【第352話】終わりの始まり
アルフォロメイより北方に位置する、雪と氷に囲まれた小国『セーヴェル』の王都をグラキエースという。
そのグラキエースに本店を構えるクレアソン商会は、創業から僅か数年で大陸中の国々を股にかけ商売を執り行う、業界最大手へと急成長を遂げセーヴェルの経済の中心となる。
人々はその経営手腕と潔く誠実な経営方針を絶賛し、商会で働く従業員たちに尊敬の念を抱いていた。
そのクレアソン商会本店に、一人の女性従業員が派遣先のアルフォロメイ王国から戻ってきたのは、シリューたちが災厄級『ブラエタリベルトゥルバー』と対峙していた、ちょうど同じ頃だった。
「お前の報告書は読ませてもらった。ご苦労だったな。」
昼間にもかかわらず薄暗い広間に年老いた男の声が響く。
そこは商会の地下。
ごく一部の従業員や幹部のみがその存在を知り、立入りを厳しく制限された秘密の礼拝堂。
誰からも疑われる事無く、時代とともに擬態を変え、真の姿を隠し続けてきた影の存在、魔神教団。
その本部が、現在は此処クレアソン商会に置かれていた。
禍々しき神を祀った祭壇前の壇上に、深くフードを被った六人の男女が並び、一段低い身廊(エタナエル神教では会衆席)に座席は無く、呼び出された女性従業員は恭しく跪き頭を垂れる。
「よくやりました。お前の功績は高く評価します。数百年の間探し求めていたものを、我々の手中に収めたのですから」
逆光になった照明とフードのせいで、女性従業員からは壇上の誰が喋ったのか分からなかった。
声質から、比較的年齢のいった女性だろう。
「もう一つの封印……間違いはないのだな?」
また別の男。
「はい」
女性従業員が力強く答える。
「アストワール……エルフの国か……」
「そこに、もう一つの封印がある、と……」
「はい。根拠は報告書に記した通りです」
壇上の六人が互いに頷き合う。
「よかろう、お前の作戦を全面的に支持する。必ずもう一つの封印を開放するのだ。全ての指揮権をお前に与えよう、オルタンシアよ」
「光栄にございます」
オルタンシアは顔を伏せたまま、にやりと口元を歪めた。
やがて祭壇の照明が落ち、身廊から出口までの床がぼんやりと光る。
壇上にいたはずの六人は、既にその気配がない。
「用心深いコト……」
オルタンシアは心の中で呟き立ち上がる。
結局、六人の幹部たちが誰であるのか、声だけでは判別できなかったが、今は作戦が受理されただけでよしとしよう。
礼拝堂を後にし、迷路のような地下の回廊を抜けて地上へ出たオルタンシアは、日差しの眩しさに思わず顔を背けた。
「それにしても、こんな大袈裟な作戦……準備も大変なんだですけど?」
《 相変わらず不遜な奴だな。不満だと言うのか? 》
誰もいない空間へ呟いたオルタンシアの頭に、低い男の声が響く。
オルタンシアは自分の左胸に手を添え見下ろす。
今ここで鼓動を続けているのは、蘇った魔神の心臓である。
いや、一度と止まってしまった自分自身の心臓に、魔神の意志が宿ったものなのかもしれない。
魔神アスラ・シュレーシュタの意志は、こうして頭の中に直接語り掛けてくる。
もう随分慣れたとはいえ常に監視されているようで、正直気分のいいものではない。
オルタンシアには魔神への忠誠も崇敬もなく、ただ自分の目的のため利用しているだけだ。
それは魔神にしても同じ事。
シリューに敗れ崩壊した心臓は単独で存在する事ができず、同じくシリューに敗れ命を落としたオルタンシアに憑依した。
利害の一致。
それだけの関係だが、お互いの利用価値は高かった。
「アストワールに潜入して、地位の高いエルフに変装すれば、もっと簡単に封印を解けると思いますがねぇ?」
オルタンシアには、他人に擬態できる【擬態の首輪】がある。
エルフの指導者、もしくは権力者の側近になり替われば、封印の情報を得る事は可能だろう。
《 それでは面白くない。我を裏切った輩には、最大の恐怖と苦痛を与えてやらねばならん 》
「随分と、良いご趣味で」
《 貴様もな 》
オルタンシアは、これから世界が迎えるであろう破滅の未来に思いを馳せ、心の底から笑った。
その破滅をもたらすのは、自分なのだと。




