第40話『おかえりなさいですねぇ。』
第40話『おかえりなさいですねぇ。』
オル月の第四週に入った朝、ザナルバルト家の屋敷はいつもより少しだけ落ち着かなかった。
使用人たちが玄関を出入りし、馬車を迎える準備をしている。
リリナも朝から何度か窓の外を見ていた。
今日はアルクスが騎士学校から帰ってくる日だった。
(やっと帰ってきますねぇ)
フォ月の長い休みには帰ってくると思っていた。
けれど結局アルクスは戻らず、そのまま騎士学校に残っていた。
理由はまだ聞いていない。
学校では何を覚えたのか。
何が難しかったのか。
できるようになったことはあるのか。
聞きたいことは、いつの間にかずいぶん増えていた。
「リリナ様、そろそろ到着するそうですよ」
そばにいたマティが教えてくれた。
「本当ですか?」
「はい」
「では、玄関へ行ってもいいですか?」
「もちろんです」
リリナは椅子から立ち上がった。
急ぎすぎないように歩いているつもりだったが、いつもより少しだけ足が速くなっていた。
◇
しばらくすると、屋敷の前へ一台の馬車が入ってきた。
玄関前にはガイウスとエレノアも出ている。
馬車が止まり、扉が開いた。
先に荷物が降ろされ、その後からアルクスが姿を見せた。
久しぶりに見る兄は、記憶の中より少しだけ大きく見えた。
背が急に伸びたというほどではない。
けれど立ち方や荷物を受け取る動きが、前よりしっかりしているように感じる。
「ただいま戻りました、父上、母上」
「よく戻った」
「おかえりなさい、アルクス」
ガイウスは短く頷き、エレノアは柔らかく笑った。
アルクスの視線がその隣へ向く。
「リリナ」
「おかえりなさい、お兄様」
「ただいま」
アルクスが笑った。
その笑い方は、学校へ行く前と変わらなかった。
「元気だったか?」
「はい」
「兄様がいなくて寂しくなかったか?」
「少しは寂しかったですよ」
「少しか」
「少しです」
「そこはたくさんって言ってくれてもいいんだぞ」
「では、たくさんにしておきますねぇ」
「今変えただろ」
アルクスが笑い、リリナも笑った。
やはり兄は兄だった。
◇
その日の夕食は、久しぶりに家族全員が揃った。
アルクスは学校での生活を少しずつ話した。
朝から訓練がある日もあれば、教室で学ぶ時間もある。
剣だけではなく、覚えなければならないことも多いらしい。
「騎士学校って、ずっと剣を振っているわけではないんですねぇ」
「そんな学校だったら腕が動かなくなるぞ」
「それもそうですねぇ」
「勉強もあるし、課題も出る」
「課題もですか?」
「ある」
「大変ですねぇ」
「大変だぞ」
そう言いながらも、アルクスは嫌そうには見えなかった。
むしろ話しているうちに少し楽しそうになっている。
「難しいこともありますか?」
リリナが尋ねると、アルクスはすぐに頷いた。
「あるよ」
「剣ですか?」
「剣もだな」
リリナは少し意外に思った。
アルクスはずっと剣を習ってきた。
家にいた頃も修練場で何度も練習していた。
それでも難しいことがあるらしい。
「兄様より上手な人もいるんですか?」
「いる」
「たくさんですか?」
「……それは聞かなくてもいいだろ」
「いるんですねぇ」
「いるよ」
アルクスが少しだけ苦笑した。
「同じくらいの年でも、俺より上手いやつはいる」
「そうなんですねぇ」
「覚えるのが早いやつもいるし、身体の使い方が上手いやつもいる」
「お兄様は悔しくないんですか?」
「悔しい時はある」
アルクスは少し考えてから続けた。
「でも、そいつらも練習してるからな」
「上手な人もですか?」
「上手いやつほどやってることもある」
リリナはスプーンを持ったままアルクスを見る。
(できる人も、練習するんですねぇ)
少し前、自分も木剣を持ってエレノアへ何度も届かせようとした。
かなり手加減してもらっていたのに、一度も触れられなかった。
