【第414話】長く静かな夜に
月明りの中、一人剣を振るクリスティーナを目にした。
「こんな時も素振り?」
「日課、というより習慣かな? こうして集中していると、落ち着くんだ」
シリューが声を掛けると、クリスティーナは手を休めて笑った。
「久々に、手合わせでもする?」
「う~ん、素敵なお誘いだけど、今夜は止めておこう。丁度切り上げるところだし、戦いの前に体力を使い果たしちゃうといけない」
クリスティーナは残念そうに肩を竦める。
「それもそうか。ここで疲れさせるわけにはいかないね、クリスは貴重な戦力だし」
シリューがそう言うと、クリスティーナは驚いたように目を見開いた。
「シリューくん……」
それからふと月を見上げる。
「初めて君と出会った頃、自分がこんな大きな、世界を賭けた戦いに加われるとは思ってもいなかった。ただの騎士として、一生を終えるんだと思ってたんだ……」
クリスの瞳に映った月が輝く。
「でもあの時、君の戦いを見て、私の運命の歯車が回り始めた……ねえシリューくん。私は、君の隣……いや、斜め後ろくらいには、立てているかな?」
月を見上げたまま、クリスティーナが尋ねた。
「ちゃんと立ってるよ。いつも、すぐ傍に」
その答えにクリスティーナは満足した表情を浮かべ、ゆっくりとシリューを振り返る。
「それを聞けてよかった。君の背中は私が守る。どんなに距離が遠くても、私の意志はいつも君の傍にある。君が振り返れば、そこに私はいる。君が望み突き進む道を、私も共に駆けると約束しよう」
クリスティーナがすっと右手を差し出す。
「ああ、約束だ」
その手を取り、二人は固い握手をした。
◇◇◇◇◇
宿舎と砦を結ぶ通路に、何故か一つだけ置かれたベンチ。
外灯に照らされたそのベンチに、パティーユは一人座って本を開いていた。
「こんな所に一人で、どうしたの?」
不思議に思い声を掛ける。
「何となく一人になりたいと思って……ちょうど良い場所を見つけたところです」
魔法の外灯は、本を読めるくらいには明るい。
「邪魔だったかな?」
「いいえ、僚ならいつでも大歓迎ですよ。どうぞ、こちらへ」
パティーユは本を膝に置き、シリューを隣に誘う。
隙間を空けず、ぴったりと体を寄せて座ったシリューに、パティーユはほんのりと頬を染めた。
「何の本を読んでるの?」
「市井で流行りの創作です。遠い異国からやって来た男性と、主人公でその国の王女との恋物語ですよ」
「え?」
「とある理由から二人は離れ離れになるのですが、最後は蟠りを捨てて結ばれます」
何処かで聞いた事のある話だ。
「ホントに?」
「冗談です。本当は詩集です。まあ、恋を詠ったものもありますけど」
そう言ってパティーユはころころと笑った。
「そうだと思った」
最近はパティーユも、こうやってよく笑う。
二人の距離は、それだけ近くなった。
「僚」
パティーユは、少し弾んだ声で名前を呼んだ。
「ん?」
「貴方の隣で、こうして笑える日々が来るとは夢のようです。もしこれが夢でも、きっと私の一生の宝物になります」
それから遠慮がちに、シリューの肩に頭を寄せる。
「貴方を守る事が私の望みです。貴方が何処かへ去って、私の声が届かないとしても、私の想いはきっと貴方の元へ届くでしょう」
パティーユの髪が風に揺れ、シリューの頬をくすぐった。
◇◇◇◇◇
パティーユの言った通り、アリエルは砦の城壁で夜空を眺めていた。
「あ、シリューちゃん」
アリエルは靴音に気付いて振り返る。
「こんな時間にどうしたの?」
「此処にくれば、君と会える気がして」
一瞬キョトンとした後、思い出したようにアリエルが頷く。
「前と逆だね」
「ああ。よかった、気付いてくれて。隣、いい?」
「うん、どうぞ」
シリューはアリエルの隣で城壁に肘を置いた。
「何をしてたの?」
ここには明かりもない。
「星空をね、見てた。ずっと昔から、こうするのが好き。何かを思い出せそうな気がするから」
思い出せた事はないけど、とアリエルは続けた。
「美亜が生きてた頃、夜中によく二人で星を見てたよ。ここほど綺麗じゃなかったけど」
「じゃあ、記憶にはなくても、心が覚えてるのかな」
「そうかも、そうだといいね……」
いつか行ってみようと約束したアタカマ砂漠の星空も、こんな風に飲み込まれるような美しさなのだろうか。
「あのね……」
アリエルはすっと視線を落とす。
「1500年前、僚ちゃんに会えたわたくしは、とても嬉しかったんだと思う。そして、今こうしてまた君と会えた事が、本当に嬉しい。それを表現できる感情はもう残ってないけど……」
「うん。俺も君に会えて嬉しいよ」
たとえ美亜の記憶はないとしても、アリエルが転生した美亜である事に変わりはない。
美亜が生きられなかった人生を、世界は違ってもアリエルとして生きている。
それだけで十分だった。
「何度も、思いだそうとした……あの頃の事を、あの頃の気持ちを……何年、何十年、何百年……でも、思い出せなかった……君と会えたのに、それでも……」
表情の映らない顔。
美しく冷たい、いつものアリエル。
だがその頬を、一筋の光が流れる。
「アリエル……涙」
「え……?」
アリエルは頬に手を当てて、初めて自分の涙に気付く。
「わたくし、は……」
それから、愛おしそうに涙を拭いシリューを見つめる。
「一つ分かった事があるよ。わたくしと君、見上げる星空は違っても、きっと同じ未来を見つめてる。たとえそこに辿り着けなくても、ね。だから、君は君の選んだ世界で、その未来を歩いて」
ぎこちない造り笑顔に、ほんの少しアリエルの感情が見えた気がした。




