰にも分からなかった。




