17 人の優しさ
「リュシエンヌもマリウス様も……帝国の方々は優しい方ばかりなのね」
少し俯き、憔悴した顔でルーナは続ける。
「よくよく考えれば、私はなんてことをしてしまったのかしら。どうしても許せなかったとはいえ、私は貴族。自身の、家の責務を捨てて逃げ出してしまうなんて」
「何を仰られますか!」
リュシエンヌが大声を上げる。それにルーナは驚き、肩を跳ねさせた。
「ルーナ様。失礼を承知で申し上げますが、今のオードラン国は異常です。いくら待望の聖女が現れたとはいえ……建国以来、長年に渡って王家に忠誠を誓う公爵家を、確たる証拠もない噂話を理由に謗るなど。国ごと見放されても当然の所業です」
そして、諭すような声音でリュシエンヌは言う。
「あなたの行動は決して間違ってなどいません。どうか……ご自身を悪し様に言うのはお止め下さい」
一度生まれた自責の念を口に出したことで、より不安を感じたのか、ルーナはリュシエンヌの言葉を簡単には受け入れなかった。
「でも……対立を、孤立を招くことになった理由は私にあったのではないかしら。考えあってのこととはいえ、誰もが分かるような形で、人々のために精霊の力を振るわない精霊術士なんて……」
「力を貸すに値しない、むしろ助力することで良くないことが起きるだろうと。そう感じた故の行動だったのでは? かの国の現状を外から見ていると、ルーナ様のお考えと行動はきっと間違っていなかったと。そう感じます」
「わ、私は皆の模範となるべき高位貴族でありながら、人々の対立を招いてしまったという事実は、変わらないわ……」
まだ自身を責めようとするルーナに対し、リュシエンヌは客観的な意見を伝える。
「不躾ながらルーナ様。対立を招いた根本の理由は、国民の思慮の足りなさかと。そもそも、オードラン国は大変国土が小さい。精霊の加護による常識を超えた実りと繁栄がなければ、国の体裁を保つことすら難しいはず。それを理解していれば、己の目に見えずとも、今ある生活はベルニエ家の方々をはじめとした精霊術士――特にルーナ様のお力あってのことと思い至るはずです。当たり前になり過ぎて感謝の思いを忘れた故なのか、原因は分かりかねますが……とにかく、ルーナ様に非はありません」
最後に、これが一番大切なことだと言わんばかりに、優しげな表情でリュシエンヌが告げる。
「あなた様がこれから暮らすことになるヴァルトシュタイン帝国の臣民は皆、そう考えるはずです」
ルーナはリュシエンヌの方を見上げ、目を見開く。
「ルーナ様は多くの悪意に晒されすぎたが故に、きっと心身共に疲弊なさっているのです。常人であれば、恨みなどの念を抱き、精霊術士としての力が弱まるであろう状況に置かれながらも、力を失わずに平静を保っておられた。恐るべき精神力です。疲れていない訳がありません。難しいとは思いますが、精神が張り詰めた状態を少しずつ緩めていき、静養なさるのがよいかと」
ルーナは静かに耳を傾けていた。
他者にはっきりと言語化されることで、なぜか自分であれこれと考えるよりも、すんなり納得できた気がする。
確かに、言われてみればそうなのかもしれない。
身に覚えのない噂を流され、悪意をぶつけられる日々。
精霊術士としての直感に従った判断ではあったものの、時には実は自分の行動が間違っているのではないかと悩む日もあった。
何が正しい判断なのか、自分は本当に間違っていないのか、実は奥底に私欲を抱えているだけではないのか。
自分に対する疑念が頭をよぎることも一度ではなかった。
そうか、自分は疲れていたのかと。
身内ではない、今日初めて会った他者からはっきり言われたことで、ルーナは初めて自分の状態を理解することができた。
(リュシエンヌのおかげで、大切なことに気づけたわ)
自分の視野が、思考が、広く澄み渡り始めたような感覚を覚えた。
彼女の言う通りすぐには難しいだろう。だが、幸いにも優しい方々と知り合うことができた。
これから少しずつ、周囲の手を借りつつ自身の歪みを正していきたい。
そうして、善き精霊術士としての責務――人と精霊がより良い形で共生を目指す架け橋として、あらためて邁進していきたい。
ルーナは、心の内で将来への新たな展望を描き始めていた。
「る、ルーナ様! 申し訳ございません!!」
ルーナの意識はしばし思考の海に沈んでいたのだが、リュシエンヌの声で一気に現実へ引き戻された。
「どうして、謝るの?」
「わ、私がルーナ様を泣かせてしまいました。なんと申し開きをすれば良いのか……」
取り乱すリュシエンヌの言葉を聞き、ルーナはいつの間にか自分が涙をこぼしていることに気が付いた。
「あら、どうして涙が……。とにかく、あなたは何も悪くないわ。私、悲しくなんてないもの。これは……そう。きっと嬉し泣きだわ。私、ずっと、周りから悪意をぶつけられ続けていて。だから、こんなに立て続けに人の優しさを受けたのは、久しぶりだった……から」
自覚すると、涙がどんどん溢れてくる。
リュシエンヌがサッとハンカチを手渡してくれた。私物をほぼ持っていないルーナを見かねたのだろう。
人様のものを使ってしまうなんて、と一瞬ためらったルーナだったが、厚意に甘えて使わせてもらうことにした。
自分の趣味とは少し異なっている、品の良い花の香りがふんわりと届く。次第に、心が安らいでくるような感じがした。
「マリウス様に窮地を救われ、お優しい言葉を頂いたことも嬉しかったけれど。同性の方に、優しい言葉をかけてもらえたのがもっと嬉しくて。自国では、ご令嬢方からの悪意を受けることが特に多かったから」
「……はい」
「私の味方になってくれる女性がいたんだと思ったら、いつの間にか涙が出てきてしまって」
「想像を絶するお辛さだったでしょう。ですがもう心配はありません。突然の申し出ゆえ、まだ信用ならぬ点も多々あるでしょう。ですが誠心誠意、帝国の総力を上げてルーナ様たちベルニエ家の方々をお守りすることを誓います」
「……ええ、ありがとう。マリウス様にリュシエンヌ、それから私を受け入れることをお許し下さった皆様に感謝を」
リュシエンヌは、ルーナの言葉に一礼をする。
「ルーナ様、私。お茶を用意して参ります。落ち着くには、やはり茶を喫するのが良いかと。少しだけお待ちくださいませ」
「……ありがとう。だったら、私一人ではなくあなたと二人で、お茶がしたいわ。ちゃんとあなたの分も用意してきてね」
リュシエンヌはまさか自分が茶に誘われるとは思わなかったようで、とても驚いている。
「し、しかし……今の私は……」
「今は、和気藹々と語らえる方が欲しいの。かなり横暴だけれど……マリウス様の妃になる者の立場として、強くお願いするわ」
ルーナは、泣き腫らした目でいたずらっ子のような小さな微笑みを向ける。
リュシエンヌは、そんなルーナの様子を見て軽く嘆息する。その表情は、どこか嬉しそうだ。
自分の思いを内に秘めがちに見えた年下の少女が、はっきりと自身の願望を言ってくれたことをが喜ばしかったのだろう。
「……承知致しました、未来の皇子妃様。二人分を用意して参りますので、しばしお待ちを」
そうして、リュシエンヌは一度部屋を辞した。