できるようになったと思っても、その先にはまだ知らないことがあるらしい。
それは兄も同じなのかもしれない。
「そういえば、お兄様」
「ん?」
「フォ月は帰ってきませんでしたねぇ」
アルクスの手が少し止まった。
「覚えてたか」
「帰ってくるって言っていましたから」
「そうだったな」
アルクスは少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「帰りたくなかったんですか?」
「違う」
「では、どうしてですか?」
アルクスは少し考えてから答えた。
「帰るつもりだったんだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
「でも、休みの間も学校に残って訓練できるって聞いてな」
「残ったんですねぇ」
「残った」
アルクスは自分の手を見る。
「学校に行って、自分より上手いやつがいるって分かった」
「はい」
「俺ももっとできるようになりたかったんだ」
「だから帰らなかったんですか?」
「ああ」
リリナはしばらくアルクスを見ていた。
家に帰りたくなかったわけではない。
家族に会いたくなかったわけでもない。
ただ、もっとできるようになりたかった。
そのために、自分で残ることを選んだのだ。
「大変ではありませんでしたか?」
「大変だった」
「それでも残ったんですねぇ」
「残ったな」
「お兄様らしいですねぇ」
「どういう意味だよ」
「褒めていますよ」
「本当か?」
「本当です」
アルクスが笑った。
「でも、お兄様にも難しいことがあるんですねぇ」
「当たり前だろ」
「少し意外でした」
「俺を何だと思ってたんだ」
「お兄様ですねぇ」
「父上と同じ返しをするな」
エレノアが小さく笑い、ガイウスもわずかに口元を緩めた。
◇
夕食の後も、リリナはアルクスの話を聞いていた。
寮での生活。
授業のこと。
訓練で失敗したこと。
少しずつできるようになったこと。
聞きたかったことは多かったはずなのに、聞けば聞くほど新しい疑問が増えていく。
「リリナはどうだったんだ?」
今度はアルクスが尋ねた。
「私ですか?」
「ああ」
「魔法は続けてるんだろ?」
「はい」
「ヒールも?」
「使っています」
「そうか」
アルクスは嬉しそうに頷いた。
「ほかには?」
「ほかですか?」
「俺がいない間に何かあっただろ」
リリナは少し考える。
文字や歴史も習った。
地理も覚えている。
魔法も練習した。
そして最近は、木剣も持つようになった。
「剣を少しだけ習っています」
「……剣?」
アルクスが目を丸くした。
「はい」
「リリナが?」
「私がです」
「本当に?」
「本当ですよ」
「いつからだ?」
「少し前からです」
「先生は?」
「イスターニャ先生です」
「先生、剣も使えるのか?」
「元聖騎士ですから」
「そうだったな……」
アルクスはまだ驚いた顔をしている。
「どうして剣を?」
「まだ、よく分かりません」
「分からない?」
「知りたくて始めました」
「剣を?」
「はい」
アルクスはしばらくリリナを見た後、少し笑った。
「じゃあ今度、見せてくれよ」
「私のですか?」
「ああ」
「まだ全然上手じゃないですよ」
「知ってる」
「まだ見てもいないのにですか?」
「始めたばっかりなんだろ?」
「そうですけど……」
「なら、一緒に修練場に行こう」
「お兄様もですか?」
「せっかく帰ってきたんだからな」
リリナは少しだけ考えてから頷いた。
「では、お願いします」
「おう」
久しぶりに帰ってきた兄は、以前と同じように笑っていた。
けれど学校で難しいことを知り、それでも自分で残って続けてきた。
知らない間に、アルクスも少しずつ前へ進んでいたらしい。
(お兄様も、色々覚えてきたんですねぇ)
今度は、自分が覚えたことを見せる番になりそうだった。




