【第383話】引き換えにしたもの
「わたくしにはもう、森崎美亜としての記憶がほとんど残っていない。人格と感情も同じ」
衝撃の告白だった。
エリアスは「感情を失くしてしまった」と言ったが、状況はそれ以上に複雑で深刻なようだ。
「じゃあ、龍脈やマナッサで俺に話しかけてくれたのは……」
別の誰かだったのか。それとも目の前のアリエルではなく、記憶と感情を失くす以前の彼女が、過去の世界から何らかの方法で接触してきたのだろうか。
「あれは、わたくし」
アリエルは、シリューの心を読み取ったかのように答えた。
「でも……」
「違う人、みたいだと思った?」
否定できず、シリューは素直に頷く。
「うん、仕方ないよ。わたくしが本来の自分に戻れるのは、星の意識と繋がった時だけだから」
「星の意識と繋がる……」
〝わたくしは、世界樹を通して、この星の意識と繋がる事ができます〟
アスラの記憶の中でも、アリエルはそう言っていた気がする。
その能力で、目標の人物を見つけたり、言葉を送ったりできるのだと。
「わたくしには、転生前の記憶を代償にしてでも、守らなきゃならない大切なものがあった。自分が変わってしまっても、たとえ君の事を思い出せなくなってもね」
アリエルは表情を変えずに続けた。
「わたくしは、もう君の美亜ではないかもしれないけど、それでも君に逢うために生きてきた」
「俺も、君に逢うためにここに来た」
思い描いていたような再会とはならなかったが、それでも二人に落胆や悲嘆はなかった。
二人の間に開いた穴は、これから埋めていけばいい。
「君に伝えたい事がいっぱいあるけど……ここで話す?」
アリエルはゆっくりと辺りを見渡す。
反魔導領域の外では未だ魔物が群れを成し、襲撃の機会を窺っている。
今はまだ、脅威が去ったわけではない。
「いや、止めとこう」
領域により魔物の侵攻を抑えるのは、あくまでも一時的な措置だ。
やるべき事は多く、与えられた時間は短い。
「俺も聞きたい事がいっぱいあるけど、落ち着いてから、ゆっくり話そう」
「うん」
アリエルがこくんと頷いて、シリューの手を握った。
その手を握り返し、シリューはアリエルと並んで歩き出す。
「懐かしいな……」
美亜が元気だった頃。いつも二人、こうして歩いたものだ。
「え?」
だがアリエルはもう、それを覚えてはいないのだろう。
ただ、染み着いた振る舞いを、意識せずになぞっているだけなのだ。
「いや、ごめん。何でもないんだ」
シリューは、湧き上がろうとする感情を振り払う。
反魔導領域が効果を発揮しているとはいえ、ここが戦場である事に変わりはない。
散乱した魔物の死体にも、注意を払う必要がある。
中にはまだ息のあるものがいるかもしれないのだ。
「死体……あれ?」
堀に沿って歩き、城門のある南側へ回った時、シリューの目に不可解な情景が飛び込んできた。
倒したサウラープロクスの死体が、全て跡形もなく消え去っていたのだ。
「これも、反魔導領域の効果なのかな?」
「ううん。あれは魔力を吸い取って魔物を殺すけど、死体まで消してしまう効果はないよ」
アリエルの言う通り、多くの死体は残されたままだ。
消えたのは一部のみ。
どうやら、反魔導領域を展開する前に倒したものだけのようだが、そうだとしてもシリューが倒した後、領域が展開するまでの僅かな時間に、魔物たちが回収したとは考えにくい。
それも、魔族たちが魔境で執り行ったという、大規模な儀式と関係があるのだろう。
「最優先で、調べてみる必要がありそうだな」
「何か、思い当たる事でも?」
アリエルは、何の事かと首を傾げる。
彼女に、釣り人からの情報は伝わっていないようだ。
「詳しい事は後で説明するよ。ほら、城門が開く」
シリューたちの到着を見計らっていたように城門が開き、中からは兵士たちに混じって騎士団長のラヴィトルが駆け寄ってきた。
「アリエル様! よくぞご無事で!!」
抱きつかんばかりの勢いだったラヴィトルは、隣のシリューに気付いてぴたりと足を止め、
「龍牙戦将、シリュー・アスカ様とお見受けいたします! この度のご助力、アストワールの民に変わり感謝申し上げます!!」
部下たちと共に最敬礼をとるラヴィトルに、シリューも答礼を返した。
多少のむず痒さがあったのは、言うまでもない。




